・『天才は親が作る』吉井妙子
・『天才! 成功する人々の法則』マルコム・グラッドウェル/2009年
・『非才』マシュー・サイド
・凡人はなぜ偉業を達成できないのか?
・『超一流になるのは才能か努力か?』アンダース・エリクソン、ロバート・プール/2016年
結局のところ、周囲のほとんどの人は、おそらく、そこそこ上手に良心的で、勤勉に取り組んでいる。なかには20年、30年、40年という長い期間にわたって取り組んできた人たちもいたはずだ。なのに、なぜこうした努力にもかかわらず、彼らは偉業を達成できないのか。その理由ははっきりしない。実際、偉業を達成したり、その域に近づいた者さえほとんどなく、いたとしてもほんの一握りにしかすぎないというのが厳しい現実の姿だ。
この謎はあまりにも当たり前のことのように見えるので、謎であることにさえ気がついていない。にもかかわらず、この謎は、我々の組織、そして人生が成功するかどう失敗するかということや信じている理念が正しいのか間違っているのか、という点で決定的に重要なことなのである。
【『究極の鍛錬』ジョフ・コルヴァン:米田隆〈よねだ・たかし〉訳(サンマーク出版、2010年)】
エリクソンの著書と内容の見分けがつかないほどだが文章は断然こちらの方がいい。因みにエリクソン本は1/3ほどで挫折した。「限界的練習」の中身をもったいぶって手の中に隠すような構成にウンザリしたためだ。尚、「究極の鍛錬」と「限界的練習」が単なる翻訳の違いなのかどうかは確認しておらず。たぶん一緒だと思う。マルコム・グラッドウェルの著作はまだ読んでいない。
本書が説くのは「才能の否定」である。なんとタイガー・ウッズから果てはモーツァルトに至るまで才能が否定されている。天才と呼ばれ、偉業を成し遂げた人々は例外なく一定量の鍛錬を積んでおり、凡人と天才を分けるのは時間の差でしかないと断言する。つまり天才の所以(ゆえん)は「努力の天才」にあるのだ。「練習の虫」と言い換えてもよい。「之(これ)を知る者は之を好む者に如(し)かず。之を好む者は之を楽しむ者に如かず」(『論語』)との孔子の教えが蘇る。
当然ではあるが漫然と時間をかけても偉業は成し得ない。クルマの運転を思えばわかりやすいだろう。ある程度思う通りに操ることができるようになると、そこで技術の上達は止まってしまう。しかも「止まった」と思うのは錯覚で実際はレベルが低下してゆくのだ。
あれこれ考えていると『ピーターの法則』や『パーキンソンの法則』が他人事とは思えなくなってくる。
なぜか意を決して11月25日から走り始めた。走るのは幼い頃から苦手だった。私には人より秀でた運動神経があるので足は遅くてもいいや、くらいに思っていた。ランニングは短距離も長距離もダメだった。昨年から自転車に乗り始めたのだが長時間にわたって同じ姿勢でいるため微妙なストレスが溜まってきた。しかも股下が圧迫されるため自転車ED(勃起不全)を実感するまでになった。そこで近頃は散歩にいそしんできたわけだがムラムラと走る衝動が湧いてきた。やはりウォーキングだと負荷が物足りない。そしてランニング2日目の今日、3km走ってきた。私にとっては偉業である。
・捨てる覚悟/『将棋の子』大崎善生