・『奇跡の脳 脳科学者の脳が壊れたとき』ジル・ボルト・テイラー
・『脳はいかにして〈神〉を見るか 宗教体験のブレイン・サイエンス』アンドリュー・ニューバーグ、ユージーン・ダギリ、ヴィンス・ロース:茂木健一郎訳
・『なぜ、脳は神を創ったのか?』苫米地英人
・『宗教を生みだす本能 進化論からみたヒトと信仰』ニコラス・ウェイド
・普遍的な教義は存在しない
・デカルト劇場と認知科学
・情動的シナリオ
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・『人類の起源、宗教の誕生 ホモ・サピエンスの「信じる心」が生まれたとき』山極寿一、小原克博
・『人間の本性について』エドワード・O ウィルソン
・『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ
・キリスト教を知るための書籍
・宗教とは何か?
・必読書 その五
どうして人間はこんなことを考えるのか? なぜこんなことをするのか? どうしてこんなにも多様な信念をもっているのか? なぜ人間はこうした信念に強くこだわるのか? これらの疑問はノーム・チョムスキーの区別を借りて言えば、かつては【謎】(解こうにも、どこから手をつければよいかわからなかった)だったが、現在では【問題】(解凍の見通しぐらいはついている)にまでなっている。
【『神はなぜいるのか?』パスカル・ボイヤー:鈴木光太郎、中村潔訳(NTT出版、2008年)以下同】
2012年に読んだ本ランキングの1位である。油断していたらもう品切れだ。このまま絶版となるかも。書籍の命は蝉のようにはかない。昨今の出版事情を思えば、望むと望まざるとにかかわらずデジタル書籍の時代に向かうことだろう。
原著の刊行が2001年で『神は妄想である 宗教との決別』リチャード・ドーキンス、『解明される宗教 進化論的アプローチ』 ダニエル・C・デネットに先んじている。これにニコラス・ウェイドを加えて「宗教機能学」と名づけても見当外れではあるまい(※ジェシー・ベリングは個人的に評価せず)。その嚆矢(こうし)がパスカル・ボイヤーである。
パスカル・ボイヤー/onologue - Pascal Boyer http://t.co/JqpJCLePXH
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 4月 24
宗教の起源についての説明のほとんどは、次のような示唆のどれかを強調する。すなわち、人間の心は説明を欲する、人間の心は安らぎを求める、人間の社会は秩序を必要とする、人間の知性は錯覚に陥りやすい。
科学(因果関係)、心理学、社会学、認知心理学がそれぞれに対応する。
続いて以下の驚くべき指摘がなされる。
・「特定の」宗教を信仰することなしに、宗教を信仰することもできる。
・「宗教」にあたる単語がなくても、宗教はありうる。
・「信じる」という表現がなくても、宗教をもつことはできる。
実はニコラス・ウェイドが使用する「遺伝」という言葉への違和感は書評を書く段階で初めて気づいた。パスカル・ボイヤーも「宗教が『生得的』だとか『遺伝子のなかにある』」という見方には否定的だ。
もし「宗教とは、宇宙の賢く不滅の創造主に従うことによって、どうすれば私たちの魂が救われるかを説く教えを信じることだ」と言う人がいたら、その人はたぶん、いろんな土地を旅したり、広くいろんなものを読んでいないのだ。多くの文化では、死者はこの世に戻ってきて生きている者たちを怖がらせると考えられているが、どの文化でもそうなわけではない。ある特殊な人々が神々や死者と交信できると考えられている社会もあるが、この考えもどこにでも見られるわけではない。また、人間の魂は死後も生き続けるとするところもあるが、この仮定もまた、普遍的なわけではない。私たちが宗教について一般的な説明を考え出そうとする場合、その説明はほかの宗教にも通用するものかを考慮すべきだろう。
実際にフィールドワークを行っている人物ならではの視点だ。テキストはアブラハムの宗教を想定しているが、他の宗教にも同じ問いを突きつけている。つまり「普遍的な教義」は存在しないのだ。
10代から20代にかけての読書は好きなものを手当たり次第に読めばよい。30代となれば何らかのテーマを決めて取り組む必要がある。そして現代社会の構造を思えば、やはり経済と科学は避けて通れない。人は40代にもなれば何らかの思想を持つ。そこから宗教性を探るのが正しい読書道だ。自分の死が20~30年先に見え始めた頃だ。
信じる信じないというテーマは騙される騙されないという問題を含んでいる。妙な営業に引っかかったり、悪質な詐欺被害に遭ったり、社会の様々な分野で心理的抑圧を受けるのは、考える力すなわち判断力を奪われた結果といえよう。きちんと人や本から学んでおけば避けられた問題であると私は考える。
知的格闘を経ていない信は浅はかなものだ。強靭な信は合理性に裏打ちされていることを忘れてはならない。