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2008-07-24

眼の前で起こった虐殺/『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』レヴェリアン・ルラングァ


『ホテル・ルワンダ』監督:テリー・ジョージ
『生かされて。』イマキュレー・イリバギザ、スティーヴ・アーウィン

 ・眼の前で起こった虐殺
 ・ジェノサイドが始まり白人聖職者は真っ先に逃げた
 ・今日、ルワンダの悲劇から20年

『なぜ、世界はルワンダを救えなかったのか PKO司令官の手記』ロメオ・ダレール
『ルワンダ ジェノサイドから生まれて』写真、インタビュー=ジョナサン・トーゴヴニク
『戦場から生きのびて ぼくは少年兵士だった』イシメール・ベア
『それでも生きる子供たちへ』監督:メディ・カレフ、エミール・クストリッツァ、スパイク・リー、カティア・ルンド、ジョーダン・スコット&リドリー・スコット、ステファノ・ヴィネルッソ、ジョン・ウー
『メンデ 奴隷にされた少女』メンデ・ナーゼル、ダミアン・ルイス
『私の身に起きたこと とあるウイグル人女性の証言』清水ともみ
『命がけの証言』清水ともみ

必読書リスト その二

 ルワンダものを読むのは初めてのこと。私の知識は『ホテル・ルワンダ』で得たものしかなかった。『ホテル・ルワンダ』は国連平和維持軍に守られているエリアからの視点であった。一方、レヴェリアン・ルラングァは塀の外の大虐殺を目の前で目撃した。だが、目撃しただけではない。体験させられたのだ。2分とかからぬ間に43人の身内を殺され、彼自身も身体をマチューテ(大鉈)で切り刻まれ、左手を切り落とされ、虐殺を目撃した左眼をえぐり取られた。これが、15歳の少年の身に振りかかった現実であった。

 ジェノサイド(大量虐殺)といえば、ヒトラーによる600万人のユダヤ人殺戮が代名詞となっているが、ルワンダで起こったこととは決定的な違いがある。ルワンダでは、近隣の友人や知人が大鉈を振り回し、赤ん坊を壁に叩きつけたのだ。何と100日間という短期間の間に、100万人のツチ族が殺された。1日1万人、1時間で417人、1分間で7人……。ルワンダの大地は文字通り血まみれになったことだろう。

 錠が飛んだ。扉が半開きになる。小さな弟たちや従兄弟たちが泣き、従姉妹たちが悲鳴を上げる。最初に扉の隙間から顔をのぞかせた男は、私の知っている男だった。シモン・シボマナという、繁華街でキャバレーを経営している無口な男。(中略)
 シボマナは怒鳴った。
「伏せろ、さあ、早く。地面に伏せるんだ!」
 ふと側にいる伯父ジャンの存在に気が付く。伯父は少しだけ左向きに身体を起こし、頭をのけぞらせて彼を見つめている。シボナマは素早い動作で伯父の首を切り落とす。ホースから水が噴き出すように、血しぶきが笛の音のような音を立てて鉄板屋根までほとばしった。
 伯父ががっくりとくずおれた時、一人の子供がとりわけ大きな叫び声を上げた。9歳になる伯父の末子ジャン・ボスコだ。シボマナはマチューテの一撃で子供を黙らせる。キャベツを割るような音と共に、子供の頭蓋骨が割れる。続いて彼は4歳のイグナス・ンセンギマナを襲い、何故だか分からないがマチューテで切り付けた後で死体を外に放り投げた。(中略)
 血が血を呼ぶ。荒れ狂う暴力。シボマナは地面に横になっている祖母を踏んだ。暗くてよく見えなかったのだが、彼が祖母を殺そうとすると、祖母は断固とした口調で言った。
「せめてお祈りだけでもさせておくれ」
「そんなことしても無駄だ! 神様もお前を見捨てたんだ!」
 そして祖母を一蹴りしてから切り裂いた。
 私はその時何も感じていなかった。恐怖、恐怖、恐怖しかなかった。恐怖にとらわれて私の感覚は麻痺し、身動きすることさえできなかった。クモの毒が急に体温を奪うように。心臓がどきどきし、汗が至るところから噴き出す。冷え切った汗。
 シボマナは切って切って切りまくった。他の男たちも同じだ。規則的なリズムで、確かな手つきで。マチューテが振り上げられ、襲いかかり、振り上げられ、振り下ろされる。よく油を差した機械のようだった。農夫の作業みたいに、連接棒の動きのように規則的なのだ。そしていつも、野菜を切るような湿った音がした。

