2020-09-30

ヒモ一本でカラダ目覚める/『ヒモトレ革命 繋がるカラダ動けるカラダ』小関勲、甲野善紀


 ・ヒモ一本でカラダ目覚める

ヒモトレでX脚が治った
『ムドラ全書 108種類のムドラの意味・効能・実践手順』ジョゼフ・ルペイジ、リリアン・ルペイジ

身体革命

甲野●最近、私の講習会でも、必ずと言っていいほどヒモトレを紹介していますが、これは本当にすごい発見ですね。別に特別なことを覚えるとか、何かを意識するとか、そういうことを全くしないで、ただ、ヒモを一本巻くだけで体の動きが、たちまち変わりますから。

小関●私も驚いています(笑)。

甲野●私がヒモトレを初めてハッキリと認識し知ったのは、2014年に小関さんが日貿出版社から『ヒモトレ』という本を刊行され、私にも献本してくださった時です。
 それ以前にも、なんとなく耳にしていた気はしますが、あの本でハッキリと知りました。その後、2014年の秋頃、小関さんのお家に泊まらせていただいた時に、詳しくヒモトレの巻き方や効能を伺い、例えば「脚の付け根にヒモを緩く巻くと、階段の上り下りが楽になるんですよ」と教えていただいてから、早速試したところ、“これはいい!”と感動したのを覚えています。

【『ヒモトレ革命 繋がるカラダ動けるカラダ』小関勲、甲野善紀〈こうの・よしのり〉(日貿出版社、2016年)以下同】

虎拉(ひし)ぎ」を本書で知った。

 ヒモトレについては、100円ショップで太めの紐を買ってきて、あれこれ試したみたのだが特別な効果は感じなかった。だからといって軽んじることはできない。あの甲野が評価しているのだから。

 五官は外部情報をキャッチするアンテナである。靴や衣服はアンテナの感度を下げてしまう。裸で木登りをすれば全身で枝や風を感じることができるはずだ。ヒトの脳は集中すると周辺情報を見失う。ヒモトレは集中で凝り固まった意識を解放する効果があるのだろう。

小関●夜に尿意で5、6回ほど起きる人が、ヒモをゆる~く腰に巻くと、その日の夜から1回も起きなくなったり、起きる回数が減ったりという話を、あちこちで聞いています。夜間覚醒も随分減るようですね。
 また、鼠径部(そけいぶ)からお尻の下にかけて緩くヒモを巻いて寝ると、寝返りがとても楽にできるので、お腹の大きくなった妊婦さんからも、「寝るのが楽になった」というお声をいただいています。

 これは試してみる価値がある。いずれにしても「紐を緩く巻く」というのが肝心で、サポーターのように固く巻いてはいけない。人体がわずかな突起に反応してバランスするのは確かだろう。靴の中の小石ですら全身に不快な影響を及ぼすことからも明らかだ。

 身体障碍者にも格段の効果があるという。

 例えば、側湾(背骨が曲がっている症状)や寝たきりの子ども達の胸にヒモを巻いてみたところ、ペコンと潰れていた胸が膨らみ、呼吸が大きくなりました。人工呼吸器を付けている子どもの胸にヒモを巻いたところ、呼吸量が通常の1.5倍になっていたのですが、これにはお母さんも驚いていましたね。
 また、脳性麻痺のある子どもの中に、左右どちらかに片麻痺がある子どもがいます。自力で座ったり、真っ直ぐに立つことが大変むずかしいのですが、ヒモをお腹とタスキ掛けにして巻くと、座ったり、立ったりするときの姿勢が安定します。肩の緊張がとれて、重心が下がってくるので、足の裏でしっかり床を踏みしめることができるんですね。
 それから、嚥下障害には烏帽子掛けが有効です。下顎から頭頂部にかけて、緩くヒモを巻くのですが、そうすると、あまり機能していなかった舌骨上筋と舌骨下筋が、ヒモの微妙な刺激によってうまく連動して、嚥下反応が起こります。(藤田五郎:香川県立善通寺養護学校教諭)

 体の復元力というべきか。紐という小さな刺戟によって体が目覚める。人体で最も大きな臓器は皮膚である。これを侮ってはなるまい。なんと言っても最大のアンテナなのだから。

2020-09-28

ムドラとは/『ムドラ全書 108種類のムドラの意味・効能・実践手順』ジョゼフ・ルペイジ、リリアン・ルペイジ


『ヒモトレ革命 繫がるカラダ 動けるカラダ』小関勲、甲野善紀
・『手を組むだけで幸せになる! 手印大図鑑』鮑義忠
・『“手のカタチ”で身体が変わる! ヨガ秘法“ムドラ”の不思議』類家俊明

