2010-05-02

歴史を貫く物理法則/『歴史は「べき乗則」で動く 種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学』マーク・ブキャナン


『複雑系 科学革命の震源地・サンタフェ研究所の天才たち』M・ミッチェル・ワールドロップ
『新ネットワーク思考 世界のしくみを読み解く』アルバート=ラズロ・バラバシ
『複雑な世界、単純な法則 ネットワーク科学の最前線』マーク・ブキャナン
『急に売れ始めるにはワケがある ネットワーク理論が明らかにする口コミの法則』マルコム・グラッドウェル

 ・歴史を貫く物理法則
 ・歴史が人を生むのか、人が歴史をつくるのか?
 ・政治とは破滅と嫌悪との間の選択
 ・地震はまとまって起こる

・『複雑で単純な世界 不確実なできごとを複雑系で予測する』ニール・ジョンソン

必読書リスト その三

 べき乗(冪乗)とは、ある数字を掛け続ける操作のことをいう。累乗(るいじょう)といった方がわかりやすいだろう。様々な現象にべき乗の法則があるそうだ。

 地震の代わりにジャガイモの破片を使うと、グーテンベルク=リヒターの法則と同様の、特徴のない曲線が得られる。ブドウの種くらいの微小な破片は膨大な数あり(ママ)、破片が大きくなっていくにつれて、その数は徐々に少なくなっていく。実際注意深く調べていくと、破片の数は、大きさに応じてきわめて規則正しく減少していくことが分かる。重さが2倍になるごとに、破片の数は約6分の1になるのだ。グーテンベルクとリヒターが発見したべき乗則と同様のパターンである。一つ違うのは、重さが2倍になるごとに、この場合には6分の1になるが、地震の場合には4分の1になるという点である。

【『歴史は「べき乗則」で動く 種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学』マーク・ブキャナン:水谷淳〈みずたに・じゅん〉訳(ハヤカワ文庫、2009年/早川書房、2003年『歴史の方程式 科学は大事件を予知できるか』改題)以下同】

 ジャガイモを硬い壁や床に叩きつけると粉々になる。何個ぶつけようと大きなかけらよりも小さなかけらの方が多い。同様に大きな地震よりも小さな地震の方が数は多い。これがべき乗になっているというのだ。

 世界各国が地震予知のために巨額の予算を投じているが、今まで予知できた例(ためし)はない。そもそもどうしてプレート(岩盤)が動くのかが判明していないのだ。最近の研究では宇宙線がトリガーになっているという説もある。

 本書で明らかにされているのは、「大地震の後は、しばらく大地震がこない」という事実のみである。

 あなたがナシの大きさだったときには、自分と同じ重さの破片一つに対して、その半分の重さの破片は約6個あった。ところが自分が縮んだ後でも、まったく同じ規則を発見する。再び、自分と同じ重さの破片一つあたり、その半分の重さの破片が約6個あるのだ。どんな大きさでもまわりの景色はまったく同じに見えるので、もし自分を何回縮めたか忘れてしまうと、まわりを見ただけでは自分の大きさがまったく分からなくなってしまう。
 これがべき乗則の【意味】するところである。

 大きさこそ違っても、同じ世界が広がっているというのだから不思議な話だ。多分、世界は入れ子構造になっているのだろう。マトリョーシカ人形のように。

 人それぞれの幸不幸もきっと同じような構造になっているに違いない。大きさの異なる幸不幸が一人ひとりの人生に彩(いろどり)を添えているのだろう。

 ここからが本書の白眉となる。物理世界に適用できるべき乗則が果たして人間の歴史にも応用可能なのかどうか?

「応用可能」というのが本書の答えである。つまり歴史を動かしているのは偉人や悪人といったパーソナルな要因ではなく、ある方向に時代が揺り動かされる時に臨界点を左右する人物が登場するということになる。

 詳細についてはまた後日。それなりの科学知識が必要で、一度読んだだけでは中々理解が深まらない。それでも面白い。



信じることと騙されること/『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』内山節

2010-05-01

論理の限界/『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ


『身体感覚で『論語』】を読みなおす。 古代中国の文字から』安田登
『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ

 ・ユーザーイリュージョンとは
 ・エントロピーを解明したボルツマン
 ・ポーカーにおける確率とエントロピー
 ・嘘つきのパラドックスとゲーデルの不完全性定理
 ・対話とはイマジネーションの共有
 ・論理ではなく無意識が行動を支えている
 ・外情報
 ・論理の限界
 ・意識は膨大な情報を切り捨て、知覚は0.5秒遅れる
 ・神経系は閉回路

『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ
『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』レイ・カーツワイル
意識と肉体を切り離して考えることで、人と社会は進化する!?【川上量生×堀江貴文】
『AIは人類を駆逐するのか? 自律(オートノミー)世界の到来』太田裕朗
『奇跡の脳 脳科学者の脳が壊れたとき』ジル・ボルト・テイラー
『あなたの知らない脳 意識は傍観者である』デイヴィッド・イーグルマン

