2014-05-03

保守はゴジラを夢見るか


 佐藤健志〈さとう・けんじ〉の演説口調(コミュニケーション障害か? 中野に話を振っておきながら自分のマイクを口元から離すことがない)が耳障りだがこれは勉強になる。中野剛志〈なかの・たけし〉はいつもより控えめ(笑)。結果的には佐藤が自分の主張のために中野を利用している格好となっている。中野がおとなしいのはそれを割り切っているためだろう。









国家のツジツマ 新たな日本への筋立て(DVD付きデラックス版) (VNC新書)震災ゴジラ!  戦後は破局へと回帰する保守とは何だろうか (NHK出版新書 418)

2014-05-02

アメリカを代表する作家トマス・ウルフ/『20世紀英米文学案内 6 トマス・ウルフ』大澤衛編、『とうに夜半を過ぎて』レイ・ブラッドベリ


 トマス・ウルフ(1900-38)という男は、一言でいうなら、20世紀の開幕と同時にアメリカ南部の山国で生まれ、ヨーロッパ大陸とアメリカ大陸を数回遍歴し、アメリカ生活の万華鏡と若者の飢渇を、噴きあふれる河のように書き、『天使よ故郷を見よ』、『時間と河』、『蜘蛛の巣と岩』、『帰れぬ故郷』の四大作その他をのこし、1930年代の、彼の同時代作家らがアメリカの喪失に陥っている時に、いち早くアメリカ発見に到達し、ナチス・ドイツ抬頭のころ、いわば、第二次世界大戦の前夜に、37歳の若盛りで死んだ、並外れたスケールの、不敵な、人生派作家である。
 この噴き井のような暴れん坊は、並外(はず)れたスケールに反比例して、いかにも短命だったと言わねばならない。静かな成熟とかおもむろな大成といったような作風の生まれる年輩まで、彼は生きのびなかった。このことをまず初めに忘れないでおこう。

【『20世紀英米文学案内 6 トマス・ウルフ』大澤衛〈おおさわ・まもる〉編(研究社出版、1966年)】


 書き手は他に福田尚造〈ふくだ・しょうぞう〉、酒本雅之〈さかもと・まさゆき〉、井出弘之〈いで・ひろゆき〉、田辺宗一〈たなべ・そういち〉、輪島士郎〈わじま・しろう〉、古平隆〈こだいら・たかし〉など。Wikipediaは「トーマス・ウルフ」という表記になっている。翻訳がいずれも古いため発音に寄り添って「トマス」となったものか。

「活字になった彼の書きもののうち、目ぼしい本11冊の合計数は、5009ページであり、もしこの全部を邦訳するとすれば、少なくともその2倍以上の印刷ページ面を占める分量となろう」とある通りどれも大冊だ。しかも発行が古いため活字が小さい。本書も同様である。

 何となく名前に聞き覚えがあったのだがそれはトム・ウルフであった。ブラッドベリの短篇で彼の名前を知り、興味が湧いたというわけ。

「この本を見なさい」と、ややあってから、フィールドはそれを持ちあげて見せた。
「これは一人の巨人が書いた本だ。その男は1900年にノース・カロライナ州アッシュビルに生れた。生前に、四つの長い小説を発表している。この男は、いうなれば、つむじ風だった。山を持ち上(ママ)げ、風を集めた。そして1938年9月15日ボルティモアのジョンズ・ホプキンズ病院で、ベッドのかたわらに鉛筆書きの原稿をトランクに一ぱい残して、結核で死んだ。結核というのは、昔の恐ろしい病気だ」
 一同はその本を見つめた。
『天使よ故郷を見よ』。
 フィールドは更に3冊の本を見せた。『時と河の流れと』『蜘蛛の巣と岩』『汝ふたたび故郷を見ず』。

【「永遠と地球の中を」/『とうに夜半を過ぎて』レイ・ブラッドベリ:小笠原豊樹〈おがさわら・とよき〉訳(河出文庫、2011年/集英社、1978年/集英社文庫、1982年)】


