2014-07-27

沖仲仕の膂力と冷徹な眼差し/『魂の錬金術 エリック・ホッファー全アフォリズム集』エリック・ホッファー


『エリック・ホッファー自伝 構想された真実』エリック・ホッファー

 ・沖仲仕の膂力と冷徹な眼差し
 ・自己犠牲

 情熱の大半には、自己からの逃避がひそんでいる。何かを情熱的に追求する者は、すべて逃亡者に似た特徴をもっている。
 情熱の根源には、たいてい、汚れた、不具の、完全でない、確かならざる自己が存在する。だから、情熱的な態度というものは、外からの刺激に対する反応であるよりも、むしろ内面的不満の発散なのである。

【『魂の錬金術 エリック・ホッファー全アフォリズム集』エリック・ホッファー:中本義彦訳(作品社、2003年)以下同】

 荷を運ぶ沖仲仕(港湾労働者)の膂力(りょりょく)と思想家の冷徹な眼差しが言葉の上で交錯する。港のコンクリートを踏みしめる足の力から生まれた言葉だ。エリック・ホッファーは言葉を弄(もてあそ)ぶ軽薄さとは無縁だ。

 情熱は騒がしい。そして熱に浮かされている。ファンや信者の心理を貫くのは投影であろう。情熱には永続性がない。エントロピーは常に増大する。つまり熱は必ず冷めるのだ。特に知情意のバランスを欠いた情熱は危うい。

 われわれが何かを情熱的に追求するということは、必ずしもそれを本当に欲していることや、それに対する特別の適性があることを意味しない。多くの場合、われわれが最も情熱的に追求するのは、本当に欲しているが手に入れられないものの代用品にすぎない。だから、待ちに待った熱望の実現は、多くの場合、われわれにつきまとう不安を解消しえないと予言してもさしつかえない。
 いかなる情熱的な追求においても、重要なのは追求の対象ではなく、追求という行為それ自体なのである。

 達成よりも行為を重んじるのは現在性に生きることを意味する。功成り名を遂げることよりも今の生き方が問われる。将来の夢に向かって進む者にとって現在は厭(いと)わしい時間となる。追求よりも探究の方が相応しい言葉だろう。

 われわれは、しなければならないことをしないとき、最も忙しい。真に欲しているものを手に入れられないとき、最も貪欲である。到達できないとき、最も急ぐ。取り返しがつかない悪事をしたとき、最も独善的である。
 明らかに、過剰さと獲得不可能性の間には関連がある。

 空白の欺瞞。

 あれかこれがありさえすれば、幸せになれるだろうと信じることによって、われわれは、不幸の原因が不完全で汚れた自己にあることを悟らずに済むようになる。だから、過度の欲望は、自分が無価値であるという意識を抑えるための一手段なのである。

 欲望は満たされることがない。諸行は無常であり変化の連続だ。一寸先は闇である。我々が思うところの幸福は我が身を飾るアクセサリーに過ぎない。

 あらゆる激しい欲望は、基本的に別の人間になりたいという欲望であろう。おそらく、ここから名声欲の緊急性が生じている。それは、現実の自分とは似ても似つかぬ者になりたいという欲望である。

 名声という名のコスプレ。変身願望を抱く自分からは逃げられない。

 山を動かす技術があるところでは、山を動かす信仰はいらない。

 これぞ、アフォリズム。

「もっと!」というスローガンは、不満の理論家によって発明された最も効果的な革命のスローガンである。アメリカ人は、すでに持っているものでは満足できない永遠の革命家である。彼らは変化を誇りとし、まだ所有していないものを信じ、その獲得のためには、いつでも自分の命を投げ出す用意ができている。

 大衆消費社会の洗礼だ。

 プライドを与えてやれ。そうすれば、人びとはパンと水だけで生き、自分たちの搾取者をたたえ、彼らのために死をも厭わないだろう。自己放棄とは一種の物々交換である。われわれは、人間の尊厳の感覚、判断力、道徳的・審美的感覚を、プライドと引き換えに放棄する。自由であることにプライドを感じれば、われわれは自由のために命を投げ出すだろう。指導者との一体化にプライドを見出だせば、ナポレオンやヒトラー、スターリンのような指導者に平身低頭し、彼のために死ぬ覚悟を決めるだろう。もし苦しみに栄誉があるならば、われわれは、隠された財宝を探すように殉教への道を探求するだろう。

 これが情熱の正体なのだろう。衝動という反応だ。脳が何らかの物語に支配されれば、人は合理性をあっさりと手放す。我々は退屈な日常よりもファナティックを好む。生きがいや理想すら誰かにプログラムされた可能性を考えるべきだろう。中国や韓国の反日感情が、日本人の中で眠っていたナショナリズムを強く意識させる。ひょっとすると日本の若者は既に戦う意志を固めているかもしれない。このようにして感情はコントロールされる。踊らされてはいけない。自分の歩幅をしっかりと確認することだ。



一体化への願望/『生と覚醒(めざめ)のコメンタリー クリシュナムルティの手帖より 1』J・クリシュナムルティ

さようなら韓国、さようなら戦後体制


 菅沼光弘が「朴正煕暗殺事件はアメリカによる犯行」と指摘している(1番目の動画32分10秒)。







「瑞穂の国」の資本主義見抜く経済学これから日本と世界経済に起こる7つの大激変 (一般書)日本はニッポン! 金融グローバリズム以後の世界

2014-07-26

謀略天国日本 日本は情報戦をどう戦うか?







