・『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ
・『アドラー心理学入門 よりよい人間関係のために』岸見一郎
・『手にとるようにNLPがわかる本』加藤聖龍
・技と術
西暦1700年か、あるいはさらに遅くまで、イギリスにはクラフト(技能)という言葉がなく、ミステリー(秘伝)なる言葉を使っていた。技能をもつ者はその秘密の保持を義務づけられ、技能は徒弟にならなければ手に入らなかった。手本によって示されるだけだった。
【『プロフェッショナルの条件 いかに成果をあげ、成長するか』P・F・ドラッカー:上田惇生〈うえだ・あつお〉編訳(ダイヤモンド社、2000年)】
既に何度も紹介してきたテキストである。個人的には「ミステリー=密教」と読めた。科学は顕教(けんぎょう)である。顕教であるがゆえに訂正され、多くの人々に受け継がれ、そして発展してゆく。一子相伝の秘技は途絶える可能性が高い。
学、論、法、と来て、さらにいっそう頭より手の方の比重が大きくなると、何になるか、というと、これが術、なんです。術、というのは、アートです。芸術もアート、でも芸術は昔はファイン・アートとファインがついて、美術でした。アートは、技術。フランス語でアルチザンといえば、職人さん。これは、手の比重の方が頭より大きい。そのことで少し頭を楽にしてあげる領域です。
【『言語表現法講義』加藤典洋〈かとう・のりひろ〉(岩波書店、1996年)】
忘れ得ぬテキストである。ちょうどクリシュナムルティを読んでいた影響もあった。クリシュナムルティが使う術という言葉には確かにアートの意味が込められていた。
仏教の経論釈や広略要とも似通っている。たぶん密教が目指したのは術であったのだろうが、術が目的化したところに形骸化した葬式仏教の原因があったように思われる。マンダラ・マントラ・手印などは瞑想から離れる行為だ。悟りよりも修行を重んじるのは本末転倒だろう。
現代社会において技と術はスポーツや芸術の専売特許になってしまった感がある。生活や人生における技と術の意味を考える必要があろう。
・術と法の違い/『湖底の城 呉越春秋』宮城谷昌光
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