2021-11-25

正しい歩き方=疲れない歩き方/『調子いい!がずっとつづく カラダの使い方』仲野孝明


『新正体法入門 一瞬でゆがみが取れる矯正の方程式』橋本馨

 ・正しい歩き方=疲れない歩き方

『寝たきり老人になりたくないなら大腰筋を鍛えなさい』久野譜也
『生体の歪みを正す 橋本敬三・論想集』橋本敬三
『誰にでもわかる操体法』稲田稔、加藤平八郎、舘秀典、細川雅美、渡邉勝久

身体革命
必読書リスト その一

 つまり、
 無意識に立っているから、【立っていると疲れる】
 無意識に座っているから、【座っていると疲れる】
 無意識に歩いているから、【歩くだけで疲れる】
 というわけです。

 いい換えると「本来の力を発揮できていない」「体を使いこなせていない」。こんな状態で、運動したり食事に気をつかったりしても……。ん~。残念ながら効果は薄くなってしまいます。最悪の場合、せっかく運動を始めたのになんだか体が痛いなんていうことも。よかれと思ってしたことが、逆効果になる可能性もあります。

【『調子いい!がずっとつづく カラダの使い方』仲野孝明〈なかのたかあき〉(サンクチュアリ出版、2019年)以下同】

 簡単なことほど難しい。常歩(なみあし)を実践して思い知らされた。運動神経に自信があるだけに頭を抱え込んだ。結局、納得のゆく動きができるまでに3ヶ月ほどを要した。一旦、意識を確立するとそれからは少しずつ無意識で正しい動きが可能となる。

 大事なのは重い頭をどう支えるかである。骨盤と肩甲骨が要となる。よく助言するのだが、「骨盤を立てる。肩を上げてからストンと落とす。で、そのまま胸を上げる」とよい姿勢になる。


 実に巧みな説明である。「耳の後ろを引き上げる」のは背骨を伸ばす=S字弯曲(わんきょく)の保持であり、「みぞおちから脚を動かす」のは骨盤を動かすことだ。取っ掛かりの意識革命としてはわかりやすい。

 体の使い方がわかってきてから読み直せば、更に理解が深まることだろう。意識するとは、少し離れて自分を見つめることである。これすなわち瞑想である。

2021-11-24

光を灯す:future with bright lights


 遠子先輩のツイートで知った動画。目が奪われ、息を呑む。



ヒマラヤ産クリスタル岩塩/『医療マフィアは【伝統療法】を知って隠す なぜ《塩と水》だけであらゆる病気が癒え、若返るのか!? ローコスト&ハイクオリティな養生法の超実践ガイド!』ユージェル・アイデミール


『医学常識はウソだらけ 分子生物学が明かす「生命の法則」』三石巌
『日本人には塩が足りない! ミネラルバランスと心身の健康』村上譲顕
『「塩」をしっかり摂れば、病気は治る 病気の因を断つクスリ不要の治療法』石原結實

 ・ヒマラヤ産クリスタル岩塩

・『病気を治す飲水法 万病を予防し治す水の力を総解説!』F・バトマンゲリジ

 なぜ高血圧の人は天然塩、特にヒマラヤ産クリスタル岩塩を摂取しなければならないのでしょうか? なぜならば、水は塩なしには体や細胞膜の内部に入り込むことができないからです。水だけではなく、体内のほとんどの物質交換は浸透圧によって可能となり、この浸透圧は塩によって生み出されます。塩がないと細胞の物質交換は止まり、生命が失われます。病気の原因となる体内の乾燥を止め血液中の水分量を増やしたいのであれば、【水を飲む必要があるのと同じく、水を体の隅々に届ける役割を果たす「天然塩」を摂らなくてはならない】のです。

【『医療マフィアは【伝統療法】を知って隠す なぜ《塩と水》だけであらゆる病気が癒え、若返るのか!? ローコスト&ハイクオリティな養生法の超実践ガイド!』ユージェル・アイデミール:斎藤いづみ訳(ヒカルランド、2017年)以下同】

 タイトルからしてトンデモ系である。表紙に内海聡〈うつみ・さとし〉。トンデモ系医師だ。で、出版社はヒカルランド。トンデモ系が見事に三拍子揃った。

 何ひとつ根拠やデータが示されておらず、小説あるいはエッセイとして読むのが正しい。吃驚したのだがamazonレビューの評価が高い。今日現在、275の平均評価が星四つ半となっている。お前ら、大丈夫か?

