尼僧たちは情欲のように静かに通りすぎ、醒めた眼をした酔っぱらいが、グリーク・ホテルのロビーで歌っている。
【『青い眼がほしい』トニ・モリスン:大社淑子〈おおこそ・よしこ〉訳(早川書房、1994年/ハヤカワepi文庫、2001年)】
「情欲のように静かに」で挫ける。多分、女性の感覚なのだろう。男の場合は炎のようにパッと燃え上がる。たったそれだけのことではあるが、翻訳センスが表れている。読むに耐えない。
尼僧たちは情欲のように静かに通りすぎ、醒めた眼をした酔っぱらいが、グリーク・ホテルのロビーで歌っている。
【『青い眼がほしい』トニ・モリスン:大社淑子〈おおこそ・よしこ〉訳(早川書房、1994年/ハヤカワepi文庫、2001年)】
幸乃の呼吸の音だけが耳を打つ時間は、数分にわたり続いた。6年かの拘置所生活ではじめて見せる彼女の抗おうとする姿に、周りを取り囲んだ者たちは息をのんで見守るしかなかった。それは私が望み続けていた光景に近かった。ただ、彼女が立ち向かおうとするものだけが、望んだものと違っていた。
【『イノセント・デイズ』早見和真〈はやみ・かずまさ〉(新潮社、2014年/新潮文庫、2017年)】
はっきり書くが、私は四段になった時、嬉しさはほとんどなかった。一所懸命に勉強を続けていれば、必ず通過できるステップに過ぎないと考えていた。むしろ、佐藤、森内に先に昇段されていた口惜しさで一杯だった。
他人のことだから分らないが、おそらく私以外の奴も同じだったろう。郷田はちょっと苦労したから違うかもしれないが、他の4人(※羽生、森内、佐藤、先崎)にとって、四段というのは登らなければいけない岩場の中のちょっとした難所ぐらいにしか思っていなかった。
かといって名人が目標だったわけではない。7冠王でもない。金でも地位でもない。世俗的なものではなかったのである。
こいつらだけには負けたくない。それが若きころの我々のすべてだった。もっといえば、こいつらにさえ勝てれば日本一になれるという気持もあったかもしれない。
それだけ認めた相手だから、打ち負かすためには自分を磨くしかない。生半可な付け焼き刃ではない、しっかりとした地力をつける必要があった。互いに強烈に意識しあい、そして自らを高めあったことで今の私たちがあるのである。
ひとつそこで問題なのは、まわりから見ると今の我々は仲が良さそうに見えることである。だからこの記者の方のような感覚を持つ人がいるのかもしれない。だが決して我々は親友というわけではないのである。
【『まわり将棋は技術だ 先崎学の浮いたり沈んだり2』先崎学〈せんざき・まなぶ〉(文藝春秋、2003年)以下同】
羽生、森内、佐藤、そして不肖先崎。我々は勝負の世界のトップを争う人間としては仲が良い。すくなくとも互いに嫌悪感はない。
このことを考える時は、まず皆さんが将棋(あるいは他のゲーム)において最高の友人とはどのような人間かということを考えて頂きたい。
答えは単純。気持よく将棋が指せることと、自分が負かした時にいかに気持いいか、あるいはいかに相手が口惜しがってくれるかということだ。
これが最高の棋友の条件である。他は、地位も私生活も関係がない。これだけあればよい。それがゲームを通じた友人のよいところなのだ。
まず我々は、奨励会のころ、あるいはもっと前から、お互いのことを完全に認めあった。前回書いたように、こいつらを負かすことが常に目標であり続け、それを果たせば日本一になれると思って修業して来たのである。
だから、我々の関係というのは、あくまでも棋友である。そして最高の棋友である。将棋の盤上以外で何を考えようが、何をしようが、どうでもよい。そういう付き合いを心がけてきた。仲が良く見えるとしたら、そういう部分に綺麗なこころがあるからだろう。
思春期の、男として一番悶々とする遊びたい盛りに、我々は将棋を勉強し続けた。それもこれも互いに負けたくない一心があったからだ。
競争世界に殉じる。それが我々の青春だった。
もちろん楽しいことばかりではない。せつない気持になる時もあった。だが分ってくれる人は皮肉なことにライバルしかいなかった。よく皆で遊んだ。仲も良かった。旅行も行った。
将棋というのは良い相手がいないと良い棋譜もできないし、充実した時間を過ごせない。そういう理屈を子供のころから持つことができたのは、信じられないくらいにそれぞれにとって幸運なことだったろう。
もう道場に聖の相手はいなかった。帰り支度(じたく)をしていると、玄関のドアが開き、一人の巨漢(きょかん)がふらりと店に入ってきた。聖に負かされたアマ強豪たちの眼が一斉にその男に注がれ、こころなしか皆の表情が明るくなったように思えた。
「彼ならこのむやみに強い中学生をやっつけてくれる」
注がれた視線がそう言っていた。
その巨漢こそは小池重明〈こいけ・しげあき〉その人だった。
