・『あなたを支配し、社会を破壊する、AI・ビッグデータの罠』キャシー・オニール
・鉄オタ父子鷹と思いきや……原丈人が描く壮大な日本の未来図
・原丈人〈はら・じょうじ〉の父と祖父
・金融工学という偽り
・『「公益」資本主義 英米型資本主義の終焉』原丈人
・必読書リスト その二
だが、そのようにして金融ばかりを大きくすればするほど、実業の部分はどんどん疎(おろそ)かにされ、力を失っていく。金融に都合のいい仕組みを振りまわせば振りまわすほど、価値の源泉を踏みにじり、壊してしまう。そこで、「金融工学」なるものを駆使して、お金がお金を生む方法ばかりを加速させるしかなくなってしまったのである。
この金融工学が、また曲者(くせもの)である。なぜなら、まず経済学そのものが、「完全競争」「参入障壁はない」などといった、いくつものありえない話を構築しているものだからである。前提が狂ってしまったら、すべてが文字どおり台無しだ。「サブプライムローンがあれほどの破綻(はたん)に見舞われたのも、その前提が間違っていたから」というのは、まさに象徴的だろう。
そのような架空の前提に立って、さらに数式で表現できない部分を捨て去ることで組み立てられているものこそ「金融工学」なのである。
端的にいおう。「幸せ」を数式で表すことができるだろうか。人間の感情を数式で表すことができるだろうか。新しい技術の芽はどこにあるかを数式が教えてくれるだろうか。たとえば、社員の家族の健康まできちんと見てくれるような経営であれば、みんな喜ぶだろうが、社員の家族の健康と株価をどう評価できるだろう。
【『新しい資本主義 希望の大国・日本の可能性』原丈人〈はら・じょうじ〉(PHP新書、2009年)】
『21世紀の国富論』(平凡社、2007年)は挫折していたので、やや腰が引けたのだが驚くほど読みやすく、動画の語り口そのものだった。原丈人〈はら・じょうじ〉は威勢がいい。気持ちのよい躍動感がある。更に実務的で観念を弄(もてあそ)ぶところがない。そして見逃すことができないのは相槌の深さである。「この人は武士だな」と私は直観した。
新自由主義に異を唱えた人物としては宇沢弘文〈うざわ・ひろぶみ〉が有名だが、原はより具体的かつ実際的にアメリカ型の株主資本主義の誤りを説く。
経済学の基本的な考え方だと「会社は株主のもの」である。会社の目的は利潤追求だから株主利益を最大化するのが社長の仕事となる。しかもアメリカ型経営ではヘッドハンティングで経営者の首をすげ替えることが日常的に行われている。経営と労働が棲み分けされているのだ。経営者はより短期間で収益を上げることを求められるので一番簡単なコストカットに手を染める。こうして工場は低賃金の海外へ誘致され、技術が流出する。日本のメーカーも同じ道を歩み、そして日本経済の地盤沈下が今も尚続いている。
原が提唱するのは「公益資本主義」だ。会社は社会の公器であり、社中(しゃちゅう/社員・顧客・仕入先・地域社会・地球)に貢献することで企業価値を上げる。日本の伝統的な価値観ではあるが、多くの企業がバブル崩壊以降これを否定してきた。その結果としてもたらされたのが経済格差である。
文明の発達は移動・通信を飛躍的に進化させ、国家という枠組みが融(と)け始めた。しかしながら国際ビジネスで行われているのは国力を背景にした熾烈な競争であり、その実態は経済戦争である。一方でGDP世界第2位までに経済発展した中国は一国二制度の約束を踏みにじり香港を弾圧している。中国では国家の枠組みを強化し、アメリカの衰退を待ち構えている。社会主義国は国家の負の側面を見事に象徴している。
経済の語源は経世済民(けいせいさいみん)である。「世を経(おさ)め民を済(すく)う」と読む。経済とは利益分配に尽きると私は考える(チンパンジーの利益分配)。なぜ分配する必要があるのか? それは集団を維持するためだ。数十人単位で移動しながら生活していた古代を想像すればいい。集団は分業を可能にし子孫の生存率を高める。集団であれば他集団からの暴力にも対抗できる。一匹狼という言葉はあるが実際に一匹で生きる狼は存在しない。そもそも子ができないだろう。人類の集団は中世において国家へと成長を遂げた。これを超えることはないだろう。世界政府は言語や宗教を思えば現実的ではない。分裂と統合を繰り返すのが人間にはお似合いだ。
リーマン・ショック以降、各国の中央銀行が驚くべき量の金融緩和をしているにもかかわらず景気が上向かない。マネーがどこかで堰(せ)き止められているのだ。ダムとなっているのは会社と金融市場である。緩和マネーは社内留保となって動きを失い、余剰マネーはマーケットに流れ込んで高い株価を支えている。
戦争の原因は寒冷化にあるというのが私の持論だが、経済的な冷え込みは寒冷時の食物不足と同じ意味を持つと考えてよい。
アメリカでは2011年に「ウォール街を占拠せよ」の運動が興(おこ)り、今年になって「ブラック・ライヴズ・マター」(BLM)が猛威を振るっている。前者はリベラルな抵抗であったが、後者は単なる破壊活動で左翼の存在がちらついている。ただ、いずれにしても格差が背景にあることは間違いないだろう。金融工学の成れの果てを見ている心地がする。
・農業の産業化ができない日本/『脱ニッポン型思考のすすめ』小室直樹、藤原肇