2014-03-04

ラットにもメタ認知能力が/『人間らしさとはなにか? 人間のユニークさを明かす科学の最前線』マイケル・S・ガザニガ


 過去何百年もの間に、数え切れないほど多くの科学者や哲学者がこの私たちのユニークさをあるいは認め、あるいは否定してあらゆる種類の人間らしさの前例をほかの動物に求めてきた。近年、独創的な科学者たちが、純粋に人間だけのものとばかり思われていた多種多様の事例の前例を見つけている。私たちは、自らの思考について考える(これを「メタ認知」という)能力を持つのは人間だけだと思っていた。だが、考え直したほうがよさそうだ。ジョージア大学の二人の神経科学者が、ラットにもその能力があることを立証した。ラットは自分が何を知らないかを知っていることがわかったのだ。

【『人間らしさとはなにか? 人間のユニークさを明かす科学の最前線』マイケル・S・ガザニガ:柴田裕之訳(インターシフト、2010年)】

 メタには「高次な」「超」といった意味がある。ヒトは五感情報を統合し、更にもう一段高いレベルで自分の思考や感情を客観的に捉えることができる。これをメタ認知という。脳にダメージを受けると高次脳機能障害となる。メタ認知機能の崩壊といってよい。

病気になると“世界が変わる”/『壊れた脳 生存する知』山田規畝子〈やまだ・きくこ〉

 以下、関連リンク。

脳とネットワーク/The Swingy Brain:「我思う」ラット
どっちにする?考え中!: 感性でつづる日記

 ってことは、マウスに思考があることを示唆する。あいつらにはあいつらの「考え」があるのだ。すると「意志」があっても不思議ではない。ただし言語が発達しているようには見えないから、たぶん視覚情報を言語化しているのだろう(『動物感覚 アニマル・マインドを読み解く』テンプル・グランディン)。

 サルは非辺縁系の感覚を二つ、連合させることができない。人間はそれができる。そしてそれが、ものに名前をつけ、より上位の抽象化のレベルを進んでいく能力の基盤となっているのだ。

【『共感覚者の驚くべき日常 形を味わう人、色を聴く人』リチャード・E・シトーウィック(リチャード・E・サイトウィック):山下篤子訳(草思社、2002年)】

 名前を付け(名詞化)、カテゴライズ(類推→アナロジー〈『カミとヒトの解剖学』養老孟司〉)することができるのは実は凄い能力なのだ。結びつける認知能力といってもよいだろう。

 それにしては人間と人間を結ぶ能力が発達しないのはどういうわけか? 個人的には人間の知性よりもラットの本能の方が優れていると思う(『あなたのなかのサル 霊長類学者が明かす「人間らしさ」の起源』フランス・ドゥ・ヴァール)。

2014-03-03

ロシアから日本へ向けられた友情のエールをフジテレビが完全に無視

2014-03-02

幼い日の風景が人間を形成する/『エリック・ホッファー自伝 構想された真実』エリック・ホッファー


 ・幼い日の風景が人間を形成する

『魂の錬金術 エリック・ホッファー全アフォリズム集』エリック・ホッファー

 不思議なことに、幼いころの記憶は曖昧である。7歳のとき、私は視力を失った。5歳のとき、母が私を抱いたまま階段から落ちている。それがもとで母は体をこわして2年後に亡くなり、その年私は失明した。しばらくの間は記憶もなくした。妻に先立たれ盲目の息子を抱えた父が、私のことを「白痴の子ども」と呼んでいるのを聞いたことがある。
 記憶のなかの母は小さくて、いつも何かにおびえていた。それでも大きくなった5歳の息子を抱きかかえていたくらいだから、たぶん私のことを愛していてくれたに違いない。いまでも時折、母の指が背中に触れている気がして、夜中にふと目を覚ます。

