2018-04-29

壮烈な心と凄絶な生き方/『松風の門』山本周五郎


『一人ならじ』山本周五郎
『日日平安』山本周五郎

 ・壮烈な心と凄絶な生き方
 ・すべてのミュージシャンが必読すべき珠玉の短篇

必読書リスト その一

 二人は馬を繋(つな)いで歩きだした。松風が蕭々(しょうしょう)と鳴っていた。前も後も、右も左も、耳の届くかぎり松風の音だった。宗利は黙って歩いていった。石段を登って、高い山門をくぐると、寺の境内も松林であった。そして其処もまた潮騒(しおさい)のような松風の音で溢れていた。(「松風の門」/「現代」昭和15年10月号)

【『松風の門』山本周五郎(新潮文庫、1973年)】

 池藤小次郎〈いけふじ・こじろう〉は伊達宗利〈だて・むねとし〉の右目を失明させた。10歳の宗利は小次郎に口外を禁じた。20年以上を経て宗利は江戸から帰郷する。神童と呼ばれ武芸にも学問にも秀でた小次郎は八郎兵衛〈はちろべえ〉と名を改め、見る影もなく落ちぶれていた。幼い頃、彼に対して捻(ねじ)れた感情を抱いていた宗利も鼻で笑った。

 農民たちの一揆に八郎兵衛が厳しい対処をした。穏便に収めようと考えていた宗利は八郎兵衛に謹慎を言い渡す。ここから物語は急展開を見せる。

 壮烈な心と凄絶な生き方を描いて周五郎の右に出る者はあるまい。この作品を発表した2年後には天下分け目のミッドウェー海戦があり日本軍の敗色が濃くなる。八郎兵衛夫婦のやり取りと比べれば、宗利と相談役の朽木大学の会話は宗利の底の浅さが露呈している。江戸300年の安定した歴史は主従の関係を絶対化したものだ。士農工商という身分はさほど厳格ではなかった(『お江戸でござる』杉浦日向子監修)が、武士の生き方は様式化され道にまで格上げされた。「君君たらずとも臣臣たらざるべからず」(『古文孝経』)との忠誠心は美徳であった。

 あまりにも深い心は人に知られることがない。ただ朽木大学のみが八郎兵衛の行為を理解した。

 風は変化の象徴である。風は何かを払い、そして飛ばす。読み手の心にも風が吹き渡る。



小善人になるな/『悪の論理 ゲオポリティク(地政学)とは何か』倉前盛通

2018-04-28

安倍首相辞任の真相/『この国の不都合な真実 日本はなぜここまで劣化したのか?』菅沼光弘


『日本はテロと戦えるか』アルベルト・フジモリ、菅沼光弘:2003年
『この国を支配/管理する者たち 諜報から見た闇の権力』中丸薫、菅沼光弘:2006年
『菅沼レポート・増補版 守るべき日本の国益』菅沼光弘:2009年
『この国のために今二人が絶対伝えたい本当のこと 闇の世界権力との最終バトル【北朝鮮編】』中丸薫、菅沼光弘:2010年
『日本最後のスパイからの遺言』菅沼光弘、須田慎一郎:2010年
『この国の権力中枢を握る者は誰か』菅沼光弘:2011年

 ・教科書問題が謝罪外交の原因
 ・アメリカの穀物輸出戦略
 ・中国の経済成長率が鈍化
 ・安倍首相辞任の真相

『日本人が知らないではすまない 金王朝の機密情報』菅沼光弘:2012年
『国家非常事態緊急会議』菅沼光弘、ベンジャミン・フルフォード、飛鳥昭雄:2012年
『この国はいつから米中の奴隷国家になったのか』菅沼光弘:2012年
『誰も教えないこの国の歴史の真実』菅沼光弘:2012年
『この世界でいま本当に起きていること』中丸薫、菅沼光弘:2013年
『神国日本VS.ワンワールド支配者』菅沼光弘、ベンジャミン・フルフォード、飛鳥昭雄
『日本を貶めた戦後重大事件の裏側』菅沼光弘:2013年