 とある未来の大富豪がタイムマシンでトマス・ウルフを連れてこさせ、宇宙の様相を書かせようと目論むという内容のSF作品だ。一緒に収録されている「親爺さんの知り合いの鸚鵡」では名だたる作家がけちょんけちょんに書かれているので、このテキストは否応(いやおう)なく目を惹く。

 トマス・ウルフの翻訳は少なく、長篇だと『天使よ故郷を見よ』以外では、『汝故郷に帰れず』が刈田元司訳(1959年)と鈴木幸夫訳(1968年)があるのみ。飯嶋和一〈いいじま・かずいち〉のデビュー作『汝ふたたび故郷へ帰れず』はひょっとしてトマス・ウルフからの影響があるのだろうか?


人類の戦争本能/『とうに夜半を過ぎて』レイ・ブラッドベリ

2014-05-01

「浦島記」/『塔和子 いのちと愛の詩集』塔和子


 ・「浦島記」
 ・美しい言葉

「浦島記」と題した随筆から紹介しよう。

 私が島の療養所に入園したのは、昭和18年の6月、だから今日まで、およそ15年の島暮らしを続けている訳である。私達入園者の仲間がよく使う言葉の一つに、社会という言葉がある。それはもちろん私達の生活している島も社会の中の一角であることには間違いないのであるが、私達がその言葉を使うとき、私達はいつも活き活きと活動している島の向こうの世界と、消費面だけの生活を続けている療養所という異形の島を、厳然と、或いは、自嘲的に区別しているものである。この島に(ママ)療養を続けている誰でもがそうであるように、私は社会に憧憬と郷愁をもっている。その私が、一度だけその現実の対象である、社会の対岸の街の土を踏むことに望みをかけた美しくもかなしい願いが実現したことがある。
 それは5年程前の或る晴れた日、園内作業をしていたとき、同じ作業をしていた友達が作用の縫物をしながら、「いっぺん社会へ出てみたいな!」と言った。独言のようでもあったが、傍にいた私は大いに賛同した。それで日頃の悲願をその友に話したのである。ところが話はそれからとんとん拍子にその希望に対(むか)って進行し、遂に実現のはこびとなった。もちろんそれまでには、ややこしい手続や多少の嘘をまじえた理由を作らなければならなかったのであるが。

【『塔和子 いのちと愛の詩集』塔和子〈とう・かずこ〉(角川学芸出版、2007年)以下同】

「島の療養所」でピンときた人もいるだろう。塔和子はハンセン病患者であった。「13歳でハンセン病を発病、14歳で小さな島の療養所に隔離された苛酷な現実も、塔和子の豊かな命の泉を涸らすことはできなかった」と表紙見返しにある。言葉がやわらかい。だが、生を見据える眼差しには厳格さが光っている。

「いっぺん社会へ出てみたいな!」――印刷された文字が涙で歪んだ。彼女たちを島に隔離したのは「らい予防法」であった。

ハンセン病の歴史
日本のハンセン病問題

 ハンセン病は姿形を損なうことから人々に忌み嫌われ、永きにわたり強い伝染力があると誤解されてきた。

てっちゃん: ハンセン病に感謝した詩人

 彼らは「同じ人間」として扱われることがなかった。無知に基づく差別は今なお根強い。

「いっぺん社会へ出てみたいな!」という言葉に恨みは感じられない。むしろその明るさが彼女たちを島へ追いやった社会の残酷さを炙(あぶ)り出すのだ。

 一軒の呉服店の前に立ち止まった友達は「あんた此処で何か買うて行けへんかな」と言った。私はそのとき初めて自分が自由に品物を選んで買い物の出来ることに気付き、優越感に似た感動を覚えた。

