2016-01-26

矢部宏治、他


 2冊挫折、1冊読了。

北のまほろば 街道をゆく 41』司馬遼太郎(朝日新聞社、1995年/朝日文芸文庫、1997年/朝日文庫、2009年)/まほろばとは古語で「すばらしい場所」の意。司馬は青森を敢えて「北のまほろば」と呼ぶ。少し前に見かけた青森県の児童が書いた詩を読むために開いた。結局、最後のページに掲載されていた。私はあまりこの人の文章が好きではない。改行も多すぎる。斗南(となみ)の件(くだり)で柴五郎に触れている。

世界のニュースがわかる! 図解地政学入門』高橋洋一(あさ出版、2015年)/手抜き本。出だしはいいのだが途中から単なる世界史本になってしまっている。ちょうど半分ほどで挫ける。

 13冊目『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』矢部宏治〈やべ・こうじ〉(集英社インターナショナル、2014年)/矢部は創元社の「知の再発見」双書「戦後再発見」双書を手掛けた人物。amazonの評価が頗(すこぶ)る高いので取り寄せた。米軍基地と原発を結ぶのは安全保障である。大東亜戦争敗戦以降、日本という国家が独立し得ていない情況を巧みに解説する。砂川裁判によって日本国憲法はアメリカとの条約よりも下位に位置づけられた。つまり占領体制が続行しているということだ。また国連憲章の敵国条項は知っていたが、実にわかりやすく説明されている。というわけで大変勉強になった。にもかかわらず、私は本書を「クソ本」と評価する。詳細は書評にて。読書会などには打って付けのテキストだと思う。

プラスチックゴミに殺されるコアホウドリの幼鳥


 今回、初めて自分の目で確かめて驚いたのは、島中に無数のプラスチックごみが散乱していることでした。海岸などに漂着しているごみもたくさんあるのですが、島のいたるところにキャップ類やライター、牡蠣の養殖漁具などが散乱しています。FWSのジョン・クラビッターさんは「コアホウドリは海中に潜って餌をとることができないので、海面に浮いたり、海面近くを泳いでいるイカや魚を食べる。親は餌と間違えて飲み込んだプラスチックを雛に与えてしまう。これまでに多くの死骸を解剖したが、99.9%、プラスチックを飲み込んでいた。雛は巣立ちの前に、体を軽くするために体内に残っているものを吐き出すが、健康な状態でないと吐き出せない場合がある。島の中のプラスチックごみは、死骸の中に残っていたごみか、雛が吐き出したごみのどちらかで、つまり鳥が海から持ってきたものだ」と話してくれました。死骸から出てくるごみのトップ3は、キャップ、牡蠣の養殖パイプ、ライターだそうです。

海ごみプラットフォームJAPAN:JEAN 小島あずさ

2016-01-24

吉岡栄二郎、エリック・シュローサー、トール・ノーレットランダーシュ、ラダビノード・パー、田中正明


 3冊挫折、4冊読了。

続・大空のサムライ 回想のエースたち』坂井三郎(光人社NF文庫、2003年)/光人社版は四部作となっている。『大空のサムライ かえらざる零戦隊』『戦話・大空のサムライ 可能性に挑戦し征服する極意』『大空のサムライ・完結篇 撃墜王との対話』。

二・二六事件とその時代 昭和期日本の構造』筒井清忠(ちくま学芸文庫、2006年)/二・二六事件は面白いようで面白くない。

西郷札  傑作短編集三』松本清張(新潮文庫、1965年)/大清張のデビュー作が冒頭の「西郷札」(さいごうさつ)だ。何かの本で知ったのだが失念した。異母兄妹の淡い想いを散りばめながら、世の移り変わりに翻弄される人々を描く。西郷札とは西郷軍が発行した軍票のこと。

 9冊目『パール博士「平和の宣言」』ラダビノード・パール:田中正明編著(小学館復刻版、2008年/東西文明社、1953年)/復刻版は章立ての順序を変えてある。1952年の来日を綴った田中のテキストはすべての日本人が読むべき内容で、パールは法の番人というよりも宗教者に近い行動で敗戦に打ちひしがれた日本人を慰め、励まし、鼓舞した。なんとA級戦犯を始め、B・C級戦犯とも面会している。アジアには確かに共通の価値観があることがわかった。深い感動に打ち震えながら、感謝と恩義の念が泉の如く湧いてくる。義務教育の教科書に採用するべきだ。

 10冊目『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ:柴田裕之訳(紀伊國屋書店、2002年)/再読。やはり神本(かみぼん)である。いくらか勉強してきたせいか、驚くほどすっきりと頭に入る。私に言わせれば各章が一冊の本に匹敵するほどの内容である。すなわち16冊に等しい書籍が4500円であると考えれば驚くほど安い。原書刊行は1991年だから、まだネット時代の前夜である。21世紀になっても尚、本書を凌駕する作品は現れていないと断言できる。

 11冊目『ファストフードが世界を食いつくす』エリック・シュローサー:楡井浩一〈にれい・こういち〉訳(草思社、2001年/草思社文庫、2013年)/一度挫けている。挫けた理由がわからぬ。それほど面白かった。ナオミ・クライン著『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く』の後に読むのがよかろう。全くどこにも隙(すき)のない100%完璧なノンフィクションである。狙いといい、構成といい、文章といい100点満点だ。

