西暦2540年。人間の工場生産と条件付け教育、フリーセックスの奨励、快楽薬の配給によって、人類は不満と無縁の安定社会を築いていた。だが、時代の異端児たちと未開社会から来たジョンは、世界に疑問を抱き始め…驚くべき洞察力で描かれた、ディストピア小説の決定版!
2013-11-12
『すばらしい新世界』オルダス・ハクスリー:黒原敏行訳(光文社古典新訳文庫、2013年)
西暦2540年。人間の工場生産と条件付け教育、フリーセックスの奨励、快楽薬の配給によって、人類は不満と無縁の安定社会を築いていた。だが、時代の異端児たちと未開社会から来たジョンは、世界に疑問を抱き始め…驚くべき洞察力で描かれた、ディストピア小説の決定版!
2013-11-11
クリシュナムルティの新刊
1945年から1948年――第二次世界大戦末期からインド独立までの激動の時代――「完全な覚醒が訪れた」と、クリシュナムルティ自身が述べた時期の講話集。精緻な読解による決定的翻訳。充実した注釈、索引付。
真の創造性と独創性を実現することは困難ではあるが、しかし潜在的には誰にでも可能である。ただし、そのためには通常の精神を激しく揺さぶり、真の創造性と独創性を可能にする状態に入るようにさせねばならない。精神のこの創造的な状態を覚醒させることによって、私たちは自分自身の内側にだけでなく、外側のあらゆるものの奥にも創造的な調和を発見することができるようになる。ボームは創造性という現象に深くかつ透徹した洞察の光を投じている。『対話について』(『ダイアローグ 対立から共生へ、議論から対話へ』)と双璧を成す、珠玉の論考集。稀有の科学者が指し示す、創造的な生き方への道程。
生、死、快楽、苦しみ、悲しみ、恐れ、情熱、美、自由、幸福、そして愛と孤独――人生のあらゆる問題について、根源から問いかけ、共に考える。現代のプラトン=クリシュナムルティの「対話篇」。
主著『クリシュナムルティの瞑想録』(原典:The Only Revolution)の徹底的読解から見えてきた、クリシュナムルティの生の躍動する姿。語りかけ、語りかけられ、応答するその生は、この世に住むことの意味の深みへと誘ってやまない。混迷の世を生きる現代人一人一人の自由なる生への扉をひらく、クリシュナムルティからの、対話的精神という名の贈り物。
・ジドゥ・クリシュナムルティ(Jiddu Krishnamurti)著作リスト
2013-11-10
読後の覚え書き/『カルト脱出記 エホバの証人元信者が語る25年間の記録』佐藤典雅
・『幸福の科学との訣別 私の父は大川隆法だった』宏洋
・エホバの証人の輸血拒否
・読後の覚え書き
・子供を虐待するエホバの証人
・『良心の危機 「エホバの証人」組織中枢での葛藤』レイモンド・フランズ
・エホバの証人批判リンク集
私は若い頃からエホバの証人とは幾度となく接してきた。二十歳の時、長老と思しきオッサンを完膚なきまでに論破したのが最初であった。爾来、40人前後のエホバとやり取りしてきた。エホバの書籍も読んだが負けることはなかった。あらゆる宗教はその「信ずる行為」において必ず合理性から飛躍せざるを得ない。そこに致命的な誤りがある。厳密な知的検証に耐えられるのは初期仏教のみであろう。
エホバの証人で活動している多くは女性である。伝道に時間的ノルマを課せられているためだ(詳細は「エホバの証人の組織構造」を参照せよ)。私は真面目で真摯な彼女たちに対してかなり好感を抱いていた。ただし八王子で接した連中はかなりレベルが低かった。本書によれば地域によっては高齢化が進み、士気の低下が著しいとのこと。そう。いかなる組織も日本社会の縮図であることを避けようがないのだ。
宗教に翻弄される一家の姿が鮮やかに描かれている。徹底した活動と研鑚がやがて懐疑に至る。大多数の信者はアイデンティティの欠如を教団への忠誠心で補っているだけだ。これはどこも一緒だ。彼らの脆弱な自我は「疑う」ことを知らず、安易に世間を批判し、裏切り者を叩くことで歪んだ自己満足を覚えるのだ。
佐藤は懐疑を手放さなかった。自分の頭で考え抜いた。そして知性が感情をリードした瞬間に洗脳は解けた。過去の自分が「見えた」。