必読書 その五

 人は自転車に乗れるが、どうやって乗っているのかは説明できない。書くことはできるが、どうやって書いているのかを書きながら解説することはできない。楽器は演奏できても、うまくなればなるほど、いったい何をどうしているのか説明するのが困難になる。

【『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ:柴田裕之〈しばた・やすし〉訳(紀伊國屋書店、2002年)】

「論理の限界」、「言葉の限界」を見事に言い当てている。固有の経験を論理化することはできない。人間が持つコミュニケーション能力は無限の言葉でそれを相手に伝えようとしてきた。哲学がわかりにくいのは経験を伴っていないためであろう。ただ、思考をこねくり回しているだけだ。一人の先達の「悟り」を言葉にしたのが宗教であった。とすれば、教義という言葉の中に悟りは存在しないことになる。そこで修行が重んじられるわけだが、今度はスタイルだけが形式化されて内実が失われてしまう。

 もっとわかりやすくしてみよう。例えば自転車を知らない人々に「自転車に乗る経験」を伝えることが果たして可能だろうか? ブッダやクリシュナムルティが伝えようとしたのは多分そういうことなのだ。



脳は宇宙であり、宇宙は脳である/『意識は傍観者である 脳の知られざる営み』デイヴィッド・イーグルマン

2010-04-14

言葉の重み/『小野田寛郎 わがルバン島の30年戦争』小野田寛郎


 ・言葉の重み

『たった一人の30年戦争』小野田寛郎
『小野田寛郎の終わらない戦い』戸井十月
・『奇蹟の今上天皇』小室直樹

 本書がルバング島から帰還して、最初に発表された手記である。簡潔にしてハードボイルドのような文体、的確な状況掌握、作戦を遂行するための強靭な意志──発見直後の写真と同じ小野田の鋭い視線が読者に注がれ、行間からは歯ぎしりする音が聞こえてくる。

 小野田は少年時代から負けん気が強かった。当然ではあるが、そんな性質も陸軍中野学校入りした要因であったのだろう。そうでありながらも彼は極めて理知的だった──

 5年生の冬──中学最後の寒稽古のとき、私は古梅(こばい)に言った。
「このまま、お前に負けっぱなしで卒業したんじゃ、俺の立つ瀬がない。すまんが、もう一度、立ち合ってくれ」
「よし、なんべんでも相手になってやるぞ」
 防具をしっかりつけ直して、二人は対峙(じ)した。剣道部の全員がかたずをのんで私たちの決戦を見守った。きょうばかりは断じて負けられなかった。古梅が面をとりにきた一瞬、私はななめ右前へ飛んだ。古梅の胴が鳴り、確かな手ごたえが竹刀の先から伝わった。
「小野田、すごい抜き胴だったぞ」
 あとで古梅が恬淡(てんたん)と言った。それを聞いたとたん、私は全身が赧(あか)くなった。技の優劣にこだわっていた自分が、たまらなくはずかしかった。

【『小野田寛郎 わがルバン島の30年戦争』小野田寛郎〈おのだ・ひろお〉(講談社、1974年/日本図書センター、1999年)以下同】

 まるで山本周五郎の『一人ならじ』の世界そのままである。

 諜報戦に求められるのはスーパーマン的な能力ではなく、やはりバランス感覚であろう。小野田には少年時代からそのような性質が顕著であった。

 盟友の小塚とはルバング島で四半世紀以上も一緒に過ごした。男二人となれば、ぶつかり合わないわけがない。まして情況が過酷になればなるほど気も荒くなる。空腹や疲労は人をして畜生道に追い込む。

 ある日のこと、小塚がいきり立った──

「バカ野郎とは何だ、俺の言うことがきけない奴は、もはや味方じゃねえ、敵だ、日本人じゃねえ、殺してやるッ」
「殺す!? よし、殺したいなら殺してみろ。だが、その前にひとこと、言うことがある。それを聞いてから、それでも殺したかったら殺せ」
 私は再び荷物を置き、小塚の目をにらみながら言った。
「俺は命令とはいえ、きさまと長い年月、国のため、民族のために何とかお役に立ちたいと努力してきた。俺は同志であるきさまを、自分の感情だけで傷つけないよう、ずいぶん心をくだいてきたつもりだ。それなのにきさまは、俺の指導がよくないから、多数の投降者を出し、赤津を裏切らせ、島田を殺すはめになったと、これまでに何度も同じことを言った。
 だが、お前がそういうことを言いだすときはきまっている。敵の勢力が強いとき、天候が悪いとき、計画どおりにことが運ばず、心身ともに疲れているとき、食事の時間が遅れて空腹になったとき──きさまはこの四つのうち、何か一つにぶつかると必ず俺を批判し、怒りっぽくなる。きょうの場合は三番目だ。なぜ、もっと冷静になれないんだ。俺たちは二人だけなんだぞ」
「うるせえッ、いまさら、説教なんてたくさんだ」
「そうか、これだけ言ってもきさまは、同志の俺を殺さなければ気がすまないのか。よし、命をくれてやる。俺を殺して、あとはきさま一人で生きぬけ。そして、俺のぶんも戦え!!」
 すぐ眼下には荒波が打ち寄せていたが、私の耳には何も聞こえなかった。小塚も聞こえなかったろう。二人を包むいっさいの物音が絶え、静寂の中で私たちは対峙した。
 何十秒か過ぎた。
「隊長どの」
 目をそらした小塚が言った。
「先に歩いてくれ」
 そのひとことが、私たちを前よりも強い同志にした。
 私は黙ってうなずき、陽に灼(や)けた海岸の小石を踏んで歩きだした。

