2014-04-25

普遍的な教義は存在しない/『神はなぜいるのか?』パスカル・ボイヤー


『奇跡の脳 脳科学者の脳が壊れたとき』ジル・ボルト・テイラー
『脳はいかにして〈神〉を見るか 宗教体験のブレイン・サイエンス』アンドリュー・ニューバーグ、ユージーン・ダギリ、ヴィンス・ロース:茂木健一郎訳
『なぜ、脳は神を創ったのか?』苫米地英人
『宗教を生みだす本能 進化論からみたヒトと信仰』ニコラス・ウェイド

 ・普遍的な教義は存在しない
 ・デカルト劇場と認知科学
 ・情動的シナリオ


『人類の起源、宗教の誕生 ホモ・サピエンスの「信じる心」が生まれたとき』山極寿一、小原克博
『人間の本性について』エドワード・O ウィルソン
『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ

キリスト教を知るための書籍
宗教とは何か?
必読書 その五

 どうして人間はこんなことを考えるのか? なぜこんなことをするのか? どうしてこんなにも多様な信念をもっているのか? なぜ人間はこうした信念に強くこだわるのか? これらの疑問はノーム・チョムスキーの区別を借りて言えば、かつては【謎】(解こうにも、どこから手をつければよいかわからなかった)だったが、現在では【問題】(解凍の見通しぐらいはついている)にまでなっている。

【『神はなぜいるのか?』パスカル・ボイヤー:鈴木光太郎、中村潔訳(NTT出版、2008年)以下同】

 2012年に読んだ本ランキング1位である。油断していたらもう品切れだ。このまま絶版となるかも。書籍の命は蝉のようにはかない。昨今の出版事情を思えば、望むと望まざるとにかかわらずデジタル書籍の時代に向かうことだろう。

 原著の刊行が2001年で『神は妄想である 宗教との決別』リチャード・ドーキンス、『解明される宗教 進化論的アプローチ』 ダニエル・C・デネットに先んじている。これにニコラス・ウェイドを加えて「宗教機能学」と名づけても見当外れではあるまい(※ジェシー・ベリングは個人的に評価せず)。その嚆矢(こうし)がパスカル・ボイヤーである。


 宗教の起源についての説明のほとんどは、次のような示唆のどれかを強調する。すなわち、人間の心は説明を欲する、人間の心は安らぎを求める、人間の社会は秩序を必要とする、人間の知性は錯覚に陥りやすい。

 科学(因果関係)、心理学、社会学、認知心理学がそれぞれに対応する。

 続いて以下の驚くべき指摘がなされる。

・「特定の」宗教を信仰することなしに、宗教を信仰することもできる。
・「宗教」にあたる単語がなくても、宗教はありうる。
・「信じる」という表現がなくても、宗教をもつことはできる。

 実はニコラス・ウェイドが使用する「遺伝」という言葉への違和感は書評を書く段階で初めて気づいた。パスカル・ボイヤーも「宗教が『生得的』だとか『遺伝子のなかにある』」という見方には否定的だ。

 もし「宗教とは、宇宙の賢く不滅の創造主に従うことによって、どうすれば私たちの魂が救われるかを説く教えを信じることだ」と言う人がいたら、その人はたぶん、いろんな土地を旅したり、広くいろんなものを読んでいないのだ。多くの文化では、死者はこの世に戻ってきて生きている者たちを怖がらせると考えられているが、どの文化でもそうなわけではない。ある特殊な人々が神々や死者と交信できると考えられている社会もあるが、この考えもどこにでも見られるわけではない。また、人間の魂は死後も生き続けるとするところもあるが、この仮定もまた、普遍的なわけではない。私たちが宗教について一般的な説明を考え出そうとする場合、その説明はほかの宗教にも通用するものかを考慮すべきだろう。

 実際にフィールドワークを行っている人物ならではの視点だ。テキストはアブラハムの宗教を想定しているが、他の宗教にも同じ問いを突きつけている。つまり「普遍的な教義」は存在しないのだ。

