2008-05-05

六次の隔たり/『複雑な世界、単純な法則 ネットワーク科学の最前線』マーク・ブキャナン


『複雑系 科学革命の震源地・サンタフェ研究所の天才たち』M・ミッチェル・ワールドロップ
『新ネットワーク思考 世界のしくみを読み解く』アルバート=ラズロ・バラバシ

 ・六次の隔たり

『急に売れ始めるにはワケがある ネットワーク理論が明らかにする口コミの法則』マルコム・グラッドウェル
『歴史は「べき乗則」で動く 種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学』マーク・ブキャナン

必読書リスト その三

 人や物などのつながりに興味がある人は必読。2200円だが5000円以上の価値がある。

六次の隔たり」とはネットワーク理論の一つで、6段階を経ることによって、世界の現実が「スモールワールド・ネットワーク」となっていることを示したもの。

 なぜこれが逆説的かというと、強い社会的絆はネットワークを一つにまとめるきわめて重要なリンクのように思えるからである。しかし、隔たり次数に関しては、強い絆は実際のところ、まったくといっていいくらい重要ではない。グラノヴェターがつづけて明らかにしたように、重要なリンクは人々のあいだの弱い絆のほうであり、特に彼が社会の「架け橋(ブリッジ)」と呼んだ絆なのである。

【『複雑な世界、単純な法則 ネットワーク科学の最前線』マーク・ブキャナン:阪本芳久〈さかもと・よしひさ〉訳(草思社、2005年)】

「広い世界」を「狭い世間」に変えるのは「弱い絆である」というのがポイント。実際に行われた実験を見てみよう。ミシガン州のある中学で、1000人ほどの生徒全員に「親友を8人」親しい順番で書いてもらう。このリストから社会的つながりを明らかにした。まず、1番目と2番目の親友をたどってゆくと、生徒全体の一部にしかならなかった。ところが、7番目と8番目の名前を書き出してゆくと、はるかに大きいネットワークであることが判明した。

 チト、もどかしいので、手っ取り早く何箇所か抜き書きしておこう。

 グラノヴェターは、だれにも騒乱に加わる「閾値(しきいち)」があるという発想から出発した。大半の人は理由もなく騒乱に加わることはないだろうが、周囲の条件がぴったりはまったときは――ある意味で、限界を越えて駆り立てられれば――騒乱に加わってしまうかもしれない。パブのあちこちに100人がたむろしていたとして、そのなかには、手当たり次第にたたき壊している連中が10人いれば騒動に加わる者もいるだろうし、60人あるいは70人が騒いでいなければ集団に加わらない者もいるだろう。閾値のレベルはその人の性格によって、またこれは一例だが、罰への恐怖をどの程度深刻に受け止めているかによっても変わってくる。どんな状況におかれても、また何人が参加していようとも暴動に加わらない人もいるだろうし、反対に、自分の力で暴動の口火を切ることに喜びを覚える人も、ごく少数ながらいるだろう。


「閾値」とは沸点ともいえよう。熱を加える仕事がマーケティングだ。

 このような結果(「金持ちほどますます豊かになる」「有名サイトほどアクセス数が増える」)は、心理学でよく知られた「集団思考」と呼ばれる考え方ともつながりがある。1970年に社会心理学者のアーヴィング・ジェイナスは、何かを決めるとき人々の集団はどのような経緯をたどるのかを調べている。彼の結論は、集団内では多くの場合、集団力学(グループダイナミクス)のために、代替可能な選択肢をじっくり考える力が制限されてしまうというものだった。集団の構成員は、意見が一致しないがゆえの心理的な不愉快さを緩和するため、なんとか総意を得ようと努め、ひとたびあらかたのところで合意ができてしまうと、不満をもっている者も自分の考えを口に出すのが難しくなってしまう。波風を立てたくなければ、じっと黙っているほうがいいのだ。ジェイナスが書いているように、「まとまった集団内では総意を探ることがきわめて突出し、そのため、代わりにどんな行動がとれるかを現実的に評価することよりも優先されるのである」