【『エリック・ホッファー自伝 構想された真実』エリック・ホッファー:中本義彦訳(作品社、2002年)以下同】

 エリック・ホッファー(1902-1983年)は独学の人であった。正規の教育は受けていない。季節労働者として働きながら図書館へ通い、大学レベルの物理学と数学をマスター。その後、植物学も修める。「沖仲仕の哲学者」と呼ばれ、39歳から始めた沖仲仕の仕事をこよなく愛した。1964年、カリフォルニア大学バークレー校の政治学研究教授となる。


 ホッファーは15歳で奇蹟的に視力を回復する。それから「目が見えるうちに」と貪るような読書が開始された。きっと世界を味わい尽くすような視線であったことだろう。今日のニュースで「読書時間ゼロの大学生が4割を超えた」と伝えられていた。本を読む読まないは自由だ。たとえ読書をしたところで本に読まれることも多い。本に接する態度は人間に接する態度と同じだ。浅い心で数をこなしてもしようがない。ただ、読んで後悔することよりも、読まずして悔いることの方が大きいのは確かだ。

 年が長ずるにつれて幼い日の風景が自分自身の深い部分を形成している事実に気づく。大人が何気なく発した心ない言葉が子供の胸に永く刻まれる。子供の精神は柔らかな木のような性質で、そこに大人が彫刻刀で喜怒哀楽を彫り込むのだろう。ホッファーの淡々とした文章が「母の指」という一語で色彩をガラリと変える。不幸が幸福を高める。本当の不幸を知らなければ幸福を味わうことも難しい。

 誰もが誰かに背中を支えてもらっている。その自覚を欠けば感謝の心を失う。幼いホッファーに愛情をそそいだのはマーサという女性であった。親戚であったのか家政婦であったのかはわからないと書かれている。この女性がホッファーの人生に決定的な影響を与えた。人は愛されることで初めて人間へと育つ。自分を肯定できなければ人を思うことはできない。

 ドイツ系移民であったホッファーに母語であるドイツ語と英語を教えたのはマーサであった。後年、ホッファーは勤務先のレストランで給仕をしながら、ある大学教授の手助けをした。ドイツ語で書かれた植物学の文献を翻訳したのだ。この人物がカリフォルニア大学バークレー校の柑橘類研究所所長であった。ホッファーは既に植物学にも精通していた。

 話は戻るが、視力を回復し書店に飛び込んだホッファーの目に止まったのはドストエフスキーの『白痴』であった。彼は幾度となく読み返すようになる。この読書体験が脚力となったことは間違いあるまい。父が放った言葉は引っくり返された。

 人間の記憶は曖昧なもので、時に書き換えることも決して珍しくない。昔の淡い記憶であれば尚更である。しかしその時の自分の反応だけは確かなものだ。子供に自信を与える大人が一人でもいれば、その子は救われる。別に親である必要はない。赤ん坊は大人が喜ぶ態度を自然のうちに繰り返すという。人間には生まれながらにして他人を喜ばせる本能があるのだ。それをなくした大人にだけはなるまい。

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迷惑なダイレクトメールへの対処法

2014-03-01

超高度化されたデータ社会/『ソウル・コレクター』ジェフリー・ディーヴァー


『ボーン・コレクター』ジェフリー・ディーヴァー
・『コフィン・ダンサー』 ジェフリー・ディーヴァー
『エンプティー・チェア』ジェフリー・ディーヴァー
・『石の猿』ジェフリー・ディーヴァー
・『魔術師(イリュージョニスト)』ジェフリー・ディーヴァー
・『12番目のカード』ジェフリー・ディーヴァー
『ウォッチメイカー』ジェフリー・ディーヴァー

 ・超高度化されたデータ社会

『バーニング・ワイヤー』ジェフリー・ディーヴァー
『ゴースト・スナイパー』ジェフリー・ディーヴァー

 2年前に読んだ時は「やがてそんな時代がくるのか」と思った。そして今実現しつつある。ビッグデータを始め、広告や検索結果のパーソナライズド化など。更にフェイスブックの登場がウェブ空間に実名主義をもたらし、プライバシーを本人が垂れ流すという奇妙な事態が現れた。ツイッターでは現在進行形のいたずらや悪事を紹介し、飲食店が閉鎖に追い込まれるケースが続いた。

