2011-09-29

ジュディス・バトラー


 1冊挫折。

触発する言葉 言語・権力・行為体』ジュディス・バトラー:竹村和子訳(岩波書店、2004年)/歯が立たず。読むべき本であり、読まれるべき本でもあるわけだが、私の顎(あご)の力が及ばない。ガヤトリ・C・スピヴァクといい勝負だと思う。もっと勉強しなくては。ゆくゆく『プルーストとイカ 読書は脳をどのように変えるのか?』と併読する必要あり。

日英同時バス内差別


 たまたま読んだ二つのブログ記事がバス車内での差別を取り上げていた。一つは日本、もう一つはイギリスでの光景。これを日英の違いとするのは深読みのしすぎだろう。しかし、パーソナルな要素が強いとはいえ、背景の隔絶を見過ごしてはなるまい。

「その席に福島県人が乗ってるぞ! 降ろした方がいいんじゃねーか? 放射能うつるぞ? 運転手さんよー!」
 私は言葉が出なかった。
 こんな人間いるのか? 本当に苦しんでる我々、福島県民をそう思っているのか?
 親父はその怒鳴ってるオヤジに言い返さなかったらしい。
 その辺が親父なのだが、酒が入りオレについ愚痴をこぼしたのだろう。
 その方は関東圏の方らしい、その原発にかなり依存していたはずである。

親父の告白……。(口調が厳しいのでスルーでも可)/Ayumu_Creative-Laboratory

「注意するレベル」を軽々と超えている。かような人物にはリンチが相応(ふさわ)しい。本当の自治にはそれくらいの覚悟が求められると私は思う。

 進化論的に考えても、差別主義者やデマを流す人物はコミュニティを危険に陥れる要素が強い。なぜならルールが破壊されてしまうからだ。共同という概念はなし崩しとなる。

 正義とは「裁く」ことを意味する。もちろん内容については吟味が必要だ。だが、この男の発言は断じて議論を必要とするものではない。

 次に紹介するのはイギリスのエピソードである。

「誰かがそこの真ん中あたりで、不愉快な雑音を発しただろう」
 運転手はそう言いながら、その目は明らかにスキンヘッド二人組のほうを見ていた。
 運転手から誰が見てもそれとわかるような明瞭な視線を向けられ、二人組は激昂した。
「なに格好つけてんだよ」
 と、背の高い方のスキンヘッドが言う。
「ファッキン・チンクはファッキン・チンクだろうが。ちょっとファッキン金の貰えるファッキン仕事をしてるからと言って、人を見下ろすな」
 背の低い小太りのスキンヘッドも、ファッキン、ファッキンとリズミカルに怒鳴っている。

「降りろ」
 と運転手は言った。
「卑語や他人を蔑む言葉を使う人間は、俺のバスには乗れない。降りろ」

リトル・アンセムズ 1. Never Mind The Fu**ers/THE BRADY BLOG

 まるで映画のワンシーンを観ているようだ。しかも運転手は紳士的な態度を貫いており、それが民意の合意形成にまで及んでいる。

 私はイギリスという国が大嫌いだがこういうイギリス人は大好きだ。運転手は柄の悪そうな白人だった。それでも相手が違えば殴られるか、刺されるか、撃たれる可能性もあった。

 彼はそれだけのリスクを引き受けた上で、小さな暴力に目をつぶらなかった。これこそ「フェアの精神」であろう。

 この記事は9月20日に書かれている。そして福島の記事は翌日に書かれたものだ。偶然といってしまえばそれまでだ。

 世界経済が混乱の度合いを深めている。既に不況から恐慌への段階に差し掛かっている。人々の生活が苦しくなってくると必ずモラルが綻(ほころ)び始める。そして犯罪率が増加する直前に「小さな暴力」が蔓延するのだ。

