これは凄かった。レビューの禁句ではあるが「凄い」としか言いようがない。ワジディ・ムアワッド(レバノン出身)の戯曲『焼け焦げるたましい』(原題:Incendies、火事)を映画化した作品だ。レバノン内戦を描いているところから察するとタイトルの意味は「焦土」か。
冒頭で幼い少年たちが兵士の手で丸刈りにされる。カメラはある少年の踵をクローズアップする。そこには三つの点を描いた刺青が施されていた。このシーンの意味は最後で明らかとなる。
母親が不可解な遺書をのこして死んだ。双子の姉弟が知らされていなかった父と兄を探し出して、手紙を渡すことを命じる内容だった。物語はロードムービーになるかと思いきや、カットバックで母親の越し方が挿入され、過去と現在が同時進行する。更に後半では兄の人生が加えられる。三重奏が描くのは「謎」だ。もうね、見ている側はプロレス技の卍固めをかけられたような状態となる。
映像が緊張を強いる。ハンディカメラの手振れが効果を発揮している。そして思いも寄らぬ場面で突発的に暴力シーンが現れる。紛争地帯の日常とはそういうものなのだろう。
姉弟はカナダから中東へ飛ぶ。母親はかつて政治犯であった。彼女は度重なる拷問に屈することなく13年間を耐え忍んだ。監獄では「歌う女」と呼ばれていた。
姉弟の出自が明らかとなり、続いて二人がプールで泳ぐ場面が秀逸だ。胎内への回帰。水(プール)が重要なモチーフとして何度も出てくる。
弟が姉に言う。「1+1=1があり得るか?」と。少し間を置いて姉は過呼吸に陥ったような音を立てる。直後にすべての謎が明らかとなる。
不条理ゆえに我生きる――これが母親の人生だった。彼女はいくつかの罪を犯した。長男を育てることができなかった。そしてバスの中で出会った子供を救うこともできなかった。拷問は贖罪(しょくざい)であった。そしてその後の人生は更なる贖罪であった。死の直前に母親は真相を知った。そして死の床にあってそれを許した。
「三界は安きことなく、なお火宅の如し」(『法華経』譬喩品)――これこそがタイトルの意味だった。「家は火事です。あちらの家だと思っているのですが、ここなのです」(クリシュナムルティ)。この残酷極まりない世界では「穏やかに生きる者」のみが真の勝者であることを思い知らされた。
『ドッグヴィル』の衝撃と『善き人のためのソナタ』のドラマ性を併せ持った稀有な作品である。