2014-05-27

紛争下における性暴力 - 法と正義の勝利(ICTYドキュメンタリー)

日本はASEAN諸国と手を結んで中国を封じ込めるべきだ/『緊迫シミュレーション 日中もし戦わば』マイケル・グリーン、張宇燕、春原剛、富坂聰


 一方で、冒頭に記した近未来シミュレーションが決して空想の世界の出来事ではなく、この瞬間にも実際の世界で起こるかもしれないことを我々は忘れてはならない。
 たとえば、2011年の上半期(4月から9月まで)の間、領空侵犯の恐れがある外国機に対して、航空自衛隊が緊急発進(スクランブル)した回数は合計203回となり、そのうち対中国機へのものが昨年同期比で3.5倍の83回に急増している。防衛省統合幕僚監部によると、いずれのケースも領空侵犯の事態にまでは至っていないが、中国軍の情報収集機が沖縄県・尖閣諸島の北100キロ圏にまで接近する例は相次いでいるという。

【『緊迫シミュレーション 日中もし戦わば』マイケル・グリーン、張宇燕〈チョウ・ウェン〉、春原剛〈すのはら・つよし〉、富坂聰〈とみさか・さとし〉(文春新書、2011年)】

 現在、南シナ海では中国船がベトナムの漁船に体当たりを繰り返している。今日のニュースでは40隻の中国船に囲まれたベトナム漁船がついに沈没するに至った。


(1分ちょうどあたり)


 日本はASEAN諸国と手を結んで中国を封じ込めるべきだ。中国がこのまま図に乗ると手をつけられなくなることだろう。ゆくゆくは日本の核保有も視野に入れておくべきだ。外交戦略としては秘密裏にウイグルやチベット、更に台湾へも援助の手を差し伸べるべきだと考える。そして一日も早くロシアと友好条約を結ぶ。取り敢えず北方領土は二島変換で構わない。

 更にもう一つ。異論も多いと思われるが北朝鮮と国交を結ぶことが望ましい。もちろん拉致被害の全容解明が前提条件となる。北朝鮮人は「中国人より数倍も手先が器用で、おそらく労働賃金が世界一安くとも必死で働く」(『無法バブルマネー終わりの始まり 「金融大転換」時代を生き抜く実践経済学』松藤民輔)。で、日本企業の工場は全部中国から北朝鮮に引っ越せばよい。

日中もし戦わば (文春新書)

祖国への誇りを失った日本/『日本人の誇り』藤原正彦

2014-05-26

上座部を体系化したブッダゴーサ/『上座部仏教の思想形成 ブッダからブッダゴーサへ』馬場紀寿


『原始仏典』中村元

 ・上座部を体系化したブッダゴーサ

『初期仏教 ブッダの思想をたどる』馬場紀寿

 上座部仏教では、「ブッダの言葉」として認められた三蔵が〈正典〉とされ、パーリ語が〈正典の言葉〉である。パーリ語は、サンスクリット語と同様、インド=ヨーロッパ語族に分類される古代インド語の一つだが、上座部仏教の拡大にしたがって、スリランカと東南アジアに伝えられ、正典の言葉として当該地域に多大な影響を与えた。

【『上座部仏教の思想形成 ブッダからブッダゴーサへ』馬場紀寿〈ばば・のりひさ〉(春秋社、2008年)以下同】

 馬場紀寿の博士論文を改稿したもの。気魄がこもっている。ただし読みにくい。相応の知識も必要だ。小乗というネーミングは大乗側がつけた貶称(へんしょう)で上座部とするのが正しい。大乗は大衆部(だいしゅぶ)という。ブッダが死去して100年後に仏教教団は二つに分かれた。これを根本分裂と称する。

 上座部仏教が他の仏教とは異なる固有の性格を帯びて、その〈原型〉を形成したのは、5世紀前半の上座部大寺派においてなのである。

 大寺はスリランカの僧院でマハーヴィハーラともいう。スリランカ上座部の総本山と考えてよかろう。

 因みに龍樹が2世紀に、無著が4世紀に登場する。

 大寺では、紀元前後から三蔵に対する註釈が作成されるなど、思想活動が続けられていたと考えられるが、5世紀初頭にブッダゴーサという学僧が登場し、これらの古資料を踏まえて、上座部大寺派の教学を体系化した。現存資料を見る限り、「上座部」や「大寺」の伝統を掲げて作品を著し、思想を体系化したのは、ブッダゴーサが初めてであって、彼以前に遡ることはできない。