【『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』レヴェリアン・ルラングァ:山田美明〈やまだ・よしあき〉訳(晋遊舎、2006年)以下同】

 シボマナが大笑いして、私に近付いてきた。
「おやおや、そこで外に鼻を突き出しているのは、ツチの家族の長男じゃないか!」
 そう言うと非常に機敏な動作で、私の顔から鼻を削いだ。
 別の男が鋲(びょう)のついた棍棒で殴りかかってくる。頭をそれた棍棒が私の肩を砕き、私は地面に倒れ伏した。シボマナはマチューテを取替え、私たちが普段バナナの葉を落とすのに使っている、鉤竿(かぎざお)のような形をした刃物をつかんだ。そして再び私の顔めがけて襲いかかり、曲がった刃物で私の左目をえぐり出した。そしてもう一度頭に。別の男がうなじ目掛けて切りかかる。彼らは私を取り囲み、代わる代わる襲ってきた。槍が、胸やももの付け根の辺りを貫く。彼らの顔が私の上で揺れている。大きなアカシアの枝がぐるぐる回る。私は無の中へ沈んでいった……。

 元々、ツチ族とフツ族は遊牧民族と農耕民族の違いしかなかった。そこに勝手な線引きをしたのは植民地宗主国のベルギーだった。1994年の大虐殺もイギリスとフランスがそれぞれの部族にテコ入れしている。挙げ句の果てにはアメリカ(クリントン大統領)が、ルワンダ救援を阻止した。シエラレオネと全く同じ構図で、アメリカ人にとっては、アフリカで行われている殺し合いなど、昆虫の世界と変わりがないのだろう。

 ラジオでは毎日、「ツチ族を殺せ! ゴキブリどもを殺せ!」とディスクジョッキーが扇動する。フツ族の子供はラジオ番組に電話をし、「僕は8歳になったんですが、ツチ族を殺してもいいんですか?」と質問をした。実際にあったエピソードである。そして、フツ族の少女は笑いながら略奪に加わった。

ルワンダ大虐殺を扇動したラジオ放送

 果たして何が人間をここまで変えるのか? 善悪という概念は木っ端微塵となって、フツ族はあたかも狩りやスポーツを楽しむように、ツチ族の身体を切り刻む。しかも、フツ族はただ殺すだけでは飽き足らず、ツチ族が苦しむように一撃では殺さなかった。幼い子供達は足を切断して放置された。

 人は物語に生きる動物である。物語は情報によって変わる。嘘やデマと、誤信・迷信がマッチした瞬間から、憎悪の焔(ほのお)が燃え始める。結局、白人がでっち上げた歴史を鵜呑みにしたフツ族が、殺戮に駆り立てられた側面が強かったと思わざるを得ない。

 本書の後半からレヴェリアン・ルラングァの葛藤が描かれる。深い自省は静かな怒りとなって青白く燃え上がり、神に鉄槌を下す。その烈しさは、ニーチェをも圧倒している。

 母は最期まであなたのことを信じていました。それはよくご存知でしょう。母がいくら祈っても、私がお願いしても、全能の神であるはずのあなたは指一本たりとも動かすことなく、母を守ろうとしませんでした。私はその乳とあなたの言葉で育ててくれた母は、喉の渇きに苦しみながら死んでいきましたが、あなたは自分のしもべの苦痛さえ和らげようとせず、干からびた母の唇に清水の一滴も注ごうとはしませんでした。その唇は最後の最後まであなたの名を唱え、あなたを褒め称えていたというのに。