 ・ムドラとは

身体革命

 ムドラとは、体の健康や心のバランス、そして精神的な覚醒を促してくれる、手や顔や体を使ったジェスチャーのことです。サンスクリット語の「mudora」には、「身ぶり、印、態度、特性」などの意味があります。それぞれの印相の特性に応じた、心のあり方や精神的な態度を喚起してくれるジェスチャー、それがムドラです。ムドラは「喜び」や「魅力」を意味する「mud」と、「引きだす」を意味する「rati」が組み合わさってできた言葉です。つねにそこにあり、あとはただ目覚めるのを待っている私たちの内なる喜びや魅力を、ムドラは引きだしてくれるのです。(中略)
 私たちはこうした身ぶりで、しばしば無意識に、気分や意図や態度を非言語的に伝えています。
 一方、手や顔や体のジェスチャーが、特定の精神的態度を呼び起こすために意識的に使われるとき、それはムドラと呼ばれます。統合や無限性などの微細な性質は、言葉ではうまく言い表せなくても、ムドラを使えば完璧に表現できます。霊性の最も古い様式の一つであるシャーマニズムでは、音や動作、そして手や顔や体のジェスチャーが、宇宙の深遠で聖なるエネルギーを呼びさますのに使われます。シャーマンがそのエネルギーを伝える儀式にも、健康や癒しや霊的なつながりを助けるものとして、ジェスチャーが欠かせません。世界には様々なシャーマニズムが存在しますが、インドでは、創造の聖なる源と一体化したいという強い欲求が、完成度の高い一大体系にまで進化しました。その体系の一端を担うのがムドラです。
 古代インドの偉大な聖者(リシ)たちは、瞑想を通じて、創造の源との深い精神的結合の境地を極めようとしました。その瞑想状態の一つの現れとして、自然派生的にムドラが生まれます。やがてムドラは、リシが瞑想状態を追体験し、新たに加わった門弟とも体験を分かち合うための手段として使われるようになりました。古代の聖者が瞑想体験のうちに悟った究極のち絵とは、あらゆる二元性を超越する「統合」(ユニティ)の思想です。「統合」とは、認識力、無限性、統一性、慈悲心など、様々な心の特性を経たのちに到達される至高の境地です。こうした個々の特性を呼び覚まし、統合の世界的な地平へと自然に導いてくれる手段、それがムドラなのです。

【『ムドラ全書 108種類のムドラの意味・効能・実践手順』ジョゼフ・ルペイジ、リリアン・ルペイジ:小浜杳〈こはま・はるか〉訳、長谷江利子〈はせ・えりこ〉編集協力(ガイアブックス、2019年)】

ひもトレ革命』で虎拉(ひし)ぎを知った。指の形をつくることで脚に力が入るという秘技だ。私は普段から階段を使うよう心掛けているので直ぐさま効果を実感した。その時、「ハハーン、これは印相だな」と妙に得心がいった。忍術使いが手を組んで形をつくるアレだ。元々は仏教の密教から生まれたもので、日本だと天台系(台密)よりは真言系(東密)で重視されている。

 ヒトの進化を推進したのは高度な知能もさることながら、細やかな手の動きによるところが大きい。きっと知能と手は連動しているのだろう。匠の技とされているのも大方手の運動である。それが行き着いた最終形が私は楽器演奏だと考える。鍵盤を叩いたり、弦を爪弾く指の動きは、ヒトの進化の最も高い位置にあると思われる。

 ランニング初心者の私は少しでも楽に走れるよう指の形を工夫している。普通に走っているとピストル型の形になるのだが、意識的に虎拉ぎをやってみたり、親指だけ曲げて他の指を真っ直ぐに伸ばしたり、中指で親指を抑え込んだり、手をだらりと下げて走ったりしている。効果のほどは定かでないが変化をつけることで意識が脚の疲労から指の形に向かうので気分転換にはなる。

 ムドラは印相の原型である。「手のヨガ」と言っていいかもしれない。数冊しか読んでいないが本書は決定版と断言して差し支えないだろう。齢を重ね、体力が衰えるに連れて、体を鍛えるよう努めているが、個人的には瞑想の前段階として体の声に耳を傾けているつもりだ。正直に言えばじっと坐っていることに私の惰弱な精神は耐えられない。むしろ動くことで心の揺れを止める方途を探っているところである。フル回転するコマのような心的状態が望ましい。