 彼女の心の動き一つひとつを通して、我々がハンセン病の人々から何を奪ったかを知ることができる。

痛み

 世界の中の一人だったことと
 世界の中で一人だったこととのちがいは
 地球の重さほどのちがいだった

 投げ出したことと
 投げ出されたこととは
 生と死ほどのちがいだった

 捨てたことと
 捨てられたことは
 出会いと別れほどのちがいだった

 創ったことと
 創られたことは
 人間と人形ほどのちがいだった

 燃えることと
 燃えないことは
 夏と冬ほどのちがいだった

 見つめている
 誰にも見つめられていない太陽
 がらんどうを背景に

 私は一本の燃えることのない木を
 燃やそうとしている

 ハンセン病の人々は親の葬式も知らされなかった。それでも塔和子は、凍てついた生命の木を言葉の焔(ほのお)で燃やし続ける。

塔和子 いのちと愛の詩集

森見登美彦、大村大次郎、今枝由郎


 1冊挫折、2冊読了。

新釈 走れメロス 他四篇』森見登美彦〈もりみ・とみひこ〉(祥伝社、2007年/祥伝社文庫、2009年)/文学パロディなのだが実に香り高い文章である。古めかしい常套句がきちんと使われており、科白(せりふ)も戯曲のようにピシっと決まっている。ただし個人的には京都のバンカラ大学生が放つ雰囲気についてゆけず。冒頭の「山月記」のみ。

 27冊目『税務署員だけのヒミツの節税術 あらゆる領収書は経費で落とせる【確定申告編】』大村大次郎〈おおむら・おおじろう〉(中公新書ラクレ、2012年)/これはオススメ。大村は元国税調査官だけあって実に目が行き届いている。しかも読みやすい。前著の『あらゆる領収書は経費で落とせる』も読む予定だ。確定申告をしている人は必読のこと。税金の世界は一般的に考えられているよりもはるかに曖昧で、国税庁のデタラメがまかり通っている模様。

 28冊目『日常語訳 新編 スッタニパータ ブッダの〈智恵の言葉〉』今枝由郎〈いまえだ・よしろう〉訳(トランスビュー、2014年)/今枝は『仏教と西洋の出会い』フレデリック・ルノワールの翻訳者。予想以上に出来がよい。ブッダの言葉が脳の奥深くまで突き刺さる。敢えてブッダが説いたであろう「やさしい言葉」にした上で、大幅に割愛したのも功を奏している。中村元訳の前に読んでおくのが望ましい。

2014-04-30

ニューアルバム『ナイン・デッド・アライヴ - デラックス・エディション』(DVD付)ロドリーゴ・イ・ガブリエーラ



ナイン・デッド・アライヴ-デラックス・エディション-(初回生産限定盤)(DVD付)

ギャンブラーという生き方/『賭けるゆえに我あり』森巣博


天才博徒の悟り/『無境界の人』森巣博

 ・ギャンブラーという生き方
 ・プロ野球界の腐敗

『福本伸行 人生を逆転する名言集 覚醒と不屈の言葉たち』福本伸行著、橋富政彦編
『福本伸行 人生を逆転する名言集 2 迷妄と矜持の言葉たち』福本伸行著、橋富政彦編
『真剣師 小池重明 “新宿の殺し屋"と呼ばれた将棋ギャンブラーの生涯』団鬼六

 ギャンブル欲は、食欲・性欲・睡眠欲という人間の三大本能を凌駕(りょうが)する、といわれる。そうかもしれない。カシノのゲーム・フロアでは、寝食も忘れ、勝負卓に張り付いている亡者(もうじゃ)たちをよく見掛ける。
 わたしの知り合いは、月に一度、必ずラスヴェガスに行く。眠るのは、いつも往(い)き帰りの飛行機の中だけだそうだ。
「無泊四日で勝負する。一応なんか喰(く)ってるんだろうが、記憶にない」
 なんておっしゃる。
 それほど、博奕は面白い。集中できる。飽きない。
 逆に言えば、それほど、博奕は怖い。いや、怖いから面白くて集中できるのである。
 恐怖と快楽は、いつも背中合わせだ。

【『賭けるゆえに我あり』森巣博〈もりす・ひろし〉(徳間書店、2009年/扶桑社、2015年)以下同】

 名言が星の如く散りばめられている。森巣の奥方はオーストラリア国立大学教授のテッサ・モリス=スズキ。子息は15歳で大学へ入学し、18歳で大学院入りした天才児。で、本人は主夫業のかたわら世界各地のカジノ(※森巣は「カシノ」と表記)を飛び回って荒稼ぎしている。

