・オールド・リベラリズムの真髄
・竹山道雄の唯物史観批判
・擬似相関
・新しい動きは古い衣裳をつけてあらわれる
・『竹山道雄と昭和の時代』平川祐弘
・『見て,感じて,考える』竹山道雄
・『西洋一神教の世界 竹山道雄セレクションII』竹山道雄:平川祐弘編
・『剣と十字架 ドイツの旅より』竹山道雄
・『ビルマの竪琴』竹山道雄
・『人間について 私の見聞と反省』竹山道雄
・『竹山道雄評論集 乱世の中から』竹山道雄
・『歴史的意識について』竹山道雄
・『主役としての近代 竹山道雄セレクションIV』竹山道雄:平川祐弘編
・『精神のあとをたずねて』竹山道雄
・『時流に反して』竹山道雄
・『みじかい命』竹山道雄
・日本の近代史を学ぶ
・必読書リスト その四
鶏(にわとり)が鳴くときに太陽が登(ママ)る、だから鶏が鳴くのが太陽が登る原因である……というふうに、時を同じくしておこった現象を結びつけて因果欲望を満足させることは、ともすると人がおかしやすいあやまりである。
昭和のはじめに左翼運動が弾圧された。そして、「その一方に1930年前後は、エロ・グロ・ナンセンスといわれる、頽廃(たいはい)をきわめた愚民政策が系統的に行なわれた」
このようにファシズムの進行とエロ・グロ風潮とを結びつけるのは、鶏と太陽を結びつけるようなものであろう。むしろ、あの風潮が、それへの反撥(はんぱつ)としてファッショを煽(あお)った一つの因であったのであろう。
【『昭和の精神史』竹山道雄(新潮叢書、1956年)/講談社学術文庫、1985年/中公クラシックス、2011年/藤原書店、2016年】
相関関係を因果関係と勘違いすることを擬似相関という。
薬の効力を調べる場合、「使った、治った、効いた」という「三た」式思考法は危険なのだ。
【『霊はあるか 科学の視点から』安斎育郎〈あんざい・いくろう〉(講談社ブルーバックス、2002年)】
「祈った、かなった、幸せになった」というのが宗教の「三た」式思考法であろう。「見た」という経験を重んじれば幽霊や宇宙人の存在は正当化し得る。それゆえ「科学者は、体験談を証拠とはみなさない」(『なぜ人はエイリアンに誘拐されたと思うのか』スーザン・A・クランシー)。
尚、後段の「社会的頽廃がファシズムの温床となった」という指摘は、竹山自身がナチス台頭前夜のドイツに留学した経験に基づいており、戦時中(1940年〈昭和15年〉)にナチス・ドイツの非人間性を批判した論文を発表(雑誌『思想』)している。
竹山の著作はいずれも近代の変化を確かな目で捉えている。例えば固定電話が普及したのは1970年代に入ってからのこと(固定電話の歴史)であるが、それ以前は手紙でやり取りするか、直接訪ねるしか方法がなかった。相手が不在であれば当然「待つ」他ない。つまり現代と比べると驚くほどの時間的コストがかかったわけである。こうしたところに想像が及ばないと変化のダイナミズムを見失ってしまうだろう。
昭和の精神史 〔竹山道雄セレクション(全4巻) 第1巻〕
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竹山 道雄
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