 12冊目『『焼き場に立つ少年』は何処へ ジョー・オダネル撮影『焼き場に立つ少年』調査報告』吉岡栄二郎(長崎新聞社、2013年)/5年余りの取材をまとめたものだが100頁足らずという小品。きっかけは「焼き場に立つ少年」を見た地元の人々の声だった。「これは長崎ではないのではないか」という声がいくつも上がった。当時は瓦礫(がれき)だらけでとても裸足で歩けるような状況ではなかった。ジョー・オダネル著『トランクの中の日本 米従軍カメラマンの非公式記録』を読んだ人なら手を伸ばさずにはいられない。少年にまつわるオダネル発言の数々と共にトリミングされていない写真が掲載されている。

2016-01-19

天才戦略家の戦後/『石原莞爾 マッカーサーが一番恐れた日本人』早瀬利之


『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』増田俊也

 ・天才戦略家の戦後
 ・ソ連の予審判事を怒鳴りつけた石原莞爾

『昭和陸軍謀略秘史』岩畔豪雄

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 片倉(衷)は陸大教官石原の教え子で、昭和6年の満州事変の時は見習い参謀だった。ともに満州事変を乗り切った、いわば子弟である。その片倉が、重病の石原に変わって供述書を口述・代筆する。
 石原はむしろ戦犯になり、ペリー来航まで遡って戦う腹だった。しかし4月8日の参与検事会議で戦犯リストから外され、残念がった。それでも彼は、検事たちが新しい証拠を見つけては再び戦犯リストに挙げてくるだろうと、むしろ期待した。

【『石原莞爾 マッカーサーが一番恐れた日本人』早瀬利之(双葉新書、2013/双葉文庫、2016年)以下同】

 礼賛本である。客観性に乏しいため割り引いて読む必要があろう。にもかかわらず「必読書」としたのは、やはり石原莞爾〈いしわら・かんじ〉という男が規格外の日本人であったためだ。稀代の天才戦略家は合理性の権化(ごんげ)であった。不合理には昂然と異を唱え、たとえ上官であったとしても罵倒した。普通の日本人とは立つ位置が異なっていたのだろう。

 病室にアメリカ軍の法務官と通訳が新聞記者たちと一緒に入ってきて、「これから証人尋問を開始する!」と宣告した。

「オレは戦犯だ。なぜ逮捕しないのだ。裁判になったら何もかもぶちまけてやる。広島と長崎に原爆を落としたのはトルーマンだ。彼こそ第一級の戦犯ではないか。どうした。なぜオレを逮捕しないんだ」

 と、石原は怒鳴りつけた。


 敗戦後、原爆に関する報道はGHQにより規制された。日本国民が初めて原爆の惨禍を知ったのはサンフランシスコ講和条約が発効した(1952年4月28日)独立後のことで、『アサヒグラフ』が1952年8月6日号で報じた。


米軍による原爆投下は人体実験だった/『洗脳支配 日本人に富を貢がせるマインドコントロールのすべて』苫米地英人

 昭和21年4月29日は月曜日で、戦後初めて迎えた天長節である。キーナン首席検事は起訴状を読み上げ、裁判開始の日どりは5月3日からとした。起訴された名前は荒木貞夫から始まって梅津美治郎までの28名。
 石原は、翌30日の連盟会員が持ってきた新聞でそのことを知ると、
「オレの名前があったらな。この裁判を引っくり返してやるんだが――」
 と残念がった。

 Wikipediaの石原記事は読み物として通用するほど面白い。個人的にはハンガリー人宇宙人説の筆頭ジョン・フォン・ノイマンと双璧をなす記事だと思う。

戦犯自称の真相」という中途半端な記述があるが、酒田臨時法廷における石原の堂々たる態度や、公判終了直後にその場でアメリカ人検事が非礼を詫(わ)びたことなどを併せ鑑み、各人が判断すればいいだろう。

「ときに東京裁判は、日清日露戦争まで遡って戦犯を処罰するべきだ、という者がいる。君はどう思うかね」
 すると法務官は「そうする方針です」と答えた。
 その時だった。石原はニヤリとして、
「これは面白い。大いにやってくれ。それだったら、ペリーこそが戦争犯罪人だ。ペリーを呼んでこい」と言った。

 ペリーを知らないという法務官に石原は歴史を語り、「だからペリーを呼んでこい。彼をあの世から呼んで来(ママ)て、戦犯としてはどうかね」と言いくるめた。返答に窮した法務官が「今度の戦犯の中で、いったい誰が第一級と思われますか」と尋ねると、間髪を入れず「それはトルーマンだよ」と、アメリカ大統領の名前を上げ、具体的な国際法違反を懇々と語り、更にはナポレオンの話までする。法務官は「まるで陸軍大学の講義を聴いているみたいでした」と感激しながら帰っていった。

 石原は国際法の仕組みをきちんと理解していたのだろう。それゆえ欧米の土俵(≒論理)に上がろうとも、「勝てる戦略」が見えていたのではないか。ただし寺内大吉著『化城の昭和史 二・二六事件への道と日蓮主義』(1988年)は石原の日蓮主義を批判的に捉えている。