午前9時、気温は33℃を超えていた。
駐車場に停めたバイクにまたがろうとすると、フェンスの向こうに植木屋がいた。「おはようございます」と私が声を掛けると、「おはようございます。今日は暖かいですね」と返してきた。「暖かいとは普通言わねーわな」と言って二人で大笑いした。颯と風が吹き抜けるようなコミュニケーションだった。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2018年7月18日
駐車場に停めたバイクにまたがろうとすると、フェンスの向こうに植木屋がいた。「おはようございます」と私が声を掛けると、「おはようございます。今日は暖かいですね」と返してきた。「暖かいとは普通言わねーわな」と言って二人で大笑いした。颯と風が吹き抜けるようなコミュニケーションだった。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2018年7月18日
ひたすら苦しく辛い練習が続いた。
北大キャンパスで柔道部の時計だけが進まなかった。遅々として進まなかった。たった一日の休みである日曜日が来るまでがあまりに長かった。あまりに苦しかった。拷問のような時間だった。
いや、毎日の練習が終わるまでの数時間でさえ、それまで経験した時間の流れの100倍にも200倍にも感じられた。500倍にも1000倍にも1万倍にも感じられた。ときに乱取り一本の6分間が数百時間にも感じられた。毎日毎日、残りの本数を数えながら乱取(らんど)りを繰り返した。汗の蒸気のなかで寝技乱取りを繰り返した。道場には汗の蒸気とうめき声しかなかった。いったい引退までにこの乱取りを何万本こなさなければならいのか――。
【『七帝柔道記』増田俊也〈ますだ・としなり〉(角川書店、2013年/角川文庫、2017年)】
往きて宣べつたへ「天国は近づけり」と言へ――このイエズスの命令は、おそらく人々にこの世の崩壊が明日にも迫っていることを教え、すべては融けて消えてなくなると説き、その中にあってもなお永遠の生命を保つためには、ゴッドの教えをきいてゴットの国に入れ、ということであったのだろう。その教えをきかない者は呪われた者だった。
年と共に、これが歴史の実体としては、行きて宣べて、しかもかつ略奪劫掠せよということとなったことは、疑いをいれない。宗教宣伝が領略の名目となったことはまちがいがなかった。むしろ、この両者は一体のものだったろう。12世紀の十字軍遠征を扇動した法王の言葉は他に紹介したことがある。彼はこれによって集団ヒステリーをかきたてた。西欧の方々の国の村から町から異教徒という被害妄想に憑かれた人々が、群をなし列をなしてぞろぞろと東へ征った。
バテレンの布教は日本征服と関係がある――この結びつきは、徳川時代において日本人の固定観念だった。それが明治に布教が再開されるに及んで消えた。その間の時期に日本の指導層は合理的に物を考えるようになっていた。しかし、近頃バテレンの機密文書がぞくぞくと発表されるに及んで、やはり前の固定観念が正しかったことが明らかになった。その証拠はかぎりがない。
大航海時代に南ヨーロッパ諸国民が世界に雄飛した動機について告白したものは、聖なる教えを奉ずる自己の利益となる行為は正しいものであるということを、表明している。じつにキリスト教徒でない者は、まだ人間であるか否かを疑われ、むしろ家畜として使役すべきものだった。
【『みじかい命』竹山道雄(新潮社、1975年)】