 小野田は何があろうとも残置諜者(ざんちちょうじゃ)の任務を優先した。祖国から見捨てられた30年もの間、小野田は日本を見捨てなかったのだ。彼は天皇のためではなく日本民族のために戦っていた。

 フィリピン軍は幾度となく討伐隊を派遣するが、ことごとく蹴散らされた。島民は二人を「山の王」「山の鬼」と呼んで恐れた。

 ここにも実は小野田の深慮遠謀があった。完全に隠れてしまっては、日本軍が再びやってきた時に自分達の存在を伝えられなくなってしまう。だから時々姿を現しては住民を威嚇(いかく)し、自分達のテリトリーを知らしめることを意図していたのだ。

 帰国後、マスコミは砂糖に群がる蟻のように小野田を追い回した。高度経済成長に酔い痴れた日本人は、勝手な憶測で面白おかしく小野田を論じた。戦争はルバング島で終わらなかった。

 まるで浦島太郎だった。日本民族のために必死の思いで生きてきたにもかかわらず、玉手箱を開けた途端、「軍人精神の権化」「軍国主義の亡霊」と罵られた。元将校という人物からは「自決すべし」という手紙が寄せられた。小野田は些細なことで父親とぶつかった時、その場で割腹(かっぷく)しようとしたこともあった。

 軍国主義に諸手(もろて)を上げて賛成した人々が、今度はその手で小野田を指差した。何という身勝手であろうか。自分自身の空虚さに耐えられない連中は、いつだって好き勝手な放言を吐くものだ。小野田にケチをつける輩(やから)はルバング島へ島流しにするべきだ。

 小野田はその後、折に触れて保守系論壇に利用されたこともあった。戦前の教育を一身に受け、戦後30年近くにわたって時計が止まっていたのだから致し方ない側面もある。それでも小野田の言葉は清らかで重い。

2010-04-10

深遠なる問い掛け/『英知の教育』J・クリシュナムルティ


『子供たちとの対話 考えてごらん』と同じ体裁で、インドのクリシュナムルティスクールで生徒に対して行われた講話と質疑応答が収められている。

 クリシュナムルティは晩年になっても子供達と対話をした。彼は生涯にわたって指導者となることを拒み続けた。だからこそ、子供達とも全く対等な視線で魂の交流ができたのだろう。

 大人は得てして一方的な訓戒を述べたがるものだ。まして功成り名を遂げた人物であれば尚更その傾向が強い。胸を反(そ)らせて声高らかに成功体験を語ることだろう。だが、そこに落とし穴がある。社会で成功した者は社会の奴隷である。社会のルールを知り、それに従い、社会から認められたからこそ成功したのだ。彼等は自分達が成功した社会が永続することを望み、社会を維持させるべく保守的とならざるを得ない。そこに「条件づけ」が確立されるのだ。

 宗教もまた同様である。教えを説く人と、説かれた教えに額(ぬか)ずく人々によって教団が構成されている。

・目指せ“明るい教祖ライフ”!/『完全教祖マニュアル』架神恭介、辰巳一世

 ヒエラルキーは効率のよい指示系統の構築を目的としている。とかくこの世は一方通行の道路だらけで、進入禁止のコースも決して珍しくない。成功街道を歩むには、それ相応の免許証が必要となる。

 顛倒(てんとう)する世界をひたと見つめ、クリシュナムルティは人々に問いかける。その姿勢は児童達に対しても変わるところがない。彼の講話はスピーチではなく、魂の深い部分に問いかける対話である。映像を観るとわかるが、聴衆を見渡しながら彼はしばしば目をつぶり、じっと一点に見入っている時、明らかに自己の内部を見つめている。

 多くの仏像が半眼(はんがん)であるのは彼岸(あの世)と此岸(この世)を見つめているとされるが、クリシュナムルティの視線に私は同じ性質を感じてならない。

 クリシュナムルティは生徒の正面に立って、「君達は何のために学んでいるのか?」と問う。そこには遠慮も手加減も全くない。生徒は知らず知らずのうちに自分や自分の置かれた環境と向き合わざるを得なくなっている──

