2015-08-14
2015-08-13
2015-08-11
謝るということの国際的な重大性/『言挙げせよ日本 欧米追従は敗者への道』松原久子
・『日本の知恵 ヨーロッパの知恵』松原久子
・謝るということの国際的な重大性
・『驕れる白人と闘うための日本近代史』松原久子
・日本の近代史を学ぶ
・必読書リスト その四
「戦後70年安倍談話」に関するトピックをいくつか挙げる。特に意識をしてフォローしてきたわけではないので見落としがあればご指摘願う。
・有識者会議の座長代理を務める北岡伸一・国際大学学長は、3月9日、「日本は侵略戦争をした。私は安倍首相に『日本が侵略した』と言ってほしい」と言明していた(「安倍談話」の有識者会議座長代理の変節から浮かぶ「圧力」の歴史――シリーズ【草の根保守の蠢動 第7回】)
・にもかかわらず、北岡座長代理は、4月10日、『植民地支配と侵略』や『おわび』の踏襲にこだわる必要はないと、全く逆の考え示すに至った。(同ページ)
・公明党の漆原良夫中央幹事会会長は9日、安倍晋三首相の戦後70年談話に「侵略」や「おわび」を明記するよう求めた。「言葉が入ることは大事だ」と強調した。(産経ニュース 2015-08-09)
・山口代表は、「過去の内閣の談話の趣旨を継承し、国際社会にきちんとその趣旨が伝わるような配慮をしてほしい」などと、公明党側の考えを伝えました。(NHK 2015-08-07)
・70年談話、「おわび」盛らず 首相が原案 歴史認識継承は明記(日本経済新聞 2015-08-08)
・10日、NHKによると、戦後70年談話の原案は平成7年の村山談話や平成17年の小泉談話でキーワードに位置づけられている「痛切な反省」、「植民地支配」に加え、「お詫び」と「侵略」という、すべての文言が明記されていることが明らかになった。 (中央日報 2015-08-10)
・(公明党の意見は当然であり)「侵略」をきちんと位置づけ、「反省とお詫び」を盛り込んだ上で、いくらでも未来志向のものにできると思います。 (小宮山洋子・民主党前衆議院議員 2015-08-09)
・私個人は、表現の問題で誤解を受け、ギクシャクするくらいであるならば、過去の談話で表された「侵略」や「お詫び」の文言をしっかりと踏襲し、あらためて我が国の反省の意を明らかにした上で、戦後日本の平和な歩みや国際貢献に言及するとともに、地域と世界の将来を見据えた未来志向の談話にしていただきたいと願っています。(岩屋毅・自民党衆議院議員 2015-08-10)
・7日夜の自民・公明両党の幹部会談で示された原案には、「おわび」の文言は入っておらず、公明側は「過去の談話を踏襲すると首相は言うが、おわびが意味として世界各国に伝わるようにしないといけない」と、中国や韓国への配慮を求めていた。(日刊ゲンダイ 2015-08-10)
・連立与党の公明党が「侵略」「おわび」などをキーワードとして盛り込むよう求めていることに一定の配慮を示した。(ロイター 2015-08-10)
・安倍晋三首相が14日に発表する戦後70年談話で、「侵略」に言及する方向であることが9日、分かった。戦前・戦中の日本の行為に絞っての「侵略」というよりも、世界共通での許されない行為として触れる可能性が高い。(産経ニュース 2015-08-10)
・70年談話「侵略」記述へ 首相、国際原則の文脈で (日本経済新聞電子版 2015-08-11)
・政府が14日に閣議決定する戦後70年談話で、先の大戦を侵略戦争と位置づけ、「侵略」の文言を明記する方向であることが10日、明らかになった。「反省」という言葉も盛り込むほか、戦後日本の歩みに多くの国が理解を示していることに「感謝」の意も表す。(YOMIURI ONLINE 2015-08-11)
・戦後70年談話、アジア諸国への「おわび」に言及へ 14日に閣議決定(ハフィントン・ポスト 2015-08-11)
・戦後70年談話「おわび」に言及へ 安倍政権幹部が明言(朝日新聞 2015-08-11)
公明党・創価学会は中国・韓国とのパイプがあるため、ひょっとすると何らかのメッセージを託されている可能性もあるように思う。とはいえ日本の基軸は日米関係であり、アメリカの意向が最も大きな影響を及ぼす。安部首相が「戦後レジームからの脱却」という志を失っていないのであれば、敗戦70周年という節目こそ「新しい日本の像」を示す絶好の機会ではないか。にもかかわらず十年一日の如く東京裁判史観に基づいた謝罪外交を踏襲するとはこれ如何に。
謝る者は弱者、弱者はたたけ
謝れば償え