 我々日本人にとって岩塩は馴染みがない。せいぜい、クレイジーソルトかステーキ屋でお目にかかる程度だろう。しかし世界に目を転じると流通量は岩塩の方が多い。もう一つ大事なことを書いておこう。岩塩はミネラルが極めて少ない。成分的には99%が食塩と同じである。ま、残り1%に何かが隠されている可能性もあるが、何も隠されていない可能性の方が高いと思うよ、俺は。

【高血圧の人に対する塩水療法は、毎朝小さじ1杯の塩水をコップ1杯に混ぜるのではなく、2.5リットルの水に混ぜて、1日のうちに分けて飲むことによって効果が確認できます】。

 本書で紹介されているのは源気商会のヒマラヤ岩塩である。著者とは友人のようだ(土井聡 | 日本ソルトコーディネーター協会)。ひょっとしてタイアップ企画なのか? そうかもしれない。

 ただしマルチ商法と違って、さほど高価なものでもないから、信者になってしまうという手もある。それで健康が取り戻せるなら安いもんだろう。「ヒマラヤまで行って、岩塩を採掘することを思えば格安ですよ、旦那!」という声が聞こえてきそうだ。家にある海塩がなくなったら私も買ってみるつもりだ。

   

2021-11-23

サラリーの語源は塩/『「塩」をしっかり摂れば、病気は治る 病気の因を断つクスリ不要の治療法』石原結實


『医学常識はウソだらけ 分子生物学が明かす「生命の法則」』三石巌
『日本人には塩が足りない! ミネラルバランスと心身の健康』村上譲顕

 ・サラリーの語源は塩

食塩摂取量と高血圧の因果関係
『「食べない」健康法 』石原結實

 サラリー(salary)は給料を意味します。salはラテン語で「塩」の意味です。
 古代ローマ時代、兵士の給料の一部が塩で支払われていたことから来ていて、英語の熟語にもworth one's salt.(給料に見合った働きのこと)という表現がありますし、Business is the salt life.(仕事は生活の塩である=仕事は大切である)という言いまわしもあります。
 当時、奴隷の売買も塩で行なわれていたといいますし、塩100kgで、家が1軒買えたといいます。
 日本でも、平安時代の官吏の給料が「塩」で支払われていたという史実が木簡から発見されています。つまり塩は、昔は東西を問わず貴重品であったわけです。
 このように「塩」は文明生活にとって欠かせないものであるために、塩の専売制度が始まったのでしょう。
 世界ではじめて「塩税」をとったのは、シシリーのサラセン人だったようです。革命以前のフランスでは、原価の20倍もの塩税をとったので、民衆の不満をかい、フランス革命の引き金の一要因になったという話もあります。
 日本では、日露戦争の資金調達のために、1905(明治38)年に塩の専売制度ができ、1997(平成9)年に廃止されるまで、長きにわたって存続しました。塩の専売制度とは、当然のことですが、「勝手に塩を作ったらいけない」ということです。
 その間、1971(昭和46)年に「塩業近代化臨時措置法」が施行され、食塩はすべて、イオン交換樹脂膜法によって作られることになり、純粋にNaCl(ナトリウムと塩素)だけからなる食塩が販売されるようになりました。
 そのため、自然塩が自由に手に入るようになったのは、1997年以降のことです。

【『「塩」をしっかり摂れば、病気は治る 病気の因を断つクスリ不要の治療法』石原結實〈いしはら・ゆうみ〉(経済界、2004年)】

 読んだのは5年前である。相関関係を持ち出して因果関係と決めつける記述が多い。健康本の著者は多作が目立つ。たぶん出版社が寄ってたかって二匹目、三匹目のドジョウを狙うのだろう。結果的に粗製濫造(そせいらんぞう)となって文章も編集も手抜きが目立つ。石原結實もその一人だ。