 私はブッダゴーサ(仏音〈ぶっとん〉、覚音)の名を本書で初めて知った。「5世紀初頭」というタイミングを見れば、初期大乗経典への対抗意識があったと考えてよさそうだ。

初期大乗
初期大乗仏教 (広済寺ホームページ)

 根本分裂が「大衆部離脱」であったとすれば、上座部は律に傾きすぎていたことだろう。そしてその流れは5世紀にまで及んだに違いない。しかもちょうどインドで仏教が弾圧された時期と重なっている。インド仏教は13世紀に滅ぶ。

 上座部大寺派の成仏伝承は、経典では主に四諦型三明説だったが、遅くとも5世紀初頭までには縁起型三明説に変化した(本篇第一章)。インドにおける諸部派の成仏伝承にも同様の変化が確認できた。経典や律蔵では四諦型三明説だったが、独立した仏伝作品では三明説に縁起を組み込み、縁起型三明説が成立している(本篇第二章)。縁起型三明説は上座部大寺派に固有の伝承なのではなく、部派を超えて、南アジアに広く流布した成仏伝承なのである。
 縁起型三明説の成立は、遅くとも、上座部大寺派では5世紀初頭なのに対し、北伝の仏伝作品では2世紀である。下限年代から見る限り、縁起型三明説の形成は、上座部大寺派よりも他部派がはるかに古い。おそらく、上座部大寺派は縁起型三明説をインド本土から導入したと考えられる。

三明知の持つ意味と四聖諦
「三明説の伝承史的研究 部派仏教における仏伝の変容と修行論の成立」馬場紀寿
ブッダゴーサについて 『上座部仏教の思想形成』を読んで:曽我逸郎

 曽我逸郎さんが既に書いていたとはね。詳細については曽我サイトに譲る(笑)。書く気が失せた。

 ひとつお詫びをしておこう。ずっと勘違いしていたのだが、ここに書かれているのは大寺派の教学体系化における時系列が四諦型から縁起型になったというだけで仏教史の時系列を意味したものではない。

「永遠不滅の存在(無為法)に対してあれだけ正しく警戒することのできたブッダゴーサが、縁起については輪廻転生と直結した形で解釈していたことは、私にとって困惑することである」(曽我逸郎)。三明に関する疑問は私も同感だ。ヒントが一つある。

 インドの社会では宗教に励む人が精神的な修行をして、認識の範囲をものすごく広げてみたのです。(中略)そういう人々が初めて、死後の世界、というよりは過去の世界について語り始めた。それはほとんど自分自身の過去のことなのです。「自分は過去世でこんなふうに生きていました」と。そこで過去世があるのだから、推測によって未来世もあるだろうと言い出したのです。

【『死後はどうなるの?』アルボムッレ・スマナサーラ(角川文庫、2012年)】

 始めに過去世ありき、というわけだ。これは輪廻転生を説いたヒンドゥー教の影響だろう。過去世と認識された情報は現在の脳に収まっている。そして記憶は当てにならない。つまりこうしたインド文化に受け入れられやすい形でブッダの悟りを展開したのだろう。仮にブッダ本人が説いたとしても、相手が過去世を信じる人々であれば過去世というアンカーを利用したとしても別におかしな話ではない。

 仏の別名の一つに善逝(ぜんぜい)とある。「善く逝く」とは輪廻からの解脱を意味する言葉で、二度と生まれ変わらないことである。数学的視点に立って時系列を逆転させれば、過去世がないことは明らかだ。過去世や来世があろうがなかろうが、そもそもブッダの教えは「現在を生きよ」という一点に尽きる。

2014-05-25

検察庁と国税庁という二大権力/『徴税権力 国税庁の研究』落合博実


「国税は“経済警察”だ。大蔵省から分離すべきだ」
 金丸事件の忌まわしい記憶から、自民党の政治家は国税を恐れた。自民党からの圧力を弱めるため、新聞を味方につけようと思ったのだろう。大蔵省幹部の一人はわざわざ私を食事に誘い、4時間にわたって分離反対論をぶったあと、こう叫んだ。
「国税庁を切り離せというのは金丸事件の意趣返しなんだ」
 同じ年、事件当時、国税庁次長だった瀧川(哲男)は鈴木宗男から忘れられない一言を浴びせられている。瀧川は国税庁を退任後、沖縄開発庁振興局長に転出していたが、その後、事務次官在任中に鈴木宗男が長官として乗り込んできた。経世会に入り、次第に政治力を増していた鈴木から瀧川はこう声をかけられたという。
「カネさん(金丸)をやったのはお前だろう」
 鈴木は金丸子飼いの政治家の一人だった。