 集団が個を殺す。

『ティッピング・ポイント(文庫版=急に売れ始めるにはワケがある ネットワーク理論が明らかにする口コミの法則)』(マルコム・グラッドウェル著)の中心をなす考えは、些細で重要とは思えない変化がしばしば不相応なほど大きな結果をもたらすことがあるというものだ。そう考えれば、急激に浸透していく変化は多くの場合どこからともなく生じ、産業、社会、国家の様相を一変させるにいたるという事実も説明できるというのである。この考え方の要点は、グラッドウェルが述べているように、「だれも知らなかった本があるとき突然ベストセラーに躍り出るという事実や10代の喫煙の増加、口コミによる広まり、さらには日常生活に痕跡をとどめるさまざまな不思議な変化を理解するいちばんいい方法は、こうした出来事を一種の伝染病と考えることである。アイデア、製品、メッセージ、行動様式は、まさにウイルスと同じように広がっていくのだ」。

 問題は感染力か。

 こうした事実をもとにすれば、疾病管理予防センターの研究者たちが、ボルチモア市での梅毒流行の原因として、社会や医療の実情がほんの少し変化したことをあげた理由がわかる。病気がティッピング・ポイントを越えるには、ほんのわずかな変化が生じるだけで十分なのだ。1990年代の初期、ボルチモア市の梅毒はもはや消滅の瀬戸際にあったのかもしれない。一人の感染によって引き起こされる二次感染者数は平均では1未満であり、したがってこの病気は押さえ込まれた状態になっていたのかもしれないのだ。けれども、このときにクラックの使用が増加し、医師数が減少し、さらに市の一定地域に限定されていた社会集団が広い範囲に転出したために、梅毒は境界を越えてしまった。梅毒をめぐる状況は大きく「傾いた(ティップト)」のであり、こうしたいくつかの些細な要因が大きな差異をもたらしたのである。

 均衡が崩れると、一気に片方へ傾く。

 だれもが知っているように、水が凝固して氷になるとき、実際には水の分子そのものはなんの変化もしていない。この変化は、分子がどのような振舞いをするかによる。水のなかの分子は、ひどい渋滞に巻き込まれてい身動きがとれなくなった自動車のように、ある位置にしっかりと固定されている。一方、水(液体)のなかでは、分子は固体のなかよりも自由に動き回ることができる。同じように、ガソリンが気化して蒸気になるときや、熱した銅線が溶けるとき、あるいは無数の物質がある形態から別の形態に突然変化するときも、原子や分子は同じであり、変化するわけではない。いずれの場合も、変化するのは、原子や分子の集団が作る全体としての組織的構造だけである。

 社会に求められるのは「流動性」であろう。日本がタコツボ社会のままであれば、有為な人材はいつまで経っても埋もれたままだ。



ソーシャルプルーフを証明する動画
信じることと騙されること/『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』内山節

2008-05-01

命の灯火(ともしび)で周囲を照らす姿/『がんばれば、幸せになれるよ 小児ガンと闘った9歳の息子が遺した言葉』山崎敏子


 ・命の灯火(ともしび)で周囲を照らす姿

『いのちの作文 難病の少女からのメッセージ』綾野まさる、猿渡瞳
『彩花へ 「生きる力」をありがとう』山下京子
『彩花へ、ふたたび あなたがいてくれるから』山下京子

 行間から祈る声が聞こえてくる――。

 昨年の「24時間テレビ」でドラマ化された作品。ドラマの方は見るに堪(た)えない代物だったが、著作は「2冊買って、1冊誰かにあげあたくなる」ほど素晴らしい内容だ。

 山崎直也君は9歳でこの世を去った。ユーイング肉腫という悪性の癌に侵(おか)されたのが5歳の時。短い人生の約半分を闘病に捧げた。

 平凡な両親の元に生まれた直也君は、“本物の天使”といってよい。どんな痛みにも弱音を吐かず、再発する度に勇んで手術に臨んだ。

 それにしても、直也君の言葉は凄い。まるで、「年老いた賢人」のようだ。

「おかあさん、もしナオが死んでも暗くなっちゃダメだよ。明るく元気に生きなきゃダメだよ。わかった?」

【『がんばれば、幸せになれるよ 小児がんと闘った9歳の息子が遺した言葉』山崎敏子(小学館、2002年/小学館文庫、2007年)以下同】

 直也自身、少しでも体調が悪化すると、
「山崎直也、がんばれ!」
 そう口に出して、自分で自分を励ましていました。16日の呼吸困難の発作のさなかにも、「落ち着くんだ」といっていたような気がします。
 あの日、息苦しさが少し治まってから、直也はこうもいいました。
「おかあさん、さっきナオがあのまま苦しんで死んだら、おかしくなっていたでしょ。だからナオ、がんばったんだよ。それでも苦しかったけど。おかあさんがナオのためにしてくれたこと、ナオはちゃんとわかっていたよ。『先生早く!』って叫んでいたよね。でも安心して。ナオはああいう死に方はしないから。ナオはおじいさんになるまで生きたいんだ。おじいさんになるまで生きるんだ。がんばれば、最後は必ず幸せになれるんだ。苦しいことがあったけど、最後は必ずだいじょうぶ」

