1980年4月、ウガンダ北西部のカラモジャ地方で飢餓に苦しむ少年と宣教師の手。イギリスの写真家マイク・ウェルズが撮影。
・ケビン・カーター「ハゲワシと少女」
・暴力と欲望に安住する世界/『既知からの自由』J・クリシュナムルティ
国連は8日までに、世界各国の殺人事件の発生率などに関する報告書をまとめ、中米とカリブ海諸国では「危機的な水準」に近付いていると発表した。
中米諸国では8カ国のうち5カ国で過去5年の間、発生率が上昇、ホンジュラスでは2005年から10年までの間、倍以上を記録した。ジャマイカ、トリニダード・トバゴやドミニカ共和国でも増えている。
麻薬カルテル掃討に伴う「麻薬戦争」が続くメキシコでは同期間で65%増を示した。
国連の報告書によると、北米や中南米での火器による殺人事件の4分の1には麻薬密輸などの組織犯罪が絡んでいた。この比率はアジアや欧州諸国ではそれぞれ5%としている。
世界規模で見た場合、殺人事件の10件のうちの4件以上で火器が用いられていた。昨年起きた殺人事件の総数は推定46万8000件。このうち36%がアフリカ大陸、31%が北米や中南米諸国、27%がアジア諸国で発生していた。欧州やオセアニア諸国の比率は合わせて6%以下だった。
事件の犠牲者や実行犯の約80%が男性だったとも報告した。男性の場合、公の場所で殺害される事犯が目立ったものの、女性の場合は事件現場は主に自宅だったことも判明した。欧州ではパートナーや前パートナーが犯人だった殺人事件のうち犠牲者の約80%が女性だった。
【CNN 2011-10-08】
私たちは、目覚めさせてくれる人がほしいのです。啓発者がほしいのです。導き手がほしいのです。振るまい方を私たちに言ってくれる誰かが、ほしいのです。愛は何であるのか、何を愛するのかを私たちに言ってくれる誰かが、ほしいのです。私たちは自分自身では空っぽです。私たちは自分自身では混乱し、不確実で、悲惨です。ですから、私たちは、助けてもらい、啓発してもらい、導いてもらい、目覚めさせてもらえるよう、乞い求めて巡るのです。どうかこれに付いてきてください。それはあなたの問題です。私の〔問題〕ではありません。それはあなたの問題ですから、あなたはそれに向き合い、それを理解すべきです――来る年も来る年も、〔ついに〕混乱し全く迷って死ぬまで、それを反復すべきではないのです。あなたは、啓発者が不可欠である、または導師(グル)は必要である、と言います。何のためですか。導師(グル)は、あなたが真理と呼ぶもの――実在(the real)と呼ぶもの、神、自己実現――に導かれるために、必要でしょうか。理解できるでしょうか。あなたは導かれたいのです。これには幾つものことが含意されています。(マドラスでの講話4 1953年12月13日)
【『智恵からの創造 条件付けの教育を超えて』J・クリシュナムルティ:藤仲孝司〈ふじなか・たかし〉、横山信英、三木治子訳(UNIO、2007年)以下同】
今朝私は〔できるなら〕、かなり難しそうな話題について話をしたいのです。ですが、可能なかぎり、それを単純で直接的にしようとするでしょう。知っているでしょうが、私たちのほとんどは何らかの恐れを持っていますね。君たちは、自分の特定の恐れを知っているでしょうか。君たちは、自分の先生を、保護者、親、大人たちを、または蛇や野牛、誰かの言うことや死などを恐れているかもしれません。一人一人が恐れを持っていますが、若者たちにとって恐れは相当に単純です。私たちが年を取るにつれて、恐れはもっと複雑で、もっと難しく、もっと微細になるのです。私は特定の方向で自己を充足したいのです。君たちは、「充足」とはどういう意味であるかを、知っていますね。私は偉大な作家になりたいのです。私は、もしもものを書けたなら、自分の生活が幸せになるだろうと感じます。それで、私はものを書きたいのです。しかし、私には何が(ママ)起きるかもしれません。私は余生の間、〔身体が〕麻痺してしまうかもしれません。それが私の恐れになるのです。それで、私たちが年を取るにつれて、様々な形の恐怖が生じます――ひとり取りのこされる〔恐れ〕、友だちがいない〔恐れ〕、資産を失う〔恐れ〕、どんな地位をも持たない恐れ、そして他の様々な種類の恐れ、です。しかし私たちは今、とても難しくて微細な種類の恐れには入らないでしょう。なぜなら、それらははるかに多くの思考を必要とするからです。
