2016-01-17

水虫対策







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2016-01-16

ジュリオ・トノーニ、マルチェッロ・マッスィミーニ、ウッドハウス暎子


 3冊読了。

 6、7冊目『日露戦争を演出した男 モリソン(上)』『日露戦争を演出した男 モリソン(下)』ウッドハウス暎子(東洋経済新報社、1988年/新潮文庫、2004年)/『北京燃ゆ 義和団事変とモリソン』同様、修士論文が元になっているので読み物としては面白くない。しかしながら資料的価値が極めて高く、日本近代史なかんずく日露戦争を知るためには外せない一冊だ。ジョージ・アーネスト・モリソンはロンドン・タイムズの記者でオーストラリア生まれ。彼の日記と手紙を中心に日露戦争の経緯を描く。七つの海を制覇した大英帝国はボーア戦争で国力に翳(かげ)りを見せ始めた。ドイツ、ロシア、アメリカの力が英国に迫ろうとする。イギリスは極東で南下しようとするロシアを阻むだけの余裕がなかった。自国の安全保障上の必要から日英同盟を締結するに至る。イギリスの「栄光ある孤立」は幕を下ろす。モリソンはタイムズ紙を通して親日反露報道を繰り返し、日露を戦争させるべく誘導する。ただし現在のアメリカを牛耳るユダヤ・メディアのような嘘は感じられない。国家から兵士に至るまでロシアの不道徳ぶりは凄まじかった。国境線が長いこととも関係しているように思われる。小村寿太郎外相が臨んだポーツマス条約も熾烈な外交戦であったことがよく理解できた。イギリスのボーア戦争とアメリカのイラク戦争が重なる。強大国が衰える時、戦乱を避けることはできない。世界の覇権はまたしても東アジアで戦火を交えることだろう。文庫解説は櫻井よしこ。ついこの間読んだ菅沼本でも紹介されていた。

 8冊目『意識はいつ生まれるのか 脳の謎に挑む統合情報理論』ジュリオ・トノーニ、マルチェッロ・マッスィミーニ:花本知子〈はなもと・ともこ〉訳(亜紀書房、2015年)/『ユーザーイリュージョン』の後に読むのがいいだろう。思考実験の鋭さは欠くが、実際の実験の結果が凄い。経頭蓋磁気刺激法(TMS)で「ほぼ」意識の在り処(か)を突き止めたと見てよい。中だるみはあるものの最終章は一気読みだ。「高度な情報の統合性」は五蘊仮和合(ごうんけわごう)そのままである。生命もまた「高度な細胞の統合性」と考えることができそうだ。

2016-01-15

山根麻以


 山根麻衣改め山根麻以。いやあ、ぶったまげた。凄い歌い手がいたものだ。

ネーネーズ「黄金の花」の誕生秘話


ネーネーズの代表曲を、と問うと「黄金の花」との答えが返ってくる。作詞界の大御所、岡本おさみの作品だ。「説教じみた歌詞だが、残しておきたい詞」と岡本が数年来温め続けてきた詞は、ネーネーズという歌姫たちとの出会いでようやくこの世に生を受けた。
「歌詞を見て、レコード会社がひるむ。そんな曲がヒットして、代表曲になる。不思議な気分だね」――1990年4月、ネーネーズをプロデュースした知名定男が語る。デビューから3年目の93年、上京中の知名はレコード会社で偶然、岡本とすれ違う。「女性四人組のあれ、いいね。彼女たちなら、ぼくの詞、歌えるかもしれない」。大御所からの誘いに、知名は驚いた。「歌詞をもらった時、頭の中に曲がすぐにできた」と知名はいう。

「黄金の花 ネーネーズの10年」琉球新報 1999年9月30日





GOLDEN☆BEST/ネーネーズ

2016-01-12

小林秀雄の戦争肯定/『国民の歴史』西尾幹二


 ・白人による人種差別
 ・小林秀雄の戦争肯定
 ・「人類の法廷」は可能か?

『日本文明の主張 『国民の歴史』の衝撃』西尾幹二、中西輝政
『三島由紀夫の死と私』西尾幹二
『国家と謝罪 対日戦争の跫音が聞こえる』西尾幹二

日本の近代史を学ぶ

 人間が生きるとは運命を生きることである。未来は見えない。過去は反省しても始まらない。取らぬ狸(たぬき)の皮算用と言うし、後悔は先に立たずである。同様に、後悔は犬にくれてやり、見えない未来を一歩ずつ切り拓(ひら)くようにして生きていくべきだ。
 かつて福田恆存〈ふくだ・つねあり〉は、自分は「大東亜戦争否定論の否定論者」だという名文句を吐いたことがある。あの戦争を肯定するとか、否定するとか、そういうことはことごとくおこがましい限りだという意味である。肯定するも否定するもない、人はあの戦争を運命として受けとめ、生きたのである。そのむかし小林秀雄が、戦争の終わった時点で反省論者がいっぱい現れ出たので、「利口なやつはたんと反省するがいいさ。俺は反省なんかしないよ」と言ってのけたという名台詞(めいせりふ)と、どこか一脈つながっている。