 10代から20代にかけての読書は好きなものを手当たり次第に読めばよい。30代となれば何らかのテーマを決めて取り組む必要がある。そして現代社会の構造を思えば、やはり経済と科学は避けて通れない。人は40代にもなれば何らかの思想を持つ。そこから宗教性を探るのが正しい読書道だ。自分の死が20~30年先に見え始めた頃だ。

 信じる信じないというテーマは騙される騙されないという問題を含んでいる。妙な営業に引っかかったり、悪質な詐欺被害に遭ったり、社会の様々な分野で心理的抑圧を受けるのは、考える力すなわち判断力を奪われた結果といえよう。きちんと人や本から学んでおけば避けられた問題であると私は考える。

 知的格闘を経ていない信は浅はかなものだ。強靭な信は合理性に裏打ちされていることを忘れてはならない。

宗教の社会的側面/『宗教を生みだす本能 進化論からみたヒトと信仰』ニコラス・ウェイド


ウイルスとしての宗教/『解明される宗教 進化論的アプローチ』 ダニエル・C・デネット

 ・進化宗教学の地平を拓いた一書
 ・忠誠心がもたらす宗教の暗い側面
 ・宗教と言語
 ・宗教の社会的側面

普遍的な教義は存在しない/『神はなぜいるのか?』パスカル・ボイヤー
キリスト教を知るための書籍
宗教とは何か?

 しかし、宗教がどれほど強く個人の信念から生じるように見えても、その実践はきわめて社会的である。ヒトはみな同じ信仰を持つ人とともに祈りたい、と個々人が信じているからだ。ひとりで祈りを捧げることもあるが、宗教活動や儀礼は社会的なものだ。宗教は共同体に属し、そのメンバーの社会的行動、すなわち、互いに対する(内部)行動と、信者でない者に対する(外部)行動に大きな影響を及ぼす。宗教の社会的側面は非常に重要である。他者へのふるまいを司るルールこそが、その社会の道徳だからだ。
 なぜ人々が宗教に強い愛着を持つのかを理解するのはむずかしくない。社会の質(結束、犯罪の抑止、互助の精神、嘘やごまかし、たかりの少なさ)は、その社会が持つ道徳の質と、共同体の規範に対する人々の忠誠心によって決まる。その両方(道徳規範と、それを守る度合)ともに宗教によって定まるか、大きな影響を受ける。人々が宗教を守るのは、宗教が個人の人生を豊かにするだけでなく、それ以外のものもしっかりと支えているからなのだ。
 宗教によって裏づけられた道徳規範には奇妙な特徴がある。道徳は普遍的原理にもとづくと考える道徳哲学者はたいてい認めようとしないが、実際の道徳は普遍的ではない。憐れみと赦しは「内部者」に対する義務だが、「外部者」に対してはかならずしもそうではないし、まして敵に与えるものではない。
 敵社会に対する人間の行動は冷酷で容赦なく、虐殺に及ぶことすらある。敵は邪悪とされ、人間以下と見なされる。己の社会のメンバーに対する道徳的制約は、敵には適用されない。また、宗教はたびたび戦争で利用される。指導者が侵略を正当化したり、士気を高めたり、兵士を究極の犠牲行為へと駆り立てたりするのに便利だからだ。
 この観点から、宗教が何世紀ものあいだ、社会の存続にどれほど重要な役割を果たしたかがわかるだろう。宗教は社会の質を高め、戦いを価値あるものにし、社会を守るために命を投げ出させる。ほかの条件が同じなら、宗教的傾向の強い集団は結束力が強く、そうでない集団と比べてかなり有利だったはずだ。成功した集団は、より多くの子孫を残す。宗教行動の本能を発現させる遺伝子は世代を経るごとに精力を増し、やがて人類全体に広がったのだろう。

【『宗教を生みだす本能 進化論からみたヒトと信仰』ニコラス・ウェイド:依田卓巳〈よだ・たくみ〉訳(NTT出版、2011年)以下同】

「宗教はコミュニティ(共同体)の共同性を高める」――ここに宗教の目的があったのだろう。これを民俗宗教と仮称しておく。ってことはだ、経済的コミュニティ(会社)・教育的コミュニティ(学校)・政治的コミュニティ(国家)・地域的コミュニティ(村)・人生的コミュニティ(友人)において、宗教的にまで高められた目的や信念を持ったコミュニティに強味がある。コミュニティの信者化だ。「強力なリーダーシップ」は「強力な隷属性」に支えられている。そうすると権力を集中した方がいいことになる。しかし北朝鮮の現実は上手くいっていない。

