2022-03-05

エルンスト・フリードリッヒ著『戦争に反対する戦争』が在庫限りのプライスダウン販売


戦争で異形にされた人々/『戦争に反対する戦争』エルンスト・フリードリッヒ編

出版社からのコメント

 1988年に復刻出版したがその後絶版。倉庫から若干数出てきた分をプライスダウンして、在庫限りの販売です。経年劣化により、黄ばみなどあります。ご了承下さい。原本はドイツ語・フランス語・英語・オランダ語。

 こんなことがあるのね。四六版より一回り大きいA5判の写真集で1100円は破格である。

管仲と鮑叔/『管仲』宮城谷昌光


『天空の舟 小説・伊尹伝』宮城谷昌光
・『太公望』宮城谷昌光

 ・管仲と鮑叔
 ・およそ国を治むるの道は、かならずまず民を富ます

『重耳』宮城谷昌光
『介子推』宮城谷昌光
・『沙中の回廊』宮城谷昌光
『晏子』宮城谷昌光
・『子産』宮城谷昌光
『湖底の城 呉越春秋』宮城谷昌光
『孟嘗君』宮城谷昌光
『楽毅』宮城谷昌光
『青雲はるかに』宮城谷昌光
『奇貨居くべし』宮城谷昌光
『香乱記』宮城谷昌光
・『草原の風』宮城谷昌光
・『三国志』宮城谷昌光
・『劉邦』宮城谷昌光

 鮑(ほう)は氏であり、姓は姒(じ)である。姒という姓は、夏(か)王朝の禹(う)王からはじまる。禹王の子孫はみな姒姓をもち、住みついた地の名によって氏が生じた。鮑敬叔(ほうけいしゅく) は封邑(ほうゆう)をもつ中級貴族であるが、当然のことながら、その血胤はの公室にかかわりがない。とはいえ、斉は太公望(たいこうぼう)という軍事の天才によって建国されたときから多民族国家であった。周の文王武(ぶ)王成(せい)王を輔成した太公望の姓は(姜〈きょう〉)であるが、かれは羌族ばかりを優遇し重用したわけではなく、要職に異姓の才俊(さいしゅん)をすえた。すなわち太公望は血筋より能力を重視したのである。その点、斉という国の体質は他国とはまるでちがった。周王室の思想のなかには血を尊ぶというものがあり、それが当時では、新思想であった。ちかう、という字をおもえばよい。周以前では、誓う、つまり言(ことば)でちかうのであり、周以後は、生(い)け贄(にえ)の血をすすりあってちかうので、盟という字を用いる。盟の下部の字は皿ではなく血がほんとうである。むろん斉の君主が周王に従っているかぎり、そういう思想のなかで違和を生じないようにこころがけたにはちがいないが、斉公室の始祖である太公望がもっていた民族平等の思想がまったく消滅したわけではなかった。それゆえ、異姓人あるいは異邦人が、住みやすさをおぼえるのは、天下広しといえども、斉だけであるといってよい。

【『管仲』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(角川書店、2003年/文春文庫、2006年)】

管鮑の交わり」という故事成語がある。深い友情を意味する言葉で管仲と鮑叔は実在した人物だ。「仲(ちゅう)曰(いわ)く、我を生む者は父母、我を知る者は鮑子(ほうし)なり」(Web漢文大系)と称(たた)えた言葉が数千年を経て現代の日本にまで届いている。

 太公望(紀元前1000年頃)と管仲は350年ほど時代を経ているが、まだ情報が発達していない時代なので隔世の感はやや薄いと考えていいと思う。この時代で名を残した日本人はいない。卑弥呼が西暦200年代の人物であることを思えばシナ文明の古さを理解できよう。

 鮑敬叔(ほうけいしゅく)は鮑叔(ほうしゅく)の父親である。まだ社会が安定していない時代である。人の性分はまだ動物に近かったことだろう。盗む、殺すといった行為も平然と行われたに違いない。仏教の五戒モーセの十戒が示したのは動物性からの脱却であろう。人道は社会の力を高める。それは「群れの優位性」だ。

 血縁は動物の論理である。「民、信無くば立たず」(『論語』)が社会の生命線であり、血縁を重んじれば他の縁が弱くなる。日本においては皇統以外の血縁は不要であると私は考える。

 明治維新においても薩長閥の形成を許さなければ、昭和も大いに異なる表情を見せたことだろう。日本の社会は基本的に利権の構造があり、あらゆるところでムラ社会が形成される。日本特有のセクト主義と言ってよい。大東亜戦争でも陸軍と海軍が団結することはなかった。悪しき排他性を払拭できないところに自民党長期政権の理由がある。

 

