2022-03-10
策と術は時を短縮/『湖底の城 呉越春秋』宮城谷昌光
・『天空の舟 小説・伊尹伝』宮城谷昌光
・『太公望』宮城谷昌光
・『管仲』宮城谷昌光
・『重耳』宮城谷昌光
・『介子推』宮城谷昌光
・『沙中の回廊』宮城谷昌光
・『晏子』宮城谷昌光
・『子産』宮城谷昌光
・術と法の違い
・策と術は時を短縮
・人生の転機は明日にもある
・天下を問う
・傑人
・明るい言葉
・孫子の兵法
・孫子の兵法 その二
・人の言葉はいかなる財宝にもまさる
・『孟嘗君』宮城谷昌光
・『楽毅』宮城谷昌光
・『青雲はるかに』宮城谷昌光
・『奇貨居くべし』宮城谷昌光
・『香乱記』宮城谷昌光
・『草原の風』宮城谷昌光
・『三国志』宮城谷昌光
・『劉邦』宮城谷昌光
「策も術も、時を短縮して成否をあきらかにするために用います。失敗した場合、相手に加えるはずの力が害となっておのれに返ってきます。王を殺しそこなったら、あなたさまは、ただちに自刃(じじん)なさいませ」(四巻)
【『湖底の城 呉越春秋』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(講談社、2010年/講談社文庫、2013年)以下同】
文明はエネルギーを使って時間の速度を早める。
・エネルギーを使えばつかうほど時間が早く進む/『「長生き」が地球を滅ぼす 現代人の時間とエネルギー』本川達雄
策や術の場合は徒手空拳である。環境に優しい(笑)。獲物をとる時間を短縮するのが狩猟技術で、採集の時間を短縮するのが農耕である。そう考えるとヒトの脳は時間を圧縮する方向に進んでいることがわかる。
「術は当事者のみが用いるものですが、法はその時、その場にいなくても活用することができる、というのが孫武先生の思想です」(第五巻)
法は科学の実験のようなものだ。同じ条件であれば誰が行っても同じ結果が出る。孫武は軍事においてそれを可能にした。兵器の技術が進歩した現在ではどうなのだろう? 『孫子』を読んで開眼する軍人がいるかどうかを知りたいところだ。
2022-03-08
術と法の違い/『湖底の城 呉越春秋』宮城谷昌光
・『天空の舟 小説・伊尹伝』宮城谷昌光
・『太公望』宮城谷昌光
・『管仲』宮城谷昌光
・『重耳』宮城谷昌光
・『介子推』宮城谷昌光
・『沙中の回廊』宮城谷昌光
・『晏子』宮城谷昌光
・『子産』宮城谷昌光
・術と法の違い
・策と術は時を短縮
・人生の転機は明日にもある
・天下を問う
・傑人
・明るい言葉
・孫子の兵法
・孫子の兵法 その二
・人の言葉はいかなる財宝にもまさる
・『孟嘗君』宮城谷昌光
・『楽毅』宮城谷昌光
・『青雲はるかに』宮城谷昌光
・『奇貨居くべし』宮城谷昌光
・『香乱記』宮城谷昌光
・『草原の風』宮城谷昌光
・『三国志』宮城谷昌光
・『劉邦』宮城谷昌光
「病気をなおす医者がもちいるのは、術です。また、いまの戦いで、兵を動かす将軍がもちいるのも術です。医術と兵術は、特別な人がもちるもので、法とはちがいます。術はそのときそこにいる人にかかわりをもちますが、法はそういう限定の外にあります。ゆえに術を知らぬわれは死にかけましたが、楚王と楚の国民を、法によって活(い)かすことも殺すこともできるのです」
【『湖底の城 呉越春秋』(全9冊)宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(講談社、2010年/講談社文庫、2013年)】
孫武〈そんぶ〉の言葉である。「あれ?」と思った目敏(ざと)いファンも多いことだろう。『孟嘗君』に登場するのは孫臏〈そんぴん〉で孫武の末裔である。1972年に「孫臏兵法」が発見され、『孫子』の著者は孫武が有力視された。
・兵とは詭道なり/『新訂 孫子』金谷治訳注
若き伍子胥〈ごししょ〉があまりにも賢(さか)しらで共感が湧きにくい。第七巻からは越国(えつこく)の范蠡〈はんれい〉が主役となる。ところが伍子胥とキャラクターが被っていて、段々見分けがつかなくなってくる。あまり好きになれない作品だが、再読に堪(た)える内容であることに間違いない。特に孫武が生き生きと躍動しており、『孫子』を学ぶ者にとっては必読書といえる。
孫武はそれまでの兵術を兵法にまで高めた天才である。枢軸時代を彩る主要人物の一人だ。
「西暦1700年か、あるいはさらに遅くまで、イギリスにはクラフト(技能)という言葉がなく、ミステリー(秘伝)なる言葉を使っていた」(『プロフェッショナルの条件 いかに成果をあげ、成長するか』P・F・ドラッカー)。
「学、論、法、と来て、さらにいっそう頭より手の方の比重が大きくなると、何になるか、というと、これが術、なんです。術、というのは、アートです」(『言語表現法講義』加藤典洋」)。
・技と術/『プロフェッショナルの条件 いかに成果をあげ、成長するか』P・F・ドラッカー、『言語表現法講義』加藤典洋
もともと技は秘伝であったのだろう。孫武の兵法は術(手)から法(頭)の転換であり、兵士一人ひとりの技よりも大軍としての動きに注目した。それまでは雨滴のような波状攻撃が主流であったが、孫武は激流を生み出し、波浪を出現せしめた。軍にスピードを導入したのも孫武であった。戦局を卜(ぼく)で占いながら進む緩慢さを排したのだ。将軍が頭となり兵士が手足の如く動くことで、軍組織は生命体のように振る舞った。