【『徴税権力 国税庁の研究』落合博実(文藝春秋、2006年/文春文庫、2009年)】

乱脈経理 創価学会 VS. 国税庁の暗闘ドキュメント』(矢野絢也)で引用されていた一冊。第一章の「金丸信摘発の舞台裏」が出色。その後明らかにトーンダウン。最終章の「国税対創価学会」も尻すぼみの感が拭えない。

 政治とカネの問題はロッキード事件(1976年)に始まり、リクルート事件(1988年)で検察は正義の味方というポジションを確立した。その後、皇民党事件(1987年)~東京佐川急便事件(1992年)、KSD事件(1996年)と続く。

 いずれも疑獄の要素が濃厚で特定の政治家を狙い撃ちにしているのは明らかだろう。どう考えてもすべての事件が検察の発意でなされたものとは考えにくい。何らかの形で米国の意志が関与していると見れば筋が通る。

 東京地検特捜部の前身は検察庁に設けられた「隠匿退蔵物資事件捜査部」である。「隠匿退蔵物資事件捜査部は、戦後隠された旧日本軍の軍需物資をGHQ(米国)が収奪するために作られた組織である」(犯罪の歴史-東京地検特捜部の犯罪)。


 検察は数々の横暴を犯してきた。袴田事件(1966年)、村木事件(障害者郵便制度悪用事件/2009年)、そして今なお有罪とされている高知白バイ事件(2007年)などが広く知られる。検察が数々の冤罪をでっち上げても取り調べ可視化の議論が本格化する様子はない。きっと政治家にとっても都合がいいのだろう。

 検察と双璧をなす権力が国税庁である。


 税の世界は我々素人が考えるほど厳密なものではない。そもそも法自体が解釈される以上、人によって判断が異なるのは当然だ。

 政治とは利益調整の技術を意味する。ある利益と別の利益がぶつかるところに疑獄が生まれるのだろう。すべての情報が開示されることはあり得ない。これが民主主義の機能を阻害する最大の要因だ。この国で叫ばれる国益とは米国の利益であることが多い。

2014-05-24

他人が決めた基準に従うな/『悪党 小沢一郎に仕えて』石川知裕


 私がお勝手で片づけをしていると、小沢がいきなり怒り出した。
「おまえ、まだ、これ、大丈夫じゃないか」
 小沢はゴミ箱から未開封のレトルトカレーを取り出した。
「でも、先生、それは賞味期限切れていますよ」
「何を言ってんだ。まだ食えるだろう」
 12月2日の夜、立候補が認められ、2日後に記者会見を控えていた私は、小沢と大久保さんと深沢でキムチ鍋をつついた。3人で締めのおじやをかっこむと、小沢は語り始めた。
「おまえはこれからいろんな人と出会う。人と付き合っていると、悪口を言う人もいれば、いいことを言う人もいる。だが、人がどう評価しようと最後は自分で判断しなければならない」
「はい」
「夏のレトルトカレー、覚えているか?」
「あー、はい」
「あのレトルトカレーだってそうだろう。賞味期限は人が決めた基準だ。温めてみて食べて大丈夫だったらそれでいいじゃないか」

【『悪党 小沢一郎に仕えて』石川知裕〈いしかわ・ともひろ〉(朝日新聞出版、2011年)】

 2年前に読んだのだが、当時から見れば小沢一郎という名前が聞こえてくることは殆どなくなった。いやはや隔世の感がある。政治とカネの問題で検察側が勝利した見てよかろう。民主党は鳩山・小沢という功労者を切り捨てたことで党としては終わっていると思う。日本における二大政党制は頓挫した。今後の大きな流れとしては大連立に向かうような気がする。

 石川の筆致に小沢への敬意は感じられるが心酔ではない。そのバランス感覚が読み物としての価値を高めている。

 他人が決めた基準に従うな。そして小事をおろそかにするな。口数の少ない小沢の言葉だからこそ重みがある。説教じみた匂いもない。心から出たありのままの助言だろう。

 小沢が目指していたのは政治理念に基づく政党政治であり、そのための政界再編であった。ところが東日本大震災が起こり、気づいてみると世界中で保守主義志向が強まっていた。日本も例外ではない。中国・韓国の反日感情や領土問題によって国民感情は右側へ傾斜した。革新勢力の社民・共産は変わり映えすることなく、中道の公明は既に与党入りしてから15年も経ち、オール保守といった様相を呈している。

 民主党が政権をとっても何ひとつ変わらなかった。国民の落胆は大きい。選挙での選択肢がどんどん狭くなっている。間もなく軍靴の音が聞こえてきそうだ。

悪党―小沢一郎に仕えて