そのため、ままあいい加減で謝るなどという迂闊(うかつ)な真似は決してしない。謝るということは自分の負債なり罪責を認めることである。認めた以上それを償わなければならない。これは小さな子供でも知っている。ドイツやフランスで子供が「ごめんなさい」と言えば親はそれで許すどころか、悪いと認めた以上償いのために「庭をきれいに掃除しなさい。わかっているね」とか「今夜テレビを見る時間は30分に減らすから、そのつもりで」などと言い渡している。「ごめんなさい」では済まないのである。
謝るということの危険さは宗教的風土においても顕著である。教会の教義以外を信じたために捕らえられた者が、教会による苛酷な拷問に苦しむ。苦しんでも自らを曲げず謝らなければ拷問は死ぬまで続く。非を認め、謝れば、恩赦と称して焚刑(ふんけい)に処した。一度悪魔の手に渡った魂を聖なる火で清め、地獄の替わりに天国へ行かせてやるためである。ということは一度捕らえられた以上は神学的理由をつけてどっちにしても殺すのである。
この無慈悲で無恥なやり方は中世から近世にかけてヨーロッパ全土に繰り広げられた宗教裁判の常識であるが、それはヨーロッパ人の歴史的記憶となって受け継がれ、謝るということは死に繋がるのだという教訓を残している。
日本では宗教の世界観が動かすことのできない永遠の真理としてたたきこまれ、それとは異なる観察なり意見を持ち出すことが罪であるとして改宗を迫られたことはない。仏教各派の大僧正や伊勢神宮の大宮司が何十万、何百万もの人間を家の中から引きずり出して宗教裁判を行い、謝る者」を焚刑に処したという歴史はない。
日本では子供の時から「ごめんなさい」と言えば、親は「よしよし、わかったな」と言いながら頭を撫で、早々におやつのひとつも出してくれるし、大人になってからでも「何とかここはご勘弁を」と両手をついて平謝りに謝れば相手も大体心を和(やわ)らげてくれる。謝った以上罪責を認めたのだから大いに償ってもらうというのではなく、あれだけ誤っているのだからもう許してやろうということになる。こういうありがたい社会に住んでいるため、日本人は国の指導者でさえも謝るということの国際的な重大性をまったく意識していない。対外的に謝るということの結果についてはあまりにも無頓着なのである。謝る以上、何に対して謝るのか内容をはっきりさせ、賠償を支払う覚悟がなければ安々と謝ってはならない。
ヨーロッパでは謝るということは賠償につながり、国土の削減につながり、下手をすると滅亡につながることを誰もが知っている。
西欧の基本は、非難を受け入れて謝る者、黙って退く者、善意に充ちてはいるが打ち返す力のない者を弱者とみなし、弱者をたたくことである。たたくことは可哀そうだと情に溺れたり、その妥当性を検討している余地がないほど苛酷である。そのため、弱者にならぬよういざとなれば弁護士の知恵を借りる。非難を受け入れて謝ったり、黙って退いたり、打ち返すことをあきらめると弱者と見られる。
たとえ退くにしても、その理由を延々と述べなければならない。妥協案をとるにしても、喜々としてとってはならない。
「非難を受けるようなことをやったばかりでなく、そのうえ開き直って、つべこべ言訳を述べ、厚顔無恥の徒だ」と日本人が感じるようなやり方が西欧社会の常識である。
ちなみにクリントン大統領はホワイトハウス見習い生との性的関係を認めざるを得ないところまで行ったにもかかわらず、決して国民に謝罪はしていない。 deeply regret というのは「深く後悔する」という意味だが、謝罪するというのではない。「この車を買って後悔している」というのは「謝罪する」のとは異なる。ここを間違えて日本の新聞は「大統領謝罪する」と書き立てたが、本質的なところで誤解している一つの例である。
【『言挙げせよ日本 欧米追従は敗者への道』松原久子(プレジデント社、2000年)】
松原久子は日欧比較文化史の学者でドイツではコラムニストとして活躍。テレビ番組にもレギュラー出演し評論家としても知られる。現在はアメリカ在住。
深代惇郎もこう書く。
ところが西洋人からすれば「天然現象ではるまいし、(交通)事故が降ってわいたわけではない。どちらかに過失があったから起こったので、アイ・アム・ソーリーかユー・アー・ソーリーのどちらかしかない」ということになる。
だから交通事故でドライバーが「詫(わ)びる」のは、弁償するということであり、「詫びる」というのは、まことに重大な人格表現で、それだけの覚悟がいる。
【『深代惇郎エッセイ集』深代惇郎〈ふかしろ・じゅんろう〉(朝日新聞社、1977年/朝日文庫、1981年)】
異民族による征服という危機にさらされてきたのがヨーロッパの歴史であった。そのため「彼らは国家間の協力とか友好の本質を利害関係の均衡に見いだ」(13ページ)す。要は文化の違いであるが、欧米の価値観が国際基準となっているため日本の情緒や阿吽(あうん)の呼吸は通用しない。