 化粧品や健康食品ではないが、「病気は治る」と謳っている以上、治らなかったら薬事法違反で取り締まるべきだろう。



紀元節と天長節/『日本人と戦争 歴史としての戦争体験 刀水歴史全書47』大濱徹也


・『乃木希典』大濱徹也
・『近代日本の虚像と実像』山本七平、大濱徹也
『陸軍80年 明治建軍から解体まで(皇軍の崩壊 改題)』大谷敬二郎

 ・戦争をめぐる「国民の物語」
 ・紀元節と天長節
 ・日清戦争によって初めて国民意識が芽生えた

・『庶民のみた日清・日露戦争 帝国への歩み』大濱徹也
・『天皇と日本の近代』大濱徹也
『近代の呪い』渡辺京二

日本の近代史を学ぶ

 太陽暦の採用は、太陰暦の明治5(1872)年12月3日をもって明治6年1月1日となし、日本が西暦の世界、欧米文明の秩序下に入ったことを意味しました。ここに政府は、1月4日に改暦の布告をし、いままでの式日であった五節句(人日・上巳・端午・七夕・重陽)を廃止し、神武天皇即位日・天長節の両日を祝日としました。この祝日宣言は、1868年の革命、明治維新が「神武創業ノ始」に相応する事業と説き、神武天皇の国造りを明治天皇の治政に重ねて表現したものにほかなりません。ついで10月14日の布告による「年中祭日祝日等ノ休暇日」は、神武即位日たる紀元節と天皇誕生日たる天長節を中心に、宮中儀礼を配置してつくられたものです。
 新たなる祝祭日は、古代以来の宮廷儀礼の復活に似せておりますが、国家創立日ともいうべき紀元節や天皇誕生日を中核としていますように、西欧君主国の祝日観をとりこんだものです。それは、天皇を国民結集の器とする国家形成をめざし、祝祭日行事を、天皇への民心帰一の場たらしめようとの意図によって創出されたことによります。

【『日本人と戦争 歴史としての戦争体験 刀水歴史全書47』大濱徹也〈おおはま・てつや〉(刀水書房、2002年)】

 今日は新嘗祭(にいなめさい)である。祝祭日を旧称に戻すこともできないのが嘆かわしい。敗戦だけが理由ではあるまい。旧社会党勢力の根強さは民主党を経て立憲民主党にまで受け継がれている。先の衆院選で敗れたとはいえ、まだ野党第一党である。衆議院は12%、参議院は13%の議席数を占める。戦後、インテリとは左翼を意味する用語であった。現在に至っても医師・ジャーナリスト・マスメディア・大学教授・教員・芸術家・映画監督には左巻きが多い。かつての反権力は、反原発・環境保護・女系天皇容認・夫婦別姓・同性婚・フェミニズムと赤から薄いピンクに様変わりしたが、日本の文化や伝統を破壊する魂胆はこれっぽっちも変わっていない。むしろ表現が柔らかくなった分だけ、破壊の衝動は強まっているように思われる。

 祝祭日を旧称に戻すべきだと主張する者の中に伝統を主張するものがあるが、やや不勉強である。

 天長節や紀元節は、日本の伝統的な生活慣行に根ざさず、文明国として西洋の行事観を採用したものだけに、国家的行事となるのに時間がかかったのです。

 これを憂うるベルツの日記(明治23年〈1890年〉11月3日)があると紹介されている。

 紀元節と天長節が民衆のなかで意識されるのは、明治30年代の後半、とくに日露戦争後のことです。紀元節は、2月11日に日露戦争の開戦が報道されただけに、戦勝にともなう「帝国」の栄光と重ねて記憶され、国民たることを誇る日となりました。かつ天長節は、11月3日であるがため、「天長節運動会」と称され、収穫の祭りと重ねて営まれることで、生活のなかに根づいていくこととなります。
 ここには、天皇をめぐる祝祭日ですらも、民衆の生活暦による裏づけがないと定着しえないことがうかがえます。

 日露戦争が明治37年(1904年)である。日清戦争から10年後のことだった。文部省が明治41年(1908年)9月、東京帝国大学暦に「明治42年暦」より陰暦の月日を記載せずとの告示をした。日本の近代化は明治維新で一気に成ったものではなかった。かつて「クニ」とは藩を意味した。それを藩から日本国へと格上げするために二度の戦争を必要とした。暦(こよみ)の統一に40年以上を要し、国語の普及にも同程度の時間が必要だった。

 つまり明治節(昭和23年〈1948年〉廃止)の国民的伝統は半世紀に満たないのだ。

 旗を出す日としての国家祝祭日を「ハタ日」と称し、伝統的な世界に根ざした行事日を「ハレ日」とよんだ(後略)

 国民の意識は旧社会から脱却することが難しかった。殆どが農民だったから致し方ない側面もある。そんな国が三十数年後に欧米と戦争をするのである。近代化から200年を経た欧州に追いついたのだ。奇蹟といってよい。