2014-04-29
ダグ・ボイド、瀬谷ルミ子、船山徹、佐藤優、響堂雪乃、他
15冊挫折、7冊読了。
『ヤクザな人びと 川崎・恐怖の十年戦争』宮本照夫(文星出版、1998年)/ルポではなくエッセイ。筆致の軽さが圧縮度を薄めている。ただしエッセイだと割り切ればそこそこ面白い。交渉の仕方としても参考になる。
『生の時・死の時』共同通信社編(共同通信社、1997年)/1997年度新聞協会賞受賞ルポ。紙面という限られたスペースであれば、また違った風にも読めたことだろう。だが書籍としてはやはり弱い。中途半端な散文の印象を免れず。各章の目のつけどろこは優れている。
『楚漢名臣列伝』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(文藝春秋、2010年/文春文庫、2013年)/物語の起伏に欠ける。
『シェルパ ヒマラヤの栄光と死』(山と溪谷社、1998年/中公文庫、2002年)/これは後回し。書いておかないと読めなくなるので記録しておく。
『リデルハートとリベラルな戦争観』石津朋之(中央公論新社、2008年)/硬質な分だけ興味を引きにくい。読者を選ぶ本だ。
『孟子(上)』(朝日文庫、1978年)/入門書には適さず。
『人間精神進歩史 第1部』コンドルセ:渡辺誠訳(岩波文庫、1951年)/読むのが遅すぎた。
『日本人が知らないアメリカの本音』藤井厳喜〈ふじい・げんき〉(PHP研究所、2011年)/文章に締まりがない。
『正弦曲線』堀江敏幸(中央公論新社、2009年/中公文庫、2013年)/第61回読売文学賞受賞作。読ませる文章である。数学と詩が融合したような随筆だ。コアなファンがいそうな作家である。
『いつまでも美しく インド・ムンバイのスラムに生きる人びと』キャサリン・ブー:石垣賀子訳(早川書房、2014年)/「ピュリッツァー賞受賞ジャーナリストが描くインド最大の都市の真実。全米図書賞に輝いた傑作ノンフィクション」。今回の目玉作品であったが100ページほどで挫ける。文章はいいのだが立ち位置が気になる。
『不知火 石牟礼道子のコスモロジー』石牟礼道子〈いしむれ・みちこ〉(藤原書店、2004年)/ファンのためのアンソロジーといった体裁。
『本を書く』アニー・ディラード:柳沢由実子訳(パピルス、1996年)/今まで読んだディラード作品では一番面白くなかった。作家向けか。
『アングラマネー タックスヘイブンから見た世界経済入門』藤井厳喜〈ふじい・げんき〉(幻冬舎新書、2013年)/この人、妙な前置きをする悪癖がある。『ドンと来い! 大恐慌』が当たったためだろう。もったいぶらずに直球勝負で書くべきだ。
『[徹底解明]タックスヘイブン グローバル経済の見えざる中心のメカニズムと実態』ロナン・パラン、リチャード・マーフィー、クリスチアン・シャヴァニュー:青柳伸子訳、林尚毅解説(作品社、2013年)/書籍タイトルに記号を付けるのは邪道である。専門性が高すぎて、読めば読むほどわけがわからなくなる。
『足の汚れ(沈澱物)が万病の原因だった 足心道秘術』官有謀〈かん・ゆうぼう〉(文化創作出版マイ・ブック、1986年)/足揉みが民間療法であることは知っていたが理由がよくわかった。講習料金を比較すると若石法(じゃくせきほう)に軍配が上がりそうだ。有名どころとしては他にドクターフットなどがある。所謂リフレクソロジーは法的に曖昧な立場でゆくゆく規制がかかるかもしれぬ。官有謀が立派なところは、「自分で行うのが足揉みの基本」としているところ。
20冊目『読書という体験』岩波文庫編集部編(岩波文庫、2007年)/飛ばし読みしようと開いたのだが、スラスラと読み終えてしまった。それほど大した内容ではないのだが。
21冊目『略奪者のロジック 支配を構造化する210の言葉たち』響堂雪乃〈きょうどう・ゆきの〉(三五館、2013年)/前著『独りファシズム つまり生命は資本に翻弄され続けるのか?』と比べると見劣りするが、辞書として使えばよい。響堂雪乃は扇動するメディアに扇動をもって対抗する。
