2015-11-26

幕末会津の生活誌/『武家の女性』山川菊栄


『逝きし世の面影』渡辺京二
『明治維新という過ち 日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト』原田伊織
『龍馬の黒幕 明治維新と英国諜報部、そしてフリーメーソン』加治将一
『シドモア日本紀行 明治の人力車ツアー』エリザ・R・シドモア

 ・幕末会津の生活誌

・『覚書 幕末の水戸藩』山川菊栄
『武士の娘 日米の架け橋となった鉞子とフローレンス』内田義雄
・『武士の娘』杉本鉞子
『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』石光真人
『守城の人 明治人柴五郎大将の生涯』村上兵衛
『國破れてマッカーサー』西鋭夫

 おじいさんは十二、三から十四、五くらいのあどけない娘たちが、一日ろくに口もきかずにせっせと針を動かしているのを見て、いじらしくて堪(たま)らなくでもあったのでしょう。そして何とかしてくつろがせ、慰めてやりたくて堪らなかったのでしょう。ときどき余興を始めます。
 「ねえお師匠さん、いいでしょう、あれを出して下さいよ、ね、お師匠さん」
と、大きなおじいさんが小さなお師匠さんのそばに来て、何かしきりにせがみます。
 「まあ今日はおやめになった方がようございましょう」
とお師匠さんは相手にならず、針を放そうともしません。おじいさんは赤ん坊のようにお師匠さんの傍ににじりよって、おねだりして離れません。
 「まあそんなことをいわないで、あれを出して下さいよ、ねえお師匠さん、ねえ」
いつまでもやめないので、お師匠さんも仕方なしに立っていって、奥の長持をあけて何やら出す様子です。やがておじいさんは、郡内(ぐんない)の表にお納戸甲斐絹(なんどかいき)の裏をつけた客夜具(やぐ)を着て――それがうちかけのつもりなのです――右の手には用心棒という六尺の樫(かし)の棒を杖につき、猟にでもいく時のものでしょう、大きな竹の皮の笠(かさ)を左手にもち、一生懸命細い、かわいらしい声を出して、
 「もうしもうし、関を通して下さんせ」
と関寺の小町姫になって現われます。裃(かみしも)に大小でもささせたら御奉行様くらいには見えそうな、目の大きな、鼻の高い、立派な顔だちの人ではありましたが、何しろ酒やけの赤ら顔で、頭は禿げ上がり、紫色の大きな厚い唇をした大入道のこと、それが半幅の袖口のついた郡内縞の大夜着(やぎ)を着て、精一杯かわいらしい声を振りしぼって小町姫を踊るのですから、若い娘たちは、お腹を抱えて笑わずにはいられません。座敷中、仕立物もそっちのけにして、笑いどよめくのを見ておじいさんは大得意、嬉しくて堪らないのでした。

【『武家の女性』山川菊栄〈やまかわ・きくえ〉(三國書房、1943年/岩波文庫、1983年)以下同】

「おじいさん」は石川富右衛門という老藩士、「お師匠さん」は細君である。水戸藩士青山延寿〈あおやま・のぶとし〉の娘・千世(ちせ)が山川菊栄の母。幕末会津の生活誌を生き生きとした筆致で綴る。当時、「自分の着物を自分で縫えるようになること」が女性の嗜(たしな)みであったという。

 それにしても、まるで実際に見てきたような描き方である。母が語る過去の鮮やかな精彩が読者にまで伝わってくる。菊栄は婦人問題研究家、夫の山川均はマルクス主義者であった。初版は戦時中に刊行されており思想色は見られない。藤原正彦がお茶の水女子大の読書ゼミで採用し、広く知られるようになった(『名著講義』2009年)。

 石川富右衛門があずかった少女たちを可愛がる様子は、それこそ目に入れても痛くないといった風で微笑ましい。娘たちが縫った着物に少しでもケチがつくと大変な剣幕で抗議をしたという。何も知らない千世のもとに客が詫びを入れにわざわざ訪れたことが書かれている。