 伯父ジャンの喉元から血がほとばしり出た瞬間、私の信仰も抜け出ていきました。
 祖母ニィラファリのお腹から生命が逃げ去った瞬間、私の信仰も逃げていきました。
 叔父エマニュエルが串刺しにされた瞬間、私の信仰も串刺しにされました。
 殺戮の場と化した教会の壁にあの子供たちが打ち付けられて、その頭蓋骨が砕かれた姿を見た瞬間、私の信仰も砕かれました。
 私が愛した人々の命が燃え尽きた瞬間、私の信仰は燃え尽きました。
 鋲つきの棍棒で肩を粉々に砕かれた瞬間、私の信仰も粉々に飛び散りました。

 あなたには、無垢な人々を救う手さえないのですか?
 自分の子供の不幸も見えないほど目が悪いのですか?
 彼らの叫び声も、助けを求める声も、悲嘆の声も聞こえないほど耳が悪いのですか?
 彼らをずたずたに切り裂こうと襲ってくる汚らしいやつらを踏み潰す足さえないのですか?
 涙を流す人々と共に、涙を流す心さえ持っていないのですか?
 か弱き者や小さき者を守るはずなのに、ゴキブリたちさえ守ることができないほど無力なのですか?
 つまりあなたは、闇の中にいて盲目の眼差しで私を見つめるだけの無力な神なのですね?
 しかしそんなことはどうでもいいのです。私の心の中では、あなたはもう死んでいるのですから。

 テレビを消して、この本と向き合おう。我々がメディア情報に振り回されている内は、いつでもフツ族になる可能性があるからだ。善と悪との間に一線を画すためには、「嘘を見抜き、嘘を否定する」ことである。



暴力と欲望に安住する世界/『既知からの自由』J・クリシュナムルティ
縁起と人間関係についての考察/『子供たちとの対話 考えてごらん』 J・クリシュナムルティ
ルワンダ大虐殺の爪痕
ラス・カサスの立ち位置/『インディアスの破壊についての簡潔な報告』ラス・カサス
集団行動と個人行動/『瞑想と自然』J・クリシュナムルティ
会津戦争の悲劇/『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』石光真人

2008-05-20

病気になると“世界が変わる”/『壊れた脳 生存する知』山田規畝子


『「自分で考える」ということ』澤瀉久敬

 ・病気になると“世界が変わる”
 ・母と子の物語

・『壊れた脳も学習する』山田規畝子
『「わかる」とはどういうことか 認識の脳科学』山鳥重
『脳は奇跡を起こす』ノーマン・ドイジ
『脳はいかに治癒をもたらすか 神経可塑性研究の最前線』ノーマン・ドイジ
『奇跡の脳 脳科学者の脳が壊れたとき』ジル・ボルト・テイラー

必読書 その五

 カバー装丁がまるでダメだ(講談社版)。もっとセンスがよければ、ベストセラーになっていたはずだ。出版社の怠慢を戒めておきたい。

 どんな剛の者でも病気にはかなわない。権力、地位、名誉、財産も、病気の前には無力だ。幸福の第一条件は健康なのかも知れない。普段は意に介することもない健康だが、闘病されている方の手記を読むと、そのありがたさを痛感する。まして、私と同い年であれば尚更のこと。

「病気になると“世界が変わる”」――決して気分的なものではない。脳に異変が起こるとそれは現実となるのだ。医師である山田さんはある日突然、高次脳機能障害となる。

 当時、私は医師として10年ほどの経験を積み、亡き父の跡を継いで、高松市にある実家の整形外科病院の院長を務めていた。子どものころから成績はともかく、勉強は嫌いではなかったのし、知識欲も人一倍あったほうだと思う。とくに記憶することは得意で、自分の病気についても、教科書に書いてある程度のことはだいたい頭に入っていたつもりである。
 だが私の後遺症、のちに「高次脳機能障害」と聞かされるこの障害は、これまで学んだどんなものとも違っていた。
 最初は自分の身に何が起こったのか、見当もつかなかった。
 靴のつま先とかかとを、逆に履こうとする。
 食事中、持っていた皿をスープの中に置いてしまい、配膳盆をびちゃびちゃにする。
 和式の便器に足を突っ込む。
 トイレの水の流し方が思い出せない。
 なぜこんな失敗をしでかすのか、自分でもさっぱりわからなかった。

