2022-02-22

トイレに一冊/『会社四季報 業界地図2022年版』


 ・トイレに一冊


 ま、有り体に言ってしまえば、税金と消費の動向が見えてくる。家計であれば家賃・食料・自動車・保険・学費あたりがメインか。介護とコンビニが肩を並べている事実を知って驚いた。

 日経平均は3万円を突破すると売り浴びせを喰らい、次が三度目の正直となる。世界市場を見渡せば最高値の3万9000円を軽々と超えてもいい状況なのだが、なぜか日本の株価は低迷を続けている。緩和マネーは外国に向かったのであろうか?

 私は現物の取引は行っていないが、時折こうした本に目を通しておくとニュースの見方が変わる。北京冬季五輪も終了したので、いよいよ戦争リスクが高まることだろう。ウクライナではCIAの偽旗作戦が行われているようだが、大掛かりな戦闘にはならないような気がする。

 日本人には中国を軽んじる傾向があるが、国際ユダヤ資本が中国を選ぶようなことがあると世界は一変する。ダボス会議が示した「グレート・リセット」との指標を軽んじてはなるまい。ニクソン・ショックから半世紀が経った。そろそろドル崩壊の時期が訪れると考える。

新しい用語と新しいルールには要注意/『ポストトゥルース』リー・マッキンタイア


『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン

 ・新しい用語と新しいルールには要注意

 ポストトゥルースという概念は、真実が翳りつつあることに悩む者たちの後悔の感覚から生まれた。あからさまな賛同者でない者にとっても、この現象は少なくともあるひとつの観点を前提としている。それは、今日の政治の場において事実や真実が危機に瀕しているという考えだ。

【『ポストトゥルース』リー・マッキンタイア:大橋完太郎監訳、居村匠、大崎智史、西橋卓也訳(人文書院、2020年)以下同】

 この手の目新しい用語を作成しているのは左翼と見ていいだろう。胸が悪くなるという点において「ポリティカル・コレクトネス」の向こうを張るレベルである。一応調べてみた。

 ポスト事実の政治(英: post-factual politics)とは、政策の詳細や客観的な事実より個人的信条や感情へのアピールが重視され、世論が形成される政治文化である。(Wikipedia

 事実を軽視する社会。直訳すると「脱・真実」。(コトバンク

 ポストトゥルースは客観的な事実よりも感情や個人的な信条によって表されたものの方が影響力を持ってしまう状況を指します。(データのじかん

 政治が分極化する一方で、インターネットメディアの発達によって、それぞれの支持勢力は自らにとって都合のよい情報ばかりを受け入れるようになり、既存のマスメディアや異なる意見には耳を傾けなくなる市民の分断こそが、ポスト・トゥルースの政治の根本に潜む問題点(NIRA総合研究開発機構

 思弁に傾いた言葉に吐き気を覚える。理窟をこねくり回すのが好きで好きで仕方がないのだろう。ポスト・トゥルース(私は中黒を使用)はトランプ批判の文脈で使用される言葉であることを初めて知った。しかしながら、「フェイクニュース」という用語を広めたのも彼ではなかったか?

「ポストトゥルース(post-truth)」という現象が一躍大衆の注意を引いたのは2016年11月、オックスフォード大学出版局辞典部門がこの単語を2016年の今年の一語にノミネートしたことに始まる。単語の使用が2015年に2000パーセントという急激な上昇を見せたことを考えると、明白な結果に思える。リストに残ったほかの候補には「オルタナ右翼(alt-right)」や「ブレグジット主義者(Brexiteer)」などもあり、この年の政治的な状況がはっきりと示されていた。

「オルタナ右翼」も覚えておくべきキーワードである。左翼の巧妙さが際立っている。「ネトウヨ」よりもはるかに説得力がある。

 私は新聞も購読していないし、テレビも所有していないので世事に疎(うと)い。というよりは世事に興味がない。個人的にはヒラリーやバイデンよりもトランプに好感を抱いていた。当然ではあるがSNSを通じて知る情報はトランプに好意的なものが多い。北朝鮮の日本人拉致に関するトランプの姿勢には惻隠の情を感じたが、それをそのまま鵜呑みにするほど私も若くはない。一つひとつの行為や発言には当然政治的なメッセージが込められていることだろう。

 ポスト・トゥルースはSNSの嘘に振り回される愚かな大衆という図で描かれているが、「信頼を失ったメディア」の問題がすっぽりと抜け落ちている。大衆を操作するメディアの力が失われた焦りが「ポスト・トゥルース」なる言葉を生ましめたのだろう。

 しかも日本の場合、敗戦後は独立国としての振る舞いは許されず、自国を守ることすら禁じられた経緯がある。新聞やテレビがジャーナリズムとして機能したことはほぼなかった。記者クラブ制度は新聞社が官庁の出先機関となったことを雄弁に物語っている。新聞は社会の木鐸(ぼくたく)ではない。単なる売り物だ。売上の半分を広告収入が占める。

