・『天空の舟 小説・伊尹伝』宮城谷昌光
・『太公望』宮城谷昌光
・管仲と鮑叔
・およそ国を治むるの道は、かならずまず民を富ます
・『重耳』宮城谷昌光
・『介子推』宮城谷昌光
・『沙中の回廊』宮城谷昌光
・『晏子』宮城谷昌光
・『子産』宮城谷昌光
・『湖底の城 呉越春秋』宮城谷昌光
・『孟嘗君』宮城谷昌光
・『楽毅』宮城谷昌光
・『青雲はるかに』宮城谷昌光
・『奇貨居くべし』宮城谷昌光
・『香乱記』宮城谷昌光
・『草原の風』宮城谷昌光
・『三国志』宮城谷昌光
・『劉邦』宮城谷昌光
いままでひそかに自分の才徳を誇ってきたが、そのようなものは運命の力でたやすく拉殺(ろうさつ)されてしまう。
【『管仲』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(角川書店、2003年/文春文庫、2006年)以下同】
なぜなら正しさよりも狡猾さが進化的に有利なためだ。世の成功者には胡散臭さが漂っている。犯罪スレスレの行為に手を染める者も少なくない。法に触れなければ何をやっても構わないと考える連中もいる。大才ですら運に恵まれない場合がある。ましてや小才(こさい)であれば何をか言わんやだ。
兵卒は策戦に関与していない。
それゆえかれらは、何のためにどこへゆくのか、戦場に到着するまでわからない。
民主政の問題もこれに尽きる。国家の行く末を案じて激論を戦わせた明治維新がむしろ不思議である。昭和20年(1945年)以降、日本国民が覚えた危機感は経済問題に限られており、かくも国防に無頓着な国家は世界に見当たらない。平和は国を蝕む。
伝統のほんとうのよさは、完璧な伝承にあるわけではなく、人に新旧を教え、創意を生じさせるところにある。
これを温故知新(『論語』/故〈ふる〉きを温〈たず〉ねて新しきを知る)という。戦後教育で刷り込まれた自虐史観を払拭するためにも日本の国史を学ぶべきである。就中(なかんずく)、近代史を知れば日本が起こした戦争によってアジア諸国を始めとする世界中の植民地が独立し得た歴史を理解できる。
管仲の政治思想の主題は、
――およそ国を治むるの道は、かならずまず民を富ます。
というものであり、すなわち富国(ふこく)が先で、強兵(きょうへい)は後である。民が富めば政治がたやすくなり、民が貧しければ政治はむずかしい。行政と軍事の良否は、民の貧富の上にある。下を固めなければ、上は建たない。
経済は経世済民の謂(いい)である。失われた20年は「民を済(すく)う」どころか「民を失う」期間であった。失業率と自殺者数には相関関係がある。アベノミクスは失業率を下げたが、左翼による「反安倍」「アベ死ね」の絶叫がやむことはなかった。来る日中戦争を思えば暗澹(あんたん)たる思いに駆られる。多くの国民が預貯金を取り崩す生活を余儀なくされる状態で、どのように軍備を強化するというのか?
心ある政治家が管仲に学べば、それが立派な温故知新である。「倉廩(そうりん)実(み)ちて則(すなわ)ち礼節を知り、衣食足りて則ち栄辱(えいじょく)を知る」――管仲の言葉が色褪せることはない。否、時代を経るごとに輝きを増してゆくだろう。
管仲は春秋時代の前期に出現した巨大な頭脳といってよい。この頭脳は、知らぬことがないといってよいほど、諸事に精通し、しかも独創性をもっていた。桓公の輔相(ほしょう)となった管仲は貧弱な国力の斉をつくりかえた。たとえば、土地の良否によって課税の増減をおこなう農地改革をすすめ、士農工商を分居(ぶんきょ)させるなど、司法と行政の整備を徹底的におこない、庶民の暮らしにかかわる物価を安定させるなどの経済政策を実行し、さらに軍制をあらため、のちに管氏の兵法(へいほう)とよばれる戦いかたさえ創定(そうてい)した。孫武(そんぶ)は斉に生まれたということもあって、かれの兵法の源泉(げんせん)は、管氏の兵法にあるのかもしれない。
【『湖底の城 七巻』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(講談社、2016年/講談社文庫、2018年)】
時代を経て人と人とがつながるところに歴史の妙味がある。それを断絶したのが文化大革命であった。我が国の歴史もGHQの占領によって一旦は途絶えた。歴史を学ぶとは、数百年の単位に身を置き、自らの死後をも見渡す営みである。