2022-03-04

ワシントン・コンセンサスが世界中を破壊/『超帝国主義国家アメリカの内幕』マイケル・ハドソン


『円高円安でわかる世界のお金の大原則』岩本沙弓
『ボーダレス・ワールド』大前研一
IMF(国際通貨基金)を戯画化するとこうなる

 ・ワシントン・コンセンサスが世界中を破壊
 ・ブレトン・ウッズ体制の崩壊~米国債本位性=ドル債務本位制

世界銀行は米軍の一部門
『ロスチャイルド、通貨強奪の歴史とそのシナリオ 影の支配者たちがアジアを狙う』宋鴻兵
『通貨戦争 影の支配者たちは世界統一通貨をめざす』宋鴻兵
『ペトロダラー戦争 イラク戦争の秘密、そしてドルとエネルギーの未来』ウィリアム・R・クラーク
『ドル消滅 国際通貨制度の崩壊は始まっている!』ジェームズ・リカーズ

必読書リスト その二

 2001年の9月11日は、どうしてアメリカが――そして特にアメリカ政府が――これほど広範に憎まれているのかという問題をアメリカ人を含む世界中の人々につきつけた。アメリカの評論家ですらもが、テロリストの攻撃は、かなりの程度アメリカ自身の外国での行動の結果であったと述べているが、それは、軍事面ばかりか、大多数の国々に対する財政的な圧力を通じての行動を指している。この意味で、9月11日は、アメリカの金融がIMFと世界銀行を支配し、それらの機関を経済的破壊の道具としていたことの間接的な結果と言えるかもしれない。
 パキスタン政府がわずかな収入を外国の債権者への支払いにあてざるをえなくなったのは、結局のところ何年か前のIMFとの“付帯条件”(コンディショナリティ)のせいだった。外貨調達にあたり、IMFのアドバイザーたちが繰り返したのは、過去50年間ワシントン・コンセンサス〔アメリカ政府、IMF、世界銀行などによって唱導された経済的綱領で、民営化、規制緩和、自由化を強調し市場至上主義的傾向が強い〕の核心となってきたフレーズだ。パキスタン政府は、外国の債権者に支払うためさらに多くの収入を“とりのける”べく、緊縮財政を実施するよう指図を受けたのである。
 特に腹立たしく思えるのは、アメリカ国際開発局(AID)が債権者となっていることだ。現在“対外援助”と称されているものは、主として、ドルで支払わねばならない貸付の形を取っている。そこでパキスタンは、国内収入を国民の教育に振り向けることをやめてまでも、外国の債権者に支払わざるをえない。公教育システムとそれにかかわる文化活動を奪い去るのは、子供たちに読み書きを教える役割を宗教教育施設に任せることにほかならない。そういう施設こそが、“学生”を意味するタリバンなのである。ワシントンが押しつけたそういう緊縮財政に対する返答が激しい憤りであり、それが最も顕著な形で爆発した場所が、あのニューヨークの世界貿易センタービルとワシントンのペンタゴンだった。(日本語版への序文)

【『超帝国主義国家アメリカの内幕』マイケル・ハドソン:広津倫子〈ひろづ・ともこ〉訳(徳間書店、2002年)】

 冒頭より。こうした正確な情報がニュースとして報じられない。アメリカは人工国家である。たかだか2世紀半程度の歴史しかないし、サブカルチャー以外の文化も乏しい。人種の坩堝(るつぼ)と化しているため民族性も無色透明だ。西部開拓を原動力にして、インディアンを殺戮し、黒人奴隷の労働力を駆使しながら、日本にマシュー・ペリーを送り込み(1853年)、1945年にはダグラス・マッカーサーが占領の指揮を執った。ペリーが司令を受けたのが1852年で、GHQの占領終了が1952年でちょうど100年である。林房雄はこれを「百年戦争」と名づけた(『大東亜戦争肯定論』)。その後、ゴー・ウエストは中国を目指したが奏功することはなかった。

 軍事力と借金の押しつけがアメリカの流儀であれば、世界を動かす力は獣の時代からそれほど進化していないと考えるのが妥当だろう。日本人が考える「平和」は甘すぎる。我々は島国で安閑と過ごしているうちに世界の現実を見失ってしまったのだろう。

 ウクライナが戦火に包まれている。在日ウクライナ大使館が義勇兵を募るツイートをしたところ、直ちに70人の日本人が名乗り出たという。敗戦後、帰国することなくアジア諸国独立のために戦った日本兵を思い出させる義挙である。願わくは金門島決戦を指揮した根本博中将のような人物が現われんことを。

 アメリカは自らの悪逆非道によって滅ぶことだろう。株式市場に流れ込んだ緩和マネーがそろそろ逆流してもおかしくない頃合いだ。個人的には間もなく大暴落が訪れると睨んでいるが、ドル崩壊でグレート・リセットへ誘導するのは確実だと思われる。

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