・『小林秀雄全作品 25 人間の建設』小林秀雄
・『小林秀雄全作品 26 信ずることと知ること』小林秀雄
・信ずることと知ること
僕は信ずるということと、知るということについて、諸君に言いたいことがあります。信ずるということは、諸君が諸君流に信ずることです。知るということは、万人の如く知ることです。人間にはこの二つの道があるのです。知るということは、いつでも学問的に知ることです。僕は知っても、諸君は知らない。そんな知り方をしてはいけない。しかし、信ずるのは僕が信ずるのであって、諸君の信ずるところとは違うのです。現代は非常に無責任な時代だといわれます。今日のインテリというのは実に無責任です。例えば、韓国の或る青年を救えという。責任を取るのですか。取りゃしない。責任など取れないようなことばかり人は言っているのです。信ずるということは、責任を取ることです。僕は間違って信ずるかも知れませんよ。万人の如く考えないのだから。僕は僕流に考えるんですから、勿論間違うこともあります。しかし、責任は取ります。それが信ずることなのです。信ずるという力を失うと、人間は責任を取らなくなるのです。そうすると人間は集団的になるのです。自分流に信じないから、集団的なイデオロギーというものが幅をきかせるのです。だから、イデオロギーは常に匿名です。責任を取りません。責任を持たない大衆、集団の力は恐ろしいものです。集団は責任を取りませんから、自分が正しいといって、どこにでも押しかけます。そういう時の人間は恐ろしい。恐ろしいものが、集団的になった時に表に現れる。本居宣長を読んでいると、彼は「物知り人」というものを実に嫌っている。ちょっとおかしいなと思うくらい嫌っている。嫌い抜いています。
彼の言う「物知り人」とは、今日の言葉でいうとインテリです。僕もインテリというものが嫌いです。ジャーナリズムというものは、インテリの言葉しか載っていないんです。あんなところに日本の文化があると思ってはいけませんよ。左翼だとか、右翼だとか、保守だとか、革新だとか、日本を愛するのなら、どうしてあんなに徒党を組むのですか。日本を愛する会なんて、すぐこさえたがる。無意味です。何故かというと、日本というのは僕の心の中にある。諸君の心の中にみんなあるんです。会を作っても、それが育つわけはないからです。こんな古い歴史を持った国民が、自分の魂の中に日本を持っていない筈がないのです。インテリはそれを知らない。それに気がつかない人です。自分に都合のいいことだけ考えるのがインテリというものなのです。インテリには反省がないのです。反省がないということは、信ずる心、信ずる能力を失ったということなのです。(「講義 信ずることと知ること」昭和49年8月5日 於・鹿児島県霧島)
【『学生との対話』小林秀雄:国民文化研究会・新潮社編(新潮社、2014年)以下同】
私が書き起こしたもの(集団行動と個人行動/『瞑想と自然』J・クリシュナムルティ)と比べると微妙に違うが、まあよしとしよう。小林秀雄の講演CDを聴いた者なら本書を待ち望んでいたことだろう。
国民文化研究会が主催した「全国学生青年合宿教室」(4泊5日)に小林は5回参加している。
実をいえば、この講義がこうしていまも聴けるということは、奇跡にちかいことなのです。小林秀雄は、講演であれ、対話・座談の類であれ、自分の話を録音することは固く禁じていました。(中略)小林が録音を禁じた理由のひとつは、自分の知らないところでそれが勝手に使われ、書き言葉ではない話し言葉をもとに小林秀雄論など書かれたりしては困るからです。(池田雅延)
小林はとにかく遠慮を知らぬ男で、酔っ払って正宗白鳥に絡んだり、対談で柳田國男を泣かせたりしている(『直観を磨くもの 小林秀雄対話集』)。
講演CDの白眉をなすのが「信ずることと知ること」である。個と普遍、感情と理論を見事に語り切ってあますところがない。しかもそれを集団の力と結びつけることで個の喪失をも暴き出している。小林は「私」(わたくし)を重んじた。「信ずる心、信ずる能力を失った」という指摘は新興宗教にも向けられたものだ。小林が創価学会の池田大作と会ったのは昭和46年(1971年)のこと。
現代社会は信じる力も知る力も弱まった。どちらも強制されているためであろう。我が子がいじめられていた事実を自殺した後で親が初めて気づくような時代である。子が親を信じることもできず、親が子を知ることもない恐ろしさ。
逆説的ではあるが信じる力は疑うことで養われる。懐疑を経ていない信は脆弱(ぜいじゃく)なものだ。信と疑は真偽に通じ、これを峻別することで感性が磨かれる。薄っぺらい信と知は軽薄な生き方を示すものだ。
・「長嶋茂雄っぽい感じ」とプラトンのイデア論/『脳と仮想』茂木健一郎
・政党が藩閥から奪った権力を今度は軍に奪われてしまった/『重光・東郷とその時代』岡崎久彦