 民主主義が権力分散を目的としているのであれば、宗教と民主主義は馴染まない。宗教と親和性が高いのは全体主義だろう。ややこしくなってきた。ま、いつも書きながら考えているからね。

 話を北朝鮮に戻そう。北朝鮮国民の不幸は空腹(経済問題)にある。では彼らが満腹になれば幸福が実現するのだろうか? 難しい問題だ。一時的には実現するだろうが、やがて諸外国と較べて自由度が少ないことに気づくだろう。問題は空腹から選択肢(人権)にスライドする。国民が自由を求めることは権力者に不自由を求めることとセットになっている。

 指導者が英邁(えいまい)であれば私は喜んで従う。汗馬の労も厭わない。だが愚かであれば話は別だ。諫言に次ぐ諫言を行い(『晏子』宮城谷昌光)、最終的には権力の地位から引きずり下ろすことだろう。これが民主制だ。

 宗教がコミュニティの共同性を高めるのであれば、やはり宗教とは「エートス」(行動様式)なのだろう(マックス・ヴェーバー)。

 こうした考えから、デュルケムは有名な定義づけをした――“【宗教は、隔絶され禁じられた神聖なものかかわる、信仰と実践の統合システムである。信仰と実践は、それにしたがうすべての人を統合し、「教会」と呼ばれるひとつの道徳的共同体を作る】”。さらにデュルケムは、宗教と教会が不可分であることを示しつつ、この定義は宗教が“きわめて集合的なものである”ことを強調するものだと言う。


(エミール・デュルケーム)

 恐るべき指摘である。何がって? 実はサンガ(僧伽)ですら道徳的共同体に含まれてしまうのだ。つまり進化的観点からすれば人間主義よりもコミュニティ主義の方が正しいことになる。

 だがクリシュナムルティは集団(道徳的共同体)を否定した(『クリシュナムルティ・目覚めの時代』メアリー・ルティエンス)。まだまだ考えなければならないことは多い。

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2014-04-24

宗教と言語/『宗教を生みだす本能 進化論からみたヒトと信仰』ニコラス・ウェイド


ウイルスとしての宗教/『解明される宗教 進化論的アプローチ』 ダニエル・C・デネット

 ・進化宗教学の地平を拓いた一書
 ・忠誠心がもたらす宗教の暗い側面
 ・宗教と言語
 ・宗教の社会的側面

普遍的な教義は存在しない/『神はなぜいるのか?』パスカル・ボイヤー
キリスト教を知るための書籍
宗教とは何か?

“人類学または歴史学に知られているなかで、論理的に宗教と考えられる活動を持たない社会はない。たとえ計画的に宗教の根絶をめざした旧ソビエト連邦のようなところであっても”と人類学者ロイ・ラパポートは書いている。
 ラパポートによれば、宗教的建造物を作(ママ)るのに必要な時間、労力、費用、さらに聖戦や供犠などを考えると、宗教が人類の適応(自然淘汰への反応として起きる遺伝的変化)に貢献しなかったと想定するのはむずかしい。“もし気まぐれや見せかけだったとしたら、これほど労力を要する行為は、まちがいなく淘汰圧で排除されていただろう……宗教はたんに重要なだけでなく、人類の適応に欠かせないものだった”と1971年に書いている。
 しかし長いあいだ、ラパポートの考察を引き継ぐ研究はおこなわれなかった。ひとつには、いかなる人間の行動であれ、遺伝的に決定されていると人類学者が考えたがらなかったからだ。