法の訓読みは「のり」である。「則・矩・式・典・憲・範・制・程・度」も「のり」と読む(コトバンク)。語源は「宣(の)り」で、やがて「のっとる」意が加味されて、「乗り」に掛けられた。言葉には呪力(※呪には祝の義もある。祝の字は後に生まれた)があると信じられていた時代である。王の言葉はそのまま法と化した。
現代で兵法が最も生かされているのはスポーツの世界だろう。プロであっても監督次第で成績がガラリと変わる。一方、本来であれば最も兵法が発揮されなければいけない政治はといえば、官僚主導で省益の奪い合いをやっている始末で、世界からスパイ天国と嘲笑されても目を覚ますことがない。既に戦争を経験した政治家は存在しない。東大法学部出身の優秀な頭脳が乾坤一擲(けんこんいってき)の場面で判断を誤ることは大いにあり得る。
2022-03-07
2022-03-06
およそ国を治むるの道は、かならずまず民を富ます/『管仲』宮城谷昌光
・『天空の舟 小説・伊尹伝』宮城谷昌光
・『太公望』宮城谷昌光
・管仲と鮑叔
・およそ国を治むるの道は、かならずまず民を富ます
・『重耳』宮城谷昌光
・『介子推』宮城谷昌光
・『沙中の回廊』宮城谷昌光
・『晏子』宮城谷昌光
・『子産』宮城谷昌光
・『湖底の城 呉越春秋』宮城谷昌光
・『孟嘗君』宮城谷昌光
・『楽毅』宮城谷昌光
・『青雲はるかに』宮城谷昌光
・『奇貨居くべし』宮城谷昌光
・『香乱記』宮城谷昌光
・『草原の風』宮城谷昌光
・『三国志』宮城谷昌光
・『劉邦』宮城谷昌光
いままでひそかに自分の才徳を誇ってきたが、そのようなものは運命の力でたやすく拉殺(ろうさつ)されてしまう。
【『管仲』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(角川書店、2003年/文春文庫、2006年)以下同】
なぜなら正しさよりも狡猾さが進化的に有利なためだ。世の成功者には胡散臭さが漂っている。犯罪スレスレの行為に手を染める者も少なくない。法に触れなければ何をやっても構わないと考える連中もいる。大才ですら運に恵まれない場合がある。ましてや小才(こさい)であれば何をか言わんやだ。
兵卒は策戦に関与していない。
それゆえかれらは、何のためにどこへゆくのか、戦場に到着するまでわからない。
民主政の問題もこれに尽きる。国家の行く末を案じて激論を戦わせた明治維新がむしろ不思議である。昭和20年(1945年)以降、日本国民が覚えた危機感は経済問題に限られており、かくも国防に無頓着な国家は世界に見当たらない。平和は国を蝕む。
伝統のほんとうのよさは、完璧な伝承にあるわけではなく、人に新旧を教え、創意を生じさせるところにある。
これを温故知新(『論語』/故〈ふる〉きを温〈たず〉ねて新しきを知る)という。戦後教育で刷り込まれた自虐史観を払拭するためにも日本の国史を学ぶべきである。就中(なかんずく)、近代史を知れば日本が起こした戦争によってアジア諸国を始めとする世界中の植民地が独立し得た歴史を理解できる。
管仲の政治思想の主題は、
――およそ国を治むるの道は、かならずまず民を富ます。
というものであり、すなわち富国(ふこく)が先で、強兵(きょうへい)は後である。民が富めば政治がたやすくなり、民が貧しければ政治はむずかしい。行政と軍事の良否は、民の貧富の上にある。下を固めなければ、上は建たない。
経済は経世済民の謂(いい)である。失われた20年は「民を済(すく)う」どころか「民を失う」期間であった。失業率と自殺者数には相関関係がある。アベノミクスは失業率を下げたが、左翼による「反安倍」「アベ死ね」の絶叫がやむことはなかった。来る日中戦争を思えば暗澹(あんたん)たる思いに駆られる。多くの国民が預貯金を取り崩す生活を余儀なくされる状態で、どのように軍備を強化するというのか?
心ある政治家が管仲に学べば、それが立派な温故知新である。「倉廩(そうりん)実(み)ちて則(すなわ)ち礼節を知り、衣食足りて則ち栄辱(えいじょく)を知る」――管仲の言葉が色褪せることはない。否、時代を経るごとに輝きを増してゆくだろう。
管仲は春秋時代の前期に出現した巨大な頭脳といってよい。この頭脳は、知らぬことがないといってよいほど、諸事に精通し、しかも独創性をもっていた。桓公の輔相(ほしょう)となった管仲は貧弱な国力の斉をつくりかえた。たとえば、土地の良否によって課税の増減をおこなう農地改革をすすめ、士農工商を分居(ぶんきょ)させるなど、司法と行政の整備を徹底的におこない、庶民の暮らしにかかわる物価を安定させるなどの経済政策を実行し、さらに軍制をあらため、のちに管氏の兵法(へいほう)とよばれる戦いかたさえ創定(そうてい)した。孫武(そんぶ)は斉に生まれたということもあって、かれの兵法の源泉(げんせん)は、管氏の兵法にあるのかもしれない。
【『湖底の城 七巻』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(講談社、2016年/講談社文庫、2018年)】
時代を経て人と人とがつながるところに歴史の妙味がある。それを断絶したのが文化大革命であった。我が国の歴史もGHQの占領によって一旦は途絶えた。歴史を学ぶとは、数百年の単位に身を置き、自らの死後をも見渡す営みである。
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