安倍談話に謝罪が盛り込まれるとすれば、日本はまたぞろ奪われる側に身を置くこととなる。結局のところ国家の安全保障を他国に依存しているうちは、国際社会で自分たちの歴史を語ることも許されないのだろう。
まだ読み終えていないのだが、タイミングを逸することを恐れるあまり紹介した。
2015-08-09
エベレスト初登頂の記録映像と再現ドラマ/『ビヨンド・ザ・エッジ 歴史を変えたエベレスト初登頂』リアン・プーリー監督
・『神々の山嶺』夢枕獏
・『そして謎は残った 伝説の登山家マロリー発見記』ヨッヘン・ヘムレブ、エリック・R・サイモンスン、ラリー・A・ジョンソン
・【動画】ジョージ・マロリーの遺体発見
・エベレスト初登頂の記録映像と再現ドラマ
2014年公開のニュージーランド映画。エドモンド・ヒラリーとテンジン・ノルゲイによるエベレスト初登頂の記録映像と再現ドラマ。物語性には欠ける。ま、一種の記録映画として観ることが正しいのだろう。エベレスト山頂からの360度パノラマ映像を観るだけでも価値あり。
いやあ知らなかった。ヒラリー卿がニュージーランド人だったとは。ずっとイギリス人だとばかり思い込んでいた。更にヒラリー・テンジン組は第二次アタック要員であった。ナレーションの殆どが関係者の証言で構成されているが、やはりイギリス・パブリックスクール組のエリート意識とそれに基づく差別観があったことだろう。意地の悪い発言が結構多い。
ジョージ・マロリーの第3次遠征(1924年)からヒラリーが踏破するまで29年を要している。頂上付近の難所がよくわかった。『そして謎は残った 伝説の登山家マロリー発見記』を読んだ者としては避けて通れない映画である。
ビヨンド・ザ・エッジ 歴史を変えたエベレスト初登頂 [DVD]
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KADOKAWA / 角川書店 (2015-01-09)
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2015-08-07
高校で近現代史必修に 文科省、次期指導要領で骨格案
文部科学省は5日、中央教育審議会(中教審)の特別部会で、次期学習指導要領の骨格案を示した。高校では日本や世界の近現代史を学ぶ「歴史総合」、地球規模の課題を解決する力を養う「地理総合」、社会参画への意欲を高める「公共」を新設し、必修科目とする。大学入試制度改革を見据え、数学と理科の横断科目も設ける。
高校の科目を大きく見直した背景には、グローバル化が進む中で、知識を活用し、現代的な課題を解決できる人材の育成につなげる狙いがある。
次期指導要領は小学校で2020年度、中学校で21年度、高校で22年度以降に実施される予定。中教審は8月中に骨格案をまとめた後、学校や教科別に詳細を検討し、16年度中に答申する。
現在の高校の地理歴史は世界史が必修で、日本史と地理が選択になっている。骨格案では世界史の必修をやめ、日本史Aと世界史Aを統合して近現代史を中心に学ぶ「歴史総合」を必修科目として新設する。
文科省の調査では、生徒の近現代史の知識や理解の定着率は日本史、世界史ともに他の時代に比べて低い。「今の世界情勢を理解するには、近現代史の転換点を重点的に学ぶ必要がある」(担当者)という。
地理は地球規模の課題解決や防災教育の必要性が高まっているとして、地理Aを再構成して「地理総合」を必修科目で新設する。コンピューター上で地理情報を作成する技能の向上などを通じ、グローバルな視点での地域理解を目指す。
「公共」は選挙権年齢の「18歳以上」への引き下げなどを踏まえ、模擬選挙や模擬裁判での討論のほか、インターンシップなどの実践的な活動を実施する。弁護士や消費者センター、起業家ら外部の専門家らも関わり、「現代社会の様々な課題に積極的に取り組み、自立できる力を育む」(同)とした。
文科省は大学入試センター試験に代え、20年度から大学入学希望者学力評価テスト(仮称)を始める。教科横断型の問題も検討しており、骨格案では数学と理科を合わせた「数理探究」が新たな選択科目として取り入れられた。数学の枠を超えた科学的なテーマに向き合い、考え抜く力を育成するとした。
【日本経済新聞 2015年8月6日】
朗報である。むしろ遅すぎたといってもよいだろう。出来事が歴史と化すまでには30年を要するといわれる。その意味から申せば現代史の位置づけがよくわからぬが、江戸~明治~大東亜戦争前後におよぶ近代史は義務教育でもしっかりと教えるべきだろう。と同時に父兄が日教組教員を拒む運動を起こすことが望ましい。
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