 この石川さん夫婦は烈公以前の哀公時代、すなわち文化文政の、のんびりした華やかな時代に青年期を送り、芝居も遊芸も自由に楽しめた時代に育った人でした。したがって芸ごとにも明るく、人柄ものびのびしていました。とはいってもこのおじいさんはただの好々爺(こうこうや)ではなく、きかん気で有名な人だったのです。この人がまだ若い自分たいそう威張りやで意地悪の役人があり、新参の下役をコキ使ったり、苦しめたりして嫌われていました。その人の下役にこのおじいさんがなった時には、さてあのきかん気の石川が無事にすむだろうか、とみな心配しました。間もなく、その意地悪の上役と石川さんとが一所に御殿に宿直することになりましたが、翌朝、上役は例の通り、いばりくさって、石川さんに洗面のお湯をもってこいと命じました。持ってきたお湯は、いつもやかましくいうことですから、熱からず、ぬるからず、ちょうどいい加減のものと思ったのでしょう、上役はいきなり両手を突込みました。ところがグラグラ煮立っていたのですから堪りません。
 「アツツ」
と叫んで取り出した両手はただれたように赤くなっています。すると傍で見ていた石川さんは、
 「ヤアやけどか、やけどなら灰がいい」
というかと思うと、いきなり火鉢の灰をパッとかぶせました。居合わせた者は気をのまれて声も立てず、やけどの上に灰まみれになった相手も、大男で力持ちの石川さんが仁王立ちになっているのを見て、刀をぬこうともしませんでした。その上役にはみな困りぬいていたこととて、一人の同情者もなく「石川はよくやった」、「石川でなければああはできない」などという者ばかり。石川さんは何のお咎(とが)めもなく他の役に転勤を命ぜられて、その意地悪の上役とは無関係の地位におかれただけ、儲(もう)けものをしたのでした。このことがあってから、身分はいたって低いのでしたが、石川富右衛門といえば誰知らぬ者もなくなったそうです。
 石川さんに会(ママ)っては、さすがの藤田東湖もこっぱみじんです。
 「何あの古着屋が」
と、てんで問題にしません。

 烈公とは徳川斉昭〈とくがわ・なりあき〉(1800-60年)で最後の将軍・慶喜〈よしのぶ〉の実父。哀公は斉昭の養父・徳川斉脩〈とくがわ・なりのぶ〉(1797-1829年)である。藤田東湖は斉昭の腹心で明治維新を染め抜いた水戸学の大家。

 会津には名君・保科正之(1611-73年)が定めた「会津家訓(かきん)十五箇条」が伝わる。また10歳未満の子弟には「什(じゅう)の掟」が脈々と叩き込まれる。「ならぬことはなならぬものです」というあれだ。寄り合いでは必ず前日に「掟を守ったかどうか」を確認し合う。そして破った者には制裁が加えられる。「什」はきわめて民主的に運営されており、判断が難しい場合は年長者に知恵を借りた。陪審員裁判の先駆か。現在は「あいづっこ宣言」として児童が唱える。

 石川の大暴れには「卑怯な振舞をしてはなりませぬ」「弱い者をいぢめてはなりませぬ」の精神が垣間見える。悪を許さぬ激情と少女たちへの愛情は表裏一体だ。石川の真剣さは明確な殺意となって相手に伝わったことだろう。

 私が幼かった頃はまだ「弱きを助け強きを挫(くじ)く」気風が残っていた。陰湿ないじめを見たことがない。やがて戦後教育の成れの果てが校内暴力・家庭内暴力を引き起こす。長幼の序は崩壊した。1970年代後半のことである。

 社会におけるタテの関係がズタズタになったまま日本はバブル景気へ向かう。バブルが弾けた後、オウム真理教によるテロ事件や女子中高生による援助交際が露見した。かつての日本にはあり得ない変化であった。

 千世刀自(とじ)のように生き生きと語るほどの過去が私にあるだろうか? 豊かな時代になればなるほど些末な人生を生きる羽目に陥る。都会で育てば「兎追ひし彼の山」も「小鮒釣りし彼の川」もない。祖国を思う心を否定した挙げ句、郷土を愛する気持ちすら失いつつあるような気がしてならない。

2015-11-25

【佐藤優】くにまるジャパン 2015年11月20日(金)