22冊目『世界と闘う「読書術」 思想を鍛える一〇〇〇冊』佐高信〈さたか・まこと〉、佐藤優〈さとう・まさる〉(集英社新書、2013年)/佐藤優の動きが怪しい。次々と毛色の変わった人物と対談集を編んでいる。副島隆彦との対談と異なり、佐藤が終始リードしている。つまり佐高の方が御しやすかったということなのだろう。あるいは聞く耳を持っていたということか。びっくりしたのだが「あとがき」で佐高が自分のことを「人権派」と称していた。他人の悪口ばかりを集めて本にしてきた男が説く人権とは何ぞや? 佐高は私が最も忌み嫌う人物の一人であるが、本書の価値に傷をつけるものではない。
23冊目『サバイバル宗教論』佐藤優〈さとう・まさる〉(文春新書、2014年)/臨済宗相国寺での講演を編んだもの。話し言葉でここまで語れるところに佐藤優の凄さがある。読み終える前に「宗教とは何か?」に付け加える。もちろん必読書入りだ。モヤモヤしていた佐藤への疑惑が解消された。佐藤が行ってきたことは「中間層の強化」=「民主主義の補強」であったのだろう。創価学会への接近もこれで理解できよう。ただし沖縄の悲哀を知る佐藤がパレスチナを語らぬ事実に私は不満を覚える。僧侶の質問のレベルが意外と高いのにも驚かされた。
24冊目『仏典はどう漢訳されたのか スートラが経典になるとき』船山徹(岩波書店、2013年)/労作。読み物ではなく資料だと割り切れば面白く読める。ただし最後の方は飛ばし読み。学術的には意味があるのだろうが、言葉の本質が情報である事実を踏まえると、この分野の裾野が広がることは困難であろう。翻訳に限らずすべての情報は「解釈される性質」をはらんでいる。正統とは歴史であって合理性を意味しない。思い切って言えば、翻訳そのものよりも翻訳後に脳とコミュニティの様相がどう変化したかを検証することが重要だ。日本の宗教に関する学問は一刻も早く文学と歴史の次元から脱却する必要がある。
25冊目『職業は武装解除』瀬谷ルミ子〈せや・るみこ〉(朝日新聞出版、2011年)/前々から読みたかった一冊だ。ちょっと文章が甘いのだがこれはオススメ。順序としては『裸でも生きる 25歳女性起業家の号泣戦記』山口絵理子→本書→『武装解除 紛争屋が見た世界』伊勢崎賢治が望ましい。更に興味があれば、『NHK未来への提言 ロメオ・ダレール 戦禍なき時代を築く』ロメオ・ダレール、伊勢崎賢治→『なぜ、世界はルワンダを救えなかったのか PKO司令官の手記』ロメオ・ダレールと進めばよい。劣等感に苛まれた一人の少女がどのようにして世界へと羽ばたいたのか。体当たりの青春が美しい。
26冊目『ローリング・サンダー メディスン・パワーの探究』ダグ・ボイド:北山耕平、谷山大樹訳(平河出版社、1991年)/これは凄い。ただただ凄い。西水美恵子がブータン王国に抱いた印象を私はインディアンに重ねてきた。本書を読んでそれが極まった。ヨーロッパ人がインディアンを虐殺した時、人類の進化は止まったのだろう。彼らこそは無名のブッダでありクリシュナムルティであった。ブッダもクリシュナムルティもインディアン(インド人)だ(ブッダは現在のネパール出身)。密教(スピリチュアリズム)を解く鍵は『世界の名著1 バラモン教典 原始仏典』長尾雅人〈ながお・がじん〉責任編集と本書にあると思われる。
2014-04-28
情動的シナリオ/『神はなぜいるのか?』パスカル・ボイヤー
・『奇跡の脳 脳科学者の脳が壊れたとき』ジル・ボルト・テイラー
・『脳はいかにして〈神〉を見るか 宗教体験のブレイン・サイエンス』アンドリュー・ニューバーグ、ユージーン・ダギリ、ヴィンス・ロース:茂木健一郎訳
・『なぜ、脳は神を創ったのか?』苫米地英人
・『宗教を生みだす本能 進化論からみたヒトと信仰』ニコラス・ウェイド
・普遍的な教義は存在しない
・デカルト劇場と認知科学
・情動的シナリオ
・
・『人類の起源、宗教の誕生 ホモ・サピエンスの「信じる心」が生まれたとき』山極寿一、小原克博
・『人間の本性について』エドワード・O ウィルソン
・『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ
・キリスト教を知るための書籍
・宗教とは何か?
