2020-02-02

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マッスルグリル「沼」


 無水鍋で6合(米3+胚芽押麦3)を炊くのはやはり多すぎる。だが5合では足りない。そこで大きい炊飯器を物色していたところ「沼」なる言葉が随所に出てきた。検索したところ「マッスルグリル」というYou Tubeチャンネルを見つけた。ボディビルダーのシャイニー薊(あざみ)とプロ格闘家のスマイル井上で配信している。運動部のノリが溢れていて楽しい。因みに「沼」は減量食である。肉じゃがと牛丼も紹介しよう。圧力鍋でもできそうだ。








2020-02-01

嗄れ声が病みつきになる


 twitterで流れてきたのだが天才的なセンスの持ち主である。畳み込むような編集・構成・ナレーションが独特のリズムを生んでおり、何と言ってもその嗄(しわが)れ声が病みつきになる。私がカメラメーカーの社長だったら直ちにCM作成を依頼する。シリーズ物で10年契約してもいいくらいだ。キャラクターが際立っているので俳優の世界でも通用しそうだ。

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花火撮影📷基本はF11、ISO200、バルブモード。花火の種類によってタイミングを合わせましよう🧨 #tiktok夏祭り #夏スタイル #tiktok教室 #カメラ #気合い #夏の思い出

♬ 夏ノ詩 - コアラモード.

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望遠レンズ📷圧縮効果と言って背景が大きく、近づいた様に映ります。レンズのサイズも大きいので接触事故注意です☆ #tiktok教室 #圧縮 #効果 #花火綺麗 #あぅ

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2020-01-31

サンカーラ再考/『反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」』草薙龍瞬


『無(最高の状態)』鈴木祐
『マンガでわかる 仕事もプライベートもうまくいく 感情のしくみ』城ノ石ゆかり監修、今谷鉄柱作画
『ザ・メンタルモデル 痛みの分離から統合へ向かう人の進化のテクノロジー』由佐美加子、天外伺朗
『無意識がわかれば人生が変わる 「現実」は4つのメンタルモデルからつくり出される』前野隆司、由佐美加子
『ザ・メンタルモデル ワークブック 自分を「観る」から始まる生きやすさへのパラダイムシフト』由佐美加子、中村伸也
『ブッダは歩むブッダは語る ほんとうの釈尊の姿そして宗教のあり方を問う』友岡雅弥
『仏陀の真意』企志尚峰

 ・サンカーラ再考

『悩んで動けない人が一歩踏み出せる方法』くさなぎ龍瞬
『自分を許せば、ラクになる ブッダが教えてくれた心の守り方』草薙龍瞬
『手にとるようにNLPがわかる本』加藤聖龍

ブッダの教えを学ぶ
必読書リスト その五

 仏教には「心の反応は連鎖する」という発想があります。伝統的には“縁起論”(えんぎろん)と呼ばれていますが、心のからくりを理解するために、いっそう「本質」が浮かび上がるように表現すると、次のようになります。

 無明(むみょう/無理解)の状態において、心は反応する。刺激に触れたとき、心は反応して感情が、欲求が、妄想が結生(けっしょう)する。結生した思いに執着することで、ひとつの心の状態が生まれる。その心の状態が新たな反応を作り出す。その反応の結果、さまざまな苦悩が生まれる。     ――菩提樹下の縁起順観 ウダーナ

 つまり、(1)触れて、(2)反応して、(3)感情や欲求や妄想や記憶などの「強い反応のエネルギー」が生まれます。この強い反応を“結生”と表現することにします(元のパーリ語では「サンカーラ」sankhara。英語だと「心の形成」mental formaitionと訳されています)。これは「記憶に残る」「表情や行動に出てしまう」ような強い反応です。
 そして、これらの結生した反応が、新しい刺激に反応して、(4)同種の反応を作り出す、というサイクルです。(中略)
 この結生した反応は、新しい刺激に触れて作動する「地雷」みたいなものです。よくある「怒りっぽい」「やたら神経質」「落ち込みやすい」「対人恐怖症」といった気質の奥には、こうした“結生した反応”があったりするのです。

【『反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」』草薙龍瞬〈くさなぎ・りゅうしゅん〉(KADOKAWA、2015年)】

 あまり考えすぎると思弁に傾いてしまうので感じたことを書き残しておく。友岡本と併読することで後期仏教(大乗)と初期仏教の違いが浮き上がってくる。本書を読んでカテゴリーの「初期仏教」を「ブッダの教え」に変えた。仏教と表現すれば宗教としてキリスト教やイスラム教、ユダヤ教やヒンドゥー教と同列の扱いとなってしまう。ブッダの隔絶した理知を思えば、それは宗教というよりも「教え」とするのが相応しいと感じる。