 君たちは、私がこれまでに見てきたうちでもっとも美しい渓谷のひとつに暮らしている。そこには、特別な雰囲気がある。ことに、夕方や朝とても早くに、ある種の沈黙が渓谷に行き渡り、浸み透っていくのに気づいたことはないだろうか。このあたりには、おそらく世界でももっとも古い丘があって、まだ人間に汚されていない。外では、都会だけではなくそこら中で、人間が自然を破壊し、もっとたくさん家を建てようと木を切り倒し、車や工業で大気を汚染している。人間が動物を滅ぼそうとしているのだ。虎はほとんど残っていない。人間があらゆるものを滅ぼそうとしている。なぜなら、次々と人間が生まれ、より多くの住むところが必要になっているからだ。しだいしだいに、人間は世界中に破壊の手を広げつつある。そして人は、こうした谷──人はわずかしかおらず、自然はまだ汚されておらず、いまなお沈黙と静謐(せいひつ)と美のある谷にやって来ると、ほんとうに驚いてしまうのだ。ここに来るたびに、人はこの土地の不思議さを感じるけれども、たぶん君たちはそれに慣れてしまったのだろう。君たちは、もう丘を見ようとはしないし、もう鳥の声や葉群(はむれ)を吹き抜ける風の音を聞こうとはしない。そんなふうに、君たちは、しだいに無関心になってしまったのだ。
 教育とは、ただ本から学び、何かのことを暗記するというだけのことではなく、それがほんとうのことやあるいはうそを言っているかを、見、聞きする術(すべ)を学ぶことである。そういうことすべてが、教育の一部なのだ。試験に合格し、学位を取り、就職し、結婚して定住するだけが教育ではない。それは、鳥の鳴き声を聞き、大空を見、えもいわれぬ樹木の美しさや丘の姿に眺めいり、それらと共に感じ、ほんとうに、じかにそれらに触れることでもある。だが、年を取るにつれて、そんなふうに見、聞きしようとする気持ちが、不幸なことに消え去ってしまう。なぜなら、心配事は増えるし、もっとたくさんのお金、もっといい車、もっと多くの、または少しの子供を持ちたいと思うようになるからなのだ。嫉妬ぶかくなり、野心的で欲ばりで、妬(ねた)みぶかくなり、その結果、大地の美しさへの感受性をなくしてしまうのだ。世界で、何が起こっているか知っているだろうか。現在のいろいろな出来事を、気をつけて調べてみなさい。戦争や反乱が次次に起こり、国と国とがお互いに対立しあっている。この国にも、差別や分裂があり、人口は増加の一途をたどり、貧しさ、不潔さ、そして完全な無感覚と冷淡さがはびこっている。自分が安全ならば、ひとに何が起ころうといっこうに気にしない。そして、君たちは、こういうことすべてに合わせていけるよう教育されているのだ。世界が狂っているということ──お互いに争い、けんかし、いじめ、おどし、苦しめ、攻撃しあうということすべては、狂気なのだということが、わかっているだろうか。で、君たちは、それに合わせていけるように成長するというわけだ。それは、正しいことなのだろうか。社会と呼ばれるこの狂った仕組みに、君たちが進んで、あるいはいやいやでも適応するようにすること、それが教育の目標なのだろうか。それから、世界中の宗教に何が起こっているか、知っているだろうか。この分野でも、人間は腐っていこうとしているし、誰も何一つ信じてはいないのだ。人間は、何の信仰も持ってはいないし、宗教とは単なる大がかりな宣伝の成果にすぎなくなっている。
 君たちは、若く、生き生きとしており、そして純粋だから、大地の美しさを見つめ、愛情豊かな心を持つことができるのではないか。そして、持ち続けることができるのではないだろうか。もしそうしなければ、成長するにつれて、君たちは適応してしまうだろう。なぜなら、それがいちばん安易な生き方だからである。成長するにつれて、君たちのうちごく少数しか反抗しなくなり、その反抗も、問題の解決にはならないだろう。君たちのうちには、社会から逃避しようとする者も出るだろう。しかし、そうした逃避には、何の意味もありはしない。必要なことは、社会を、人々を殺すことによってではなく、変えることなのだ。社会は、君たちでもあり、私たちでもある。君たちや私が、この社会を作り上げたのだ。だから、君たちが変わらなければならない。この異様な社会に適応してはいけない。とすれば、どうすればいいだろう。
 君たちは、このすばらしい谷で暮らした後は、争いと混乱と戦争と憎しみの世界へ送り出されようとしている。君たちは、こういう古い価値に従い、適応し、それらを受け容れるつもりなのか。古い価値とは、お金、地位、威信、権威のことである。それが、人間の望みのすべてであり、社会は君たちがそういう価値のシステムに適応することを望んでいる。だが、もし君たちが今、考え、観察し、そして本からではなく、自分のまわりでいま起こっていることをみな自分自身で見守り、耳傾けることによって、学びはじめたならば、今の人間とは違った種類の人間──思いやりがあって、愛情深く、人々を愛する人間──に成長するだろう。もしそういうふうに生きるならば、たぶん君たちはほんとうに宗教的な人生を発見するだろう。
 だから、自然を、タマリンドの木、咲きほこるマンゴーの木を見つめ、それから、朝早くと夕方とに、鳥たちの声に聞き入りなさい。木の葉の上のとりどりの色や光、大地の美しさ、豊かな土地を見てごらん。そういったものみなを見、また世界のありさまを、そのすべての残酷さ、暴力、醜さといっしょに見た今、これから何をすべきなのだろう。

