少し前のことだが、時々見かける学校帰りの少女(たぶん小2)に「お帰り!」と声をかけると、消え入りそうな声で「あ、ただいま」と言った。次に会った時は、手を胸のあたりまで持ち上げたが振らなかった(笑)。それが今じゃどうだ。両手を振って「じゃあねー、バイバーイ」とか言ってやがるよ。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2015, 3月 13
挨拶は心の窓に風を吹かせる。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2015, 3月 13
少し前のことだが、時々見かける学校帰りの少女(たぶん小2)に「お帰り!」と声をかけると、消え入りそうな声で「あ、ただいま」と言った。次に会った時は、手を胸のあたりまで持ち上げたが振らなかった(笑)。それが今じゃどうだ。両手を振って「じゃあねー、バイバーイ」とか言ってやがるよ。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2015, 3月 13
挨拶は心の窓に風を吹かせる。
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この説によれば、意識は何ら活動しておらず、実際、何もすることはできないという。ハーバート・スペンサー(訳注 1820-1903、イギリスの哲学者)は、厳密な進化論と矛盾しないためにはこのように意識を一段低く見るしかないとした。現実的な実験主義者の多くは今なお彼と意見を同じくしている。動物は進化し、その過程で神経系やその機械的反射作用の複雑性が増す。神経がある一定の複雑性に達すると、意識が生まれ、この世界の出来事をただ傍観者として眺めるだけの、救いのない行動を始めるというのだ。
私たちの行動は、脳の配線図と、外界の刺激に対する反射作用とに完全に制御されている。意識は配線が出す熱であり、随伴的な現象にすぎない。シャドワース・ホジソン(訳注 1832-1912、イギリスの哲学者)が言うように、意識が持つ感情は、色そのものによってではなく、色のついた無数の石によってまとまりを保っている、モザイクの表面の色にすぎない。あるいは、トマス・ヘンリー・ハクスリー(訳注 1825-95、イギリスの生物学者)がある有名な論文で主張したように、「我々は意識を持つ自動人形である」。
【『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ:柴田裕之訳(紀伊國屋書店、2005年)】
西暦1700年か、あるいはさらに遅くまで、イギリスにはクラフト(技能)という言葉がなく、ミステリー(秘伝)なる言葉を使っていた。技能をもつ者はその秘密の保持を義務づけられ、技能は徒弟にならなければ手に入らなかった。手本によって示されるだけだった。
【『プロフェッショナルの条件 いかに成果をあげ、成長するか』P・F・ドラッカー:上田惇生〈うえだ・あつお〉編訳(ダイヤモンド社、2000年)】
何世紀にもわたって人々は考察と実験を重ね、時代によって「精神」と「物質」、「主体」と「客体」、「魂」と「体」などと呼ばれた二つの想像上の存在を結びつけようと試み、意識の流れや状態、内容にかかわる果てしない論考を行ない、様々な用語を区別してきた。そうした用語には「直観」(訳注 論証を用いないで対象を一挙に捉えること)、「センス・データ」(訳注 感覚を通じて意識に上るもの。イギリスの哲学者ジョージ・ムーアや同じくイギリスの哲学者バートランド・ラッセルの用語)、「所与」(訳注 外界から直接与えられるもの)、「生(なま)の感覚」(訳注 経験そのものから受ける主観的な感覚)、「センサ」(訳注 感覚のこと。イギリスの哲学者C・D・ブロードの造語)、「表象」(訳注 頭の中に現れる外的対象の像)、「構成主義者」(訳注 ドイツの心理学者ヴィルヘルム・ヴントなど)の内観における「感覚」や「心像」や「情緒」、科学的実証主義者(訳注 フランスの哲学者オーギュスト・コントなど)の「実証データ」、「現象的場」(訳注 アメリカの心理学者カール・ロジャース(ママ)が唱えた経験の主観的現実)、トマス・ホッブズ(訳注 1588-1679、イギリスの政治思想学者)の「幻影」(訳注 ホッブズは著書『リヴァイアサン』の中で、人が眠っていると気づかずに見る幻や幻影の話をしている)、イマヌエル・カント(訳注 1724-1804、ドイツの哲学者)の「現象」(訳注 カントは、私たちが経験するのは物ではなくその現象であるとし、現象に客観的現実を認めようとした)、観念論者の「仮象」(訳注 ドイツ観念論の頂点に立つ哲学者W・F・ヘーゲルは、カントの主観的な仮象と客観的な現象の二分法を退け、仮象も本質の現れであるとした)、エルンスト・マッハ(訳注 1838-1916、オーストリアの物理学者、哲学者)の「感性的諸要素」(訳注 マッハは、世界は色や音などの感覚的諸要素から成り立っていると考えた)、チャールズ・サンダース・パース(訳注 1839-1914、アメリカの論理学者)の「ファネロン」(訳注 パースの造語で、現象を意味する)、ギルバート・ライル(訳注 1900-76、イギリスの哲学者)の「カテゴリー・ミステイク」(訳注 ライルは、別のカテゴリーに属するものを同等に論ずることはできないとした)などがある。しかし、これらすべてをもってしても、意識の問題はいまだに解決されていない。この問題にまつわる何かが解決されることを拒み、しつこくつきまとってくる。
どうしても消え去らぬのは差異だ。それは他者が見ている私たちと、私たち自身の内的自己観やそれを支える深い感覚との差異、あるいは、共有された行動の世界にいる「あなたや私」と、思考の対象となる事物の定めようのない在りかの差異だ。
【『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ:柴田裕之訳(紀伊國屋書店、2005年)】
ことばの終りの時代に、神話があった。そして神話は、古代の文字の形象のうちにも、そのおもかげをとどめた。そのころ、自然は神々のものであり、精霊のすみかであった。草木(くさき)すら言(こと)問うといわれるように、草木にそよぐ風さえも、神のおとずれであった。人々はその中にあって、神との交通を求め、自然との調和をねがった。そこでは、人々もまた自然の一部でなければならなかった。
人々は風土のなかに生まれ、その風気を受け、風俗に従い、その中に生きた。それらはすべて、「与えられたるもの」であった。風気・風貌・風格のように、人格に関し、個人的と考えられるものさえ、みな風の字をそえてよばれるのは、風がそのすべてを規定すると考えられたからである。自然の生命力が、最も普遍的な形でその存在を人々に意識させるもの、それが風であった。人々は風を自然のいぶきであり、神のおとずれであると考えたのである。
【『漢字 生い立ちとその背景』白川静〈しらかわ・しずか〉(岩波新書、1970年)】
古代にあっては、ことばはことだまとして霊的な力をもつものであった。しかしことばは、そこにとどめることのできないものである。高められてきた王の神聖性を証示するためにも、ことだまの呪能をいっそう効果的なものとし、持続させるためにも、文字が必要であった。文字は、ことだまの呪能をそこに含め、持続させるものとして生まれた。
【『漢字 生い立ちとその背景』白川静〈しらかわ・しずか〉(岩波新書、1970年)】
臨滅度時本尊:日蓮の臨終時に掲げられたという伝承のある十界曼荼羅。鎌倉・妙本寺蔵。 pic.twitter.com/esazO84sbb
— 小野不一 (@fuitsuono) 2015, 3月 9