・『精神疾患は脳の病気か? 向精神薬の化学と虚構』エリオット・S・ヴァレンスタイン
・『〈正常〉を救え 精神医学を混乱させるDSM-5への警告』アレン・フランセス
・『身体はトラウマを記録する 脳・心・体のつながりと回復のための手法』べッセル・ヴァン・デア・コーク
・『クレイジー・ライク・アメリカ 心の病はいかに輸出されたか』イーサン・ウォッターズ
・「自己」という幻想
「自己とは、内側にある安定した核だ」と昔から固く信じられてきたが、それは科学的事実からかけ離れた幻想である。「ここが人格や自己意識を生み出す源だ」と言える特定の脳内領域やニューロンは存在しない。実のところ、やつれ顔のシュールマンは、「自己とは、我が研究チームが自由に造り替えられるものです」と言うこともできたのだ。実験結果を見れば、どの患者にも普遍の核など存在しないことは明らかだ。自己とは、そのときどきの脳の状態のことなのだ。脳の特定の箇所に電気を少々流すだけで、人は別の誰かになってしまう。
【『闇の脳科学 「完全な人間」をつくる』ローン・フランク:赤根洋子〈あかね・ようこ〉訳(文藝春秋、2020年)】
著者が言う「脳の状態」を石川九楊〈いしかわ・きゅうよう〉風に表現すれば「スタイル」となる(『書く 言葉・文字・書』石川九楊)。つまり我々は自分が好む反応を定式化することで「自己」という産物を創造しているのだろう。それは文字通り「型」(スタイル)といってよい。
人は身口意(しんくい)の三業(さんごう)を繰り返すことで自我を形成する。すなわち自我とはパターンに過ぎない。私は「小野さんらしい」と言われることが多い。特に目上の人物と喧嘩をする際に私の個性は最大限発揮される。そうした行為は私が自ら選んで行われるものだ。時折失敗することもあるが気にしない。じっと黙っているわけにはいかないからだ。
悪しき性格は劣等感によって作られる。負の感情が正常な判断を失わさせる。その意味で恨みや妬みが一番厄介な感情だと思う。
「自己」が幻想であれば誰かから馬鹿にされても怒る必要はない。たまたまその時の「脳の状態」が馬鹿にされたのだから。