 大衆はメディアの嘘を見破った。そして今度はSNSの嘘に騙されるかもしれないが、それはそれで構わない。騙される相手が変わっただけのことだ。エスタブリッシュメントが恐れているのは暴動だ。

 メディアが凋落すると同時に、ビッグテックがそれに代わった。Googleは突然、検閲を強化し中国共産党のように振る舞いはじめた。FacebookやTwitterがトランプ大統領を追いやったことが契機となった。大統領選挙に対する完全な政治的干渉であった。

 ポスト・トゥルースを得々と語るような手合いを信じてはならぬ。脱炭素化やSDGsも同様だ。ルールメーカーはいつだって白人なのだ。

2022-02-17

大川隆法の腕時計やスーツは特注品で一度しか使わない/『幸福の科学との訣別 私の父は大川隆法だった』宏洋


 ・大川隆法の腕時計やスーツは特注品で一度しか使わない

『カルト村で生まれました。』高田かや
『洗脳の楽園 ヤマギシ会という悲劇』米本和広
『カルトの子 心を盗まれた家族』米本和広
『カルト脱出記 エホバの証人元信者が語る25年間の記録』佐藤典雅
『杉田』杉田かおる
『小説 聖教新聞 内部告発実録ノベル』グループS
『マインド・コントロール』岡田尊司
『服従の心理』スタンレー・ミルグラム

 もうひとつ私が伝えたいのは、幸福の科学を熱心に進行されている信者さんに、「そんなことにお金や時間を費やしても、いいことは何もありませんよ」というメッセージです。
 信者の方々は、教団にお布施をします。お金持ちならポンと何百万円も出せるかもしれませんが、普通の方にとってはなけなしのお金であるはずです。そういう貴重な5000円や1万円が、希望されているような神聖な使われ方をしていないことを知ってほしい。
 皆さんが身を削るような思いでお布施をしたお金は、隆法が「世界に一つしかないんだ」と自慢するウン百万円やウン千万円の腕時計のほか、女性幹部の高い給料やアクセサリーに化けています。
 隆法の腕時計は、基本的に特注です。しかも、基本的に1回しか着けません。特に東京ドームなどの大きなイベントの際につけるものは、1回しか使いません。宝石がキンキラキンにちりばめられているお袈裟(けさ)もウン百万円しますが、やはり基本的に1回しか使いません。
 普段着るスーツも全て特注です。大手デパートの外商がやって来て、注文します。隆法にはファッションセンスがないので、女性秘書の方が選びますが、似合っているかどうかは疑問です。そうやってあつらえたスーツも、やはりほぼ1回しか着ません。
 大川隆法は至高神「エル・カンターレ」なので、神が身に着けた服や時計は、すべて宝物(ほうもつ)という扱いです。

【『幸福の科学との訣別 私の父は大川隆法だった』宏洋〈ひろし〉(文藝春秋、2020年)】

 ロングインタビューをもとに構成した独白記。平凡というよりは凡庸な印象あり。表紙の顔写真は死んだ魚のような目で、「ひろし」という名前もボヤキ漫談を連想してしまう。

 教団側はかなり慌てたようで、「宏洋〈ひろし〉問題」に関する書籍を7冊も発行している。よほど都合が悪いのだろう。至高神も醜聞には弱いようだ。叛逆者を鞭打つのは創価学会にも共通する。両教団は宗教団体というよりも、ミニ独裁主義国家の様相を呈している。

 何を信じるかは人の自由である。お金だって好きなだけ出せばいいだろう。他人がどうこう口を挟む話ではない。否、信者諸兄は更なる信仰心を燃やして、自らがたとえ飢えようとも教団に喜捨すべきである。そう焚き付けておこう。

不適切な文章や語彙/『玩具修理者』小林泰三


 わたしは、わたしたちの声が聞こえない距離までウエートレスが離れるのをまってから、話を再開した。

【『玩具修理者』小林泰三〈こばやし・やすみ〉(角川書店、1996年/角川ホラー文庫、1999年)】

 広く知られた作品だが、最初のページでつまづいた。デビュー作とはいえ、これはないだろう。「わたしたちの声が聞こえない距離までウエートレスが離れるのをまってから、わたしは話を再開した」とするべきだ。あるいは「わたしたちの声が聞こえない距離まで」は不要だ。

 不適切な文章や語彙は思考の線を乱す。このテキストを私は三度読み返した。実際の会話で三度聞き直すとしたらどうだろうか? 私なら「お前の話は通訳しないと理解できない」と直言する。受け手の理解を想像するところにコミュニケーションは生まれる。

 三度も読み返すテキストに付き合うほどの時間的な余裕が私にはない。