2014-05-19

必須音/『音と文明 音の環境学ことはじめ』大橋力


 物質の世界に必須栄養、例えばビタミンが在るように、情報の世界にも、生きるために欠くことのできない〈【必須音】〉が存在する。

【『音と文明 音の環境学ことはじめ』大橋力〈おおはし・つとむ〉(岩波書店、2003年)】

 実は都会よりも森の方が賑やかな音で溢れているという。恐るべきデータである。にもかかわらず人は森で落ち着きを見出す。喧騒とは認識しない。これは滝の音を想像すれば理解できるだろう。雨の音も同様だ。うるさいのは飽くまでも屋根が発する音だ。蝉の鳴き声だって、あれが赤ん坊の泣き声なら耐えられないことだろう。

 数週間前のことだが、とある公園を通りかかった時、頭の上からざわざわという音が降ってきた。見上げると30メートルほどもある木々が風に揺れていた。まるで樹木が何かを語っているかのようだった。その音は決して耳障りなものではなかった。

 音は空気の振動である。そしてコミュニケーションも振動(ダンス)なのだ(『急に売れ始めるにはワケがある ネットワーク理論が明らかにする口コミの法則』)。

 森の音が心地よいことは誰でも気づくことだ。それを「必須音」と捉えたところに大橋力の卓見がある。大橋は芸能山城組の主催者。耳と音の関係に興味のある人は必読。増刷されたようだが4400円から5076円に値段が跳ね上がっているので、興味のある人はまず『一神教の闇 アニミズムの復権』(安田喜憲)から入るのがよい。

音と文明―音の環境学ことはじめ ―
大橋 力
岩波書店
売り上げランキング: 306,396

風は神の訪れ/『漢字 生い立ちとその背景』白川静
介護用BGM 自然音

沈黙をやめよう:声をあげよう、声を出そう

小林秀雄、藤井厳喜


 1冊挫折、1冊読了。

超大恐慌の時代 私たちが生きる未来』藤井厳喜〈ふじい・げんき〉(日本文芸社、2011年)/良書。タイミングが合わず。後回し。

 33冊目『学生との対話』小林秀雄:国民文化研究会・新潮社編(新潮社、2014年)/小林の講演および質疑応答をそのまま文字に起こした作品。本書を待ち望んだ人は多いに違いない。かつて私も一部を紹介した(集団行動と個人行動/『瞑想と自然』J・クリシュナムルティ)。新潮CD講演『小林秀雄講演 第2巻 信ずることと考えること』を聴いただけでは気づかなかったことが数多く発見できた。小林秀雄は生前、講演や対談の類いを一切録音させなかったという。それは自分の意思に反して部分的に流用されることを避けるためであった。本講演は隠し録りされたもので、小林の没後に遺族の了解を得て発表した。巻末には小林が手を入れ直した『小林秀雄全作品 26 信ずることと知ること』も収録。物事の本質に迫る骨太の直観力が横溢している。ハードカバーでありながら1404円という値段に抑えたのも良心的な快挙といってよい。

2014-05-15

小林秀雄、高山正之、夏井睦、他


 2冊挫折、2冊読了。

緊迫シミュレーション 日中もし戦わば』マイケル・グリーン、張宇燕〈チョウ・ウェン〉、春原剛〈すのはら・つよし〉、富坂聰〈とみさか・さとし〉(文春新書、2011年)/歯が立たず。数ページだけ読む。

さらば消毒とガーゼ 「うるおい治療」が傷を治す』夏井睦〈なつい・まこと〉(春秋社、2005年)/私は介護の経験があるのでラップ療法は5~6年前から知っていた。数ヶ月前のことだが知人の子供が顔をざっくり切ったと聞き、すかさず教えた。今では殆ど傷跡も残っていない。正確な知識にするべく開いた。中ほどまで読んで、後は飛ばし読み。傷口を「消毒する、乾かす」のは誤りで、医師やナースでも知らない連中が多い。傷口を水で洗って、ラップを貼るだけで十分だ。実用書としては良書。ただ繰り返しの記述が目立つ。

 31冊目『変見自在 サダム・フセインは偉かった』高山正之(新潮社、2007年/新潮文庫、2011年)/正確には高山の高はハシゴの「高」。とうとう50歳になって私もかような本を読むようになってしまった。武田邦彦との対談動画「欧米人が仕掛ける罠」を見ていたので内容は予想できた。ある記述を照会するために取り寄せたのだが、面白くて全部読んでしまった。朝日新聞の悪口がメインなのだが、知識が豊富で人物や歴史の見方が変わる。高山が保守論客の中で信用に値するのは、中国・韓国だけではなく米国批判を行っているためだ。彼が産経新聞をこき下ろせば、もっと高く評価できるのだが。

 32冊目『小林秀雄対話集 直観を磨くもの』小林秀雄(新潮文庫、2013年)/良書。『小林秀雄全作品』の14、15、16、17、19、21、25、26、28巻が底本。私は『小林秀雄全作品 26 信ずることと知ること』を読んでいたので部分的には再読になるが、それでも新しい発見が多かった。小林秀雄は大嫌いな人物なのだがやっぱり面白い。特に対談と講演が刺激的だ。この人は物怖じするところがない。有り体にいえば生意気で不躾。驚いたのは湯川秀樹との対談で、小林が量子論を1948年(昭和23年)の時点で理解していたこと。恐るべき知性である。今読んでいる『学生との対話』と併せて、格好の小林秀雄入門といってよい。