【『英知の教育』J・クリシュナムルティ:大野純一訳(春秋社、1988年)以下同】

 のっけから全開である。五感を研(と)ぎ澄まして世界を見つめよ、と。

 実は視覚というのは受動的な感覚機能ではないことが科学的に明らかになっている。生まれつき目の不自由な人が手術などによって視覚を得ると、見た物を殆ど理解することができない。このような人々は必ず一旦物に触れてから再び見直すことで映像を理解するのだ。視覚と触覚との連合は、我々も幼児期に数年かけて行っているといわれている。

 つまり、「ものが見えている」と思うのは大きな間違いで、本当は「視覚映像を読み解いている」のである。後天的に視覚を得た人々はこれが上手くできない(脳の神経経路がつながらなくなっている)ため、殆どの人々が目が見えるようになった途端、うつ病になっている。

 見るという行為には無意識のうちに想像力が働いている。時にこれが先入観となって錯視が生じる。

・騙される快感/『錯視芸術の巨匠たち 世界のだまし絵作家20人の傑作集』アル・セッケル

 クリシュナムルティが説く「観察」とは、こうした想像力や先入観から離れて見つめることを意味している。「見る者」と「見られる物」という分断を超えた観察である。一切の思考を働かせることなく対象に見入る時、そこには対立関係の消え去った「関係性」しか存在しない。