 夜10時過ぎ、直也は突然落ち着かない様子で、体を前に泳がせるようなしぐさをしました。
「前へ行くんだ。前へ進むんだ。みんなで前に行こう!」
 びっくりするほど大きな力強い声です。そして、まるで、迫り来る死と闘っているかのように固く歯を食いしばっています。ギーギーという歯ぎしりの音が聞こえるほどです。やせ衰えて、体を動かす元気もなくなっていた直也のどこにこれだけの力があったのかと驚くほど、力強く体を前進させます。

 ある日、私が病院に行くと、主任看護婦さんが、「おかあさん、私、今日、ナオちゃんには感動したというか、本当にすごいなと思ったんだけど」と駆け寄ってきました。直也は、
「この痛みを主任さんにもわかってもらいたいな。わかったら、またナオに返してくれればいいから」
 といったそうです。「えっ、痛みをまたナオちゃんに返していいの?」とびっくりして聞くと、
「いいよ」
 と答えたそうです。
「代われるものなら代わってあげたい」。よく私もそういっていました。でも直也はそのたびに力を込めて「ダメだよ」とかぶりを振り、
「ナオでいいんだよ。ナオじゃなきゃ耐えられない。おかあさんじゃ無理だよ」
 きっぱりとそういうのです。

 何だか自分が、ダラダラと走るマラソンランナーみたいな気になってくる。直也君は、人生を全力疾走で駆け抜けた短距離ランナーだった。「生きて、生きて、生きまくるぞ!」と言った通りに生きた。

 山下彩花ちゃんといい、直也君といい、命の灯火(ともしび)で周囲を照らす姿に圧倒される。



8人の意識の力で病状を癒す/『パワー・オブ・エイト 最新科学でわかった「意識」が起こす奇跡』リン・マクタガート

2006-02-07

これが私のいる世界なのか?/『ホテル・ルワンダ』テリー・ジョージ監督


 ・これが私のいる世界なのか?

『それでも生きる子供たちへ』監督:メディ・カレフ、エミール・クストリッツァ、スパイク・リー、カティア・ルンド、ジョーダン・スコット&リドリー・スコット、ステファノ・ヴィネルッソ、ジョン・ウー
『生かされて。』イマキュレー・イリバギザ、スティーヴ・アーウィン
『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』レヴェリアン・ルラングァ
『なぜ、世界はルワンダを救えなかったのか PKO司令官の手記』ロメオ・ダレール
『ルワンダ ジェノサイドから生まれて』写真、インタビュー=ジョナサン・トーゴヴニク
『戦場から生きのびて ぼくは少年兵士だった』イシメール・ベア
『メンデ 奴隷にされた少女』メンデ・ナーゼル、ダミアン・ルイス

『ホテル・ルワンダ』を見てきた。いやはや、立川のシネマシティ/City2は凄い。これほど、スクリーンを大きく感じたのは生まれて初めてのこと。前から4列目に陣取ったのだが、真正面にスクリーンがある。音響もパーフェクト。

 インターネットでの署名活動によって、やっと公開にこぎつけた作品。1994年にアフリカのルワンダで100万人が殺戮された実話に基づいている。

「力」とは一体、何なのか――映画館を出た今も頭の中を去来する。街中で起きているチンピラ同士の喧嘩なんぞとは桁違いの軍隊による暴力。そして、それをコントロールする権力。更に、大量虐殺を放置したり、放置させたりする国際間のパワー・オブ・バランス。

 元々同じ種族でありながら、ベルギー人によって、“鼻の形の違い”でツチ族とフツ族に分けられ、いがみ合い、殺し合うアフリカの民。相手の種(しゅ)を絶つために、子供まで殺す徹底ぶりだ。

 政変が起こるまで、金の力で成り上がった主人公は、家族を守るために必死の行動をとる。それだけの内容で、私は全く感動を覚えなかった。それどころか、「自分の家族さえ助かればいいのか?」と嫌な気持ちにさせられたほどだ。