日常の重力=サンカーラ(パーリ語)、サンスカーラ(サンスクリット語)/『ブッダは歩むブッダは語る ほんとうの釈尊の姿そして宗教のあり方を問う』友岡雅弥
真の無神論者/『ブッダは歩むブッダは語る ほんとうの釈尊の姿そして宗教のあり方を問う』友岡雅弥

 仏教用語のサンカーラ(Saṅkhāra)、サンスカーラとはパーリ語およびサンスクリット語に由来し、一緒になったもの、纏めるものという意味合いである。典型的には行(ぎょう)と訳される。

 一つ目の意味合いでは、サンカーラは一般的に「条件づけられたものごと」「因縁によって起こる現象、はたらき、作用」をさすのだが、とりわけ全ての精神的な気質を指すことが多い。これらは意志の結果として形成されるものであり、将来における意欲的な行動の発生原因であるため「意思による形成」と呼ばれる。

 二つ目の意味では、サンカーラは行蘊として業(カルマ)をさし、それらは縁起の原因とされる。

Wikipedia

 五蘊(ごうん)の項目には「行蘊(ぎょううん、巴: saṅkhāra, 梵: saṃskāra) - 意識を生じる意志作用。意志形成力。心がある方向に働くこと」とある。図がわかりやすいので拝借しよう。


三科」の図も参照せよ。認識作用の細分化であり、感覚に対する科学的アプローチである。幸不幸や喜怒哀楽のメカニズムを五つの段階で捉えたのが五蘊であり、これを五蘊仮和合(ごうんけわごう)と達観すれば無我である。

 受(感覚)→想(知覚)→行(指向作用)の流れは、感じて、快不快を想って、好き嫌いの態度を表明するという理解で構わないだろう。つまり行とは「スタイル」(石川九楊)に置き換えることが可能で業(ごう)の本質もここにある。

 我々が「生き方」と錯覚しているのは単なる五蘊の反応に過ぎないわけだ。それを個性とか自分らしさとか呼んだところで同じところをグルグル回っているだけの話だ。「因果はめぐる糸車、明日はわからぬ風車、臼で粉引く水車、我が家の家計は火の車、車は急には止まれない、すべて世の中堂々巡り」(『新八犬伝』)とはよく言ったものだ。

 私はかつて「同じ過ちを繰り返す」という意味で業(カルマ)を捉えていたのだがそうではないことに気づいた。私はいまだに昔買ったレコードをデジタル音源で聴いている。レコード(record)の「re」は「何かを取り戻す、行って帰ってくる」(「レコード」の原義)という意味だから繰り返しを表す。単純な訳だと「再」である。リフレイン(refrain)、リプレイ(replay)などの言葉は見事なまでに業を指し示している。

 つまり「快」を繰り返そうとする「行」にサンカーラの正体があるのだろう。その基盤にあるのが「自我」なのだ。我々は色や形の異なったネズミ車のようなものだ。繰り返しに対する強迫観念が過去世・来世の物語を生むのは自然なことである。自我は死後にまで延長しようと目論む。とはいえ石に名前を刻んだり(墓)、名誉などで名を残そうとしたりするのは、逆説的ではあるが死後の存在を信じていないためだろう。