誰も教えないこの国の歴史の真実この国の不都合な真実―日本はなぜここまで劣化したのか?この国を脅かす権力の正体 (一般書)この国はいつから米中の奴隷国家になったのか

モノクロ画像の迫力と豊かさ


 画家のパレットかと思った。強烈な陰影だ。カラーだとこの落差を表現することは難しい。色の実体は陰影なのかもしれない。つまり遠近法だ。大地が手前に位置し、水平線が奥行きを広げる。空間は光と影によって構成されていることが理解できる。

2014-07-25

資本主義のメカニズムと近代史を一望できる良書/『資本主義の終焉と歴史の危機』水野和夫


『〈借金人間〉製造工場 “負債"の政治経済学』マウリツィオ・ラッツァラート
『タックス・ヘイブン 逃げていく税金』志賀櫻

 ・資本主義のメカニズムと近代史を一望できる良書

『閉じてゆく帝国と逆説の21世紀経済』水野和夫
『自由と成長の経済学 「人新世」と「脱成長コミュニズム」の罠』柿埜真吾
『悪の論理 ゲオポリティク(地政学)とは何か』倉前盛通
『通貨戦争 崩壊への最悪シナリオが動き出した!』ジェームズ・リカーズ
『ペトロダラー戦争 イラク戦争の秘密、そしてドルとエネルギーの未来』ウィリアム・R・クラーク
『お金2.0 新しい経済のルールと生き方』佐藤航陽

必読書リスト その二

 キリスト教の記述がしっかりしており、資本主義のメカニズと近代史を一望できる良書だ。『超マクロ展望 世界経済の真実』では控え目だった水野が本気を出すとこうなるのね。いやはや、ぶったまげたよ。

 近代とは経済的に見れば、成長と同義です。資本主義は「成長」をもっとも効率的におこなうシステムですが、その環境や基盤を近代国家が整えていったのです。
 私が資本主義の終焉(しゅうえん)を指摘することで警鐘を鳴らしたいのは、こうした「成長教」にしがみつき続けることが、かえって大勢の人々を不幸にしてしまい、その結果、近代国家の基盤を危うくさせてしまうからです。
 もはや利潤をあげる空間がないところで無理やり利潤を追求すれば、そのしわ寄せは格差や貧困という形をとって弱者に集中します。そして本書を通じて説明するように、現代の弱者は、圧倒的多数の中間層が没落する形となって現れるのです。

【『資本主義の終焉と歴史の危機』水野和夫(集英社新書、2014年)以下同】

 先進国が金融緩和をし続けているにも関わらず格差が進行するのは富の極端な集中によるものだ。川の水が海を目指すように、富は富者の口座に滞留する。海水は日光によって蒸発し雲となるが、富裕層の富が蒸発することはない。既にトリクルダウン理論も崩壊した。おこぼれが経済を押し上げることはなかった。

 日本の10年国債利回りは、400年ぶりにそのジェノヴァの記録を更新し、2.0%以下という超低金利が20年近く続いています。経済史上、極めて異常な状態に突入しているのです。
 なぜ、利子率の低下がそれほどまでに重大事件なのかと言えば、金利はすなわち、資本利潤率とほぼ同じだと言えるからです。資本を投下し、利潤を得て資本を自己増殖させることが資本主義の基本的な性質なのですから、利潤率が極端に低いということは、すでに資本主義が資本主義として機能していないという兆候です。

 2%程度だとインフレ率を上回らない。つまり国債購入者は損をする羽目になる。それでも尚、安全を求めるマネーは国債購入へ向かう。確かに金利=資本利潤率と考えれば行き場を失ったマネーの姿が見えてくる。

 利子率=利潤率が2%を下回れば、資本側が得るものはほぼゼロです。そうした超低金利が10年を超えて続くと、既存の経済・社会システムはもはや維持できません。これこそが「利子率革命」が「革命」たるゆえんです。

 金利はマネーの需要を示すわけだから、当然、実体経済において企業は設備投資を控える。リターンなき投資世界が現れたと考えてよい。

 では、この異常なまでの利潤率の低下がいつごろから始まったのか。
 私はその始まりを1974年だと考えています。図2のように、この年、イギリスと日本の10年国債利回りがピークとなり、1981年にはアメリカ10年国債利回りがピークをつけました。それ以降、先進国の利子率は趨勢的(すうせいてき)に下落していきます。
 1970年代には、1973年、79年のオイル・ショック、そして75年のヴェトナム戦争終結がありました。
 これらの出来事は、「もっと先へ」と「エネルギーコストの不変性」という近代資本主義の大前提のふたつが成立しなくなったことを意味しているのです。
「もっと先へ」を目指すのは空間を拡大するためです。空間を拡大し続けることが、近代資本主義には必須の条件です。アメリカがヴェトナム戦争に勝てなかったことは、「地理的・物理的空間」を拡大することが不可能になったことを象徴的に表しています。
 そして、イランのホメイニ革命などの資源ナショナリズムの勃興(ぼっこう)とオイル・ショックによって、「エネルギーコストの不変性」も崩れていきました。つまり、先進国がエネルギーや食糧などの資源を安く買い叩くことが70年代からは不可能になったのです。


 そんなに前だったとはね。で、アメリカはというと、水野によれば「電子・金融空間」を開拓した。15世紀半ばから始まった大航海時代の終焉だ。

フロンティア・スピリットと植民地獲得競争の共通点/『砂の文明・石の文明・泥の文明』松本健一

 原油価格の長期的な価格変動はWikipediaのチャートがわかりやすい。今からだと信じ難い話だがオイルショック前の原油価格は1バレル=2~3ドルであった(※現在は100ドル強)。

 私が経済書を読むようになったのは40代からのこと。出来るだけ若いうちから学んだ方がよい。金融・経済の仕組みを理解しなければ、自分が奪われている事実にすら気づかないからだ。

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