 ここから更に「観察」の深い世界が示される──

 注意をする、注意を払うとは、どういう意味かわかっているだろうか。注意を払うと、ものごとがもっとはっきり見えてくるのだ。鳥たちの鳴き声がもっとはっきり聞こえてくる。さまざまな音の違いがわかるようになる。十分に注意深く木を見つめれば、木の美しさ全部が見えてくる。木の葉や小枝が見え、それらに風が戯(たわむ)れているのが見える。こんなふうに、注意を払えば、ものごとがとてつもなくはっきりと見えるようになるのだ。そういうふうに、注意を払ったことがあるだろうか。注意は、精神集中とは違う。集中しているときには何も見えていないのだ。だが、注意を払っているときには、実に多くのことが見えてくる。さあ、注意を払ってごらん。あの木を見つめ、影を、そして風にそよぐ葉を見つめなさい。あの木の姿を見つめなさい。木の全体性を見つめなさい。このように見るようにと言うのは、これから私が話そうとしていることは君たちが注意を払わなければならないことがらだからである。教室にいるときも、戸外にいるときも、食事をしているときも、散歩をしているときも、注意はきわめて重要である。注意はとてつもなく大切なことがらなのだ。
 これから君たちに質問してみたい。君たちはなぜ教育されているのだろう? 私の質問がわかるだろうか? 君たちの両親が君たちを学校に送る。君たちは授業を受け、数学を学び、地理や歴史を学ぶ。なぜだろう? 自分が教育を望んでいるのか、何が教育の目的なのか自問したことがあるだろうか? 何のために試験に合格して学位を取るのだろう? 何百、何千万もの人人がしているように、結婚し、就職し、そして身を固めるためだろうか? それが君たちのやろうとしていることであり、それが教育の意味なのだろうか? 私の言っていることがわかるだろうか? これはほんとうにとても大事な質問なのである。全世界が教育の基盤に疑問を投げかけている。われわれには教育がこれまで何のために使われてきたかわかっている。ロシアであれ、中国であれ、アメリカであれ、ヨーロッパであれ、あるいはこの国であれ、世界中の人間は、所属する社会や文化に順応・適合し、社会・経済活動の流れに従い、何千年もの間流れ続けてきた巨大な流れに引き込まれるよう教育されている。それが教育だろうか、それとも教育というのは、何かそれとまったく別のものだろうか? 教育は、人間の精神がその巨大な流れに巻き込まれ、それによってそこなわれないように面倒を見、精神がけっしてその流れに引きずり込まれないように責任を持ち、かくしてそのような精神によって君たちが、生に異なった性質をもたらす、これまでとはまったく違う人間になれるように面倒を見ることができるだろうか? 君たちは、そんなふうに教育されているだろうか? それとも両親や社会に命令されるままに、社会の流れの一部になることに甘んじているのだろうか? 人間の精神、君たちの精神が、ただ単に数学や地理や歴史で優秀であることができるだけでなく、どんなことがあってもけっして社会の流れにおぼれずにいられるようにすること──これが真の教育である。なぜなら、人生と呼ばれているその流れは、はなはだしく腐敗しており、不道徳で、暴力的で、貪欲(どんよく)だからである。その流れが私たちの文化をなしているのだ。それゆえ問題は、現代文明・文化のあらゆる誘惑、あらゆる影響、獣性(じゅうせい)に抗しうる精神を生み出すための正しい教育を、いかにしてもたらすかにある。私たち人間は、消費主義や工業化にもとづいたものではない新たな文化、まったく別種の生き方、真の宗教性にもとづいた文化を創造しなければならない歴史上の地点に来ている。ではどのようにして、これまでとはまったく異質の、貪欲でも嫉妬深くもない精神を、教育を通して、生み出すのか? 野心のないとてつもなく能動的で有能な精神、日常生活において何が真実かをほんとうに知覚できる──結局これが宗教なのだが──精神をいかにして生み出すのか?
 そこで、何が教育の真の意味、目的なのかを見出してみよう。自分の住んでいる社会や文化によって条件づけられた君たちの精神が、教育によって変容を遂げ、どんなことがあってもけっして社会の流れに入りこんでしまわないようにできるだろうか? 君たちを違ったふうに教育することができるかどうか。つまり「教育する(エデュケイト)」という言葉の真の意味において──数学や地理や歴史についての情報を教師から生徒に伝達するという意味でではなく、まさにこれらの科目を教える過程で君たちの精神に変化を起こすという意味で、このことは、君たちがとてつもなく批判的でなければならないことを意味している。自分自身がはっきりわからないことをけっして認めないよう、他人が言ったことをけっしておうむ返しに言わないようにしなければならない。  これらの質問を、ときどきではなく毎日、自分に向けてみなさい。見出しなさい。あらゆるもの、鳥や雌牛の鳴き声に耳を傾けなさい。自分自身のなかのあらゆるものについて学びなさい。なぜなら、もし自分自身から自分自身のことを学べば、君たちは中古品(セコハン)人間になったりはしないのだから。だから、これからはこれまでとはまったく違う生き方を発見するようにしてほしい。ただし、これはしだいにむずかしくなるだろう。なぜなら、私たちのほとんどは安易な生き方を見つけたがるからである。私たちは、他人が言うこと、他人がすることを繰り返し、それらに倣(なら)いたがる。なぜなら、古いパターンまたは新しいパターンに適合することが、もっとも安易な生き方だからである。けっして適合しないとはどういう意味か、恐怖なしに生きるとはどういう意味かを見出さなければならない。これは君たちの人生であって、他の誰も、どんな本も、どんな導師(グル)も君たちに教えることはできない。本からではなく、自分自身から学ばなければならない。自分自身について学ぶべき、実に多くのことがあるのだ。それは果てしないこと、興味尽きせぬことであり、そして自分自身から自分自身のことを学ぶとき、その学びから英知が生まれ出る。そのとき君たちは、並はずれた、幸福で美しい人生を生きることができる。わかるだろうか? では、何か質問は?

 クリシュナムルティは常々「注意を払え」と言う。それは「集中」ではない、とも。集中は一点に集約するので周りが見えなくなる。一方、注意は拡散した気づきといえよう。そして集中には時間的継続性があるが、注意は瞬間瞬間の行為である。観察は目で行うものであるが、視覚に捉われるとそれは集中になってしまう。すなわち注意には耳を澄ます=傾聴の姿勢が求められよう。

 そしてクリシュナムルティは聴き手に向って「私たちは」と語りかける。ここにおいて、クリシュナムルティの内なる世界では聴き手と話し手の分断がないことに気づく。なぜなら、「あなたが世界であり世界があなたである」以上、「あなた」は「私」でもあるからだ。

 ともすると我々は子供の幸福を願っているような顔をしながら、大人の価値観を押しつけている場合が殆どである。だから、自由の価値を重んじるようには決して教えない。大人の敷いたレールの範囲でしか自由は認められない。ま、数十センチといったところだろう。

 よく人生は道に例えられる。我々は人生において常に選択を迫られている。つまり十字路に立たされているといっていいだろう。そして前後左右のいずれかの進路を決めているのだ。

 実はこの時点で既に我々は条件づけに支配されている。なぜなら、道路というものは「誰かが造ったもの」であり「誰かが歩いた場所」であるからだ。つまり、我々はいつも誰かの後を辿っていることになる。