 最近、ブッシュ政権の国務長官だったコンドリーザ・ライスが回顧録を出しましたが、そのかで北朝鮮に対する日本政府の対応を痛烈に非難しています。ライス国務長官は、当時のチェイニー副大統領などの強硬派の意見を退けて、ブッシュ大統領に北朝鮮との話し合い路線を進めていたからです。アメリカは「テロ支援国家」の名簿に入れていた北朝鮮を、名簿から外す方向で考えていたのです。
 しかし安倍さんは、日本人を拉致するというのはまさしくテロではないか。北朝鮮はテロ支援国家どころかテロ国家そのものだと主張しつづけてきた。それで2007年9月9日にAPEC(アジア太平洋経済協力会議)がオーストラリアのシドニーで開催されたとき、「北朝鮮をテロ支援国家から外さないように」とブッシュ大統領に懇願したのです。それに対してブッシュ大統領は「考えましょう」と返事をした。
 ところが帰国した翌日、安倍さんは午後の衆院本会議で施政方針演説をやる予定でしたが、その午前中に、アメリカ大使館から「ノー」という返事がきた。「大統領は北朝鮮のテロ支援国家指定解除をやります」と。安倍さんはいわばアメリカから梯子(はしご)を外されてしまったのです。これで完全にギブアップした安倍さんは、2日後の9月12日に「健康上の理由」で突如、辞任を表明することになってしまったのです。

【『この国の不都合な真実 日本はなぜここまで劣化したのか?』菅沼光弘(徳間書店、2012年)】

田中角栄の失脚から日本の中枢はアメリカのコントロール下に入った」の続きを。この事実をどう捉えるか? 中には「そんなことぐらいで……」と思う人もいるだろう。安倍首相は拉致問題に政治生命を懸けていたに違いない。小泉首相訪朝後、拉致被害者5人が日本に帰国したが、小泉は彼らを北朝鮮に帰すつもりだった。これに猛反対したのが安倍晋三官房副長官と中山恭子拉致担当内閣官房参与だった。

「戦後レジームからの脱却」とは史実に基づく日本近代史の見直しと、自立した国家すなわち自分の国は自分で守るという当たり前の姿を目指すものだ。アメリカに国家の安全保障を委ね、左翼政党や進歩的文化人に配慮する中で拉致被害が発生した。当初は政府はおろかどの政党もその事実を認めようとはしなかった。シベリア抑留の二の舞を踏んだといってよかろう。

「戦利品」の一つとして、日本人捕虜のシベリヤ強制労働の道は開かれていた/『内なるシベリア抑留体験 石原吉郎・鹿野武一・菅季治の戦後史』多田茂治

 そして今再び北朝鮮を巡って世界が揺れている。アメリカは二度にわたって日朝国交正常化を阻んできた(『日本人が知らないではすまない 金王朝の機密情報』菅沼光弘)。もう一つ重要な歴史として米中国交回復のためにアメリカは沖縄を返還した(『この世界でいま本当に起きていること』中丸薫、菅沼光弘)事実を忘れてはならない。

 トランプ大統領が安倍晋三を信頼しているのは確かだが、アメリカ・ファーストのためとあらばまたしても梯子を外す可能性を考えておく必要がある。もしもアメリカがアジアから一歩退くとなればそこに中国が攻め込んでくる。アメリカ頼みの防衛は極めて危険である。インド・ロシアそしてASEAN諸国・台湾との連携を模索すべきだ。今直ぐに。

この国の不都合な真実―日本はなぜここまで劣化したのか?
菅沼 光弘
徳間書店
売り上げランキング: 402,741

読み始める

日本は誰と戦ったのか
江崎 道朗
ベストセラーズ
売り上げランキング: 11,785

決断の条件 (新潮選書)
会田 雄次
新潮社
売り上げランキング: 193,466

自動車問答
自動車問答
posted with amazlet at 18.04.28
沢村慎太朗
文踊社 (2016-04-12)
売り上げランキング: 331,409