小林よしのり


 1冊読了。

 160冊目『国民の遺書 「泣かずにほめて下さい」靖國の言乃葉100選』小林よしのり責任編集(産経新聞出版、2010年)/靖国神社で販売されている『英霊の言乃葉』の第1~9輯(しゅう)の選集。産経新聞出版社が小林に選者を依頼した。一気に読むこと能(あた)わず。私は北海道で生まれ育った。北海道民の多くは移住者や引揚者で住んでから4世代ほどしか経っていない。先祖や家という概念が稀薄で、離婚率が高い理由もそこにあるのだろう。その私が生まれて始めて「父祖の思い」を知った。靖国神社に祀られている英霊は国事に殉じた人々で、ペリー来航から大東亜戦争までの期間に及ぶ。これすなわち日本の近代化に殉じた人々と言い換えてもよかろう。私は敢えて本書を薦めない。特攻隊や死刑となった人々の生きざまが台風のごとく読み手の感情を翻弄する。その激しい風に耐え、両足を知性という大地に下ろすことのできる者のみが読むべきであろう。まして本書の言葉を声高に吹聴する輩など断じて信用すべきではない。飽くまでも自分が向き合う言葉なのだ。併せて読むべきは『きけ わだつみのこえ 日本戦没学生の手記』日本戦没学生記念会編、『今日われ生きてあり』神坂次郎、『月光の夏』毛利恒之、『新編 知覧特別攻撃隊』高岡修編、『保守も知らない靖国神社』小林よしのり、『イタリア抵抗運動の遺書 1943.9.8-1945.4.25』P・マルヴェッツィ、G・ピレッリ編など。

上野正彦、周東寛、他


 2冊挫折、2冊読了。

金融世界大戦 第三次大戦はすでに始まっている』田中宇〈たなか・さかい〉(朝日新聞出版、2015年)/ウェブサイトの記事をまとめたもの。恐ろしく読みにくい。ページ下の余白も気になる。

ありふれた祈り』ウィリアム・ケント・クルーガー:宇佐川晶子〈うさがわ・あきこ〉訳(ハヤカワ・ポケット・ミステリ、2014年)/「もしもし」(13ページ)は致命的な翻訳ミス。翻訳というよりは日本語の問題である。「もしもし」は電話を掛けた人が使う言葉で、受けた人が言うのは誤り。「もしもし、道をお尋ねしますが」のもしもしと一緒だ。もともとは「申し申し」。早川書房の校正の甘さを嗤(わら)う。

 158冊目『糖尿病・高血圧・脂肪太り ぜんぶよくなるタマネギBOOK』周東寛〈しゅうとう・ひろし〉監修(GEIBUN MOOKS、2010年)/芸文社の月刊誌『はつらつ元気』から派生したムック本。画像とフォントのバランスがよい。記事も及第点。最近読んできたタマネギ本の中では一押し。周東寛は南越谷健身会クリニック院長。書籍タイトルや体験談が薬事法を踏み越えているが、ま、ご愛嬌ということで。

 159冊目『自殺の9割は他殺である 2万体の死体を検死した監察医の最後の提言』上野正彦(カンゼン、2012年)/良書。ラストメッセージの味わいあり。上野は1929年生まれ。もの言わぬ死体のメッセージを上野が翻訳する。いじめ自殺に寄り添う心が胸を打ってやまない。

2015-11-23

朝倉慶、落合莞爾、井上章一、他


 3冊挫折、2冊読了。

つくられた桂離宮神話』井上章一(弘文堂、1986年/講談社学術文庫、1997年)/批判のあり方としては王道を歩む本である。「桂離宮の発見者」と目されているブルーノ・タウトだが、その前後の美術界における言動を詳細に検証する。この手法は歴史や宗教にも応用されてしかるべきだ。中ほどまで読むも、同じような話の繰り返しが目立つ。併読する書籍が少なければ読み終えたことだろう。

フライパンでつくる 美腸 グラノーラ』小林暁子〈こばやし・あきこ〉(角川SSCムック、2014年)/本の構成が悪い。判型も妙に横幅が長い。テキストのバランスが悪く読むに堪えないクソ本である。やたらと店の紹介をするのもおかしい。立ち読みで十分だ。

堕ちた庶民の神 池田大作ドキュメント』溝口敦(三一書房、1981年)/『池田大作 「権力者」の構造』の増補版であった。池田の会長辞任を巡って再商品化したのだろう。

 156冊目『逆説の明治維新』落合莞爾監修(別冊宝島、2015年)/なかなか面白かった。明治維新の全体的な流れがよくわかった。落合は徳川慶喜を高く評価する。戊辰戦争(1868-69)については薩長土の低い身分の者どもを士族に引き上げる報奨を与える目的があったと指摘。いくばくかの疑問あり。

 157冊目『もうこれは世界大恐慌 超インフレの時代にこう備えよ!』朝倉慶〈あさくら・けい〉(徳間書店、2011年)/この人の情報は部分的に読むのが正しいと思われる。とにかく芸風が酷い。ひたすら投資家の不安を煽る手口で怪文書並みの文体となっている。「奥さん、大変ですよ!」ってな感じだ。その軽さが信用ならない。まして巻末で船井幸雄を持ち上げるに至っては何をか言わんやである。炎上商法の亜流か。