 本当に自由であれば、道からはみ出ることが可能になるはずだし、もっと言えば地面にトンネルを掘ったって、空を飛んだって構わないのだ。ところがどっこい我々の思考はそんなふうには働かない。

 皆が歩んだ道──それは悲惨のコースであり、戦争し殺し合う道であろう。歩きやすい道というのは過去の歴史を繰り返す羽目になる。

 クリシュナムルティの言葉は、私の魂を殴打してやまない。

2010-04-03

陸軍中野学校の勝利と敗北を体現した男/『たった一人の30年戦争』小野田寛郎


『小野田寛郎 わがルバン島の30年戦争』小野田寛郎

 ・陸軍中野学校の勝利と敗北を体現した男
 ・人間が怖かった
 ・残置諜者の任務を全うした男

『小野田寛郎の終わらない戦い』戸井十月
・『奇蹟の今上天皇』小室直樹
『F機関 アジア解放を夢みた特務機関長の手記』藤原岩市
『洞窟オジさん』加村一馬

 1972年(昭和47年)1月24日、横井庄一がグアム島で発見された(画像)。帰国した横井は「恥ずかしながら帰って参りました」と語った。


 それから2年後の1974年3月10日、今度はフィリピンのルバング島で小野田寛郎がフィリピン軍に投降する。戦後29年目のことであった。

 実はこの二人には大きな相違があった。横井は川でエビを採っていたところを地元の猟師に発見され、住んでいた洞窟から救出された。これに対して小野田は戦争が続いているものと確信し、所期の任務を遂行していたのだ。戦後、幾度となく捜索が行われたにもかかわらず、小野田は米軍による偽装行為であると思い込んでいた。接触に成功した鈴木青年のことも小野田は全く信用していなかった。最終的に谷口元少佐が現地を訪れ、新たな命令を口達(こうたつ)し、武装解除、投降に至るのである。

 小野田寛郎は足掛け30年もの長きにわたり、たった独りで戦争を続けていたのだ。

 初めは4人で行動していた。終戦から4年後に一人が逃亡した。9年後には一人が射殺された(島田庄一)。そして盟友の小塚金七も1972年に射殺された。それでも小野田はルバング島の動向を掌握し、日本軍がやって来ることをひたすら信じた。何が彼をしてそこまで駆り立てていたのだろうか。

 私はこの“戦後30年”、必死で、人の2倍のスピードで人生を生きてきた。
 帰還の記者会見で「30年のジャングル生活で、人生を損したと思うか」と聞かれ、「若い、意気盛んな時期に、全身を打ち込んでやれたことは幸福だったと思う」と答えた。

【『たった一人の30年戦争』小野田寛郎〈おのだ・ひろお〉(東京新聞出版局、1995年)以下同】

 二十歳(はたち)の小野田は中国語に堪能であったことから、陸軍中野学校二俣分校で訓練を受けることとなる。

 当時、陸軍には校名を見ても内容がわからない学校が二つあった。「中野学校」と「習志野学校」である。この二校だけは、陸士や歩兵学校、通信学校などと違って、参謀総長の直轄であった。
 わかりやすくいえば、中野学校はスパイの養成機関、習志野学校は毒ガス、細菌戦の専門家教育である。「こりゃ、えらいところへ回された」というのが、私の正直な気持ちだった。
 中野学校の教育方針は「たとえ国賊の汚名を着ても、どんな生き恥をさらしてでも生き延びよ。できる限り生きて任務を遂行するのが中野魂である」というものだ。

 通常、軍人であれば捕虜となった時点で「負け」を意味する。戦陣訓には「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず」と謳われていた。しかし諜報活動を行う中野出身者は違った。捕虜になっても尚、敵軍の情報を収集し、チャンスがあれば偽情報を流すことも可能であった。スパイにとって最大の仕事は「報告すること」である。死ぬことは絶対に許されなかった。

 校風は当時では考えられないほど自由奔放で、国体を批判しようが、八紘一宇(はっこういちう)を疑おうがおとがめなし。むしろ「天皇のために死なず」という気風すらあった。
 自分たちが命を捧げる対象は、天皇でもなく、政府、軍部でもなく、日本民族である。民族を愛し、民族の捨て石となって喜んで死ぬことができるか──を問うた。
 こんな精神教育の上に立ち、命も名もいらぬ人間として諜報技術を叩き込まれた。
 軍人の規範とされた戦陣訓には「恥を知る者は強し。常に郷党家門の面目を思い、愈々(いよいよ)奮励してその期待に答うべし。生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿(なか)れ」とある。
 しかし中野学校では、「死ぬなら捕虜になれ」と教えた。捕虜になって敵に偽情報をつかませるのだ。そのため“擬装投降”という戦術まであった。
 だが、功績を認めてくれるのは組織上層部だけで、世間には汚名を着せられ、人知れず朽ち果てていく。これが秘密戦士の宿命であった。
 では、秘密戦にたずさわる者は、いったい何をよりどころにすればいいのか。中野学校はこれをひと言で表現した。
「秘密戦とは誠なり」である。

