2022-01-24

親子のふれあい/『身体が「ノー」と言うとき 抑圧された感情の代価』ガボール・マテ


『悲鳴をあげる身体』鷲田清一
『ことばが劈(ひら)かれるとき』竹内敏晴

 ・幼少期の歪んだ価値観が肉体を破壊するほどのストレスと化す
 ・ストレスにさらされて“闘争”も“逃走”もできなくなった人々
 ・ストレス依存
 ・急性ストレスと慢性ストレス
 ・親子のふれあい

『生きぬく力 逆境と試練を乗り越えた勝利者たち』ジュリアス・シーガル
『身体はトラウマを記録する 脳・心・体のつながりと回復のための手法』べッセル・ヴァン・デア・コーク
『クレイジー・ライク・アメリカ 心の病はいかに輸出されたか』イーサン・ウォッターズ
『心と体を強くする! メガビタミン健康法』藤川徳美
『最強の栄養療法「オーソモレキュラー」入門』溝口徹
『食事で治す心の病 心・脳・栄養――新しい医学の潮流』大沢博
『オーソモレキュラー医学入門』エイブラハム・ホッファー、アンドリュー・W・ソウル
『ストレス、パニックを消す!最強の呼吸法 システマ・ブリージング』北川貴英
『「疲れない身体」をいっきに手に入れる本 目・耳・口・鼻の使い方を変えるだけで身体の芯から楽になる!』藤本靖
『あなたはプラシーボ 思考を物質に変える』ジョー・ディスペンザ
『瞬間ヒーリングの秘密 QE:純粋な気づきがもたらす驚異の癒し』フランク・キンズロー

虐待と知的障害&発達障害に関する書籍
必読書リスト その二

 2歳から13歳の喘息の子供たちと、健康な子供たちから成る対象群の呼吸パターンを調べた実験がある。子供たちはそれぞれ、自分の母親の声と他人の声を録音したものを聞かされた。「声の調子には関係なく、喘息の子供たちは他人の声よりも母親の声を聞いたときのほうが異常な呼吸パターンを多く示した。この興味深い結果から、子供が母親を安心できる存在と見ていれば当然予想されるはずの効果とは正反対の、ある種の感情的な効果が呼吸に作用したものと考えられる」
 ドイツの研究によると、喘息の子供は健康な対象群の子供より、長期的でしだいにエスカレートするネガティブな相互関係を父親とも母親とも築いているらしい。そのような子供たちの両親は他の子供たちの両親と比べ、子供に対してより批判的な行動を示すという。客観的に測定してみると、喘息の子供は、欲求不満を感じたり批判されたと感じたりすると肺からの空気の流れが悪くなった。これは気道が狭まったということである。このような現象は、喘息の子供に激しい怒りや恐怖を感じた出来事を思いださせたときにも見られた。

【『身体が「ノー」と言うとき 抑圧された感情の代価』ガボール・マテ:伊藤はるみ訳(日本教文社、2005年)以下同】

 本書のアクセス数が増えているので、どんどん紹介しよう。

 少し古い本なので参考情報程度に受け止めておくべきだろう。喘息の原因が親子関係にあると早合点しないように。上記の実験の詳細も不明だ。どの地域で何人を調査したか書かれていない。擬似相関の可能性も否定できない。

 子供の世界観は、親子のふれあいの中で確立される。この世界が愛と信頼に満ちたものに映るか、要求を満たしてもらうためには必死で訴えねばならないような冷淡で無関心なものに映るか、あるいは最悪の場合、常に不安を感じて過剰に警戒していなければならないような敵意に満ちたものに映るかは、親子のふれあいによって決まるのである。最初の養育者との関係でできあがった神経回路は、将来の人間関係のあり方を決める鋳型になるのだ。私たちは、自分がこう理解されたと感じたように自分を理解し、最も深い無意識のレベルで感じた愛と同じ愛をもって自分を愛し、幼いころに心の奥底で受け取った思いやりと同じだけの思いやりをもって、自分に接するようになるのである。

 結局、人間をつくるのは人間ということなのだろう。特に母親の影響が強い。母親さえしっかりしていれば子供は育つ。

 まして少子化が進み、兄弟が少ないことを思えば、親の役割は増すことはあっても減ることはないだろう。

 私の場合、親の愛情は薄かったのだが、近所のオジサン、オバサンに見守れながら育ったことが大きい。更に小学3年の頃から人気者になりつつあった。体が大きくなり始め、球技が得意になった。声は生まれつきでかい。この頃から「小野っちょは面白い」と評価されるようになった。人は周囲から認められると張り合いが出てくる。

 今でもよく覚えている。私は小学校2年生の時に苫小牧から帯広、そして札幌へと転校を繰り返した。幼い私以上にうんざりした父親はケツをまくってサラリーマンの立場に見切りをつけて独立した。そんなこんなで私は常によそ者だった。特にいじめられたことはなかったが、なんとなく疎外感を抱いていた。ところが小学校3年で学級代表を選ぶ選挙があった際、私に2票が入ったのだ。心底驚いた。夜も眠られぬほどでもなかったが終日昂奮した。誰かはわからぬが私がリーダーに相応しいと考える同級生が二人もいたのだ。次にこれも3年生の時だがドッジボールでファインプレーをした。エンドラインいっぱいでジャンプをして相手チームのパスを奪ったのだ。一瞬後に歓声が上がった。私の球技における運動神経はあの瞬間につながったと確信している。それからというもの球技は何でもこなせるようになった。4年以降は卒業するまで学級代表を務めた。悪いことも随分やったが、とにかく皆、仲がよかった。札幌に転校して一番最初に家まで送ってくれたイガラシとはいまだに付き合いがある。

 人間は信頼されなければ生きてゆくことが難しい動物なのだろう。ところが資本主義になると信用は与信を意味する。我々は長ずるにつれて人間関係よりも資産や賃金を重んじるようになる。人生においては20代の人間関係が重要だと私は考える。ここで不可欠な友情を結んでおかないと人生は無味乾燥なものになる。異性を見る目も曇ってしまうことだろう。多様な関係性の中からしか相手の本当の姿は浮かんでこない。

 嫌なこと、間違ったことに対して「ノー」と言える心を養っておくことだ。それほど難しいことではない。周囲にそれができる人が必ず一人や二人はいるはずだ。そういう人に近づいて話を聞いてみるといい。弱い人間はモデルとなる人物を見つけるのが手っ取り早い。

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