 修羅場とはギリギリの選択を迫られる地点のことだ。それが商売であろうと博奕であろうとも。選択を誤った時に失うものが多ければ多いほど「賭ける」という要素が大きくなる。賭けるとは跳ぶことだ。達することができなければ奈落の底に転落する。

 臆病じゃないと、博奕で生き残れない。同時に、リスクを冒さないと、やっぱり死んでしまう。
 ――リスクを冒さないのは、最大のリスク。
 この矛盾の海の中で、浮いたり沈んだりしながら、顔が水面上に出た時に勝負卓を離れる。これが勝ち博奕だ。

 豪胆と臆病のバランスが生き死にを分ける。喧嘩と格闘技の違いは計算にある。これが孫子の「計篇」だ(『新訂 孫子』金谷治訳注)。臆病でなければリスクが見えない。見えないものは計れない。

 時に権力に対して鋭い一瞥をくれる。

 しかし人間は賭博をする。これは太古の昔からそうだ。博奕は人間の歴史とともに古いのではない。歴史以前からである。博奕は先史から存在した。
 ――賭けをする動物が人間である。
 と、19世紀のイギリスの作家は喝破(かっぱ)した。
 それゆえ、昔も今も法律で賭博を禁止しておけば、取り締まり当局には膨大な利権が転がり込むことになっている。
 ついでだから書いておくけれど、パチンコで勝ち、景品交換所で「特殊景品」を換金したなら、『刑法』賭博罪違反である。それが「黙許」されているのは、警察利権が絡むからなのだ。パチンコ台の許認可、プリペイド・カード、「特殊景品」金地金の製造および流通、景品交換所等のあらゆる部分で、警察関連企業に金が流れる仕組みとなっている。

「パチスロ」は新しい利権だった/『警官汚職』読売新聞大阪社会部

 読み物としては十分面白いのだが、唯一の瑕疵(かし)は年甲斐もなく下ネタ自慢を披瀝しているところ。下劣の自覚よりも自慢に酔う性根が透けて見える。

 最後にもうひとつ紹介しよう。

 このバカラという鬼畜のゲームには、語り継がれているエピソードが多い。
 もっとも有名なのは、自動車のシトロエン社のオーナーだったアンドレ・シトロエンが、当時としては先端技術を集めた最新の自動車工場をバカラの一手勝負で失ったエピソードだと思う。現在の貨幣価値に換算すると1000億円を超えるものを、わずか数十秒の勝負で、シトロエンは失ってしまった。
 場所はロンドンにあるクラブ形式のカシノだったが、もちろんこんな高額の一手勝負を受けるハウス(カシノ)は、世界中に存在しない。この時のシトロエンには、相手が居た。サシの勝負だったのである。
 相手の名を、ニコラ・ゾグラフォリスという。あだ名が「ニック・ザ・グリーク」。その名からわかるように、アテネ生まれのギリシャ人だ。ついでだが「ニック・ザ・グリーク」とのあだ名を持った著名な博奕打ちは歴史上二人居て、こっちはポーカー・プレイヤーじゃない方の「ニック・ザ・グリーク」である。この「ニック・ザ・グリーク」は、350枚までのカードなら、出た順序に従って記憶できたそうだ。そういった、伝説の博奕打ちである。
 そんな天才博奕打ちでも、「ニック・ザ・グリーク」はその生涯に、天国と地獄の間を73回往復したといわれた。
 バカラとは、そういう恐ろしいゲームである。

 平坦な道を歩む人生もあれば、屹(き)り立った山に挑む人生もある。私自身はギャンブルとは無縁だが賭ける行為は理解できる。尚、森巣が行うギャンブルは手数料が数パーセントの世界であって、日本の競馬・競艇・パチンコの類いをギャンブルとはいわない。

賭けるゆえに我あり(森巣博ギャンブル叢書2)