 ムドラは高齢者でも実践可能だ。ムドラから入ってヨガへと進み、運動やトレーニングに至るのが理想的だと思う。「治に居て乱を忘れず」である。いざ病気になったり、不当逮捕されたり、捕虜になるようなことがあれば、不自由な苦境と対峙できるのは瞑想と運動だけというのが私の持論だ。

2020-09-26

『田中清玄自伝』は戦後史の貴重な資料/『日本の秘密』副島隆彦


『暴走する国家 恐慌化する世界 迫り来る新統制経済体制(ネオ・コーポラティズム)の罠』副島隆彦、佐藤優

 ・片岡鐵哉『さらば吉田茂』の衝撃
 ・『田中清玄自伝』は戦後史の貴重な資料

『日本永久占領 日米関係、隠された真実』片岡鉄哉
『國破れて マッカーサー』西鋭夫
『田中清玄自伝』田中清玄、大須賀瑞夫

 60年安保闘争で、「全学連主流派」という、元祖・過激派学生運動を、背後から使嗾(しそう/あやつり、そそのかす)したのは、まず岸信介を政権の座から追い落とそうとして動いた、自民党・吉田学校(宏池会〈こうちかい〉)の人々であった。その証拠となる文献を、以下にいくつか挙げることにする。
 まず、どうしても、田中清玄(せいげん)氏の『田中清玄自伝』(大須賀瑞生インタビュー、文藝春秋、1993年刊)からである。この本は、きわめて重要な本である。日本の戦後史を検証してゆく上で、陰画(ネガ)のような役割を果たす貴重な回顧録である。田中清玄の死に際の遺言集である。田中清玄は本書の中で、かなり大胆に正直に多くの歴史証言を行っている。しかし肝心の、日本の戦後史の大きな核心部分については、狡猾にも歴史の闇に葬るべく、いくつかの重要事実の公開を慎重に避けていると私は判断する。
 それ以外では、嘘は書かれていない本だ。

【『日本の秘密』副島隆彦〈そえじま・たかひこ〉(弓立社、1999年/PHP研究所新版、2010年)】

 うっかりしていた。私は田中清玄〈たなか・きよはる〉を本書で知った。2015年12月に読了。随分と遠回りしてしまった。ただし意味のある遠回りであった。副島隆彦には一部のコアなファン層がいるが私はあまり好きではない。この人はともすると過激に傾く嫌いがある。穏健なオールドリベラリズムとは反対の性質を感じる。

「戦後史の大きな核心部分」とはCIAによる工作のことか。アメリカは1947年、マーシャル・プランで反共に舵を切った。翌1948年1月6日、アメリカのロイヤル陸軍長官は「日本を共産主義の防波堤にする」と宣言した。同年、朝鮮戦争が勃発。GHQの占領が終了した1952年以降はCIAが様々な工作をしたと仄聞(そくぶん)する。日本が安全保障すら自前で賄(まかな)えないのは自民党が甘い汁を吸いすぎたためだろう。この国は右も左も売国奴だらけだ。

 私は三島由紀夫の純情には惹かれるが非常に危うい性質をも感じる。三島の見識と切腹には飛躍がありすぎる。田中清玄は三島のことを「礼儀知らず」と一言で切り捨てた。

2020-09-25

愛の字義/『漢字なりたち図鑑 形から起源・由来を読み解く』円満字二郎


【愛】アイ

[会意]“後ろを向く”ことを表す「●」と、「心」と、“足”を意味する「●」を組み合わせた漢字が、変形したもの。本来の意味は“心残りがあって振り向きながら進む”ことだと考えられています。気になってしかたがないところから、“愛(あい)する”という意味で使われるようになりました。

【『漢字なりたち図鑑 形から起源・由来を読み解く』円満字二郎〈えんまんじ・じろう〉(誠文堂新光社、2014年)】

 伏せ字部分がわかりにくので画像を上げる。


 著者名はふざけたペンネームと思いきや本名のようだ。

 愛の字義は仏教の渇愛に近い。愛とは固執である。「愛(め)でる」と使えばピンとくるが、愛という語を日常で使うことはまずない。キリスト教で説くラブがわかりにくいのも愛が観念的である証左といっていいだろう。

 ブッダが示すのは慈悲であるが決して同苦することはない。なぜなら仏はありのままに苦を見つめるだけで、苦から離れた位置にいるためだ。我々はともすると情愛を求めるが、それは欠乏を補うためだ。ある種の承認欲求の現れと知るべきだ。

 愛が引きずるものであれば、それは好ましい足枷(あしかせ)でしかない。感情の昂(たか)ぶりは往々にして瞳を暗くする。過去と現在、他人と自分という比較に幸不幸の陥穽(かんせい)がある。愛よりも智慧が重い。