【『宗教を生みだす本能 進化論からみたヒトと信仰』ニコラス・ウェイド:依田卓巳〈よだ・たくみ〉訳(NTT出版、2011年)以下同】


 ロイ・ラパポートに関するウェブ情報は驚くほど少ない。以下の論文(PDF)で紹介されている程度だ。

コミュニケーションにおける儀礼的諸相の再考察 「連帯」と「聖なるもの」をめぐって:松木啓子

 ラパポートが指摘しているのは「機能としての宗教」である。養老孟司も解剖学的見地から同様の主張をしている。

 脳と心の関係に対する疑問は、たとえば次のように表明されることが多い。
「脳という物質から、なぜ心が発生するのか。脳をバラバラにしていったとする。そのどこに、『心』が含まれていると言うのか。徹頭徹尾物質である脳を分解したところで、そこに心が含まれるわけがない」
 これはよくある型の疑問だが、じつは問題の立て方が誤まっていると思う。誤まった疑問からは、正しい答が出ないのは当然である。次のような例を考えてみればいい。
 循環系の基本をなすのは、心臓である。心臓が動きを止めれば、循環は止まる。では訊くが、心臓血管系を分解していくとする。いったい、そのどこから、「循環」が出てくるというのか。心臓や血管の構成要素のどこにも、循環は入っていない。心臓は解剖できる。循環は解剖できない。循環の解剖とは、要するに比喩にしかならない。なぜなら、心臓は「物」だが、循環は「機能」だからである。

【『唯脳論』養老孟司〈ようろう・たけし〉(青土社、1989年/ちくま学芸文庫、1998年)】

「人間は五蘊仮和合(ごうんけわごう)である」とブッダは説いた。肉体(色蘊〈しきうん〉)と精神(受蘊〈じゅうん=感受作用〉、想蘊〈そううん=表象作用〉、行蘊〈ぎょううん=意志作用〉、識蘊〈しきうん=認識作用〉)という五つの要素が仮に結合した状態であると。心が機能であるとすれば、我(が)もまた機能なのだろう。

ザ・ユニット 米軍極秘部隊』のシーズン4第17話でこんな科白(せりふ)があった。「ヘリなんてのは――600万個の部品が空中に浮いているだけだ」。おわかりだろうか? 部品600万個仮和合がヘリコプターの本質なのだ。バラバラであってはヘリは機能しない。つまり人間の意識とは内燃機関(エンジン)が爆発した状態を指すのだろう。それゆえ動かぬヘリコプターは600万個の部品を並べた状態と変わらない。

 ここでちょっと引っ掛かるのは「遺伝」という言葉の扱い方だ。ニコラス・ウェイドは「母親が我が子を守る」例を引いているが、遺伝情報とは「形質が伝わる」ことであり、DNAに書かれているのは「蛋白質のつくり方に関する情報」である(『DNAがわかる本』中内光昭)。

 リチャード・ドーキンスが創案した「ミーム」(『利己的な遺伝子』紀伊國屋書店、1991年)であれば理解できる。本能と学習の議論をすっ飛ばして「遺伝」を語るのはどうかと思う(※「刷り込み」を参照せよ)。

 なぜ宗教は進化した行動と考えられるのか。言語と比較するとわかりやすい。言語と同じく宗教は、遺伝的に形成された学習能力の上に築かれた複雑な文化的行為である。人は自分の社会の言語と宗教を学ぶ本能を持って生まれてくる。しかしどちらの場合にも、学ぶ内容は文化から与えられる。言語と宗教が(基本的形態はよく似ているにもかかわらず)社会ごとに大きく異なるゆえんである。
 言語が、早い時期に進化した多くの行動(音を聞いたり、発生させたりする神経系の働きなど)の上位で働くように、宗教行動もいくつかの洗練された能力(音楽に対する感受性や、道徳的本能、そしてもちろん言語そのもの)を土台としている。言語同様、すべての社会の宗教行動はある特定の時期に発達している。まるで生来の学習プログラムが作動しはじめたかのように。
 言語と同じく、宗教行動はもっとも重要な社会的行動だ。人はひとりで話すことも祈ることもできるが、どちらもほかの人々とおこなったときにもっとも豊かな意味を持つ。ともにコミュニケーションの手段だからだ。


 これまた危うい展開の仕方だ。言語はコミュニケーションの手段ではあるが、言語獲得以前におけるコミュニケーションの可能性を否定することはできないためだ。鳥や魚の群れが一瞬にして方向転換するようなコミュニケーションのスタイルがヒトにもあったかもしれない。逆に考えれば、言語を使わなければコミュニケーションできなくなったと捉えることもできよう。「心の進化」は同時に「本能の退化」を意味する。

