・『国民の歴史』西尾幹二
・比類なき日本文明論
・400年周期で繰り返す日本の歴史
・『三島由紀夫の死と私』西尾幹二
・『国家と謝罪 対日戦争の跫音が聞こえる』西尾幹二
・日本の近代史を学ぶ
《中西》このほど西尾さんが、『国民の歴史』という【大きな】本をお書きになられました。それはボリュームや「部数が何十万部売れた」といった量的なインパクトの大きさだけではなく、日本人の知性や歴史への視線に与えた影響という点で、非常に大きなものがあったという意味です。(中略)
結局この本で何が一番「大きい」かというと、私は内容が突きつけているものだと思うのです。この本はいくつかのテーマを合わせたテーマ論集のようになっていますが、それぞれの論点をつなげると、一つの体系を持った日本文明論が見えるという、何よりも論としてのスケールの大きさを持っています。いい換えると、日本史をタテに貫く一つの大きな史観が、はっきりと提示されているのです。
こういう類の本は、戦後はおろか、戦前の史学書などを見ても、あまり例がないように思います。戦前にも日本文明論はいくつも出ていますが、観念的に書かれたものばかりです。とくに最近の研究成果や史観の変化という動向を踏まえつつ、多くの論点を併せ持ちながら、全体として独自の明確な史観をこれだけのスケールをもって展開した本は、ほかになかったと思います。
とくに最近の斬新な歴史研究の成果を積極的に取り入れ、大きな観点の提示とともに十分に実証的専門研究者として仕事をしてきた学者たちが、ずいぶん狼狽(ろうばい)しているようです。あちこちで激しい議論が起こるのも、そうしたことの表れでしょう。
【『日本文明の主張 『国民の歴史』の衝撃』西尾幹二、中西輝政(PHP研究所、2000年)以下同 】
人はどうしても見掛けで判断されやすい。西尾の風貌と話しぶりには傲然としたところがある。私は何となく「嫌なオヤジ」くらいにずっと思い込んできた。その見方が変わったのは福島の原発事故を巡るディスカッションの動画を見た時のことだった。西尾は推進派から脱原発派に宗旨替えをした。その率直な態度が私の心に何かを響かせた。もちろん逆の立場があってもいい。事故という現実と学問的な裏づけによって持論に固執しないことが重要なのだ。その意味で私は武田邦彦にも敬意を払う。西尾と武田はインターネットを駆使しているところまでよく似ている(西尾幹二のインターネット日録/武田邦彦(中部大学))。
西尾と中西は保守派論壇を代表する人物と目されているが、実は初めての対談であったという。普通の対談本とは異なり、議論の応酬ではなく長い主張を交互に行っている。これは中西のスタイルのようだ。冒頭では上記のように中西の絶賛から始まるが、途中から全く遠慮のない意見がぶつけられている。3日間に渡って12時間行われた対談を編集したもの。
西尾は文学者である。歴史家ではない。その西尾がペンを執らざるを得なくなったのは、やはり日本人の歴史意識に危機感を抱いたためだろう。戦後教育はバブル崩壊まで一貫して戦前の日本を否定的に扱ってきた。まずGHQが巧妙に日本文化を破壊し、その後を日教組と進歩的文化人が引き継いだ格好だ。
その流れを変えたのが1996年に設立された「新しい歴史教科書をつくる会」であった。西尾は設立人の一人で、初代会長に就任した。その当時は誰もが眉をひそめた。私も「何を今更」と思った。1995年には小林よしのり作『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』(扶桑社)が出ていた。渡部昇一や谷沢永一が右旋回した。世間の見方は冷ややかであった。ところが北朝鮮による拉致被害や中国・韓国での反日運動が激化するに連れて流れが変わっていった。戦後体制に疑問を抱けば自ずと敗戦時に目が向く。誘拐同然でさらわれた同胞を救い出すこともできない国家は国家たり得るのか? この国はどこかおかしい。そんな疑問が国民の間に少しずつ浸透していったように思う。
たとえば、唯物史観が退潮したあと、今度は奇妙な偏向姓を持つ「ボーダレス史観」のようなものが現れ、戦前の「皇国(こうこく)史観」の逆をゆくものならどんな行きすぎでも許されるとばかりに、「日本」など存在しなかったかのような極限的な修正史観にまで行き着いています。つまり、一つの間違いを修正するのに、それよりはるかに悪い方向へ向かって修正しようとする。つまり、「真ん中」に寄せるのではなく、マイナスのベクトルにばかり向かっているのです。
しかも、戦前の歴史を一括して、「皇国史観」とか「軍国主義史観」という言葉で語ってしまう。彼らにとって戦前というのは、昭和20年以前すべてを指します。だから、私はこれを本質的な意味を込めて「戦後史観」と呼ぶのですが、彼らは戦前までの日本のあり方のすべてを否定的に捉えるという偏見から出発していますから、それまでよしとされたものを批判しあらゆる歴史上の「偶像破壊」をしなければ実証史学でない、という強迫観念にとらわれつづけています。これは歴史への本来の姿勢ではありません。とくに彼らのいう「皇国史観」にとらわれすぎているから、それこそ何百年、何千年と遡(さかのぼ)る日本人の本来の歴史意識やトータルな歴史像をすべて否定してしまおうとしてきたのです。
世界中どこの国でも愛国教育を行っている。そんな当たり前の事実すら我々は見失ってしまった。「第二次世界大戦が終わってから世界は平和になった」と錯覚しているのは日本人だけであろう。アフガニスタンやイラクが戦火に見舞われても他人事である。北朝鮮がミサイルを発射しても目を覚ますことがない。日本が仮にも平和を享受できたのは日米安保のおかげであり、アメリカの核の傘に守られてきたからだ。そのアメリカが今衰亡しつつある。国力が衰えればアメリカが「自分の国は自分で守ってくれ」と言い出すに決まっている。きっと昨年のオバマ来日で言われたに違いない。その後安倍首相がやったことといえば、特定秘密保護法の制定と集団的自衛権の行使で、現在は憲法改正を表明している。
国民が自国の歴史を見失えば国家は大国に依存する。敗戦という精神的空白を経て日本はアメリカに身を委ねた。アメリカがダメになったら、今度は中国に身を擦り寄せるのだろうか? その可能性を否定できないところにこの国の悲しさがある。
日本文明の主張―『国民の歴史』の衝撃
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