・『ものぐさ精神分析』岸田秀
・『続 ものぐさ精神分析』岸田秀
・唯脳論宣言
・脳と心
・睡眠は「休み」ではない
・構造(身体)と機能(心)は「脳において」分離する
・知覚系の原理は「濾過」
・『カミとヒトの解剖学』養老孟司
心身論を考えるときに、もっと身近で、かつ重要な例がある。それは死体である。なにはともあれ、解剖学者としては、死体はもっとも身近だと言わざるを得ない。死体があるからこそ、ヒトは素朴に、身体と魂の分離を信じたのであろう。これを生物学の文脈で言えば、構造と機能の分離ということになる。死体では、肝、腎、脳といった構造は残存しているが、もはや機能はない。
このことから、説得力が強く、かつ非常に長期にわたって存在する、大きな誤解が生じた。それは、構造と機能の分離が「対象において存在する」という信念である。すでに述べたように、私の意見では、構造と機能は、われわれの「脳において」分離する。「対象において」その分離が存在するのではない。
【『唯脳論』養老孟司〈ようろう・たけし〉(青土社、1989年/ちくま学芸文庫、1998年)】
やはりこの人は左翼っぽい。出版されている対談の相手を見ると、ほぼ左翼である。また「たかが教育」と言いながら戦後教育を肯定する節も窺える。私が読んできた限りでは皇室への敬意を感じる文章も皆無だ。シンパよりも隠れ左翼に近い印象を受ける。「唯脳論」とのタイトルも「唯物論」へのオマージュなのかもしれない。
即物的な文章が、どこかニヒルやハードボイルドを思わせるが、結局唯物的なのだろう。昭和12年(1937年)生まれだから少国民世代(『ゴーマニズム宣言SPECIAL 天皇論』小林よしのり)よりは後の生まれだが、子供にとって敗戦の記憶は複雑な憎悪として働くのだろう。個人的には昭和一桁~団塊の世代(昭和21~23年生まれ)が戦後日本の命運を左右したと考えている。戦前生まれは学生運動をどのように眺めていたのかが気になるところだ。
もう少し深読みをすれば、戦後エリートがマルクス主義に傾斜したのは、戦前エリートの特攻隊と同じ轍を踏まないための知的武装であった可能性もある。仮にそうであったとしても、自らの命と引き換えに米軍の本土上陸を阻止した先人への敬意を失えば、人の道から外れることは当然だろう。
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