 きっと言語の獲得はヒトに対して進化的な優位性になったことだろう。だが人類は言葉を「争いの道具」にしていることも事実である(『とうに夜半を過ぎて』レイ・ブラッドベリ)。そして現在に至るまで言語と宗教は人間同士を不幸な戦闘状態に置いている。

 人は個人としてではなく、社会的集団として生き延びる。そして社会性生物にとって何より重要なのは、メンバーが互いに意思疎通するためのコミュニケーション能力だ。言語が最上位にあるため、宗教やジェスチャーなど、ほかのコミュニケーション手段が正当に評価されないことが多いけれども、言語が考えを伝えるシステムであるのと同じく、宗教行動は共通の価値と感情を伝えるシステムである。このシステムを効果的にする遺伝的変異は、自然淘汰でただちに強化されただろう。自然淘汰が、個体レベルと同じように集団レベルでも起きた場合(こちらのほうが通常)には、なおさらそれが言える。集団レベルでの淘汰は、進化生物学者のあいだでも議論のあるところだが、もっとも厳しい反対論者でもその存在を否定しているわけではない。ほとんどの場合においておそらく重要ではなかった、と言うだけだ。後述するように、人類の進化には特殊な状況がある。それが通常よりはるかに強く、集団の選択に作用したと考えられる。

 ここでいう「選択」は「淘汰」と同義である。「宗教行動は共通の価値と感情を伝えるシステムである」との指摘が重要だ。私が「新しい時代の教祖になり得るのは歌手である」と考えているのも同じ理由による。

 言語と歩調を合わせて進んできた宗教が千数百年前にテキスト化という進化を遂げた(『日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか』小室直樹)。これを私は「宗教の歴史化」と考える(『世界史の誕生 モンゴルの発展と伝統』岡田英弘)。

 人類は社会的なつながりから政治的意識が芽生え、そして歴史的存在へと至ったのだろう(『歴史とは何か』E・H・カー)。しかしながら文字はコミュニケーションを拒む(『プルーストとイカ 読書は脳をどのように変えるのか?』メアリアン・ウルフ)。

 クリシュナムルティは「理解というものは、私たち、つまり私とあなたが、同時に、同じレベルで出会うときに生まれてきます」と語った(『自我の終焉 絶対自由への道』J・クリシュナムーティ)。沈黙の静謐(せいひつ)の中に通うコミュニケーションもある。言葉の限界を超えるにはもう一段進化する必要がある。

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唯脳論 (ちくま学芸文庫)
養老 孟司
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言語概念連合野と宗教体験/『脳はいかにして〈神〉を見るか 宗教体験のブレイン・サイエンス』アンドリュー・ニューバーグ、ユージーン・ダギリ、ヴィンス・ロース
ソクラテスの言葉に対する独特の考え方/『プルーストとイカ 読書は脳をどのように変えるのか?』メアリアン・ウルフ

『日本株スーパーサイクル投資』宮田直彦(扶桑社、2014年)

日本株スーパーサイクル投資

「アベノミクス相場第二幕は、2016年にやってくる!」――そう断言するのは、プロも認めるテクニカルアナリストの宮田直彦氏。エリオット波動というテクニカル分析を用い、相場を見たところ、「歴史は繰り返される」「長期的に見ると、上昇の流れにある」と言う。
 日経平均は3万円へと向かっていくのが見えた――。そんな超強気相場「スーパーサイクル」に突入しつつあるのである。本誌では、過去起きた事例を歴史とともに振り返り、そして中長期の展望などを解説。さらに、宮田氏によるリアルな取引実例も紹介している。株初心者のみならず、今後の相場が気になるすべての方には必読だ。

2014-04-23

忠誠心がもたらす宗教の暗い側面/『宗教を生みだす本能 進化論からみたヒトと信仰』ニコラス・ウェイド


ウイルスとしての宗教/『解明される宗教 進化論的アプローチ』 ダニエル・C・デネット

 ・進化宗教学の地平を拓いた一書
 ・忠誠心がもたらす宗教の暗い側面
 ・宗教と言語
 ・宗教の社会的側面

普遍的な教義は存在しない/『神はなぜいるのか?』パスカル・ボイヤー
キリスト教を知るための書籍
宗教とは何か?