 サンカーラから離れた瞬間に過去から自由になった現在が現れるはずだ。早速試してみよう。

2020-01-29

ジョン・ケネス・ガルブレイスの人種差別/『中国はいかにチベットを侵略したか』マイケル・ダナム


『不可触民の父 アンベードカルの生涯』ダナンジャイ・キール
『不可触民 もうひとつのインド』山際素男

 ・ジョン・ケネス・ガルブレイスの人種差別

 しかしそこに政治が介入してきた。
 ジョン・ケネス・ガルブレイス。新任の駐インドアメリカ大使で、ケネディの最も信頼する顧問の一人であり、チベット問題に公然と反対する人物であった。数々の肩書きを持ち、明らかに無視できない相手であった。即ちハーバード大学教授にして、経済学者、作家、テレビコメンテーター、雑誌「フォーチュン」編集委員、そしてケネディ一族と親交がある、といった具合だ。さらに重要なのは、アイゼンハウアー時代に培ってきたパキスタンとの友好関係を犠牲にしてでも、インドとより友好的な関係を結ぶのがアメリカのアジア政策に欠くことのできない必須条件だとするケネディ自身の意向を彼が反映していたという点である。ガルブレイスのチベット計画への反対は、チベットに対する個人的嫌悪感にまで達していた。曰く「チベット人は不愉快で野蛮であり、恐ろしく非衛生的人種だ」とまで決めつけていた。
 ガルブレイス・インド大使は、ムスタンであろうとチベット本土であろうと、いかなる補給物資の空中投下にも反対するロビー活動を強めていた(備忘録にガルブレイスは臆面もなく、CIAのチベットへの援助を直ちに止めるよう国務省に忠告した、と書いていた。そしてケネディに対する自分の影響力で、CIAのチベット援助を最小限度に抑えるのに成功したと豪語している)。大使がアメリカの外交政策を決めていたわけではないにしろ、インドに関してはケネディの目と耳であり、ケネディを通してムスタンへの空中補給に関する生殺与奪(せいさつよだつ)の権を行使していたことになる。  ネールの中共への迎合的態度からしてインドの協力的態度を望めなかったし、彼の右腕とされる親共的国防相クリシュナ・メノンは大のアメリカ嫌いであり、アメリカCIAの意向がケネディの新しい政策に受け入れられないことをつとに読んでいた。かくしてムスタンへの空からの補給は頓挫することになった。
 そればかりでなく、キャンプ・ヘイル関係者の多くは部署替えになった。ロジャー・マッカーシーは台湾担当となり、ケネディ-ガルブレイス-ネールの“いい仲”はその後も長くつづいてチベット特別チームもお仕舞いかと噂されるまでになった。
 もちろんムスタンのゲリラはアメリカの政策転換など夢にも知らず、ただただ生き延びるこに必死であった。

 こうした危機的状況を一気に変え、ネールをして一転、親チベット派に豹変させる大事件が発生した。1962年10月22日、中共がインドを侵略したのである。

【『中国はいかにチベットを侵略したか』マイケル・ダナム:山際素男〈やまぎわ・もとお〉訳(講談社インターナショナル、2006年)】


 先ほど流れてきたニュースを紹介しよう。

米下院、チベット支援法案を可決 中国の後継者選び介入をけん制

2020年1月29日 18:50 発信地:ワシントンD.C./米国

1月29日 AFP】米下院は28日、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ(Dalai Lama)14世(84)の後継者選びに介入する中国当局者への制裁を許可する法案を可決した。

 法案によると米政府は、政府が承認する後継者の「特定や任命」に関与したことが発覚した中国当局者に対し、米国にあるすべての資産を凍結するほか、米国への渡航を禁止するという。

 議員392人が賛成し、反対票を投じたのは共和党議員21人と保守派の無所属議員1人の計22人だった。

 法案は上院で承認される必要があり、マルコ・ルビオ(Marco Rubio)議員(共和党)が通過に向けた動きを指揮すると約束している。法案はその後、ドナルド・トランプ(Donald Trump)大統領の署名を経て成立する。

 チベットを長年支持してきた民主党のナンシー・ペロシ(Nancy Pelosi)下院議長は、法案の目的は、10年前に決裂したダライ・ラマ14世の特使団との協議を中国政府に再開させることだと説明。

 また、「チベット仏教社会がダライ・ラマ15世を含む宗教指導者選出の独占権を有するとする米国の方針を正式に制定することで、われわれはチベットの人々の信教の自由や真の自治の権利を支持している」と述べた。

 公式には「無宗教」とする中国政府は、ダライ・ラマ14世の後継者を陰で操ろうとしていることを示唆しており、政府の言いなりになるチベット仏教指導者を仕立てることを目指しているとみられる。儀式的な後継者選びでは、僧侶たちは生まれ変わりの少年を探し出す。

 中国政府は1995年、チベット仏教第2の高位者パンチェン・ラマ(Panchen Lama)の後継者を独自に選出し、後継者に認定されていた6歳の少年を拘束した。人権団体は少年が「世界最年少の政治犯」になったとして政府を非難した。(c)AFP

 ジョン・F・ケネディは民主党の下院議員でアメリカ初のカトリック大統領だった(その後もカトリック大統領はいない)。半世紀前にチベットゲリラを見捨てた民主党が今頃になってダライ・ラマを担ぐのは政治利用以外の何ものでもない。そもそもアメリカは他国の内政に干渉しすぎる。「世界の警察官ではない」のだから引っ込んでろと言いたくなるのは私だけではないだろう。

 それにしてもガルブレイスの人種差別は凄い。我々日本人がこうした白人感情を理解することは不可能だろう。精神が病んでいる。単なる容共のリップサービスとは思えない。ロモノーソフ金メダルを授与されているのもきな臭い。

 創価学会の池田大作とも親交が深く、晩年には対談『人間主義の大世紀を わが人生を飾れ』(潮出版社、2005年)を編んでいる。どちらも親中派である。

 国際的には経済的な見返りを求めてチベット、ウイグル、台湾に目をつぶってきたのが親中派である。暴力団とのつながりは規制されるが中国とは大手を振ってつながるのが法治と呼ばれる不思議な体制である。

 人種差別感情から自由になれなかった人物は偉大なる経済学者であった。人間性は下劣でも金勘定が得意であったのだろう。