精緻(せいち)な写実の画家というのが、フェルメールに対する一般的な評価であろう。たしかにその描写は、ひじょうに繊細である。しかし、彼の作品をよく見ると、画家がけっして事物の質感表現を極めようとしていたわけではないことがわかる。むしろフェルメールが追求したのは、事物を照らし出し事物にまつわりつく光の効果なのだ。彼の作品の多くにおいて、その画面は、厳密な質感描写というよりも、事物の表面を覆う光の結晶に満ちあふれている。
そんなフェルメールの描く人物の魅力的な表現の秘密は、目にある。代表作の《真珠の耳飾りの少女》でも、描かれた少女の魅力は、神秘的ともいえるそのまなざしに由来する。では、フェルメールはどのようにして、この表情豊かな目を描き出しているのだろうか。ポイントなっているのは、瞳に描かれた白い点である。ハイライトとして白い点をひとつ、瞳に描き加えることだけで、生命感にあふれた人間の顔を描くことができるということを、フェルメールは発見したのだ。これは、「光の効果」を研究し尽くした画家ならではの発見といえるだろう。
【『誰も知らない「名画の見方」』高階秀爾〈たかしな・しゅうじ〉(小学館101ビジュアル新書、2010年)以下同】
頭の中を「!」が支配した。その後「なぜ私は気づかなかったのだろう?」のリフレインが押し寄せた。見ているようで見ていなかったのだ。高階に見えたものが私には見えなかったという事実に打ちひしがれた。で、教えてもらった途端、それは「見える」ようになるのだ。ここに視覚の奥深さがある。きっと私には見えていないものがたくさんあるに違いない。視覚は並列的かつ横断的に働くため細部を見逃しやすいのだ。
では実際にご覧いただこう。ヤン・ファン・エイクとフェルメールの光には決定的な違いがある。
ヤン・ファン・エイクが写実的であるのに対してフェルメールは高窓から差すような光を描いている。白い点ひとつで生命を吹き込むのだから凄い。
実は最近知ったのだが涙袋効果ってのがあるそうだよ。
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確かに違う。まったく違うよ。人の目は陰影を好む。ネクタイのえくぼ、スタッコ壁、ボイン、筋骨隆々、碧眼(へきがん)、鼻の高さなど。神は細部に宿るってわけだ。
じつは、現代においても写真家はしばしば、生き生きとした表情をつくり出すために、被写体の目のなかに人為的な光を加えるという。400年近くも前にフェルメールが試みたこの手法を用いている。つまり、自然のとおりの即物的な光を描写するかわりに、かならずしも自然のとおりではないけれど、人物に生命感を与えるような光を描き加える。そのことによって、瞳はたんに外光に反応する肉体の一器官としての「目」ではなく、内部に精神を宿した「まなざし」となる。そのとき画家は、自分が見た対象としてではなく、画家を見ている「人間」を描くことに成功したのである。
さすが大御所。文章が香り高い。2時間程度で読める本だが各所に侮れない指摘がある。学ぶことは世界を広げることでもある。本を読めば読むほど豊かな世界が広がってゆく。