2020-07-23

新型コロナ:感染者数は増加しているが日米で死者数が激減



島原の乱を題材にした小説


 松原久子〈まつばら・ひさこ〉著『黒い十字架』(藤原書店、2008年)読了。島原の乱前夜を描いた小説である。セオリーとしては『沈黙』と比較するのが筋なのだろうが、私としては『みじかい命』を推す。松原久子は竹山道雄の衣鉢(いはつ)を継ぐ人物だと考えているからだ。島原の乱は鎖国のきっかけとなった事件であった。鎖国を実現し得たのは日本がヨーロッパに対抗できる軍事力を有していたからだ。「発見の時代」(Age of Discovery/大航海時代)にあって有色人種地域はほぼ全てがヨーロッパの支配下となった。豊臣秀吉のキリスト教弾圧も先見的な政策判断であった。以下に島原の乱関連書籍をまとめた。

・『クアトロ・ラガッツィ 天正少年使節と世界帝国』若桑みどり
・『マルガリータ』村木嵐

・『沈黙』遠藤周作
・『島原の乱』菊池寛
・『幻日』市川森一
・『奇蹟 風聞・天草四郎』立松和平
・『完本 春の城』石牟礼道子

『黄金旅風』飯嶋和一
・『出星前夜』飯嶋和一

・『街道をゆく17 島原・天草の諸道』司馬遼太郎
『殉教 日本人は何を信仰したか』山本博文
『戦国日本と大航海時代 秀吉・家康・政宗の外交戦略』平川新

『みじかい命』竹山道雄

2020-07-20

体と思考/『体の知性を取り戻す』尹雄大


 ・体と思考

『響きあう脳と身体』甲野善紀、茂木健一郎
『武術と医術 人を活かすメソッド』甲野善紀、小池弘人
『身体構造力 日本人のからだと思考の関係論』伊東義晃

身体革命

 体よりも思考が重視されている世の中では、現実と出会うのはなかなか難しい。私たちが「これが現実だ」と言うとき、他人とのあいだで共通認識が取り結べ、必ず頭が理解できる程度のものになっているからだ。いわば【頭の理解に基づく社会的な現実】と言っていい。それは【体にとっての現実】とは違う。
 体の現実とはつかの間、感覚的にのみ垣間見えるものかもしれない。たとえば火にかけた薬缶(やかん)に触れてパッと手を離すとき、のんびりと「熱い」などと認識していないはずだ。手を離す行為と感覚が現実の出来事にぴたりと合っていて、そこに「熱い」という判断の入る余地はない。
 それでも私たちは「熱いと感じて、思わず手を離した」と自分や他人に向けて言う。それは常に後から振り返った説明なのだ。「感じた」と言葉で言ってしまえるのは、リアルタイムではなく、認識された過去の出来事にすぎない。というのは、現実は「~してから~した」といった悠長な認識の流れで進んではいないからだ。「間髪を入れず」というように、髪の毛ほどの隙間もないのが現実だ。
 つまり私たちにとっての現実は、常に言葉にならない感覚の移ろいでしかない。わずかにその変化を掴むことで、現実の一端を知ることができる。

【『体の知性を取り戻す』尹雄大〈ユン・ウンデ〉(講談社現代新書、2014年)】

 入力しながら気になったのだが一般的には「手放す」と書くので「手を離す」は誤字かと思いきや、そうではなかった(「離す」と「放す」 - 違いがわかる事典)。

 尹雄大〈ユン・ウンデ〉はスポーツ選手のインタビュアーを生業(なりわい)としているが、格闘技や武術を嗜(たしな)んでいるので思考の足がしっかりと地についている。全体的には社会に対する違和感を体の緊張として捉え、哲学的に読み解こうとしている。

「頭の理解に基づく社会的な現実」や「認識された過去の出来事」といった表現に蒙(もう)を啓(ひら)かれる思いがする。脳は妄想装置である。その最たるものが政治や軍事におけるリアリズムであろう。民意や国際合意の捉え方次第でクルクル動く現実だ。認識が過去であるならば唯識は現在性を見失っていることになる。識とは受信機能である。しかも知覚は常に遅れを伴う(『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ)。