 正義の鏡を磨くためには、自分自身が正しく生きるしかない。

【※読者からの指摘で気づいたのだが、アメリカではなくイギリスであった。9月30日訂正】

公民権運動の母ローザ・パークスとバス
クー・クラックス・クラン(KKK)と反ユダヤ主義

パレスチナの子供たち


 パレスチナに生まれたというだけで、子供たちがこんな目に遭わされている。ユダヤ教は邪教としか考えられない。イスラエルはヒトラー以上の悪党だ。

Kids Right 2 Live

Israel Killed family this child

gal_gaza_bombing_12

People in Palestine

GAZA HOLOCAUST

虫けらみたいに殺されるパレスチナの人々/『「パレスチナが見たい」』森沢典子

2011-09-28

合理的な思考と関係性の構築/「民主主義における正義」武田邦彦 2011年9月27日


 3.11以降、武田邦彦(中部大学)は毎日のようにホームページを更新し、次々とテレビやインターネット放送に出演し、国会や政治家の勉強会にも招かれている。これだけでも十分尊敬に値するのだが、この人が凄いのは「学問への信頼」という姿勢であり、政治性や損得を退け、学問に照らした合理性を堂々と語っている一点にある。

 明朗でいつもニコニコしている。明快な語り口で淀むところがない。更に該博な知識と絶妙な比喩で問題の本質を炙(あぶ)り出す。

 原子力行政や事故対応などについて声を上げた学者は少ないながら他にもいた。彼らは学問の底力を満天下に示したといってよい。

 そして私は思った。「その他大勢の学者連中は何をしているのだろうか?」と。国内で大惨事が起こっている時に、通常通りのカリキュラムをこなしているのだろうか? 立ち上がる学者や教育者はあまりにも少なかった。つまり「学問は死んだ」のだ。

 いかなる分野の学問であろうと、東日本大震災に結びつけ、東電原発事故を問うことは可能であろう。それすら怠っている職業教師は教壇から降りるべきだ。

 武田に至っては近頃、音声のメッセージまで発信している。「伝えずにはいられない」という思いが、彼を駆り立てているのだろう。武田こそ「先生」と呼ばれるのに相応(ふさわ)しい大人であると思う。

【「技術者の倫理」という講義で】「何が正義なのか?」「自分が正しいと考えるものは正しいわけではない」「正しいというのは、神様が決めるか、偉人が決めるか、相手が決めるか、法律で決めるか――主にはこの四つで定まっていると考えてよい」



NYC - Metropolitan Museum of Art - Jacques-Louis David - The Death of Socrates

 遵法(じゅんぽう)精神を明らかにすることで科学者・技術者としての分際を弁える姿勢を教えている。その謙虚さが政治家は元より、政治家を選ぶ国民にまで突きつけられるのだ。

 一見すると単純な原理を示しているようでありながら、正義と民主主義というテーマは哲学・宗教の領域に踏み込むものである。

 この国の最大の不幸は、国家を運営する政治家や官僚、そして大企業が「正しさ=利権」という価値観から脱却できないところにある。これほどの犠牲を払いながら、目を覚ますことなく旧態依然とした判断しかできないのだ。

 反原発を口にすると、「じゃあ電気はどうするんだ? 代替案を出せ」などという馬鹿者がいるが、原発導入が国民の相違に基づくものでない以上、それを考えるのは政治家の仕事だ。

 もしも現行法で東京電力を潰せないとすれば、法律に不備があるとしか言い用がない。贈収賄、独占禁止法、私有地における電柱問題、意図的な高額メニューの設定など、突っつくところはいくらでもあると思う。

武田邦彦【動画】

放射能と生きる (幻冬舎新書)君が地球を守る必要はありません (14歳の世渡り術)リサイクル幻想 (文春新書)

環境問題はなぜウソがまかり通るのか (Yosensha Paperbacks)環境問題はなぜウソがまかり通るのか2 (Yosensha Paperbacks)環境問題はなぜウソがまかり通るのか3 (Yosensha Paperbacks)

パレスチナに自由を!

End the occupation & sufferings

Gaza ..

PALESTINE

Palestine.

Palestine Grafities

Palestine Grafities

Palestine