・必読書 その五
多くの人々は、宗教を単純に説明できると考えている。すなわち、情動的な理由から宗教が必要だという説明である。人間の心は、安心や安らぎを求めるように作られており、超自然的概念がそれらを与えてくれるように見える。このよくある説明には、さらに次の二つがある。
・宗教的説明は、死の耐え難さを軽減する(中略)
・宗教は、不安をやわらげ、世界を心休まるものにする。(後略)
【『神はなぜいるのか?』パスカル・ボイヤー:鈴木光太郎、中村潔訳(NTT出版、2008年)以下同】
昨日はエリザベス・キューブラー=ロスの動画を見たため更新できず。私が『死ぬ瞬間』を読んだのはもう20年以上前だ。やはり映像の力は凄い。彼女は死を宣告された患者を大学の授業に招いた。衝撃的な光景である。求めに応じて全米各地の末期患者と語り合った。やがて彼女の献身的な行動がホスピスとなって結実する。その後、キューブラー=ロス女史が死後の世界にハマっていったことは知っていた。だが脳梗塞で倒れ、神を罵倒したことでアメリカ中から非難された事実は知らなかった。
他人の死と自分の死は異なる。当然だ。彼女は明らかに死にたがっていた。しかし自殺することは彼女の人生観に反する。闘病を経てキューブラー=ロスは自分の過去を清算した。私は知った。菩薩道が仏道につながらないことを。どれほど他人に尽くしても越えられない壁があるのだ。エリザベス・キューブラー=ロスは聖女ではなかったが、愛すべき人間であった。彼女への敬意が深まった。
宗教という宗教が説く幸福には必ず条件がつく。安心はタダでは手に入らない。「救われたい者はノルマを果たせ」というわけだ。
情動にもとづく説明には、いくつか重大な問題点がある。まず、時に人類学者が指摘してきたように、社会における事実のいくつかは、その社会の理論が謎に対して答えを与えたり苦悩に対して救いを与えたりしているところでのみ、謎であったり、畏怖を引き起こしたりする。たとえば、メラネシアには、妖術から身を守るために驚くほどたくさんの儀礼を行なう社会がある。その社会では、人々は、自分たちがこれらの見えざる敵の絶え間ない脅威のもとに生きていると考えている。したがって、このような社会では、呪術的な儀礼や処方や予防策は、基本的に安心を与える装置であり、人々にこれらのプロセスをコントロールしているという幻想をもたらすと考えられる。しかし、ほかの社会では、人々は、こうした儀礼をもたず、このような脅威も感じていない。人類学者から見れば、これらの儀礼は、儀礼が満たすとされる必要性を作り出しているとも言え、おそらくそれぞれが互いを強め合ってもいる。
宗教は「物語の装置」である。信者が別の文脈を見出すことはない。そして物語にはルールがある。細かいルールが。結果的には儀礼――あるいは修行、義務、寄付金――が本来であれば不要な必要条件を信者に突きつけるというわけだ。宗教が編む物語は不安に満ちている。
神を信ずる者は神の怒りを恐れる。まったく「触らぬ神に祟り無し」とはよく言ったものだ。奴は気が短いからね。宗教は罪と罰の範囲をどこまでも押し広げる。ま、一種の不安産業だ。
また、もし宗教的概念が特定の情動的欲求を解決する方法であるのなら、それはあまりうまくいっていないことになる。宗教的世界はしばしば、超自然的行為者のいない世界以上に恐ろしい世界であり、多くの宗教は、安心を生み出すのではなく、厚く陰鬱な帳(とばり)で包み込む。
恐怖でコントロールされる人々よ、汝の名は信者なり。
・マントラと漢字/『楽毅』宮城谷昌光
情報とアルゴリズム
・キリスト教を知るための書籍
・宗教とは何か?