「これが私のいる世界なのか?」――この一点を思い知るために見るべき作品だ、と私は思う。

 見ている最中から、猛烈な無力感に苛(さいな)まれる。私に何ができるのだ? どうせ、何もできない。否、しようともしないだろう。

 それでも、見るべきなのだ。中国から廉価で輸入された鉈(なた)で殺される人々を。虫けらみたいにビストルで撃たれる人々を。殺される前に陵辱される女性達を……。

 何もしなくていい。ただ、罪もなく殺されていった100万の人々の無念を知れ。

2004-09-28

苦痛を味わう/『ダンサー・イン・ザ・ダーク』ラース・フォン・トリアー監督


 ・苦痛を味わう

『イノセント・デイズ』早見和真
『ドッグヴィル』ラース・フォン・トリアー監督・脚本

・監督、脚本:ラース・フォン・トリアー
・出演:ビョーク、カトリーヌ・ドヌーヴ

 一度見て度肝を抜かれた。いずれの方向にせよ人の心が動くことを感動というのであれば確かな感動があった。だがその一方で二度と見ることはないだろう、とも思った。この衝撃は一度見れば十分なもので何度も鑑賞する類いの作品ではない。

 所感を記そうとネット上の情報を物色していたところ、阿部和重がパンフレットに書いた一文に遭遇した。予想もつかない視点から物語を解き、映像の奥深くに込められたメッセージを鮮やかに読み取っていた。私は頭を殴られたようなショックを受けた。

 ネットで見つけた阿部のテキストは一部だったので、それからというもの、パンフレットを入手するまでに3ヶ月ほどを要した。

 そして、私はパンフレットを座右に置き、再びビデオを見た。阿部が汲み取ったものを見逃すまい、と。ビデオが終わって、パンフレットを初めて開いた。やっぱり負けた(笑)。

 二度目ではあったが、予想に反して、私は画面に釘づけとなった。カットの一つ一つが、しっかりと物語を構成していた。

 冒頭、シミのようなものが浮かび、図と地の区別がつかなくなる。

 ハンディカメラで撮影されていて、画面が常にブレている。ブレた分だけ見ている側に緊張感を強いる。あたかも人の視線に入り込んだような感覚にとらわれる。ライトも当てられず、極端な効果音やBGMもない。こうして、揺れる画面は自分の眼となり、観客は無理矢理、映画の中に引きずり込まれる。

 40分ほどが経過してリズムが奏でられ、主人公セルマが踊り出す。場面がミュージカルとなると、映像はピタリと揺れなくなる。現実は揺れ動き、空想は完成された世界だ。

 セルマは歌う。「もう見るべきものはない。何もかも見た」と。

 セルマは踊る。「ミュージカルでは恐ろしいことは起こらないわ」と。

 シナリオはメッセージを主張することなく、見る者に思索を強要する。

 空想シーンであるミュージカルと現実がラストで一致する。セルマは獣のような声で叫び歌う。「これは、最後の歌じゃない!」。

 現実の世界でセルマがステップを踏むと、彼女は宙に舞う。真っ直ぐな姿勢で。運命と戦い、病苦(主演女優の名前とダブって仕方がない)と戦い、世の中の矛盾と戦ったセルマは、遂に自由を手に入れた。

【付記】余談になるが、二度目の方が私は泣けた。特に、獄中のセルマと面会するジェフの姿は、私が知る限りでは、究極のラブシーンである。また、セルマの同僚がカトリーヌ・ドヌーヴであることも後から知った。大女優であることを気づかせないほどの抑制された名演である。また、ミュージカルの曲が好評を博しているようだが、私の趣味とは全く合わないものだ。それでも、お釣りがくるほど堪能できた。尚、パンフレットに掲載されている阿部和重の「反転する世界」は類い稀なレビューである。そっくり紹介したい気持ちに駆られるが、やはり、少々苦労はしても、直接、入手された方がよろしい。

 

2003-03-19

物静かな語り口から発せられる警鐘の乱打/『9.11 アメリカに報復する資格はない!』ノーム・チョムスキー


 ・物静かな語り口から発せられる警鐘の乱打

『武装解除 紛争屋が見た世界』伊勢崎賢治
『メディア・コントロール 正義なき民主主義と国際社会』ノーム・チョムスキー
『エコノミック・ヒットマン 途上国を食い物にするアメリカ』ジョン・パーキンス
『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く』ナオミ・クライン
『アメリカの国家犯罪全書』ウィリアム・ブルム
『アメリカ民主党の崩壊2001-2020』渡辺惣樹
『第三次世界大戦はもう始まっている』エマニュエル・トッド