クリシュナムルティ『真理の種子』

2014-04-29

警察庁長官狙撃事件はオウム真理教によるテロではなかった/『警察庁長官を撃った男』鹿島圭介


 引き鉄はしなやかだった。大きな鉄板を高所から落したような凄まじい轟音が鳴り響いた。
 その瞬間、国松孝次・警察庁長官(当時=以下、特別のこだわりがないかぎり、肩書きはその当時のもの)は前のめりに突っ伏すように押し倒された。秘書官や地下にいた私服の警備要員は何事が起こったのか分からず、呆然とするよりほかない。続いて2発目の銃声がとどろき、國末の肉体が軋んだ。濡れた路面に、血に滲んだ雨水が広がっていく。
 狙撃――。秘書官は反射的に国松の体に覆いかぶさった。この身を挺した行為に、しかし狙撃者はまったく動揺を示さなかった。1発目、2発目と等間隔で放たれた第3弾は、秘書官が覆いきれず、わずかに露出していた国松の右大腿部の最上部を正確に射抜いたのである。
 秘書官は斃れた姿勢で国松の体を抱え込むと、そのまま傍らの植え込みの陰に引きずるように運び込んだ。狙撃者は、人間の盾に守られた国松に4発目の銃弾を撃ち込むことはしなかった。
 かわりに、視界の左端から駆け込んできた警備要員の鼻先ぎりぎりをかすめるように、追跡をひるませるための威嚇射撃を敢行。そして足元においていたスポーツバッグを拾い上げ、すぐ近くに立てかけてあった自転車に飛び乗った。バッグの中に入っていたのはKG-9短機関銃。多勢の敵と銃撃戦になった場合の非常時に備え、念のため装備していたのものだ。
 しかし、そんなものはまったく必要なかった。男は猛然と自転車をこいで、アクロシティの敷地をL字型に横断。公道に出ると、そのまま視界の彼方に消え去った。

【『警察庁長官を撃った男』鹿島圭介〈かしま・けいすけ〉(新潮社、2010年/新潮文庫、2012年)】

 警察庁長官狙撃事件を追ったルポである。文章に独特のキレがあり迫力を生んでいる。

 事件が起こったのは1995年のこと。2010年に公訴時効となった時、警視庁公安部長が記者会見を開き「オウム真理教の信者による組織的なテロである」とぶち上げた。組織的なテロ活動を行っていたのはむしろ公安であった。彼らはオウム真理教を犯人に仕立てようとして失敗した。

 本書の表紙を堂々と飾っているのが真犯人と目される人物だ。男の名を中村泰〈なかむら・ひろし〉という。彼は「特別義勇隊」を名乗った。右翼思想を有する武装集団である。彼は東大を中退したスナイパーであった。

 時折、文筆業者にありがちな軽薄な決めつけが見受けられるところが難点。

警察庁長官を撃った男 (新潮文庫)

ヒートの情報倉庫:中村泰

ダグ・ボイド、瀬谷ルミ子、船山徹、佐藤優、響堂雪乃、他


 15冊挫折、7冊読了。

ヤクザな人びと 川崎・恐怖の十年戦争』宮本照夫(文星出版、1998年)/ルポではなくエッセイ。筆致の軽さが圧縮度を薄めている。ただしエッセイだと割り切ればそこそこ面白い。交渉の仕方としても参考になる。

生の時・死の時』共同通信社編(共同通信社、1997年)/1997年度新聞協会賞受賞ルポ。紙面という限られたスペースであれば、また違った風にも読めたことだろう。だが書籍としてはやはり弱い。中途半端な散文の印象を免れず。各章の目のつけどろこは優れている。

楚漢名臣列伝』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(文藝春秋、2010年/文春文庫、2013年)/物語の起伏に欠ける。

シェルパ ヒマラヤの栄光と死』(山と溪谷社、1998年/中公文庫、2002年)/これは後回し。書いておかないと読めなくなるので記録しておく。

リデルハートとリベラルな戦争観』石津朋之(中央公論新社、2008年)/硬質な分だけ興味を引きにくい。読者を選ぶ本だ。

孟子(上)』(朝日文庫、1978年)/入門書には適さず。

人間精神進歩史 第1部』コンドルセ:渡辺誠訳(岩波文庫、1951年)/読むのが遅すぎた。

日本人が知らないアメリカの本音』藤井厳喜〈ふじい・げんき〉(PHP研究所、2011年)/文章に締まりがない。

正弦曲線』堀江敏幸(中央公論新社、2009年/中公文庫、2013年)/第61回読売文学賞受賞作。読ませる文章である。数学と詩が融合したような随筆だ。コアなファンがいそうな作家である。