・ブッダの教えを学ぶ
・悟りとは
・物語の本質
・権威を知るための書籍
・情報とアルゴリズム
・世界史の教科書
・日本の近代史を学ぶ
・虐待と知的障害&発達障害に関する書籍
・時間論
・身体革命
・ミステリ&SF
・必読書リスト
・『リサイクル幻想』武田邦彦
・『デジタル・ゴールド ビットコイン、その知られざる物語』ナサニエル・ポッパー
・『次のテクノロジーで世界はどう変わるのか』山本康正
・『ビッグデータの正体 情報の産業革命が世界のすべてを変える』ビクター・マイヤー=ショーンベルガー、ケネス・クキエ
・『データ資本主義 ビッグデータがもたらす新しい経済』ビクター・マイヤー=ショーンベルガー、トーマス・ランジ
・『アフターデジタル オフラインのない時代に生き残る』藤井保文、尾原和啓
・『あなたを支配し、社会を破壊する、AI・ビッグデータの罠』キャシー・オニール
・『インフォメーション 情報技術の人類史』ジェイムズ・グリック
・『養老孟司の人間科学講義』養老孟司
・『アルゴリズムが世界を支配する』クリストファー・スタイナー
・『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』レイ・カーツワイル
・『AIは人類を駆逐するのか? 自律(オートノミー)世界の到来』太田裕朗
・『LIFE3.0 人工知能時代に人間であるということ』マックス・テグマーク
・『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来』ユヴァル・ノア・ハラリ
・『苫米地英人、宇宙を語る』苫米地英人
・『ブラックホール戦争 スティーヴン・ホーキングとの20年越しの闘い』レオナルド・サスキンド
・『物質のすべては光 現代物理学が明かす、力と質量の起源』フランク・ウィルチェック
・『量子が変える情報の宇宙』ハンス・クリスチャン・フォン=バイヤー
・『宇宙を復号(デコード)する 量子情報理論が解読する、宇宙という驚くべき暗号』チャールズ・サイフェ
・『史上最大の発明アルゴリズム 現代社会を造りあげた根本原理』デイヴィッド・バーリンスキ
・『生命を進化させる究極のアルゴリズム』レスリー・ヴァリアント
・『宇宙をプログラムする宇宙 いかにして「計算する宇宙」は複雑な世界を創ったか?』セス・ロイド
・『宇宙を織りなすもの』ブライアン・グリーン
2014-04-26
デカルト劇場と認知科学/『神はなぜいるのか?』パスカル・ボイヤー
・『奇跡の脳 脳科学者の脳が壊れたとき』ジル・ボルト・テイラー
・『脳はいかにして〈神〉を見るか 宗教体験のブレイン・サイエンス』アンドリュー・ニューバーグ、ユージーン・ダギリ、ヴィンス・ロース:茂木健一郎訳
・『なぜ、脳は神を創ったのか?』苫米地英人
・『宗教を生みだす本能 進化論からみたヒトと信仰』ニコラス・ウェイド
・普遍的な教義は存在しない
・デカルト劇場と認知科学
・情動的シナリオ
・
・『人類の起源、宗教の誕生 ホモ・サピエンスの「信じる心」が生まれたとき』山極寿一、小原克博
・『人間の本性について』エドワード・O ウィルソン
・『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ
・キリスト教を知るための書籍
・宗教とは何か?