 宗教は強固で独特な社会を作り上げるので、それぞれの文化の決定的な特徴となり、西欧キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教など、偉大な文明へと発展した。
 一方、宗教には行きすぎた激しい忠誠心がもたらす暗い側面もある。内部の反抗者や、正統派の妨げになると見なされた者には残忍な行動がとられる。社会は宗教の名のもとに審問をおこない、異端や魔女と見なした人々を処刑し、異神を崇める人々を拷問にかけたり、追放したりしてきた。
 社会が外敵と戦うとき、宗教はほぼかならず重要な役割を担う。決まって戦争を正当化し、支持するために用いられてきたし、キリスト教とイスラム教、プロテスタントカトリックシーア派スンナ派などのあいだに、多くの戦争を引き起こしてきた。ただ、そんな宗教戦争も、飢えたように生贄を求めたアステカ王国ほど残忍ではない。アステカでは毎日、ときには1回の儀式で何千という人々が生贄にされ、彼らの血が太陽神への食物として捧げられていた。
 宗教とは何か。宗教は人の営為のなかでも、もっとも高潔で崇高なものを引き出しうるが、同時にもっとも残虐で卑劣なものも呼び起こす。宗教は世代から世代へと伝えられる聖なる知の集積にすぎないのだろうか。それとも、たんなる社会遺産をはるかに超えるものであり、何かを崇拝しようとする、深く根づいた本能的衝動から生まれるものなのだろうか。

【『宗教を生みだす本能 進化論からみたヒトと信仰』ニコラス・ウェイド:依田卓巳〈よだ・たくみ〉訳(NTT出版、2011年)】

 僭越ながら私が一言で述べよう。「土地の結びつきを感情的――あるいは精神的――なつながりに深めるのが宗教である」と。裏切り者を叩く――あるいは殺す――のはイニシエーション(通過儀礼)そのものである。組への忠誠を誓う暴力団構成員を見れば一目瞭然だ。

 もう一歩深く考察すれば組織化と権威の問題が複雑に絡んでくることがわかる。権威については以下の書籍を必読のこと。

脆弱な良心は良心たり得ない/『無責任の構造 モラルハザードへの知的戦略』岡本浩一
http://d.hatena.ne.jp/sessendo/20090316/p1">服従の本質/『服従の心理』スタンレー・ミルグラム
父の権威、主人の権威、指導者の権威、裁判官の権威/『権威の概念』アレクサンドル・コジェーヴ
現在をコントロールするものは過去をコントロールする/『一九八四年』ジョージ・オーウェル

 自分が他人に比べてあまりものが見えず、また、あまり遠くまで見えないと納得している者は、他人によって容易に【操られる】、あるいは【導かれる】。だから、彼は可能な対抗行為を自覚的に放棄するのである。彼は他人から色々な行為を被るが、それらに反対せず、それらに抗議せず、それらを議論せず、問いを発することさえしない。彼は他人に「盲目的に」追随するのである。

【『権威の概念』アレクサンドル・コジェーヴ:今村真介〈いまむら・しんすけ〉訳(法政大学出版局、2010年)】

 いつの世も新しい時代の扉を開くのは一人の天才である。そして科学なき時代は宗教の時代であった。音楽や文学・芸術も宗教行為として機能したことだろう。また何らかの予知能力やヒーリング能力を発揮したと想像される。人々が天才に注目し、彼――あるいは彼女――の言葉に耳を傾けた時、そこに宗教が生まれた。新しい儀礼は新しい社会の誕生を象徴する。それは脳の回路の劇的な変化を示すものだ。このようにして人類の物語は更新され続けてきた。今、人類の物語は経済で止まっているように見える。

宗教を生みだす本能 ―進化論からみたヒトと信仰
ニコラス・ウェイド
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権威の概念 (叢書・ウニベルシタス)
アレクサンドル・コジェーヴ
法政大学出版局
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