 悩みは過去であり、希望は未来である。どちらも現在性を見失った姿だ。人は過ぎ去った過去と未だ来ない未来を想像し苦楽を味わう。存在しないものを信じるという点では一神教の神とよく似ている。信ずる者は掬(すく)われる。足元を。

 おしなべて思考のトレースがわかりやすい言葉で書かれていて着眼点も鋭い。必読書に入れようと思ったのだが「あとがき」に余計な一言があったのでやめた。

近代日本の進路を決定する視察/『現代語縮訳 特命全権大使 米欧回覧実記』久米邦武


 ・近代日本の進路を決定する視察

日本の近代史を学ぶ

 本書は岩倉(いわくら)使節団の公式記録『特命全権大使 米欧回覧実記』の抜粋現代語訳と註釈です。
 岩倉使節団とは特命全権大使・岩倉具視(ともみ/右大臣)を団長、木戸孝允(きどたかよし/参議〈さんぎ〉)、大久保利通(おおくぼとしみち/大蔵卿〈おおくらきょう〉)、伊藤博文(工部大輔〈こうぶいたいふ〉)、山口尚芳(やまぐちなおよし/外務小輔)を副使として、以下、書記官、理事官、随行員(新島襄〈にいじまじょう〉など)、さらには留学生(津田梅子〈つだうめこ〉、山川捨松〈やまかわすてまつ〉、中江兆民〈なかえちょうみん〉など)を含め総勢107名からなる一行が明治4年から6年にかけて1年半余りの長期にわたりアメリカおよび欧州諸国を歴訪、外交交渉と各国事情視察にあたったものです。

【『現代語縮訳 特命全権大使 米欧回覧実記』久米邦武編著:大久保喬樹訳註(角川ソフィア文庫、2018年/岩波文庫全5巻、1977-82年/水澤周訳注、慶應義塾大学出版会、2005年)】

「前書き」の冒頭より。『特命全権大使 米欧回覧実記』は、岩倉使節団の使節紀行纂輯(さんしゅう)専務心得(資料収集、記録係)を命じられた久米邦武〈くめ・くにたけ〉が明治11年に全100巻として完成したもの。各巻はそれぞれ400ページ近くある。


 検索して知ったのだが津田梅子は満年齢だと8歳である。また山川捨松は会津藩家老の娘だが、会津戦争(1968年)からわずか3年後に留学生として選ばれている。誰がどのような基準で選んだのかが不明だが、幼い留学生たちは後に大輪の花を咲かせる。

 岩倉使節団は新生日本国の耳目となり米欧を見聞した。薩英戦争(1863年)と下関戦争(1863、1864年)を経て既に薩長では攘夷の概念は粉砕され開国を志向していた。維新の立役者であった岩倉・木戸・大久保の三人が長期間外遊すること自体が常識外れで思考の柔軟性を示している。

 使節団のほとんどは断髪・洋装だったが、岩倉は髷と和服という姿で渡航した。この姿はアメリカの新聞の挿絵にも残っている。日本の文化に対して誇りを持っていたためだが、アメリカに留学していた子の岩倉具定らに「未開の国と侮りを受ける」と説得され、シカゴで断髪 。以後は洋装に改めた。

Wikipedia

 世界の風に吹かれる中で古い思い込みから脱却してゆく様子が窺える。結果的に不平等条約改正の予備交渉は少しも上手くゆかなかったが、近代日本の進路を決定する視察となった。使節団の帰国後、西郷隆盛の征韓論は斥(しりぞ)けられ西南戦争に至るのである。更に欧州のバックボーン(背骨)がキリスト教であることを見抜き、後の憲法制定では伊藤博文が天皇に置き換えることで憲法に息を吹き込んだ(『日本国民に告ぐ 誇りなき国家は滅亡する』小室直樹)。


【※右は岩波文庫版5冊セット】

明治150年 インターネット特別展- 岩倉使節団 ~海を越えた150人の軌跡~
『田中清玄自伝』田中清玄、大須賀瑞夫