それにしても児童虐待の件(くだり)は酷い。親同士は教会で虐待を奨励し合い、具体的な手法まで情報交換するという。この一点を取り上げても邪教といってよいだろう。
神に関わる人間と戦争に関わる人間は妙に似ているな。
【『ブラッド・メリディアン』コーマック・マッカーシー:黒原敏行訳(早川書房、2009年)】
布教は宣教であり形を換えた戦争なのだ。そしてキリスト教の歴史は暴力と血で染まっている。
何かを、あるいは誰かを憎むように促す指示または雰囲気あるいは共同性をもって邪教の定義としたい。
— 小野不一 (@fuitsuono) November 8, 2013
殆どの教団は憎悪生産装置として作動する。
・大田俊寛と佐藤剛裕の議論から浮かんでくる宗教の危うさ
まるで宗教→アカシアの樹液が含む酵素によって、アリがほかの糖源を摂取できないように仕向けられている/ニュース - 動物 - アカシア、樹液でアリを奴隷に変える - ナショナルジオグラフィック 公式日本語サイト(ナショジオ) http://t.co/oLxO7KRNP2
— 小野不一 (@fuitsuono) November 8, 2013
やはりダニエル・C・デネットがいうように宗教とはウイルスである可能性が高い。以下のページでアリとカタツムリを支配するゾンビのような菌類の動画を紹介しているので参照されよ。
・ウイルスとしての宗教/『解明される宗教 進化論的アプローチ』 ダニエル・C・デネット
しかも菌類が寄生することで昆虫たちは「長生き」できるのだ。
佐藤は上品な家庭で育ったせいか、かなり脇が甘い。母親に対して一切の反撃を控えてきた。本書を丹念に読んでゆくと後半にその答えがすべて書かれている。
なかんずく教団離脱後のアイデンティティ・クライシスが象徴的だ。エホバはコミュニティとしての機能はあるが人材を育成する組織的機能を欠く。つまりコミュニケーションによって自分を磨く術(すべ)がないのだ。
だから江原啓之〈えはら・ひろゆき〉の本なんぞに手を出すのだろう。そこで『スッタニパータ』かクリシュナムルティに進めば悩む必要はなかったはずだ。すなわちそれまでの価値観が本の選択をも左右するのだ。
・蛇の毒/『ブッダのことば スッタニパータ』中村元訳
・宗教とは何か?/『子供たちとの対話 考えてごらん』J・クリシュナムルティ
ブッダとクリシュナムルティは人々に従順さを求めていない。
— 小野不一 (@fuitsuono) November 9, 2013
権力が従順さを求める。
— 小野不一 (@fuitsuono) November 9, 2013
懐疑から否定が生まれる。だが実はそこで自分が高みを目指しているのか、それとも単なる逃避に向かうが問われるのだ。佐藤は宗教をプラグマティックに考えているようだがそれは誤りだ。なぜなら効用と合理性は異なるからだ。
「私が思うに知的誠実さに対する根源的な裏切りは、それが真理であるからではなく、有効だから信じるという態度だよ」/古本屋の殴り書き: バートランド・ラッセル「神について」 http://t.co/DYcXoxmYZs
— 小野不一 (@fuitsuono) November 10, 2013
佐藤がエホバの証人を批判しつつも、その批判から離れることができればアイデンティティの問題なんぞ雲散霧消するであろう。
などとケチをつけたところで本書が良書である事実に変わりはない。amazonの宗教カテゴリーで1位というのも頷ける。
尚、「物語の装置」としてはエホバの証人であろうと創価学会であろうと共産党であろうとボランティアであろうと一緒だ。
・ノリブロ - 持論自論ブログ(佐藤典雅)
【付記】佐藤がジョン・コールマン著『300人委員会』を読んでいながら、『ZEITGEIST(ツァイトガイスト) 時代精神』を知らないのは情報収集の仕方に問題があると言わざるを得ない。私はここからクリシュナムルティに至ったのだ。
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