私たちが――君たち若者と私が、この恐れという疑問を考慮することが、とても重要です。なぜなら、社会と大人たちは、君たちを行儀よくさせておくには恐れが必要である、と考えるからです。君が自分の先生や親を恐れているなら、彼らは君をもっとうまく制御できるでしょう。彼らは、「これをしなさい、あれをしてはいけない」と言えるし、君はまったく彼らに服従しなくてはならないでしょう。ですから、恐れは道徳的な圧力として使われます。教師たちは、たとえば大きな学級において、学生たちを制御する手段として恐れを使います。そうではないでしょうか。社会は、恐れは必要である、さもなければ市民たち、民衆たちは弾けて、むちゃなことをするだろう、と言うのです。こうして、恐れは人の制御に必要なものになったのです。
知っているでしょうが、恐れはまた、人を〔文明化・〕教化するためにも使われます。世界中の〔諸々の〕宗教は、人を制御する手段として、恐れを使ってきたでしょう。彼らは、君はこの生で一定のことをしないなら、来世でそのつけを払うことになるだろう、と言うのです。すべての宗教は愛を説くけれども、同胞愛を説くし、人の和について話をするけれども、彼らはすべて、微妙にまたはひどく残忍に、粗雑にこの恐れの感覚を維持するのです。(ラージガートでの講話2 1954年1月5日、以下同)
私たちのほとんどはとても保守的です。君たちは、その〔保守的という〕言葉がどういう意味であるのかを、知っていますね。「保守する」とはどういうことかを知っていますね――保つ、守るのです。私たちのほとんどは、〔尊敬されるよう〕体裁よくしていたいのです。それで、正しいことをやりたいし、正しい行ないに従いたいのです――それは、とても深く入るなら分るでしょうが、恐れの表示です。なぜまちがえていけないのでしょうか。なぜ見出さないのでしょうか。しかし。恐れている人はいつも、「私は正しいことをしなければならない。体裁よく見えなければならない。本当のありのままの私を公に知らせてはならない」と考えています。こういう人は基本的に、根源的に恐れています。野心を持っている人は本当は怯えた人物です。そして怯えている人は、どんな愛をも持ちません。どんな同情も持ちません。彼は壁の向こうに監禁された人物に似ています。私たちが若いうちに、このことを理解すること、恐れを理解することが、とても重要です。私を服従させるのは、恐れです。しかし、私たちはそれについて話し合い、ともに推理し、ともに議論し、考えることができるなら、そのとき私は、頼まれたことを理解して、できるかもしれません。しかし、私が君に怯えているからといって、私が理解しないことをやるよう私に強制すること、強いることは、まちがった教育でしょう。
恐れている人物は、けっして真理や神を見出せません。私たちの崇拝すべて、像すべて、儀式すべての裏には、恐れがあります。ゆえに、君の神は神ではなくて、それらは石なのです。
@nobuogohara
郷原信郎 九州電力第三者委員会も、昨日の最終報告書公表で、一応終わり。ようやく、陸山会事件の判決要旨を読んだ。唖然としたとしか言いようがない。こんな刑事判決があり得るのか。検察の立証をベースにしてきた従来の刑事司法を、(悪い意味で)根底から覆し、裁判所が、勝手な判断ができるのといえる(続く
Oct 01 via webFavoriteRetweetReply
@nobuogohara
郷原信郎 続き)検察がストーリーを固定化して、それに沿う調査を不当な手段でとろうとするのも問題だが、それ以上に、その調書すら必要とせず、裁判所が、推測や憶測で勝手に事実を認定するようになったら、不十分とはいえ、検察という組織のハードルがかかるのと比較して、さらに事態は悪化する。(続く
Oct 01 via webFavoriteRetweetReply
@nobuogohara
郷原信郎 続き)今回の事件では、裁判所は、検察が用意した検察官調書という料理を食べないでが推測、憶測で料理を作り上げた。こういうことがまかり通るのであれば、検察官は、適当な証拠で取りあえず起訴すれば、有罪判決もあり得るなることもある、ということで、無責任な起訴がまかり通ることになってしまう
Oct 01 via webFavoriteRetweetReply