体の痛みが13秒でスーッと消える!   すごい整体
上原 考一
SBクリエイティブ
売り上げランキング: 9,747

タテ社会の人間関係 (講談社現代新書)
中根 千枝
講談社
売り上げランキング: 2,404

豆腐屋の四季 ある青春の記録 (講談社文芸文庫)
松下 竜一
講談社
売り上げランキング: 366,191

戸田城聖述水滸会記録を解読する
小川 頼宣 小多仁 伯
人間の科学新社 (2017-10-11)
売り上げランキング: 525,643

輸入ビジネスがすらすらデキる本 第2版 ―1日1時間で月収100万円!
佐藤大介
自由国民社 (2016-07-04)
売り上げランキング: 305,113

てんきち母ちゃんの 茶色いおかずばっかり!
井上 かなえ
扶桑社 (2017-06-02)
売り上げランキング: 7,811

2018-04-27

田中角栄の失脚から日本の中枢はアメリカのコントロール下に入った/『この国の権力中枢を握る者は誰か』菅沼光弘


『日本はテロと戦えるか』アルベルト・フジモリ、菅沼光弘:2003年
『この国を支配/管理する者たち 諜報から見た闇の権力』中丸薫、菅沼光弘:2006年
『菅沼レポート・増補版 守るべき日本の国益』菅沼光弘:2009年
『この国のために今二人が絶対伝えたい本当のこと 闇の世界権力との最終バトル【北朝鮮編】』中丸薫、菅沼光弘:2010年
『日本最後のスパイからの遺言』菅沼光弘、須田慎一郎:2010年

 ・IAEA(国際原子力機関)はアメリカの下部組織
 ・日米経済戦争の宣戦布告
 ・田中角栄の失脚から日本の中枢はアメリカのコントロール下に入った

『この国の不都合な真実 日本はなぜここまで劣化したのか?』菅沼光弘:2012年
『日本人が知らないではすまない 金王朝の機密情報』菅沼光弘:2012年
『この国はいつから米中の奴隷国家になったのか』菅沼光弘:2012年
『誰も教えないこの国の歴史の真実』菅沼光弘:2012年
『この世界でいま本当に起きていること』中丸薫、菅沼光弘:2013年
『日本を貶めた戦後重大事件の裏側』菅沼光弘:2013年

 アメリカのFBIは日本との関わりのなかで、どこにどれだけのお金が流れたかなど、あらゆる情報を把握しています。ロッキード事件では、それがたまたまロッキード・丸紅ルートとして表面化したけれど、アメリカが叩こうとしたのは日本の首相であって、それ以外はどうでもよかったのです。
 アメリカには罪を認めて当局の捜査に協力すれば刑を軽減したり不起訴にするという司法取引精度がある。アメリカの刑事裁判は大部分が司法取引で行われているから、事件の証拠などいくらでも出てきます。だから贈賄側であるロッキードの副会長コーチャンも司法取引に応じて、不起訴を条件にぺらぺらとしゃべる。その証拠をアメリカ政府はポンと出して、あとは日本の検察が好きなようにおやりなさいよとやる。その証拠を東京地検特捜部がアメリカまでもらいに行った。その中心にいて田中角栄に論告求刑したのが、現在「さわやか福祉財団」で理事長をつとめている堀田力さんです。
 しかし、いまもいろいろと問題を起こしていますが、当時から検察のやり方というのは実に卑劣です。一国の総理だった人物を外為法違反などということで捕まえる。そんなことが許されていいのかどうか。結局、これもまたアメリカの意向にそって検察が動いているからです。田中角栄を見せしめに締め上げて、「今後一切、アメリカに逆らうようなことは許さない」というアメリカのお先棒をかつぐ、日本の検察はまったく地に堕(お)ちてしまいました。
 地に堕ちたのは検察ばかりではありません。アメリカに逆らえば潰されるということを身にしみて知らされた日本の総理大臣もまた、このときから地に堕ちてしまった。とりわけ中曽根康弘から竹下登へとつづく内閣はアメリカの要求を100パーセント飲みつづけ、その後の自民党政権はことごとくアメリカの言いなりという状態になりました。海部俊樹しかり、宮澤喜一しかり、橋本龍太郎しかり、小泉純一郎しかりです。

【『この国の権力中枢を握る者は誰か』菅沼光弘(徳間書店、2011年)】

 ロッキード事件はアメリカに先んじて中国と国交回復を成し遂げた田中角栄首相に対するキッシンジャーの報復だった。ジャーナリストの文明子〈ムン・ミョンジャ〉が菅沼に語った。「角栄さんがクビになった最大の原因は何か知ってますか。それは日中国交正常化ですよ。もっといえば台湾問題なんですよ」と。キッシンジャーは田中角栄を「アンプレディクタブル・ガイ(何をやらかすかわからない野郎)」だと罵倒し、「あんな田舎者はもう徹底的にやっつける」と言った。エアフォースワンに同乗を許された彼女が直接聞いた話である。