真剣師(しんけんし)として全国にその名をとどろきわたらせていた小池は、昭和55年にアマ名人戦にはじめて参加し圧倒的な強さで優勝、そして翌年も優勝をさらい2連覇の偉業を成し遂げていた。またアマプロ戦にも引っ張りだこで、しかもプロを相手に優に勝ち越すという驚異的な強さを誇っていた。その小池がふらりと西日暮里将棋センターに顔を出したのである。
席主から話を聞いた小池はにこやかに聖に近づいてきた、そして「僕、強いんだなあ」と言った。
聖も小池のことは「将棋世界」で知っていた。プロにいちばん近い、いやプロすらも恐れ一目置く存在であることも知っていた。
「一局やろう」とぶっきらぼうに小池が言った。もちろん聖に依存はなかった。
何も言わずにコックリとうなずいてみせた。
二人の対局をギャラリーがぐるりと取り囲んだ。その輪の外から伸一も固唾(かたず)をので見守った。
大きすぎる体を丸めるように一心不乱に将棋盤に向かう小池には何ともいえぬ雰囲気があった。やはり強豪といわれる人間にはオーラのようなものがあるんだなあと、伸一は妙に感心した。
将棋は小池の振り飛車穴熊に聖が果敢に急戦を仕掛けていった。決まったかに見えた聖の攻めをギリギリのところで小池が凌(しの)ぎ、そして小池の反撃を聖がいなしながら王様を逃げ回すという激戦になった。初心者の伸一が見ていても手に汗握る熱局だった。
小池の指先に力がこもっている。聖も気合よく駒を打ちつけ少しもそれに負けていない。
長い長い戦いを制したのは中学生の聖だった。小池が投了した瞬間、取り囲むギャラリーの肩の力がスーッと抜けたように思えた。伸一も知らず知らずのうちにホーッとため息を一つついた。
「僕、強いなあ」と小池は敗戦に何ら悪びれることなく聖を称(たた)えた。先ほどまで鬼のような形相が嘘のように、にこやかになっていた。
「はあ」と聖は少し照れたように笑った。
「がんばれよ」と小池は聖をやさしく励ました。
道場でのオープン戦とはいえ、向かうところ敵なしと恐れられていた小池重明に買ったことが聖にもたらした自信は計りしれないものがあった。
【『聖(さとし)の青春』大崎善生〈おおさき・よしお〉(講談社、2000年/講談社青い鳥文庫、2003年/講談社文庫、2002年/角川文庫、2015年)】
村山には見えない海を見ていた羽生は、羽生には見えない海を見る村山に畏敬(いけい)の念を抱いていた。
センス、感覚、本能。羽生が語る村山将棋の特長は経験や努力では埋(う)められないものばかりである。
「村山さんはいつも全力をつくして、いい将棋を指したと思います。言葉だけじゃなく、ほんとうに命がけで将棋を指しているといつも感じていました」と羽生は言う。
大阪で、偶然に、村山-丸山の順位戦を観る機会に恵まれた。
村山聖は、王将リーグで羽生と戦った頃の村山に、あるいは終盤は村山に訊けといわれた頃の村山に戻れるかというのが、最近の僕の関心事の一つだった。そのためには、まず充分な休養が大事であると考えられた。村山君は、元々体は弱いのだが、最近は特に悪化して、6月の中旬に手術をした。8時間半にも及んだ。生命も危ぶまれたほどの大手術だった。
当然、半年なり1年なり休養して、体力の恢復にあてる。これが常識である。誰しもがそう思った。
だが彼は順位戦を指すといいはった。噂では、入院中の棋譜が手に入らないか、との打診があったときく。身内、医者は正気の沙汰ではないと止めた。この常識以前の正論を彼はきかなかった。
緒戦の中村戦を指すときいたとき、書きにくいことを書いてしまえば、彼は死ぬ気だな、と思った。将棋盤の前で、死んでも悔いはないんだろうなと思った。8時間半の手術をしようという人間が、深夜に及ぶ順位戦を指すのは、生理学上無理があることは本人が一番よく知っているだろう。
村山君は中村さんに快勝した。矢倉のお手本ともいえる攻めが決まった。丸山戦は術後の初戦である。
順位戦は、彼にとって、特別な棋戦である。よく、医者に止められている酒を飲んで酔っぱらったとき「はやく将棋をやめたい」ということがあった。この言葉の上には「名人になって」という冠が隠されている。名人になることだけが彼の望みであり夢なのである。
1年、いや半年でも休めば、名人になるのが1年遅れる。普通の人にとってはたかが1年でも、小学生の頃から正月の度に、来年の正月まで生きられますようにと祈った彼にとっては絶望的な長さだろう。
広い部屋に対局は一局だけだった。控の間には看護婦さんが、万が一のために待機していた。(中略)
最後は33手詰め、村山君にはツキがなかった。終了は1時43分。
感想戦は一言もなし。村山君の顔は見るに忍びなかった。
いいものを見た、と思った。無神論者の僕だが、あの状態で、あれだけの将棋を指す奴を、将棋の神様が見捨てる訳がない。本心からそう思えてならなかった。
【『フフフの歩』先崎学〈せんざき・まなぶ〉(講談社文庫、2001年/日本将棋連盟、1997年『世界は右に回る 将棋指しの優雅な日々』の増補改訂版)】