 あらゆる情報はデータとなり管理される時代となったのだ。ディストピアの現実化だ。

 しかし、ほかのすべてのものと同じように、まもなく紙幣にもタグ――RFIDが付くようになるに違いない。すでに導入している国もある。銀行は、どの20ドル札がどのATMや銀行から誰の手に渡ったか、追跡することができる。その札が〈コカ・コーラ〉や愛人に贈るブラジャーを買うのに使われたのか、殺し屋を雇うのに使われたのかだって当然わかるわけだ。ときどきこう思うことがある。黄金を通貨代わりにしていた時代に戻ったほうが幸せなのではないかと。
 網の目につかまらぬように。

【『ソウル・コレクター』ジェフリー・ディーヴァー:池田真紀子訳(文藝春秋、2009年/文春文庫、2012年)以下同】

 一昔前まで監視カメラはプライバシー侵害の象徴として人々から忌み嫌われていた。それが特異な猟奇的犯罪が起こるたびに設置箇所が増え、現在では防犯カメラと呼ばれて安心の代名詞となった。アメリカではITバブルの後にセキュリティ・バブルが興ったという指摘もある(『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く』ナオミ・クライン)。

 Nシステム(自動車ナンバー自動読取装置)も政治的議論を経ずに設置されている。

 紙幣にタグを付ければ人々の欲望の流れが丸見えとなる。細かな流れがわかれば、そこから支流へ導いて大河を形成することも可能になる。

「(データマイナーとは)名前のとおりのものです。情報サービス会社ですよ。顧客の個人情報や購入履歴、住居、車、クレジットカードの利用履歴……とにかく、ありとあらゆるデータを採掘(マイン)するんです。集めた情報を分析して、販売する。で、企業はそれを利用して市場の動向を把握したり、新しい顧客を獲得したり、ダイレクトメールを送る顧客を絞りこんだり、広告戦略を練ったりするわけです」

 本書に登場する殺人鬼はデータマイニングに通じ、まったく関係のない第三者を犯人に仕立て上げる。それどころか物証まで用意するのだ。従兄弟が被害者となったことでリンカーン・ライムは捜査に乗り出す。

「いや、何一つ。どこを掘り返しても、出てくるのは一人だけ――私だ。そいつは私から私を奪った……奴らは、万が一に備えた予防策は用意されている、データは守られてると言う。笑止千万だ。たしかに、クレジットカードを紛失したくらいなら、ある程度までは守ってもらえるかもしれないな。だが、誰かが本気できみの人生を破滅させようとしたら、きみにできることは何一つない。人はコンピューターが言うことを鵜呑(うの)みにする。コンピューターが、きみには借金があると言えば、きみには借金があるんだ。きみと保険契約を結ぶのは危険だと言えば、きみと保険契約を結ぶのは危険なんだよ。きみには支払い能力がないと言えば、たとえ現実には億万長者だとしても、きみには支払い能力がない。人はデータを信じる。真実なんか意味を持たないのだよ」

 これが超高度情報社会の実態だ。データとは歴史でもある。「書かれたもの」だけが歴史なのだ(『歴史とはなにか』岡田英弘)。ここにおいて存在は「記録されたもの」へと矮小化される。

 私を証明するのは私自身ではない。免許証や保険証・パスポートである。パスワードを失念すれば自分の預金すらおろすことができない社会だ。個人は限りなくID化されてゆくことだろう。アイデンティティはアイデンティフィケイション(identification=ID)に置き換えられる。

 私のデータを書き換えるのは私自身ではない。そしてデータは常に上書き更新される。どこにもログインできなくなったとしたら、それは社会的抹殺を意味する。「ソウル」(魂)はデータ化される。