 大東亜戦争以来、アメリカはずっと蒋介石政権を援助してきた。夫人の宋美齢もアメリカでは大変な人気があった。アメリカが台湾の存在に苦慮する中で突然日本が中国に手を出したわけだ。キッシンジャーの目には「身の程知らずな属国」と映ったのだろう。

 橋本龍太郎もまた日歯連闇献金事件(2004年)で失脚し、2年後に亡くなった。橋本はコロンビア大学で行った講演後の質疑で「大量の米国債を売却しようとする誘惑にかられたことは、幾度かあります」と発言し、翌日のニューヨーク市場は1987年のブラックマンデー以来最大の192ドルの下げ幅を記録した。これに対する意趣返しだと囁かれた。

 我々は大東亜戦争に敗れても尚、アングロサクソンの本当の恐ろしさを理解していないのだろう。国際社会にあって人の好(よ)さは致命的なマイナスとなる。第一次安倍政権もまたアメリカによって潰された

 田中角栄が葬られた後で堀田力や立花隆がメディアや出版界で活躍したのもアメリカからのご褒美に違いない。

この国の権力中枢を握る者は誰か
菅沼光弘
徳間書店
売り上げランキング: 133,255

2018-04-21

読み始める

逃げる力 (PHP新書)
逃げる力 (PHP新書)
posted with amazlet at 18.04.21
百田 尚樹
PHP研究所
売り上げランキング: 251


怒りの葡萄〔新訳版〕(上) (ハヤカワepi文庫)
ジョン スタインベック
早川書房
売り上げランキング: 44,007

怒りの葡萄〔新訳版〕(下) (ハヤカワepi文庫)
ジョン スタインベック
早川書房
売り上げランキング: 155,547


湖畔荘〈上〉
湖畔荘〈上〉
posted with amazlet at 18.04.21
ケイト・モートン
東京創元社
売り上げランキング: 85,503

湖畔荘〈下〉
湖畔荘〈下〉
posted with amazlet at 18.04.21
ケイト・モートン
東京創元社
売り上げランキング: 71,267

池田大作と日本人の宗教心
山本 七平
さくら舎
売り上げランキング: 369,334

ぬか漬けのあるしゃれた生活 (ていねいに暮らす)
メディアソフト書籍部
三交社
売り上げランキング: 343,848

地図で楽しむすごい神奈川
都道府県研究会
洋泉社
売り上げランキング: 48,386

Amazon個人輸入 はじめる&儲ける 超実践テク 104
大竹 秀明
技術評論社
売り上げランキング: 19,189

Tarzan (ターザン) 2013年 7/25号 [雑誌]

マガジンハウス (2013-07-11)

2018-04-19

化儀/『儀礼 タブー・呪術・聖なるもの』ジャン・カズヌーヴ


 ・化儀

『ピダハン 「言語本能」を超える文化と世界観』ダニエル・L・エヴェレット
『宗教を生みだす本能 進化論からみたヒトと信仰』ニコラス・ウェイド

 しかし、このような結論へと急ぐことはやめなくてはならない。なぜなら、個別的な儀礼は、一定の場所にしか見出されないが、儀礼という一般的事実は、普遍的に存在するからである。むしろ、民族(ママ)学者の調査領域の中では、儀礼的なものを全く欠いた社会は、変則となろう。われわれにとって不合理に見えるものを、経験は、正常な、いつも存在する現象として示すのです。したがって、信仰を持つ者は、摂理の計画の中で、問題とされている儀礼は、もっと真実な原初的崇拝の堕落としての位置を持ってはいなかったか、あるいは、それらの儀礼は、むしろ、知的に啓蒙される以前に、救済に必要な宗教を求めた、人間のぎごちない努力を示すものではないかと自問することができよう。

【『儀礼 タブー・呪術・聖なるもの』ジャン・カズヌーヴ:宇波彰〈うなみ・あきら〉訳(三一書房、1973年)】

 天台系の仏教用語に「化儀」(けぎ)というものがある。仏が説いた方を化法(けほう)といい、説く方式を化儀と名づける。つまり形式・儀式を指すわけだが実際は「社会の中に展開する様相」を意味する。ずっと心に引っ掛かっていた言葉で集中的に調べた時期がある。

