2015-01-31

アイディアにストーリーが引き摺られて失敗/『RUBICON 陰謀のクロスワード』


 見覚えのある顔だった。おお、キンバリー・バウアーの恋人(『24 -TWENTY FOUR-』)ではないか。坊主頭じゃなかったので気づくのが少し遅れた。ザイアンスの法則に導かれて、ついつい1シーズン13話を見てしまった。

 オープニングの映像がよくできてシナプスを刺激する。クロスワード・パズルというアイディアもよい。ただしそこまで。2時間にまとめれば秀作となったことだろう。初めにアイディアありきで、ストーリーが引き摺られてしまっている。

 とにかく冗長で場面展開が遅く、登場人物の色分けが曖昧で、尚且つ一つひとつのエピソードがきちんと完結しないというお粗末ぶりを露呈している。視聴率が低迷し、シーズン1で打ち切られたのも大いに頷ける。

 APIというアメリカのシンクタンクを描いた陰謀ものだがプロットに斬新さはない。かつて『24 -TWENTY FOUR-』ではアメリカ大統領までもが陰謀に加担したという設定があり、これを超えるストーリーをひねり出すことは難しいだろう。主役の天才性も巧く描けていない。

 アメリカの多くの国民が9.11テロに政府首脳の関与があったことを疑っている(Wikipedia)。戦争やテロで巨利を得る人々が存在する。彼らが絵を描けば直ちにメディアが後押しする。映画やドラマが視聴者の感情をコントロールするように彼らは国民感情をわけもなく操作する。

 インテリジェンス(諜報)といえば聞こえはいいが、「すべてを知る」ことへの欲望は全知を目指したもので、欧米が神となって全能を果たす構造となっている。つまり「神に取り憑かれた病」なのだろう。

 腐敗した首脳陣がマッチで火を点けてはポンプから水を放つ。しかも彼らは国益を語りながら私企業の利益獲得に狂奔する。そこに私はアメリカの凋落(ちょうらく)を見る。やがて衰退し滅び去ることだろう。新しい文明がどこから誕生するかはわからないが、その兆しとして必ず新しい文化の台頭が起こるはずである。



2015-01-24

脳神経科学本の傑作/『確信する脳 「知っている」とはどういうことか』ロバート・A・バートン


 長期にわたってものを考えるとき、その考えを維持するために、推論の連鎖から十分な報酬を引き出す必要がある。しかし一方で、柔軟さも維持して、その考えに矛盾する証拠が出てきたら喜んでそれを捨てられるようでなければならない。けれども、長い間考えていて、報酬の感覚が繰り返され、発達してくると、思考と正しいという感覚とを結びつける神経連結がしだいに強化されていく。このような結びつきは、いったん形成されるとなかなか断てない。

【『確信する脳 「知っている」とはどういうことか』ロバート・A・バートン:岩坂彰訳(河出書房新社、2010年)以下同】

 まだ読んでいる最中なのだが覚え書きを残しておく。脳神経科学本の傑作だ。『脳はいかにして〈神〉を見るか 宗教体験のブレイン・サイエンス』アンドリュー・ニューバーグ、ユージーン・ダギリ、ヴィンス・ロース、『集合知の力、衆愚の罠 人と組織にとって最もすばらしいことは何か』 アラン・ブリスキン、シェリル・エリクソン、ジョン・オット、トム・キャラナン、『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ、『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ、『動物感覚 アニマル・マインドを読み解く』テンプル・グランディン、キャサリン・ジョンソンなどと、認知科学本を併読すれば理解が深まる。

 脳神経科学は身体反応に拠(よ)っている。つまり「目に見える科学」である。ただし全ての身体反応を科学が掌握しているわけではあるまい。見落としている反応もたくさんあるに違いない。その限界性を弁える必要があろう。

 ロバート・A・バートンは小説を物(もの)する医学博士である。こなれた文章で困難極まりないテーマに果敢なアプローチを試みる。

 急いで書こうとしたのにはもちろん理由がある。以下のテキストと関連が深いためだ。

英雄的人物の共通点/『生き残る判断 生き残れない行動 大災害・テロの生存者たちの証言で判明』アマンダ・リプリー

「報酬」とは具体的には中脳辺縁ドーパミン系の活性化である。

 1990年代前半に、エルサレムにあるヘブライ大学の生化学者リチャード・エブスタインらはボランティアを募り、各自が持つ、リスクや新奇なものを求める志向を評価してもらった。その結果、このような行動のレベルが高い人ほど、ある遺伝子(DRD4遺伝子)のレベルが低いことが分かった。この遺伝子は、報酬系の中脳辺縁系の重要な構造においてドーパミンの働きを調整する。そこでエブスタインらが立てた仮説は、ドーパミンによる報酬系の反応性が弱い人ほど、報酬系を刺激するために、よりリスクの高い行動や興奮につながら行動をとりやすい、というものだった。
 その後エブスタインらは、非利己的、あるいは愛他的な行動をとりがちだと自己評価する被験者では、この遺伝子のレベルが高いことも発見した。この遺伝子をたくさん持っている人は、これを持たない人よりも弱い刺激から一定の快感を得ることができるとも考えられる。