いつまでも美しく インド・ムンバイのスラムに生きる人びと』キャサリン・ブー:石垣賀子訳(早川書房、2014年)/「ピュリッツァー賞受賞ジャーナリストが描くインド最大の都市の真実。全米図書賞に輝いた傑作ノンフィクション」。今回の目玉作品であったが100ページほどで挫ける。文章はいいのだが立ち位置が気になる。

不知火 石牟礼道子のコスモロジー』石牟礼道子〈いしむれ・みちこ〉(藤原書店、2004年)/ファンのためのアンソロジーといった体裁。

本を書く』アニー・ディラード:柳沢由実子訳(パピルス、1996年)/今まで読んだディラード作品では一番面白くなかった。作家向けか。

アングラマネー タックスヘイブンから見た世界経済入門』藤井厳喜〈ふじい・げんき〉(幻冬舎新書、2013年)/この人、妙な前置きをする悪癖がある。『ドンと来い! 大恐慌』が当たったためだろう。もったいぶらずに直球勝負で書くべきだ。

[徹底解明]タックスヘイブン グローバル経済の見えざる中心のメカニズムと実態』ロナン・パラン、リチャード・マーフィー、クリスチアン・シャヴァニュー:青柳伸子訳、林尚毅解説(作品社、2013年)/書籍タイトルに記号を付けるのは邪道である。専門性が高すぎて、読めば読むほどわけがわからなくなる。

足の汚れ(沈澱物)が万病の原因だった 足心道秘術』官有謀〈かん・ゆうぼう〉(文化創作出版マイ・ブック、1986年)/足揉みが民間療法であることは知っていたが理由がよくわかった。講習料金を比較すると若石法(じゃくせきほう)に軍配が上がりそうだ。有名どころとしては他にドクターフットなどがある。所謂リフレクソロジーは法的に曖昧な立場でゆくゆく規制がかかるかもしれぬ。官有謀が立派なところは、「自分で行うのが足揉みの基本」としているところ。

 20冊目『読書という体験』岩波文庫編集部編(岩波文庫、2007年)/飛ばし読みしようと開いたのだが、スラスラと読み終えてしまった。それほど大した内容ではないのだが。

 21冊目『略奪者のロジック 支配を構造化する210の言葉たち』響堂雪乃〈きょうどう・ゆきの〉(三五館、2013年)/前著『独りファシズム つまり生命は資本に翻弄され続けるのか?』と比べると見劣りするが、辞書として使えばよい。響堂雪乃は扇動するメディアに扇動をもって対抗する。

 22冊目『世界と闘う「読書術」 思想を鍛える一〇〇〇冊』佐高信〈さたか・まこと〉、佐藤優〈さとう・まさる〉(集英社新書、2013年)/佐藤優の動きが怪しい。次々と毛色の変わった人物と対談集を編んでいる。副島隆彦との対談と異なり、佐藤が終始リードしている。つまり佐高の方が御しやすかったということなのだろう。あるいは聞く耳を持っていたということか。びっくりしたのだが「あとがき」で佐高が自分のことを「人権派」と称していた。他人の悪口ばかりを集めて本にしてきた男が説く人権とは何ぞや? 佐高は私が最も忌み嫌う人物の一人であるが、本書の価値に傷をつけるものではない。

 23冊目『サバイバル宗教論』佐藤優〈さとう・まさる〉(文春新書、2014年)/臨済宗相国寺での講演を編んだもの。話し言葉でここまで語れるところに佐藤優の凄さがある。読み終える前に「宗教とは何か?」に付け加える。もちろん必読書入りだ。モヤモヤしていた佐藤への疑惑が解消された。佐藤が行ってきたことは「中間層の強化」=「民主主義の補強」であったのだろう。創価学会への接近もこれで理解できよう。ただし沖縄の悲哀を知る佐藤がパレスチナを語らぬ事実に私は不満を覚える。僧侶の質問のレベルが意外と高いのにも驚かされた。

