・現実の入り混じったフィクション
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無学であることは愚かを意味しない
アメリカで360万部を売り上げたベストセラーである。著者のグレッグ・モーテンソンはK2から下山する途中で遭難しかける。パキスタンの山間部であった。彼は地元の村人に救われる。その村には学校がなかった。無名のアメリカ人青年は村の子供たちのために学校をつくることを約束する。
無謀な夢が3年後に実現する。しかも立て続けに3校がつくられた。後に財団を設立し、本書が刊行された時点で何と53校も建設している。
異なる文化が摩擦を生む。だが手探りしながら共通の価値観を見出し、互いが互いに寄り添う努力をしながら学校は建った。
アフマド・シャー・マスードを知り、
中村哲〈なかむら・てつ〉を読んだ私は迷うことなく本書を「
必読書」リストに入れた。
内容を確認しようと思い検索したところ、本書に捏造疑惑があるとの記事を見つけた。
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『スリー・カップス・オブ・ティ』の大嘘 | 葉巻のけむり 高田直樹ブログ
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米軍必読のベストセラーに捏造疑惑 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
ウーーーム、疑惑は濃厚だ。著者は更に学校をつくるべく、過剰な演出・行き過ぎたマーケティング・結果オーライ志向の創作を行ったのだろう。もっと言ってしまえば、たとえ嘘をついてカネを集めようと、目的が正しければ構わないとまで考えたのかもしれない。
私からグレッグ・モーテンソンにクリシュナムルティの言葉を送ろう。
間違った手段はけっして正しい目的をもたらすことはできません。目的は手段の中にあるからです。
【『クリシュナムルティの教育・人生論 心理的アウトサイダーとしての新しい人間の可能性』大野純一著編訳(コスモス・ライブラリー、2000年)】
ひょっとすると彼の目的は学校をつくることから、学校をつくる自分を宣揚することに変質した可能性がある。活字による嘘は読者を騙すとか自分を偽るという次元ではなく、平然と自然に生まれるものだと私は考える。書く営みはいつだって自分に正確さを強いる。私はツイッターですら嘘は書けない。それどころか言葉づかいや知識の正誤を確認すべく検索するのが常である。
嘘つきは病気だ。馬鹿と嘘つきにつける薬はない。
先ほど必読書から外した。だがそれでも本書は一読の価値がある。最初から「現実の入り混じったフィクション」と思って読めばよい。
各章に配されたエピグラフが秀逸だ。長くなってしまったので、これだけ紹介しておく。
暗いときには星が見える。
(ペルシアのことわざ)
【『スリー・カップス・オブ・ティー 1杯目はよそ者、2杯目はお客、3杯目は家族』グレッグ・モーテンソン、デイヴィッド・オリヴァー・レーリン:藤村奈緒美訳(サンクチュアリ出版、2010年)以下同】
「あなたの村に、何かお手伝いできることはありませんか?」
「教わることは何もありません。あなた方が持っているものも、たいしてうらやましくないです。どこをとっても、私たちの方が幸せそうだと思います。ただ、学校だけは欲しい。子どもたちを学校に通わせたいのです」
(エドマンド・ヒラリー卿とウルキエン・シェルパの対話 『雲の中の学校』より)
偉大さは、つねに次のものを基礎とする。
ごく平凡な人間の姿と言動である。
(シャムス・ウッディーン・ムハンマド・ハーフィズ)
心に哀しき憧れを抱け。
決してあきらめず、決して希望を失うな。
アラーいわく「我は打ちのめされた者を愛する」。
傷つくがいい。打ちのめされるがいい。
(シャイフ・アブ・サイード・アビル・ヘイル またの名を、名も無き者の息子)
アラーを信ぜよ。
だが、自分のラクダはしっかりつないでおけ。
(スカルドゥの第5飛行団基地の入り口にあった注意書き)
諸君、
美しい女の瞳はなぜ許可制でないのか?
弾丸のように勇気をつらぬくし、刃のようにするどいのに。
(バルティスタンのサトパラ渓谷にある、現存する世界最古の仏様にスプレーで書かれた落書き)
ヒマラヤの原始的な暮らしが、工業化の進んだ私たちの社会に教えてくれる。ばかげた考えだと思うかもしれない。しかし、きちんと機能する未来の姿を求めれば、めぐりめぐって、人間と大地とが共存する暮らしに必ず回帰する。昔ながらの文化は、悠久の大地を絶対に無視しない。
(ヘレナ・ノーバーグ・ホッジ)
打ちおろされるかなづちではなく、たわむれる水こそが
小石を完全なるものに歌いあげる。
(ラビンドラナート・タゴール)
算数や詩の時代は終わった。兄弟たちよ、今は機関銃(カラシニコフ)や手榴弾から学ぶ時代だ。
(コルフェ小学校の壁にスプレーで書かれた落書き)