 薬物やアルコールなどの依存症、暴走族や犯罪傾向が顕著な人物を思えば理解しやすいだろう。アマンダ・リプリーが「英雄的人物」と評価した人々を支えていたのは遺伝子である可能性が考えられる。「救助者たちは概して民主的で多元的なイデオロギーを支持する傾向があった」(アマンダ・リプリー)事実は、特定の宗教や思想・信条といった狭い世界ではなく、より広い世界から報酬を得られることを示唆している。

 私はよく思うのだが、自分が正しいと主張し続けることは、生理学的に見て依存症と似たところがあるのではないだろうか。遺伝的な素因も含めて。自分が正しいことを何としても証明してみせようと頑張る人を端から見ると、追求している問題よりも最終的な答えから多くの快感を得ているように思える(本人はそう思っていない)。彼らは、複雑な社会問題にも、映画や小説のはっきりしない結末にも、これですべて決まり、という解決策を求める。常に決定的な結論を求めるあまり、最悪の依存症患者にも劣らないほど強迫的に追い立てられているように見えることも少なくない。おそらく、実際そうなのだろう。

 正義を主張する原理主義者は脳内で得ることのできない報酬を、特定の集団内で得ているのだろう。

 やや難しい内容ではあるが、かような傑作を見落としていた自分の迂闊(うかつ)さに驚くばかりである。

秀逸な文体を味わう/『ダニー・ザ・ドッグ』ルイ・レテリエ監督


『名探偵モンク』のような秀作を見ると、他のドラマを見る気が失せる。元々、『ブレイキング・バッド』は数回見て挫け、『パーソン・オブ・インタレスト 犯罪予知ユニット』はシーズン2の途中でやめ、『プリズナーズ・オブ・ウォー』、『Dr. HOUSE』、『メンタリスト』、『チョーズン:選択の行方』、『ALPHAS/アルファズ』と挫折が続いた。

「カネをかけてヒット作を狙う」あざとい精神がリアリティを見失っているのだろう。視聴者をただ驚かせようとしていて、共感を排除する傾向が顕著だ。

 疲れ果てた私が思い出したのは映画『ダニー・ザ・ドッグ』であった。


「超映画批評」の前田有一氏が秀逸なレビューを書いている。

『ダニー・ザ・ドッグ』20点

「我が意を得たり」という批評である。それでも尚、面白いものは面白いのだ。私が映画作品を二度見ることは滅多にない。

『ダニー・ザ・ドッグ』は荒唐無稽なストーリーを秀逸な文体(脚本)で描いた作品だ。しかも場面展開が速いので最後まで飽きることがない。

 はっきりと書いておくが最大の問題は有色人種であるダニー(ジェット・リー)を犬扱いしていることで、拭い難い人種差別意識に蔽(おお)われている。ダニーを救うサム(モーガン・フリーマン)は黒人だが、娘のヴィクトリア(ケリー・コンドン)と血のつながりはない。そしてダニーの首輪を外したのがヴィクトリアである事実を思えば、やはり抑圧された人種を救う白人という構図が浮かんでくる。尚且つ、ダニーは文化と無縁という設定になっている。

 ケリー・コンドンは17歳という設定だが実に可愛い。まるで「赤毛のアン」さながらである。決して美人ではないのだが、髪型やファッション(モーガン・フリーマンもそうだがカーディガンが非常によい)はもとより目尻の皺まで愛らしく見える。

 ジェット・リーのアクションも見もので、『ボーン・アルティメイタム』のトイレでの格闘シーンは明らかに本作品のパクリである。


 尚、ボーン・シリーズのサイドストーリーとして『ボーン・レガシー』という映画があるが、ほぼ『ボーン・アルティメイタム』の焼き直しとなっている。

 そういえば「記憶の欠如」という点でもこれらの映画は似ている。要は自分探しと救いの物語である。

 モーガン・フリーマンとケリー・コンドンという善人に対抗するのが、バート(ボブ・ホスキンス)で、この悪役ぶりが秀逸だ。特に彼の「善意を装った言葉」が悪を際立たせている。

 デタラメなストーリーであるにもかかわらず面白い作品を私は「文体映画」と呼びたい。例えばポール・フェイグ監督の『アイ・アム・デビッド』など。

 ストーリーと文体が一致した稀有な作品には『アメリ』や『ドッグヴィル』、『善き人のためのソナタ』、『灼熱の魂』などがある。

「町山智浩帰国トークイベント」2010年7月28日新宿ロフトプラスワン

2015-01-21

日本人人質動画に合成疑惑