 読んでから随分と時間が経ってしまったが、今、書かずして後悔することを恐れてキーボードに向かう。

 百数十ページの薄っぺらい文庫本である。だが、その内容の重さは純金にも匹敵するものだ。

 本書は、米国で起きた同時多発テロから1ヶ月後の2001年10月15日にセヴン・ストーリーズ・プレス社という小さな出版社から発行された。日本語版は11月30日に発刊。米国ではテロへの怒りによってもたらされた“国家主義”が大手を振って歩き回っていた頃である。そんな時期に、宣伝もせず、書評欄に取り上げられ ることもなかった本書が、大方の予想を覆して売れ行きを伸ばした。22ヶ国でペーパーバック版となり、その内、5ヶ国ではベストセラーになっている。

 収録されているのは9月19日から10月15日までに行われた各メディアによるチョムスキーへのインタビュー。著名な言語学者であるチョムスキーが淡々とインタビューに答える内容は、米国が世界で行ってきた事実を検証し、テロの根っこをさらけ出し、「目には目を!」と叫ぶ面々の頭に、バケツの水をぶっ掛ける様相を呈している。

 チョムスキーの良心は「エスカレートする暴力の悪循環という世界中でおなじみの力学」を阻止せんとの決意に満ちている。インタビュアーが問い掛ける内容は、マスメディアが世界に発信している情報を拠り所としており、我々が日常、常識と考えているものである。チョムスキーは実に簡潔な言葉で問題の的を射てみせる。彼の言葉によって見つけ出されるのは、己(おの)が思考回路の迷妄に尽きる。以下、引用――

問●アラブ人は、定義上、必然的に原理主義者ですが、西側の新たなる敵でしょうか?

チョムスキー●もちろん違う。まず第一に、ひとかけらでも理性を持った人ならアラブ人を「原理主義者」などとは定義しない。第二に、米国と西側は一般に宗教的な原理主義自体に何ら反対はしていない。事実、米国は世界における、最も過激な宗教的原理主義文化の一つなのだ。国ではなく、大衆文化が。イスラム世界では、タリバンを別にすれば、最も過激な原理主義国家はサウジアラビアである。この国は、建国以来、米国の顧客国家(クライアント)である。タリバンは事実上イスラム教のサウジ版から生まれている。
 よく「原理主義者」と呼ばれる過激なイスラム教徒は、1980年代米国のお気に入りだった。手に入る最高の人殺しだったから。当時、米国の主要な敵はカトリック教会だった。教会は、ラテンアメリカで「貧者の優遇権」(1980年代に中南米で盛んになった解放神学の主張)を採択することによって極悪非道の大罪を犯し、そのおかげでひどい目に遭っていた。西側は敵の選び方において極めて普遍的、世界的である。判定基準は、服従しているか否かであり、権力へ奉仕しているか否かであって、宗教の如何ではない。このことを証明する例はほかにも数多くある。

【『9.11 アメリカに報復する資格はない!』ノーム・チョムスキー:山崎淳訳(文春文庫、2002年)】

「9.11テロに対して、ブッシュ政権は何をすべきか?」との質問にはこう答える――

 もしこの質問について真剣に考えたいのなら、われわれは、世界の大半において米国が、十分な根拠をもって、『テロ国家の親玉』と見なされている事実を認めるべきである。例えば、1986年に米国は国際司法裁判所で『無法な力の使用』(国際テロ)の廉(かど)で有罪を宣告されたうえ、すべての国(すなわち米国)に国際法遵守を求める安全保障理事会の決議に拒否権を発動したことを想起すべきかもしれない。これは無数にある例のうちのたった一つである。

 では以下に本書で取り上げられているいくつかの事実を列挙してみよう――

(1)1980年代のニカラグアは米国による暴力的な攻撃を蒙った。何万という人々が死んだ。国は実質的に破壊され、回復することはもうないかもしれない。この国が受けた被害は、先日ニューヨークで起きた悲劇よりはるかにひどいものだった。彼らはワシントンで爆弾を破裂させることで応えなかった。国際司法裁判所に提訴し、判決は彼らに有利に出た。裁判所は米国に行動を中止し、相当な賠償金を支払うよう命じた。しかし、米国は、判決を侮りとともに斥(しりぞ)け、直ちに攻撃をエスカレートさせることで応じた。そこでニカラグアは安全保障理事会に訴えた。理事会は、すべての国家が国際法を遵守するという決議を検討した。米国一国がそれに拒否権を発動した。ニカラグアは国連総会に訴え、そこでも同様の決議を獲得したが、2年続けて、米国とイスラエルの2国(一度だけエルサルバドルも加わった)が反対した。

