2021-03-25

タントリズムは全てをシンボルに置き換える/『はじめてのインド哲学』立川武蔵


『世界の名著1 バラモン教典 原始仏典』長尾雅人責任編集
『ウパニシャッド』辻直四郎

 ・宗教とは「聖なるもの」と「俗なるもの」との相違を意識した合目的的な行為
 ・宇宙開闢(かいびゃく)の歌
 ・タントリズムは全てをシンボルに置き換える

『バガヴァッド・ギーター』上村勝彦訳
『仏教とはなにか その思想を検証する』大正大学仏教学科編
『最澄と空海 日本仏教思想の誕生』立川武蔵、1992年
『空の思想史 原始仏教から日本近代へ』立川武蔵、2003年

 タントリズムにあっては、すべてがシンボルに置きかえられる。世界も仏もシンボルとなる。シンボルあるいは記号の集積の中で、タントリズムの儀礼あるいは実践が行われるのである。後ほど考察するマンダラも、シンボルあるいは記号の統合された集積にほかならない。かたちのあるもろもろのもの(諸法)が、かたちあるままで「熱せられて線香花火の火の玉のように震えながら」シンボルとなるのである。

【『はじめてのインド哲学』立川武蔵〈たちかわ・むさし〉(講談社現代新書、1992年)】

 昔アップした抜き書きを下書きに戻し、少しでも何か書かねばと思いながらもいたずらに歳月が流れる。1年も経てば読んだ時とは全く異なる感想が湧いてくる。中にはどうして書き出したかすら覚えてないテキストもある。思いや考えは、きちんとつかまえておかないと飛び去ってしまう。思念には羽があるのだ。

 シンボルが「記号の集積」であればそれはデータである。データからは計算が導かれる。にもかかわらず儀礼や儀式にとどめておいた理由は何か? それはコンピュータ(計算機)がなかったからではあるまいか。数珠(じゅず)は計算機ではあったが自然数を勘定するだけだ。

 つまりタントリズム(密教)は数学概念を用いなかったがために呪術という罠にはまってしまったのだろう。

 ただしマンダラを侮ってはいけない。マンダラ制作者は望遠鏡もない中で宇宙の実像を把握したのだから。

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