 24冊目『仏典はどう漢訳されたのか スートラが経典になるとき』船山徹(岩波書店、2013年)/労作。読み物ではなく資料だと割り切れば面白く読める。ただし最後の方は飛ばし読み。学術的には意味があるのだろうが、言葉の本質が情報である事実を踏まえると、この分野の裾野が広がることは困難であろう。翻訳に限らずすべての情報は「解釈される性質」をはらんでいる。正統とは歴史であって合理性を意味しない。思い切って言えば、翻訳そのものよりも翻訳後に脳とコミュニティの様相がどう変化したかを検証することが重要だ。日本の宗教に関する学問は一刻も早く文学と歴史の次元から脱却する必要がある。

 25冊目『職業は武装解除』瀬谷ルミ子〈せや・るみこ〉(朝日新聞出版、2011年)/前々から読みたかった一冊だ。ちょっと文章が甘いのだがこれはオススメ。順序としては『裸でも生きる 25歳女性起業家の号泣戦記』山口絵理子→本書→『武装解除 紛争屋が見た世界』伊勢崎賢治が望ましい。更に興味があれば、『NHK未来への提言 ロメオ・ダレール 戦禍なき時代を築く』ロメオ・ダレール、伊勢崎賢治→『なぜ、世界はルワンダを救えなかったのか PKO司令官の手記』ロメオ・ダレールと進めばよい。劣等感に苛まれた一人の少女がどのようにして世界へと羽ばたいたのか。体当たりの青春が美しい。

 26冊目『ローリング・サンダー メディスン・パワーの探究』ダグ・ボイド:北山耕平、谷山大樹訳(平河出版社、1991年)/これは凄い。ただただ凄い。西水美恵子がブータン王国に抱いた印象を私はインディアンに重ねてきた。本書を読んでそれが極まった。ヨーロッパ人がインディアンを虐殺した時、人類の進化は止まったのだろう。彼らこそは無名のブッダでありクリシュナムルティであった。ブッダもクリシュナムルティもインディアン(インド人)だ(ブッダは現在のネパール出身)。密教(スピリチュアリズム)を解く鍵は『世界の名著1 バラモン教典 原始仏典』長尾雅人〈ながお・がじん〉責任編集と本書にあると思われる。

2014-04-28

ちょっと高級な爪切り

Seki EDGE キャッチャーつめきりL SS-102ステンレス製 高級つめきり古沢製作所 ニッパー爪切り ひょうたん爪切り

情動的シナリオ/『神はなぜいるのか?』パスカル・ボイヤー


進化宗教学の地平を拓いた一書/『宗教を生みだす本能 進化論からみたヒトと信仰』ニコラス・ウェイド

 ・普遍的な教義は存在しない
 ・デカルト劇場と認知科学
 ・情動的シナリオ

脳は神秘を好む/『脳はいかにして〈神〉を見るか 宗教体験のブレイン・サイエンス』アンドリュー・ニューバーグ、ユージーン・ダギリ、ヴィンス・ロース
キリスト教を知るための書籍
宗教とは何か?

 多くの人々は、宗教を単純に説明できると考えている。すなわち、情動的な理由から宗教が必要だという説明である。人間の心は、安心や安らぎを求めるように作られており、超自然的概念がそれらを与えてくれるように見える。このよくある説明には、さらに次の二つがある。

・宗教的説明は、死の耐え難さを軽減する(中略)

・宗教は、不安をやわらげ、世界を心休まるものにする。(後略)

【『神はなぜいるのか?』パスカル・ボイヤー:鈴木光太郎、中村潔訳(NTT出版、2008年)以下同】

 昨日はエリザベス・キューブラー=ロス動画を見たため更新できず。私が『死ぬ瞬間』を読んだのはもう20年以上前だ。やはり映像の力は凄い。彼女は死を宣告された患者を大学の授業に招いた。衝撃的な光景である。求めに応じて全米各地の末期患者と語り合った。やがて彼女の献身的な行動がホスピスとなって結実する。その後、キューブラー=ロス女史が死後の世界にハマっていったことは知っていた。だが脳梗塞で倒れ、神を罵倒したことでアメリカ中から非難された事実は知らなかった。

