2018-11-29

ジム・キャリー「全てとつながる『一体感』は『自分』でいる時は得られないんだ」


『わかっちゃった人たち 悟りについて普通の7人が語ったこと』サリー・ボンジャース
『悟り系で行こう 「私」が終わる時、「世界」が現れる』那智タケシ

 ・ジム・キャリー「全てとつながる『一体感』は『自分』でいる時は得られないんだ」

悟りとは


 悟りには段階がある(『悟りの階梯 テーラワーダ仏教が明かす悟りの構造』藤本晃)。四向四果(しこうしか)だと預流果→一来果→不還果→阿羅漢果で完成となる(藤本晃)。

 悟りを説明することに意味はあるのだろうか? ないね。ちっともないよ。むしろ説明することによって悟りは知識の範疇(はんちゅう)に押し込められる。レシピ本を読んで料理を語ることはできても決して満腹にはならない。

 知識や考え方、概念から離れるのが悟りである。いかに努力を積み重ねても自分の価値観を変えることは難しい。努力の過程そのものに自分の価値観が入っているためだ。すなわち悟りは努力の果てに得られるものではない。悟りを「理想」と捉えるのも誤っている(『自由とは何か』J・クリシュナムルティ)。

 例えば宮崎哲弥の該博な知識や頭のよさに唸(うな)らされることはあっても、そこに悟りの明晰さは見られない。通説の経・論・釈(経典・論書・釈書)にこだわるつもりはないが次元の違いを見極める必要がある。

 人類にとって最大の問題は悟りを社会に展開できるのかどうかだ。政治・経済は差別の世界である。軍隊を持たぬ平和主義は脆弱(ぜいじゃく)だ。チベットは中国に侵攻され、いまだ独立がかなわない。もしも国民全員が悟った国があったとすれば直ちに隣国から攻撃されることだろう。人類史上最も攻撃的なキリスト教白人が帝国主義以降の世界をまだ牛耳っていることからも明らかである。

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