小沢遼子足蹴り事件
1983年1月26日、ロッキード事件被告田中角栄への求刑公判の日、テレビ朝日の番組「こんにちは2時」の生放送に出演した。番組のテーマはもちろん角栄の裁判であり、小沢遼子ら反角栄側2人と小室による討論を行った。ところが冒頭、突然立ち上がってこぶしをふり上げ、「田中がこんなになったのは検察が悪いからだ。検事をぶっ殺してやりたい。検察官は死刑だ」とわめき出し、田中批判を繰り広げた小沢遼子を足蹴にして退場させられた。
ところが、翌日朝、同局は小室を「モーニングショー」に生出演させた。その際さらにパワーアップしてカメラの面前で「政治家は賄賂を取ってもよいし、汚職をしてもよい。それで国民が豊かになればよい。政治家の道義と小市民的な道義はちがう。政治家に小市民的な道義を求めることは間違いだ。政治家は人を殺したってよい。黒田清隆は自分の奥さんを殺したって何でもなかった」などと叫び、そのまま放送された。
これをもってテレビ出演はほとんどなくなり、以後、奇人と評された。
【キリスト教の「愛(アガペー)」と仏教の「空(くう)」/『日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか』小室直樹:Wikipedia】
平生はその手腕を買われていた黒田だが、一度酒を飲むと必ず大暴れする酒乱であったと言われている。一度は木戸孝允が同席の酒席で暴れ、武術家としても知られていた木戸に取り押さえられ、毛布でくるまれたうえ紐で縛られ、そのまま自宅へ送り返された。以来、「木戸が来た」というと大人しくなったという。明治11年(1878年)の夫人の死も酔った黒田が斬り殺したのを同郷の川路利良がもみ消したのではないかとも噂された。
【Wikipedia】
三浦梧楼「木戸は剣客斎藤弥九郎の塾頭をやったくらいで、なかなか手が利(き)いておった。あの乱暴者の黒田(黒田清隆)でさえ、木戸には閉口しておった。ある年の正月三日であった。黒田が木戸の所へ、年礼にやって来たが、さんざん飲んだ果てに暴れ出した。木戸がいろいろなだめても、なかなか聞かない。果ては木戸におどりかかっていったが、木戸は柔術も心得ておる。黒田はただ蛮勇ばかりで、木戸の敵ではない。木戸はいきなり大腰にかけて、物の美事に投げつけ、両手で喉をしめつつ、『どうじや、まいったか』というと、『まいったまいった、許せ』とあやまる。『それじゃ帰れ』といって、手を放し、鴛龍へ乗せて、送りかえしたが、あの乱暴者が、木戸には全く閉口しておったものだ」
【Wikipedia】
しかし凄いもんだね。木戸の逸話:木戸孝允 - Wikipedia http://t.co/8rGduW3tWY
— 小野不一 (@fuitsuono) 2013, 11月 21
勝海舟の木戸孝允論: 木戸松菊は、西郷などに比べると非常に小さい。しかし綿密な男さ。使い所によってはずいぶん使える奴だった。あまり用心しすぎるので、とても大きな事には向かないがノー(西郷びいきのあんたに言われたくない)。 http://t.co/7dkKV9lEoP
— 小野不一 (@fuitsuono) 2013, 11月 21
勝海舟は人物評をよくしたが、これに一定の法則があることに気付く。つまり、勝が絡んだ人物は高く評価し、そうでない人物の評価は低いことである。勝を敬遠し近づかなかった徳川慶喜、木戸孝允、福沢諭吉の評価は低い。 http://t.co/ta1jGKojgH
— 小野不一 (@fuitsuono) 2013, 11月 21
肥後藩士二人と小楠の三人で、酒宴を開き大いに盃を傾けてきたとき、突然座敷に刺客が押し入ってきた。小楠は、仲間を置き去りにして自分だけ逃げてしまい、一人が死亡し、一人が軽傷を負うと云う事件が起きた。 http://t.co/vMCKpX99Jw
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おれは、今までに、天下で恐ろしいものを二人見た。それは、横井小楠(よこい・しょうなん)と西郷南洲(さいごう・なんしゅう)とだ。(『氷川清話』勝海舟) http://t.co/esOVZiSaE5
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