 他人の死と自分の死は異なる。当然だ。彼女は明らかに死にたがっていた。しかし自殺することは彼女の人生観に反する。闘病を経てキューブラー=ロスは自分の過去を清算した。私は知った。菩薩道が仏道につながらないことを。どれほど他人に尽くしても越えられない壁があるのだ。エリザベス・キューブラー=ロスは聖女ではなかったが、愛すべき人間であった。彼女への敬意が深まった。

 宗教という宗教が説く幸福には必ず条件がつく。安心はタダでは手に入らない。「救われたい者はノルマを果たせ」というわけだ。

 情動にもとづく説明には、いくつか重大な問題点がある。まず、時に人類学者が指摘してきたように、社会における事実のいくつかは、その社会の理論が謎に対して答えを与えたり苦悩に対して救いを与えたりしているところでのみ、謎であったり、畏怖を引き起こしたりする。たとえば、メラネシアには、妖術から身を守るために驚くほどたくさんの儀礼を行なう社会がある。その社会では、人々は、自分たちがこれらの見えざる敵の絶え間ない脅威のもとに生きていると考えている。したがって、このような社会では、呪術的な儀礼や処方や予防策は、基本的に安心を与える装置であり、人々にこれらのプロセスをコントロールしているという幻想をもたらすと考えられる。しかし、ほかの社会では、人々は、こうした儀礼をもたず、このような脅威も感じていない。人類学者から見れば、これらの儀礼は、儀礼が満たすとされる必要性を作り出しているとも言え、おそらくそれぞれが互いを強め合ってもいる。

 宗教は「物語の装置」である。信者が別の文脈を見出すことはない。そして物語にはルールがある。細かいルールが。結果的には儀礼――あるいは修行、義務、寄付金――が本来であれば不要な必要条件を信者に突きつけるというわけだ。宗教が編む物語は不安に満ちている。

 神を信ずる者は神の怒りを恐れる。まったく「触らぬ神に祟り無し」とはよく言ったものだ。奴は気が短いからね。宗教は罪と罰の範囲をどこまでも押し広げる。ま、一種の不安産業だ。

 また、もし宗教的概念が特定の情動的欲求を解決する方法であるのなら、それはあまりうまくいっていないことになる。宗教的世界はしばしば、超自然的行為者のいない世界以上に恐ろしい世界であり、多くの宗教は、安心を生み出すのではなく、厚く陰鬱な帳(とばり)で包み込む。

 恐怖でコントロールされる人々よ、汝の名は信者なり。

神はなぜいるのか? (叢書コムニス 6)

死ぬ瞬間―死とその過程について (中公文庫)「死ぬ瞬間」をめぐる質疑応答 (中公文庫)人生は廻る輪のように (角川文庫)ライフ・レッスン (角川文庫)

マントラと漢字/『楽毅』宮城谷昌光

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     ・時間論
     ・必読書リスト

『リサイクル幻想』武田邦彦
養老孟司特別講義 手入れという思想 (新潮文庫)
ビッグデータの正体 情報の産業革命が世界のすべてを変える
『インフォメーション 情報技術の人類史』ジェイムズ・グリック
人間科学アルゴリズムが世界を支配する (角川EPUB選書)
『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』レイ・カーツワイル
『苫米地英人、宇宙を語る』苫米地英人
『ブラックホール戦争 スティーヴン・ホーキングとの20年越しの闘い』レオナルド・サスキンド
『物質のすべては光 現代物理学が明かす、力と質量の起源』フランク・ウィルチェック
量子が変える情報の宇宙
『宇宙を復号(デコード)する 量子情報理論が解読する、宇宙という驚くべき暗号』チャールズ・サイフェ
『史上最大の発明アルゴリズム 現代社会を造りあげた根本原理』デイヴィッド・バーリンスキ
生命を進化させる究極のアルゴリズム
『宇宙をプログラムする宇宙 いかにして「計算する宇宙」は複雑な世界を創ったか?』セス・ロイド
宇宙を織りなすもの――時間と空間の正体 上宇宙を織りなすもの――時間と空間の正体 下