2022-01-29

アヘンに似た天然の脳内物質の産生を活性化させる糖分/『依存症ビジネス 「廃人」製造社会の真実』デイミアン・トンプソン


『浪費をつくり出す人々 パッカード著作集3』ヴァンス・パッカード
『クレイジー・ライク・アメリカ 心の病はいかに輸出されたか』イーサン・ウォッターズ

 ・短期的な報酬
 ・アヘンに似た天然の脳内物質の産生を活性化させる糖分

『僕らはそれに抵抗できない 「依存症ビジネス」のつくられかた』アダム・オルター
『快感回路 なぜ気持ちいいのかなぜやめられないのか』デイヴィッド・J・リンデン
・『もっと! 愛と創造、支配と進歩をもたらすドーパミンの最新脳科学』ダニエル・Z・リーバーマン、マイケル・E・ロング
『果糖中毒 19億人が太り過ぎの世界はどのように生まれたのか?』ロバート・H・ラスティグ

 カップケーキの「虚しさ」が、カップケーキの魅力の一部になっている、というザンシ・クレイの言葉は本当だろうか? 圧倒的な糖分は、栄養士たちが“無意味(エンプティ)なカロリー”と呼ぶもので消費者を満たす。つまり栄養素はほとんどなく、無駄にカロリーだけが高いのだ。
 ただそうは言っても、カップケーキに気分を変える力がないわけではない。糖分依存症の研究を率いたプリンストン大学の神経科学者、バート・ホーベルによれば、糖分は、アヘンに似た天然の脳内物質「オピオイド」の産生を活性化させる。彼が行った研究では、糖分をむさぼり食ったラットは、糖分の供給が停止したときに離脱症状(薬などの摂取を減らす、もしくは断った際に生じる症状、いわゆる禁断症状)を示したそうだ。「私たちは、これこそ依存プロセスを解明するカギだと考えている。脳は、モルヒネやヘロインに依存するのと同じように、自ら生成するオピオイドに依存するようになる。薬物のほうが影響は強いが、本質的に同じプロセスであることには変わりない」とホーベルは言う。

【『依存症ビジネス 「廃人」製造社会の真実』デイミアン・トンプソン:中里京子訳(ダイヤモンド社、2014年)以下同】

 砂糖の危険性については知っている。ただ、穀物などの糖質との違いがよくわからない。砂糖(ショ糖)に比べるとご飯やパンは消化時間が遅い。糖分も穏やかに吸収されると主張する向きもある。いずれにしても美味しいものを毎日食べるのは自殺行為と心得てよろしい。

 日常生活においては意図的に粗食を心掛け、どんなに不味いものでも食べることができる口を鍛えるのがよい。ボスニア紛争の際には、「革靴や革ベルトを煮て食べた」との証言がある(『この大地に命与えられし者たちへ』写真・文 桃井和馬)。草の根を食(は)む程度の訓練はしておくのが望ましい。

 快楽に関する科学は、あらゆる起業のマーケット戦略で、いよいよ大きな役割を果たすようになってきた。ショッピングモールで焼きたてのドーナツの匂いを漂わせる企業のレシピは、キッチンで生まれたものではない。それは、研究所で徹底的に研究開発されたものだ。この点において、アップルは群を抜いている。消費者に製品を押しつけるという粗野な風味を、うっとりするようなミニマリストの美学で包みかくし、これほど精妙な欲望のカクテルを生み出す技は、他社の追随を許さない。

 携帯電話~PDA~ニンテンドーDS(2004年)~iPhone(2007年)でタッチスクリーンの時代が始まった。1990年代は情報端末の歴史において既に前近代と化した。間もなく中世に格下げされることだろう。

 最初に取り上げられる依存症物質はカップケーキ、iPhone、そして鎮痛剤の三つである。ウーム、どれも無縁だ。私がスマホにしたのは3ヶ月前のことである。日に二、三度、LINEをチェックするだけで依存症からは程遠い。持ち歩くのを忘れることも珍しくない。私にとってはただの電話である。

 ただしパソコンとなると話は別だ。私がスマホを使わないのはフリック入力に慣れていないことと、小さな画面に耐えられないという二つの理由が大きい。自宅にいればインターネットは接続しっ放しである。twitterは小依存、ブログは中依存、検索は大依存という症状を呈している。ただし、以前から見ると症状は和(やわ)らいでいる。昨年末にネット回線が1週間ほど不通になったが、インターネットカフェに走るようなこともなかった。

 つまるところ、【自分の感情を操作したいと願う私たちの「ニーズ」とその「能力」が、ともに増大している】のである。

 蛍光ペンで3回くらい塗り潰したい箇所だ。テクノロジーの進化によって我々は幸福よりも、多幸感(ユーフォリア)を欲するようになったのだろう(『戦争と罪責』野田正彰)。

 かつて「操作する」側はメーカーだった。21世紀は自分で自分の心を操作する時代になったのだ。しかも実にたやすい手法で。その入口を提供するのがiPhoneなのだ。SNS、ゲーム、動画、メールに費やす時間は実生活に支障を来すレベルとなっている。更に見逃せないのは、こうしたネットコンテンツの全てが心理学や行動経済学を駆使して利用者を依存症に仕立てるべく研究に研究を重ねている事実である。そしてメガテックはメタバースに舵を切った。

 私はかつてアメリカドラマ『24 TWENTY FOUR』にハマった時期がある。当時は完全に中毒症状を呈しており、レンタルビデオ店をハシゴしたこともあった。このドラマは24時間にわたってリアルタイムでストーリーが進行する。つまり丸一日で繰り広げられる事件を視聴者は見ることとなる。

 自分の病状もさることながら、自分の生活から完全に24時間分を奪われた事実に気づいた時、深く考えさせられた。例えば『50年』というドラマがあったとしよう。まあ面倒なんでこの際、睡眠時間は無視する。ドラマ『50年』を見た50年間をどう考えればいいのか? きっと実人生よりも刺激に満ちて、感動もできるに違いない。ある人の取るに足らない50年間と、ドラマを見た50年間の違いは何だろう? 私の思考はそこでぱったりと行き詰まった。答えはまだ出ていない。はっきりしているのは、私がドラマ『50年』を見ないことだ。

 情報過多になると行為の意味が変わる。岸田秀〈きしだ・しゅう〉は「現代における男性の性行為は女体を使った自慰行為に過ぎない」と喝破した(確か『ものぐさ精神分析』)。ただし男女関係の場合は、それなりの手続きが必要で実際にアクセスできるまでに時間を要する。恐ろしい想像ではあるが、異性を軽々と超えるセックスロボットができたとしよう。きっと人類は数世紀のうちに絶滅することだろう。依存症は破滅に向かう力を秘めている。

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