「物質-情報当量」/『リサイクル幻想』武田邦彦


合理的思考の教科書
・「物質-情報当量」

『「水素社会」はなぜ問題か 究極のエネルギーの現実』小澤詳司

 ・情報とアルゴリズム

 電話が発明されてからすでに100年以上経っていますが、「電話帳と電話線と電話交換機」という「物質」の組合せには、それまでの通信手段と比べれば、膨大な「情報量」が含まれています。電話という「物質」が伝えることのできる情報量と、のろしや飛脚という「物質」のそれとはけた違いで、伝達の効率という点で、電話という「物質」は「情報」のかたまりといっていいわけです。仮に、電話で伝えるのと同量の情報をのろしや飛脚で伝えるとしたら、どれだけの火を起こし、どれだけの人間が往復しなければならないか、想像してみるといいでしょう。
 つまり、人間の活動を支えるものは、決して「物質とエネルギー」だけではなく、情報も、それらの活動を数倍にする価値を付与しているということがわかります。これを「物質-情報当量」と呼びます。「当量」とは、質的に異なってはいるけれども人間の活動に同じ効果を与えるものを、同一尺度で比較するための単位です。

【『リサイクル幻想』武田邦彦(文春新書、2000年)以下同】

 2000年にこれを書いていたのだから凄い。因みに今検索してみたが物質-情報当量でも情報当量でもヒットするページが見当たらない。本書を「必読書」としたのも、ひとえにこの件(くだり)が書かれているからだ。

「物質-情報当量」を使って、循環型社会を整理してみます。
 1972年から1998年までの間では、鉄1トンに対して10ギガビット、つまり鉄1トンが社会に与える影響と情報10ギガビットが同じであることがわかります。この26年間で、鉄の生産は伸びていませんが、日本社会全体の経済規模は情報分野の進展で増大しています。ごくおおざっぱにいえば、増大分の情報ビット数とそれを鉄に置き換えた場合の重量とをイコールすれば、右のような当量関係が得られるのです。鉄1トンが10ギガビットに当たるというのは、集積回路の集積度が現在より少し上がって10ギガビットになった場合、その小さな1チップが鉄1トンと同等の効果を社会に与えるということを意味してします。1チップを仮に10グラムとすると、物質の使用量は10万分の1になり、物質と文化の関係に革新的な変化を与えるでしょう。
 すでに情報革命が始まり、明確にこのような傾向が現われています。たとえば、銀行の窓口業務の多くは無人の現金出納機になりました。無人化は経費節減や人件費抑制のためと捉えられがちですが、環境面からみると、今まで数人がかりで多くの伝票や計算書類を要し処理していたことを、たった一つの機械で、しかも数倍の処理能力をもってこなすのだから、これも「物質-情報当量」による物質削減の効果です。
 じっくり目をこらせば、こうした例は数限りないくらいあります。現代日本はそれによって高い活動力を保っているとも考えられます。しかしながら、依然として経済成長率やGDPの計算では、物質生産を基準に計算が行われています。そのために、物質の生産が落ち込むと不景気になったという判断が下されますが、現実はすでにビットが物質のキログラムに代わりつつあるのです。
 ビットは人間生活に対して格段に効率が高いので、同じ当量での社会的負担が少なく(つまり物質やエネルギーを消費せず)、結果的にGDPの伸びには反映されていないといえます。GDPの計算方法が古いということ自体はさして問題ではありませんが、GDPが上がらないので「景気を回復させるためには物質生産量を上げなければならない」という結論になるのは問題です。

「現実はすでにビットが物質のキログラムに代わりつつある」ということは情報=物質なのだ。これについては『インフォメーション 情報技術の人類史』(ジェイムズ・グリック)の書評で触れる予定だ。地球環境や資源の限界性を思えば、生産量よりも「物質-情報当量」を上昇させることが望ましい。

 科学者の武田がGDPにまで目を配っているのに政治が無視するのはなぜか? 生産量至上主義が経団連を中心とする業界にとって都合がいいからとしか考えられない。そして官僚が天下りをすることで社会資本を寡占する(『独りファシズム つまり生命は資本に翻弄され続けるのか?』響堂雪乃)。

 私たち人間はなぜ百獣の王ライオンよりも強いのでしょうか? 筋骨隆々として運動神経も人間とは比べものにならないけれど、人間に捕らわれて檻の中にいること自体、理解できないのがライオンです。弱い筋肉と鈍い運動神経しかもっていないのに、人間がライオンを支配できているのは、「知恵」つまり「情報の力」に他ならないのです。
 情報は力であり、物質でもあります。それならば、これまで物質を中心として構築されてきたこの世界を、ビットを中心に組み立て直せばよい。ビットの技術は、地球の資源や環境が破壊される前に、私たち人類にもたらされた贈り物なのかもしれません。

 情報とは知恵なのだ。棒や斧という情報が動物に向けられた時、槍や弓矢という知恵の形となったに違いない。つまり知恵の本質は情報の組み換えにあるのだろう。人類の脳内で行われるシナプス結合が他の動物を圧倒したのだ。そしてシナプス結合は人と人とのつながりを生み、社会を育んだ。そこでは当然、物と情報が交換される。このようにして人類は文明を形成してきた。

「これまで物質を中心として構築されてきたこの世界を、ビットを中心に組み立て直せばよい」――実に痺れる言葉ではないか。どのような情報を得るかで人生は変わる。何を見て、何を聞いて、何を読むか。インターネットの出現によってその選択肢は無限に拡大した。その分だけ自分の選択に責任の重みが増している。また情報は受け取っただけでは死んでいる。それを自分らしく発信することが大切だ。

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