 人が集えば社会となる。社会には一定の形式が必要だ。例えば挨拶。礼儀、儀礼といってもよい。スタイルも様々で日本だとお辞儀、西洋だと握手。相手に対して「敵ではない」ことを意思表示しなくてはならない。ジャン・カズヌーヴは偉そうに御託を並べているが、私はもっと単純な本質があると考えている。形式とはスポーツや楽器演奏などのルールみたいなものだろう。

 スポーツや芸術から得られる喜びは決して合理性で割り切れるものではない。「なぜ歌うのか?」と問われれば「だって楽しいから」としか答えようがない。この場合、喜ぶことが悟りで歌が化儀となる。

 喜びが失せると化儀は形骸化し単なる儀式に堕落して葬式仏教ができあがる。スポーツや芸術も仕事となれば苦しみの方が多くなる。楽しむことではなく結果を出すことが目的と化すためだ。漁師と釣り人は同じ行為であっても心理状況が異なる。

 化儀をゲーム化と置き換えるところまでは思索が進んだのだが、そこで興味が潰(つい)えてしまった(笑)。

儀礼―タブー・呪術・聖なるもの (1973年)
J.カズヌーヴ
三一書房
売り上げランキング: 1,263,906

天才数学者の墓碑銘/『放浪の天才数学者エルデシュ』ポール・ホフマン


 ・天才数学者の墓碑銘

『My Brain is Open 20世紀数学界の異才ポール・エルデシュ放浪記』ブルース・シェクター

 やっと、これ以上愚かにならずにすむ。
          ――ポール・エルデシュが自分のために残した墓碑銘

 ポール・エルデシュは、本当にまれにしか現れない、たいそう特別な天才のひとりだった。にもかかわらず、わたしのようなただの人間といっしょに数学を研究することを、意識的に選んでくれたとわたしは思う。そして、そうしてくれたかれに感謝してやまない。かれが朝の4時にわが家の玄関先をうるとき、わたしのベッドへやって来て、「きみの頭は営業中かね」と尋ねることがなくなって残念だ。問題や予想だけでなく、およそあらゆる話題に関しても刺激的な会話が失われてしまったことが残念だ。しかしなによりも、人間としてのポールがいなくなってしまった、そのことが寂しい。わたしは心からかれを愛していた。
          ――トム・トロッター

【『放浪の天才数学者エルデシュ』ポール・ホフマン:平石律子訳(草思社、2000年/草思社文庫、2011年)】

 天才は風変わりだ。常識に縛られた我々の瞳にはそう映る。日本人の多くはエルデシュの生き方に惹かれることだろう。放浪よりも漂泊が相応しい。多くの数学者と共同論文を発表した姿が、どこか松尾芭蕉や小林一茶と重なる。

 それにしてもエルデシュの墓碑銘は皮肉が効いていて含蓄深い。凡人は努力することで能力が少しずつ増してゆくと考えがちだが、天才たちの能力に対する自覚はスーパーカーのメンテンナンスを思わせる。彼らは自分の最大出力を見極めた上で、余計な情報や加齢によって衰えてゆくことに歯止めをかけるよう心掛けているのだろう。とすると人の能力が変わることはない。残念ながら。振れ幅があるのは23歳くらいまでか。

「なんだってSFはわしに風邪をひかせるとこにしたんだ。理解できん」(SFは至上〈スプリーム〉のファシスト、天上にいるナンバーワンのやつ……エルデシュのメガネを隠したり、ハンガリーのパスポートを盗んだり、もっと悪いことに、ありとあらゆる興味深い数学の問題の明解な証明をひとり占めしていて、エルデシュをいつも苦しめる神のことだ)。
「SFは、わしらが苦しむのを見て楽しむために、わしらを創りたもうた。早世すれば、それだけ早くかれの計画を阻むことになる」とエルデシュは言ったものだった。

 神をも恐れぬ火星人は口癖のように悪態をつく。あからさまにキリスト教を批判するよりも洒落っ気があって楽しい。たとえクリスチャンであってもニヤリとしてしまうことだろう。

文庫 放浪の天才数学者エルデシュ (草思社文庫)
ポール・ホフマン
草思社
売り上げランキング: 143,995