2014-08-31

南ア歌姫ミリアム・マケバさんの生涯、マンデラ氏が追悼の辞


 10日に死去した南アフリカの歌手、ミリアム・マケバ(Miriam Makeba)さんの悲報を受け、ネルソン・マンデラ(Nelson Mandela)元大統領は同日、追悼のコメントを発表した。

 マンデラ氏は、「彼女は南アフリカの歌の世界におけるファーストレディーであり、『ママ・アフリカ』のタイトルにぴったりの人物だった。われわれの闘争(=反アパルトヘイト闘争)、われわれの新生国家の母親的存在だった」と語った。

 マケバさんは9日、著書『死都ゴモラ(Gomorra)』をめぐってマフィアから命を狙われている作家のロベルト・サヴィアーノ(Roberto Saviano)氏のためにナポリ(Naples)近郊のカステルボルトゥルノ(Castel Volturno)で開かれたコンサートに出席。30分熱唱した後に倒れ、アンコールの大合唱の中、手当を受け、病院に運ばれたが心臓発作のため間もなく死亡した。

 1932年3月4日にヨハネスブルク(Johannesburg)で、スワジ(Swazi)人の母親とコサ(Xhosa)人の父親の間に生まれた。南アフリカの人気バンド「マンハッタン・ブラザーズ(Manhattan Brothers)」の女性ボーカルとしてデビュー。1959年の全米ツアーで、その名を世界に知らしめるにいたり、アフリカ大陸を代表する伝説的な歌姫となった。2005年に引退を決意し、さよならコンサートを世界各地で開催した。

■生涯の光と影

 マケバさんは、反アパルトヘイト闘争を展開していたマンデラ氏が獄中生活を送っていたころ、歌を通じてアパルトヘイト反対を訴えていた。1959年、映画『キングコング(King Kong)』のミュージカルに出演して南アフリカでの名声を確立したが、同年に反アパルトヘイトの映画『Come Back, Africa』に出演したことで、南アフリカ政府は1960年、マケバさんの市民権をはく奪。持ち歌の放送なども禁止した。母親の葬式に参加するための帰国も許されず、30年以上にわたる亡命生活を欧米やギニアで送った。

 その後、1965年にハリー・ベラフォンテ(Harry Belafonte)との共作でグラミー(Grammy)賞を受賞。1967年に「パタ・パタ(Pata Pata)」が大ヒットする。

 生涯に5回結婚したが、1968年に3人目の夫、米国で急進的な公民権活動を展開していたブラックパンサー党(Black Panthers)の指導者ストークリー・カーマイケル(Stokely Carmichael)氏と結婚した際には、米国内で怒りを買い、いくつかのコンサートがキャンセルされるとともに契約も解消されるという事態にまで発展した。 

 生活はしばしば困窮した。ひとり娘が1985年に36歳で亡くなったときには、ひつぎを買うお金も持ち合わせていなかった。

 自伝の中で、子宮頸(けい)がんをわずらっていることを告白。アルコール中毒とのうわさは否定した。

 1987年に米歌手ポール・サイモン(Paul Simon)が「グレースランド・ツアー」で、南アフリカの隣国ジンバブエで公演を行った際には、マケバさんも参加した。1990年代初頭にマンデラ氏が釈放され、アパルトヘイト体制が崩壊すると、約30年ぶりに帰国を許された。

■各界から追悼の辞

 南アフリカの与党アフリカ民族会議(African National Congress、ANC)のジェイコブ・ズマ(Jacob Zuma)党首は、「ミリアム・マケバは人々を楽しませるだけではなく、アパルトヘイトの下で抑圧された数百万人の気持ちを代弁するために、自分の声を駆使した」と追悼の弁を述べた。

 セネガルの歌手ユッスー・ンドゥール(Youssou Ndour)さんは、マケバさんの死を「アフリカにとって、アフリカ音楽とすべての音楽にとって、大きな損失だ」と惜しんだ。

AFP 2008年11月13日









わたしは歌う―ミリアム・マケバ自伝 (福音館日曜日文庫)

2014-08-29

ドゥードゥー・ンジャイ・ローズ / Doudou N'Diaye Rose


 ドゥードゥー・ンジャイ・ローズはセネガルの人間国宝。マイルス・デイヴィスやローリング・ストーンズとも共演したことがある。

軍部が強制的に国民を戦争に引きずりこんだというのは誤り/『ものぐさ精神分析』岸田秀


宗教とは何か?

