・『56歳でフルマラソン、62歳で100キロマラソン』江上剛
・『ランニングする前に読む本 最短で結果を出す科学的トレーニング』田中宏暁
・『走れ!マンガ家 ひぃこらサブスリー 運動オンチで85kg 52歳フルマラソン挑戦記!』みやすのんき
・『最速で身につく 最新ミッドフットランメソッド』高岡尚司、金城みどり
・『ランニング・サイエンス』ジョン・ブルーワー
・マラソンで成功するのは「計算ができる」ランナー
・『ウォークス 歩くことの精神史』レベッカ・ソルニット
・『トレイルズ 「道」と歩くことの哲学』ロバート・ムーア
・『脚・ひれ・翼はなぜ進化したのか 生き物の「動き」と「形」の40億年』マット・ウィルキンソン
・『間違いだらけのウォーキング 歩き方を変えれば痛みがとれる』木寺英史
芝生に座り、森から出てきた見知らぬランナーたちが野原を蛇行しながら走り、再び森に戻っていくのを眺める。二人一組で走る者もいれば、15人以上の集団で1列になって走る者もいる。一人で走る者はいない。「たくさんのランナーがいるね」とつぶやくと、メセレットがうなずいて言った。「アディスアベバには少なくとも5000人のランナーがいる。島の大群ほどの数の選手がランニングに挑戦するが、その群は最後にはほとんど消える。成功するのはごくわずかさ。今朝君が見ている数百人のランナーのうち、成功するのは両手で数えるくらいしかいない」。メセレットは完璧に足並みを揃えながら野原を走る集団の選手たちを眺めている。「誰が成功するかは、どうやって見分ける?」と尋ねると、「成功するのは、足を動かす前に、目で見て、頭で考えるランナーだ。感情だけで走る者は成功しない」という思いがけない答えが返ってきて、ふいを突かれた。「努力」とか「110%の力で走る」とかいう、よくあるランニングの決まり文句が返ってくると思っていたからだ。私はこの言葉を、エチオピア滞在中に12冊書き溜めることになるノートの最初の1冊に書き留めた。
【『ランニング王国を生きる 文化人類学者がエチオピアで走りながら考えたこと』マイケル・クローリー:児島修〈こじま・おさむ〉訳(青土社、2021年)】
読み始めたばかりである。昨日、「五感もまた計算するために働いているが、美しい絵画を見たり、好きな音楽を聴く時、我々の感覚は明らかに計算から外れている。統合された情報が生み出す創発現象か」と書いた(偶然の一致が人生を開く扉/『ゆだねるということ あなたの人生に奇跡を起こす法』ディーパック・チョプラ)。運動やスポーツの原点は狩猟である。ここで求められるのは「計算する力」だ。
アディスアベバはエチオピアの首都で標高2400mに位置する。高地トレーニングのメッカのようで3500mの丘が出てくる。富士山の山頂(3776m)とほぼ同じ高さだ。
「感情だけで走る者は成功しない」――私は大東亜戦争を思った。大日本帝国は計算ができなかった。孫子の兵法は「計篇」から始まる。ABCD包囲網を経てハル・ノートを突きつけられた日本はほとばしる感情の虜(とりこ)となった。そして最後はその感情の赴くままに若きエリートを特攻隊に仕立てる。生き残った者を国民は「死に損ない」と愚弄した。結局、国体は護持し得たが国は亡んだ感がある。GHQ占領期間は歴史の真空状態となり、戦前と戦後は完全に断絶してしまった。果たして今、国体を思う人がどこにいるか?
翻訳は悪くないのだが、「ふいを突かれた」は感心しない。編集者の眼も節穴のようだ。
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