(2)1985年、レーガン政権はベイルートで爆弾テロを仕掛けた。イスラム教の聖職者を暗殺することが目的だったが、これに失敗。モスクの外に爆弾トラックを配備し、最大の死傷者が出るようタイミングを計ったため、礼拝を終えて一斉に帰る人々が殺された。死者80名。負傷者250名。(47p)

(3)イスラエルのレバノン侵攻を支持。これが自衛のためでなかったことをイスラエルは直ぐに認めている。レバノンとパレスチナの一般市民18000人が殺される。

(4)1990年代、米国はトルコに対し、南東部に住むクルド人への反乱鎮圧戦争に際し、兵器の80%を供給。何万人も殺し、200〜300万人を家から叩き出し、3500の町や村を破壊し(NATOの爆撃によるコソボの7倍)、想像できる限りの残虐行為を行った。トルコがテロ攻撃を始めた1984年に武器の流れが急に増え、テロがほぼ目標を達成した1999年にやっと元のレベルに戻った。1999年、トルコは米国兵器の主な受取人(イスラエルとエジプトを除く)の地位をコロンビアに譲った。コロンビアは南半球における1990年代の最悪の人権侵害国家であり、一貫したパターンにより、米国の兵器と訓練の主要受取人として群を抜いている。

(5)1998年、ケニアとタンザニアで起こった米大使館爆破事件に関して主犯をオサマ・ビンラディンと特定。スーダンとアフガニスタンを攻撃した。スーダンのアル−シーファ薬品工場を「化学兵器工場」であとして破壊。スーダンは、国連に爆撃の正統性を調査するよう求めたが、それすら米国政府は阻止した。それから1年後の報道によれば、「命を救う薬品(破壊された工場)の生産が途絶え、スーダンの死亡者の数が、静かに上昇を続けている……こうして、何万人もの人々――その多くは子供である――がマラリア、結核、その他の治療可能な病気に罹(かか)り、薬がないため死んだ。[アル−シーファは]人のために、手の届く金額の薬を、家畜のために、スーダンの現地で得られるすべての家畜用の薬を供給していた。スーダンの主要な薬品の90%を生産していた……スーダンに対する制裁措置のため、工場の破壊によって生じた深刻な穴を埋めるのに必要なだけの薬品を輸入することができない……1998年8月20日、米国政府が取った作戦行動はいまだにスーダンの人々から必要な医薬品を奪い続けている」(ジョナサン・ベルケ『ボストン・グローブ』1999年8月22日号)

 イドリス・エルタイエブ博士は、スーダンの一握りの薬学者の一人でアル−シーファの会長だ。「あの犯罪は」と博士は言う。
「ツイン・タワーのテロと等しいテロ行為である――ただ一つ違うのは、やったのは誰かわれわれが知っていることだ。私は[ニューヨークとワシントンで]人命が失われたことをとても悲しく感じる。しかし、数という点で言うなら、また、貧しい国に負わされた相対的なコストの大きさで言うなら、〔スーダンの爆撃の方が〕ひどい」

 ミサイル攻撃の直前に、スーダンは大使館を爆破した容疑者2名を拘束。米国政府に通報したが、米国はこの協力の申し出を拒否。スーダン側はこれに怒って容疑者を釈放。この中には、「オサマ・ビンラディンとそのアル−カイダ・テロリスト・ネットワークの主要メンバー200人以上に関する今日までの大量のデータベースが入っていた。また、「ファイルには、ビンラディンの幹部たち多くの者の写真や詳しい経歴や、地球上の多くの場所にあるアル−カイダの財政的関係機関の重要な情報が入っていた」。

 驚愕の事実が我々に教えてくれるのは、米国が国益という名の下(もと)に多くの罪無き人々を殺戮(さつりく)していることだ。マスメディアによってもたらされる情報は良識ある市民をつんぼ桟敷へ追いやろうとしている。

 事実を淡々と述べるチョムスキーの姿に骨太の知性を垣間見る。感情的な嫌米主義とは全く質を異にしている。もっと言えば、チョムスキーのメッセージを支えているのは純然たる愛国心かも知れない。

 チョムスキーによって、米国が真に自由の国であることを知る。米国によるイラク攻撃の戦端が開かれようとしている今、本書の価値が一層高まることは間違いない。



9.11テロは物質文明の幻想を破壊した/『パレスチナ 新版』広河隆一
『世界反米ジョーク集』早坂隆
『武装解除 紛争屋が見た世界』伊勢崎賢治