 ・唯幻論の衝撃
 ・吉田松陰の小児的な自己中心性
 ・明治政府そのものが外的自己と内的自己との妥協の産物
 ・軍部が強制的に国民を戦争に引きずりこんだというのは誤り

『続 ものぐさ精神分析』岸田秀

 日本にペリー・ショックという精神外傷を与えて日本を精神分裂病質者にしたのも、日本を発狂に追いつめたのもアメリカであった。そのアメリカへの憎悪にはすさまじいものがあった。この憎悪は、単に鬼畜米英のスローガンによって惹き起こされたのではなく、100年の歴史をもつ憎悪であった。日米戦争によって、百年来はじめてこの憎悪の自由な発現が許された。開戦は内的自己を解放した。
 軍部が強制的に国民を戦争に引きずりこんだというのは誤りである。いくら忠君愛国と絶対服従の道徳を教えこまれていたとしても、国民の大半の意志に反することを一部の支配者が強制できるものではない。この戦争は国民の大半が支持した。と言ってわるければ、国民の大半がおのれ自身の内的自己に引きずられて同意した戦争であった。軍部にのみ責任をなすりつけて、国民自身における外的自己と内的自己の分裂の状態への反省を欠くならば、ふたたび同じ失敗を犯す危険があろう。

【『ものぐさ精神分析』岸田秀〈きしだ・しゅう〉(青土社、1977年/中公文庫、1996年)】

 特定の思想・信条・宗教を持つ者は必読のこと。岸田唯幻論に価値観を揺さぶられるのは確実だ。吉本隆明が『共同幻想論』(河出書房新社、1968年)で国家というシステムは共同幻想であると説いたが、岸田は価値観そのものを幻想と捉えている。

 抑圧された感情は消えることがない。意識から無意識へと追いやられても超自我となって自我に影響を及ぼす。

 黒船来航を「強姦」と表現したのは司馬遼太郎であった(『黒船幻想 精神分析学から見た日米関係』岸田秀、ケネス・D・バトラー:トレヴィル、1986年)。そこから太平洋戦争敗北に至るまでの日本を一人の人格と見なして岸田は精神分析を試みた。

 黒船来航(1853年)から88年後に太平洋戦争(1941年)が始まった。1945年の東京大空襲と原爆投下は日本人のメンタリティをずたずたにした。東京裁判を経て戦後教育が自虐史観を植えつけても抑圧された感情は消えることがない。そして今まさに日本国民は歩調を揃えるようにして右方向へ歩みつつある。

 何事においても責任を自分の外部に求めることは、その容易さゆえに自分を変革することがない。

ものぐさ精神分析 (中公文庫)続 ものぐさ精神分析 (中公文庫)

2014-08-28

斎藤喜博著『君の可能性 なぜ学校に行くのか』が文庫化


 ちくま少年図書、1970年/ちくま文庫、1996年

君の可能性―なぜ学校に行くのか (ちくま文庫)

 君はどうして学校へ行って勉強しなければならないのだろう、と考えたことはないだろうか? また、僕なんかもうだめなんだ、と思ったことはないだろうか? 人間はだれでも無限の可能性を内に秘めているのだ。どうしたらその可能性がひらかれるのか、数々の事実に基づいて“君の可能性”について語ってくれる本。

斎藤喜博
便所に咲いた美しい花/『詩の中にめざめる日本』真壁仁編

2014-08-25