・必読書 その五
私たちの平凡な推論システムのはたらきは、宗教的思考を含む思考の大部分を説明する。しかし――これがもっとも重要な点だが――推論システムのはたらきは、私たちが内省によって観察できる類のものではない。哲学者のダニエル・デネットは、私たちの心のなかで起こるすべてのことが意識的で入念な思考とそれらについての推理からなっていると錯覚してしまうことを、「デカルト劇場」(※カルテジアン劇場)と呼んでいる(※『解明される意識』)。しかし、このデカルト的舞台の下では、すなわち心の土台のところでは、たくさんのことが起こっている。それらは、認知科学という道具を使ってしか記述できない。
【『神はなぜいるのか?』パスカル・ボイヤー:鈴木光太郎、中村潔訳(NTT出版、2008年)】
デカルト劇場についての説明を以下に引用する。
ホムンクルスすなわち「意識する私」という中央本部のようなものを、脳の中のどこか(例えば特定のニューロン)に発見できるような思い込みを、デネットはギルバート・ライルに倣ってカテゴリー・ミステイクであるとしている。実際には、脳は情報を空間的・時間的に分散されたかたちで処理しながら意識を生産するので、脳の特定の部位を選び出して、特権的な意識の座と等価視することはできないのである。
【Wikipedia】
・デカルト劇場:池田光穂
・ダニエル・デネット 唯物論の極北 後編 - やっちんのブログ~心と脳、宗教と科学、この世とあの世の交わる道~
ホムンクルスは「脳の中に小人がいる」という考え方である。ワイルダー・ペンフィールドは脳に電気刺激を与えることで、体性感覚の対応を「ペンフィールドの地図」として表した。これを元にしてつくった小人をホムンクルスという場合が多い。
onologue - ホムンクルス http://t.co/YSh6xjVCpp
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 4月 26
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— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 4月 26
同様のモデルにブロードマンの脳地図がある。ただし脳機能局在論には反論も多い。緩やかに考えるべきだろう。
簡単な例を示そう。目が見えるのはなぜか? 脳の中に小人がいるからだ。これがホムンクルス思考である。「では小人の目が見えるのはなぜか?」と重ねて問えば、この答えは呆気(あっけ)なく破綻する。
我々は「脳の中心に自我が存在する」と無意識のうちに思い込んでいる。だが実際は脳に中枢は存在しないのだ(『デカルトの誤り 情動、理性、人間の脳』アントニオ・R・ダマシオ)。
殺人の動機について「太陽が眩しかったから」(『異邦人』カミュ)と答えれば、誰もが不条理を感じる。不条理とは物語が成立しにくいことを意味する。
我々はさしたる疑問を持つこともなく自分の行為を説明する。ある場合においては頭の中で善玉と悪玉が会話をしているかの如く雄弁に説明する。ところが実は違う。理由は後からつけられていることを認知科学が明らかにした。「なぜそれを選択したか」は説明不可能なのだ。
脳科学もこれを支持する。知覚よりも意識は0.5秒ほど早く作動する(『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ)。人間に自由意志はなく(『脳はなにかと言い訳する 人は幸せになるようにできていた!?』池谷裕二)、我々が自由意志だと思っているのは解釈に過ぎない(『共感覚者の驚くべき日常 形を味わう人、色を聴く人』リチャード・E・シトーウィック)。そして脳は認知バイアスを避けることができない。
意識は氷山の一角に過ぎない。広大な無意識領域を我々は意識することができない。「見える」ということは「見えない」ことを含んでいる。見えている物体の裏側は見えない。そして自分の背後も。表象、イメージ、アナロジー、類型化、因果などの総称が思考である。思考は一点に集中して全体を排除する。
パスカル・ボイヤーは人類に共通する宗教概念は脳の推論システムに基づく可能性を示唆する。ま、宗教が語る正義は所詮文学レベルの代物だ。日本の宗教界は鎌倉時代以降まったく進歩がない。ヨーロッパだってニュートンが登場しても目を覚ますことはなかった。もちろんニュートン本人も含む。
科学の進展は著しい。特に1990年代に入り脳科学の研究が次々と開花した。科学は既に宗教領域に達し、そして追い越したと私は見る。
道を拓いたのは『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ(1976年)である。これに『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ(1991年)が続いて意識のメカニズムを解明する。本書が2001年に登場し、『脳はいかにして〈神〉を見るか 宗教体験のブレイン・サイエンス』アンドリュー・ニューバーグ、ユージーン・ダギリ、ヴィンス・ロース(2002年)、『解明される宗教 進化論的アプローチ』 ダニエル・C・デネット(2006年)、『神は妄想である 宗教との決別』リチャード・ドーキンス(2007年)、『宗教を生みだす本能 進化論からみたヒトと信仰』ニコラス・ウェイド(2009年)などが宗教を蹴散らした(※カッコ内はすべて原著発行年)。これに対して宗教界は沈黙を保っているように見える。っていうか、読んですらいないのかもしれぬ。
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