 中野教育は一種のエリート教育であったと考えるべきだろう。一般の軍隊よりも一段高い視点から戦争を捉えていることからそれが窺える。ただし、功に生きることは許されない。飽くまでも黒子であり忍びという存在に徹することが求められる。

 中野の訓練は、「一を見て十を知る」という観察眼に重きが置かれた──

 たまに教官と浜松の街に外出するのも、息抜きでなく“候察”(こうさつ)の実地教育である。
 ある工場の前を通った。煙突から黒煙や黄色い煙があがっていた。
「工場の使用燃料は何か?」「何を生産し、その数量は?」「従業員数は何人か?」
 教官から矢継ぎ早に質問がとぶ。私たちはしどろもどろだった。
 候察ではメモは一切禁止されていた。敵に捕まったとき、証拠を残さないためだ。私はルバング島の30年、この習性で一切メモはとらず、日にちから行動まですべてを頭の中に記録してきた。

 そして小野田に命令が下された──

 私への口頭命令は次のようなものであった。
「小野田見習士官は、ルバン(グ)島へ赴き同島警備隊の遊撃(ゲリラ)戦を指導せよ」
 この命令が、以後30年、私の運命を支配することになる。

 更に付け加えられた──

 小柄で、温和な風貌をした横山師団長は、私にじっと目を注いで静かな口調で命令した。
「玉砕は一切まかりならぬ。3年でも、5年でもがんばれ。必ず迎えに行く。それまで兵隊が一人でも残っている間は、ヤシの実をかじってでもその兵隊を使ってがんばってくれ。いいか。重ねていうが、玉砕は絶対に許さん。わかったな」

 この言葉が小野田を30年間支配したのだ。そして百数十回にわたる戦闘を展開した。

 1972年の捜索には小野田の家族も参加し、拡声器で呼び掛けている。小野田は至近距離から確認した。にもかかわらず小野田は姿を現さなかった。なぜか? それは諜報戦に身を投じた者の宿命であった。小野田はあらゆる情報を「疑う」習性に取りつかれていたのだ。

 小野田寛郎こそは、陸軍中野学校の勝利と敗北を体現した男だった。何という運命のいたずらか。

 彼の30年間を「単なる勘違い」と嘲笑できる人物は一人も存在しないことだろう。彼が不幸であったと言う人すらいないことだろう。同じ30年間を漫然と過ごしてきた日本人の方が圧倒的に多かったはずだ。

 私は軍国主義やナショナリズムに対して常々嫌悪感を抱いているが、小野田の中に結晶した戦前の何かに魅了されてやまない。

 投降後の行動もことごとく軍人の様式に貫かれている。小野田は殺されることを覚悟で軍刀をフィリピン軍司令官に差し出す。司令官は一旦受け取った後、その場で小野田に軍刀を返した。フィリピンのマルコス大統領(当時)は、小野田の肩を抱き「あなたは立派な軍人だ。私もゲリラ隊長として4年間戦ったが、30年間もジャングルで生き抜いた強い意志は尊敬に値する。われわれは、それぞれの目的のもとに戦った。しかし、戦いはもう終わった。私はこの国の大統領として、あなたの過去の行為のすべてを赦(ゆる)します」と語った。小野田は現地住民を殺傷していたため、死刑になってもおかしくはなかったのだ。

 ルール、教育、命令、約束……。これらは日常生活にもあるものだ。そこには往々にして利害が絡んでいるものである。内側から見れば正義だが、外側から見ればエゴイズムに映ることも決して珍しくはない。

 小野田はルバング島の住民を震え上がらせた。帰国後、住民達からのメッセージが伝えられた──

 私が帰還後、厚生省の招待で西ミンドロ州知事夫妻とマニラ地区空軍司令官夫妻が東京にやってきたことがある。私は陸軍中野学校の同期生たちと、彼らを東京の街に案内した。
 銀座のクラブで飲んでいるとき、突然、州知事夫人が改まった顔で「ミスター・オノダに島の女性と子供たちからメッセージがあります」といった。場が一瞬、緊張した。
「島の男たちは30年間、大変怖い思いをしました。不幸な事件も起きました。しかし、オノダは決して女性と子供には危害を加えなかった。彼女たちが子供たちと安心して暮らすことができたのは、大変幸せなことでした」
 私は別にジュネーブ国際条約に定められた事項を守り通そうという意識があったわけではない。性欲は私欲であって、国のために戦うのに必要のないものだ。戦闘力も敵意もない女性や子供は、戦いには無関係だっただけである。

 小野田という人間の真髄がここにある。本書を読みながら、とめどなく涙がこぼれる。だが、私の心を打つものの正体がいまだにつかめないでいる。



小野田寛郎さんという人の、本当の素晴らしいところ
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