【『決定版 国民の歴史』西尾幹二〈にしお・かんじ〉(文春文庫、2009年/単行本は西尾著・新しい歴史教科書をつくる会編、産経新聞社、1999年)】

 批判されがちな小林秀雄の戦争肯定は「運命を生きる」者の赤裸々な心情の吐露であった。やっと理解できるようになった。全文を紹介しよう。

小林●僕は政治的には無智な一国民として事変に処した。黙って処した。それについもて今は何の後悔もしていない。大事変が終った時には、必ず若しかくかくだったら事変は起らなかったろう、事変はこんな風にはならなかったろうという議論が起る。必然というものに対する人間の復讐だ。はかない復讐だ。この大戦争は一部の人達の無智と野心とから起ったか、それさえなければ、起らなかったか。どうも僕にはそんなお目出度い歴史観は持てないよ。僕は歴史の必然性というものをもっと恐しいものと考えている。僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか。

【「コメディ・リテレール 小林秀雄を囲んで」『近代文学』昭和21年2月号/『小林秀雄全作品 15 モオツァルト』所収】

 せっかくなんでもう一つ紹介する。

 宮本武蔵の「独行道」のなかの一条に「我事に於て後悔せず」という言葉がある。自分はつねに慎重に正しく行動して来たから、世人の様に後悔などはせぬという様な浅薄な意味ではない。今日の言葉で申せば、自己批判だとか自己清算だとかいうものは、皆嘘の皮であると、武蔵は言っているのだ。そんな方法では、真に自己を知る事は出来ない、そういう小賢しい方法は、寧ろ自己欺瞞に導かれる道だと言えよう、そういう意味合いがあると私は思う。昨日の事を後悔したければ、後悔するがよい、いずれ今日の事を後悔しなければならぬ明日がやって来るだろう。その日その日が自己批判に暮れる様な道を何処まで歩いても、批判する主体の姿に出会う事はない。別な道が屹度あるのだ、自分という本体に出会う道があるのだ、後悔などというお目出度い手段で、自分をごまかさぬと決心してみろ、そういう確信を武蔵は語っているのである。それは、今日まで自分が生きて来たことについて、その掛け替えのない命の持続感というものを持て、という事になるでしょう。

【『小林秀雄全作品 17 私の人生観』初版は創元社、1949年】

「日本が悪い」と宣告したのは連合国であった。GHQは軍人・党人派政治家を始めとする保守層を公職から追放した。その一方でマッカーサーは共産党員を獄から放ち、援護射撃までした。軍国主義という言葉は呪詛となって国民に広く行き渡り、左翼は大手を振って闊歩した。

 東京裁判は復讐裁判であった。連合国の罪は不問に付しながら日本軍の罪は状況証拠や伝聞情報で確定した。「平和に対する罪」「人道に対する罪」という奇妙な価値観で日本の首脳を裁いた。東京裁判は「文明の裁き」であった。つまり裁かれる日本は非文明であり、劣った人種であり、日本人が猿であることを示す舞台装置であったわけだ。

 戦後、左翼と進歩的文化人はこのレールの上に乗っかった。彼らの目的は「天皇制打倒」にあった(日本共産党はコミンテルンの日本支部/『日本最後のスパイからの遺言』菅沼光弘、須田慎一郎)。

 大東亜戦争は日本の自衛に始まり、アジア諸国の植民地解放を目指した。日本が立ち上がらなければ帝国主義に終止符を打つことはできなかったことだろう。日本の快進撃は世界を震わせ、中東を経てアフリカ諸国まで独立させるに至るのである。

 座談会で小林を囲んだのは左巻きの作家連中であった。多くの日本人は戦争にうんざりしていた。そして皆が少しばかり左側に転向した。平和・人権・平等を重んじた分だけ天皇陛下の存在が軽くなった。そうした時代を取り巻く空気の中にあって小林は自己弁護をすることもなく「反省なぞしない」と言い切った。これが一億総懺悔に対する鉄槌でなくして何であろうか。

 ついこの間まで大東亜戦争は忌むべき歴史と位置づけられ、太平洋戦争と呼ぶことを余儀なくされた。米ソ冷戦構造が崩壊するや否や、中国と韓国が図に乗り始めた。世界のパワー・バランスが揺らぐ時、弱味を見せた国家は必ず付け込まれる。そして今も尚この国では安全保障を普通に議論することすらできない有り様だ。

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