【『壊れた脳 生存する知』山田規畝子〈やまだ・きくこ〉(講談社、2004年)/角川ソフィア文庫、2009年)】

 脳の機能障害で、立体像を認識することができなくなっていた。入院直後には中枢神経抑制剤を投与され、正常な認知ができずベッドから転落した。「暴れる患者」と判断され、「精神異常者」として扱われた。医師や看護師すら、この病気を正しく認識していなかった。

 それでも、山田さんの筆致はユーモラスで明るい。以前とは性格まで変わってしまった自分を振り返ってこう言い切ってしまうのだ。

 いろいろな自分に会えるのも、考えようによっては、この障害の醍醐味である。

 また、山田さんを取り巻く医師の言葉が、何とも味わい深い。まるで、哲学者のようだ。

「高次脳機能障害は、揺れる病態です。同じ病巣(びょうそう)の患者さんをつれてきても、必ずしも同じ症状ではない。今日できたことが、明日もできるとはかぎらない。患者さんは揺れています。だから診(み)る方も、いつも揺れていないと診られない」(山鳥重〈やまどり・あつし〉教授)

 ある日の朝礼で、私の上司であり、主治医でもある義兄が、全職員を前にして言った。
「ここに入ってこられる方は、病気やけがと闘って、脳に損傷を受けながらも生き残った勝者です。勝者としての尊敬を受ける資格があるのです。みなさんも患者さんを、勝者として充分に敬ってください」

 山田さんは、不自由な生活を強いられながらも社会復帰を果たす。

 3歳の時、一緒に救急車に乗って以来、子息は山田さんを支え続けた。最後に「いつもお母ちゃんを助けてくれたまあちゃんへ」と題して、20行のメッセージが書かれている。私は、溢れる涙を抑えることができなかった。何度となく読んで、何度となく泣いてしまった。

人間とは「ケアする動物」である/『死生観を問いなおす』広井良典
リハビリ

天声人語

 たとえば地下鉄の階段の前で立ちすくむ。上りなのか、下りなのかがわからない。時計の針を見ても左右の違いがわからず4時と8時とを取り違えてしまう。靴の前と後ろとの区別がつかない。
 脳卒中をたびたび経験した医師の山田規畝子(きくこ)さんが自らの体験をつづった『壊れた脳 生存する知』(講談社)は、後遺症の症状を実に冷静に観察している。「脳が壊れた者にしかわからない世界」の記録である。「病気になったことを『科学する楽しさ』にすりかえた」ともいう。
 脳の血管がつまったり破れたりする脳卒中の患者は多い。一昨年10月時点で137万人にのぼる。高血圧の699万人、歯の病気487万人、糖尿病の228万人に次いで4番目だ。
 この病気が厄介なのは、いろいろな後遺症が現れることだ。極めて複雑な器官の脳だけに、現れ方も千差万別らしい。医師にも個々の把握は容易ではない。視覚に狂いが出た山田さんも、何でもないような失敗を重ねて「医者のくせに」と、冷たい目で見られたこともあった。
 リハビリが大事である。山田さんは生活の中で試行錯誤を続けた。階段の上り下りにしても「目で見て混乱するなら見なければいい」と足に任せた。足は覚えていた、と。とにかく無理は禁物だという。育児をしながらの毎日、しばしば「元気出して。がんばって」と励まされる。しかし「元気出さない。がんばらない」と答えるようにしている。
 脳梗塞(こうそく)で先日入院した長嶋茂雄さんも、リハビリを始めるらしい。無理をしないで快復をめざしてほしい。

【朝日新聞 2004-03-09】



ラットにもメタ認知能力が/『人間らしさとはなにか? 人間のユニークさを明かす科学の最前線』マイケル・S・ガザニガ