・『孤独と不安のレッスン』鴻上尚史
・社会は常に承認を求める
・『3歳で、ぼくは路上に捨てられた』ティム・ゲナール
また、積極的にこうした排除に荷担することで、自分の存在価値をより一層高めようとする場合もある。仲間と一緒に他の人々の欠点をあげつらい、蔑視することで、自分たちだけは特別だ、というような一段高い位置に身を置くことができるからだ。先に例を挙げた女子中学生Hの地味なグループへの蔑視も、こうした心理から生じている。それは、自分とは無関係に思える人々を蔑(さげす)むことで、自らの存在価値の底上げを図ろうとする行為にほかならない。
求められているのは「自分は価値のある人間だ」という証であり、その確証を得て安心したいがために、身近な人々の承認を絶えず気にかけ、身近でない人々の価値を貶め(おとしめ)ようとする。見知らぬ他者を排除することで、自らの存在価値を保持しようとする。たとえそれが悪いことだと薄々気づいていても、仲間から自分が排除されることへの不安があるため、それは容易にはやめられない。そして底なしの「空虚な承認ゲーム」にはまってしまうのだ。
【『「認められたい」の正体 承認不安の時代』山竹伸二(講談社現代新書、2011年)】
「いじめ自殺」という言葉が登場したのはは1979年だという(PDF:子どもの自殺の実態)。いつの時代もいじめはあったわけだが、その質が変わったと感じたのは鹿川君訴訟(中野富士見中学いじめ自殺事件、1986年)が報じられた時だった。近所の高校生に尋ねたところ、「自分の周囲ではそれほどでもないが、別の学校に通っている友達のクラスでは生卵をぶつけられたり、学校内のプールに落とされたり、ゴルフクラブで殴られている生徒がいる」という話であった。
皆が不安を抱えているからこそ攻撃の度合いが苛烈さを増すのだろう。ボス猿(アルファオス)が強ければ群れは安定する。強さが法(基準)として機能するためだ。
家族が機能不全に陥っているとどこかで誰かに認められる必要が生じる。「空虚な承認ゲーム」とあるが社会は常に承認を求める。「お前さんはどこの馬の骨だ?」ってわけだよ。
親から愛情も受けず、友情も知らぬ子供が果たしてどんな大人になるのか。冷え冷えとした気持ちにならざるを得ない。
人生は出会いによって色彩が変わる。人を求める気持ちがあれば必ず何らかの出会いはあるものだ。真の友は一人いればよい。そのために恥ずかしくない自分を築くべきだ。
「認められたい」の正体 ― 承認不安の時代 (講談社現代新書)
posted with amazlet at 17.08.20
山竹 伸二
講談社
売り上げランキング: 80,077
講談社
売り上げランキング: 80,077
0 件のコメント:
コメントを投稿